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医の技術と組織化の進展



                高齢化と医薬の今昔(2)  
 
          ☆医の技術と組織化の進展ー白内障手術から見るー

 おかげさまで白内障の手術は先月の下旬に無事終わり、四~五日前からパソコンの前に座ることができるようになった。それで思いつくままぽつりぽつりこの手術にかかわることを書いていたら、一回分の記事ができてしまった。前回お知らせしたように、この記事はもう一週後の再来週の月曜日に掲載することにしていたのだが、せっかくできあがったので、一週早めて今回掲載させていただきたい。
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 3年前の夏のことである、東北楽天のナイターを見に家内といっしょに宮城球場に行った。試合が始まった頃はまだ西日が差していて明るく、ライトはもちろんついていなかった。ところが、バッターが打った球がどこに飛んだのか、私にはさっぱり見えない。私の注意力散漫のせいかと一生懸命見るのだが、わからないのである。選手の動きであのへんに飛んでいるのだろうと推測するしかない。どうしたのだろう、困ったもんだ、目が疲れているのだろうか、眼鏡があわないのかなどと思っているうち、陽は沈んで暗くなり、ライトが点いた。そしたら何と、白球の動きが見える。おかしなものである、日の光がないと試合の動きについていけるのである。という一夜を過ごしたことがあるのだが、どうしてなのかわからない。前回二人でナイターを見たのは田中が投げていた時だからそのまた5年前つまり今から8年前、そのときはそんなことをまったく感じなかったのにである。
 間違いなく目は悪くなってきている。いくら眼鏡のレンズを換えても遠くが見えなくな一方、新聞を読むのも苦しくなっている。さらに太陽の方に向かって景色を見るとまぶしくてよく見えない。おてんと様に顔向けできなくなっているのだろうか(それほど悪いことをしているとは思わないのだが)。家内はパソコンに向かい過ぎだからではないかと言うのだが、いずれにせよ困ったものだ。
 それを行きつけの眼科の医者に話したところ、それは白内障の一症状、70歳代の80%以上が罹患しており、誰もが発症する可能性のある目の老化現象で、それが左眼でかなり進んでいることを示している、そろそろ手術しなければならないとのことだった。
 もしも手術をするとなると、これで5回目の手術となる。そのうち3回をこの5年の間にやることになるのだが、これもまさに高齢化のなせる技ということなのだろう。そして私はまたしても親不孝をすることになる。「身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり」、子どものころよく言われたことだし、子どもを授かってから子どもにこうあってほしいと願ってきたにもかかわらずである。しかし、これで目がよく見えるようになったら、そしてみんなにかける迷惑が少しでも減るのであれば、亡くなった親も許してくれるのではなかろうか(80も過ぎてまだ親の話をする、子どもや孫の話ならわかるが、おかしなものだ、親に対してはいつまでも子どもなのだろう)。私自身にとってもこのまま片目が見えなくなってしまうのはやはり困る。新聞も小説も楽に読みたいし、テレビは見たいし、ブログに書き残していることも多々あるのでパソコンに向かいたい、まともにお日様に顔向けができるようにもなりたい。そこで医師から必要だといわれたら手術をしようと思っていたところ、この9月、市の定期健診で行きつけの眼科医院に行った時とうとう手術をするよう宣告された。そして目の手術を専門にしている大きな眼科医院を紹介するのでそこで手術を受けるようにと有無をいわせず紹介状を渡してよこした。
 急なことではあったが、覚悟はしていたので翌日その医院に行っってみた。医院といってもかなり大きく、数人の医師がおり、病室もあり、さらに手術に必要な診察をする内科もある大きな眼科医院だったが、待合室は数十人の患者でいっぱい、早朝行ったのに私の受付番号は80番を超していた。最近は小さな医院と大きな病院との間の分業がなされているようだが、これもその一種で、眼科の間で診察と軽い治療を行う医院と重症を治療する医院との分業が成立しているようである。
 かなり待たされながらいろいろ検査を受けた後、医師から次のように言われた、眼球のレンズの働きをする水晶体が白く濁っているので、その濁った水晶体を取り出して眼内レンズを入れる手術を行う必要がある、手術は二ヶ月後とすると。かなり混んでいるらしい。私も教え子の結婚式から何からいろいろあってそのころでないとだめだったのでちょうどよく、手術日を決め、さまざまな検査と手術についての説明を受け、手術前に必要な点眼薬をもらって帰った。説明といっても、テレビを何人かの患者といっしょに見せられるだけ、何しろ日帰りの手術、それだけ簡単な手術と言うことからなのだろう。家族の付き添いは必要と言うことということだったが。
 とはいっても全身麻酔ではないのがちょっと気になった。70年前にやった蓄膿症の手術の時は局部麻酔で大変な思いをした経験があるからである。もちろん麻酔をはじめ医療技術は進んでおり、そんなことはないとはわかっているのだが。しかも白内障手術は10分くらいで終わるというのだから、何とかがまんはできるだろう。

 手術当日、付き添ってくれた家内と孫といっしょに朝の7時半に医院に着いた。8時までに来いというのでそうしたのだが、手術室の前の待合室に呼ばれたのは10時ころだった。その部屋には10人の患者が椅子に座って手術を待っており、看護師さんからかわるがわる手術前の点眼を受けている。また注射される(きっと麻酔薬なのだろう)。数分くらい過ぎると先頭に座っていた1人が手術室に呼ばれた。すると、その空いた椅子にみんな一つずつ移る。同時にまた1人新しい患者が入ってきて最後の椅子に座る。出て行った人はもう戻ってこない。終わって帰ったのだろう。また1人手術室に呼ばれる、また席を移動し、そこに新しい患者が入ってきて座る。これが繰り返され、ずんずん手術の順番が近づいてくる。何か流れ作業で手術室に送り込まれている感じである。
 退屈でみんなの顔を眺めていると、若い人は1人もいない。考えてみれば当たり前、白内障はそもそも老人病、かく言う自分も老人でないかなどと考えて1人苦笑いしたりしているうちに自分の番になった。

 手術室に入る。椅子に座らされて頭に何かつけられ、何かで左眼が開けられる(ように記憶に残っている)と同時に異様な機械音が聞こえてくる。何が何だかわからないうちに、左目に強烈な赤青白等の小さい円形の光の点滅が映る。そしてそれがいつまでも続く。何ともいえない強烈な違和感はあったが、痛みはまったく感じない。気分が悪くなったりもしない。そのうち音が消えた。光もなくなった。左目が眼帯で覆われた。終わったようである。
 たしかに本当に短時間で終わった。計っていないから正確にはわからないが、10分もかからなかったのではなかろうか。しかもまったく痛みはない。眼帯をされている左眼はまったく見えず、片目で手術室を出たが、右眼だけから見る世の中、麻酔のせいもあるのだろうが、焦点が定まらず、地球が回っている感じ、よく見えない。控え室で待っていた家内と孫に支えられてようやく待合室に戻った。やがて、翌朝また診察に来るように、そのときまでは眼帯をしているように伝えられ、会計を終えて家に帰った。ちょうどお昼時だった。
 
 驚いた、聞いてはいたけれど、こんなに短時間で、しかも痛みをまったく感じずに手術が終わるとは。看護師だった家内も驚いていた。家内が現役だった50数年前ころの白内障手術は1週間入院、眼帯をしたままだったとのことである。
 前にも述べたのだが、3年前のヘルニア手術の時も、昔のように傷口を糸で縫わない(傷は残さない)、麻酔の後遺症は残らない、手術翌日に歩かせる(つまり歩ける)等々、話にはきいていたが、驚いたものだった。
 こうした医学、医療技術の進歩を享受させてもらっている私たちは本当に幸せ者、こうした恩恵を与えてもらっている今の世の中にお返したいのだが、それが十分にできなくなっていることが何とも申し訳ない。せめて邪魔にならないようにだけはしたいと思っている(もちろん今の政権への邪魔はできるかぎりするつもりでいる、それが世の中のためになると思うからだ)。

 話はまたもとに戻るが、手術の翌朝、また診察を受けに行った。眼帯をとってもらい、点眼薬と寝ているときの左眼の保護のしかたの注意と、また翌日と1週間後に来院するようにとの指示を受けて終わり(相も変わらず待ち時間は長かったが)、ともかくこれで両目はあいた。左眼も見えることは見える、失明はしていないようた(こんなことを言うのは手術をしてくれた医院に失礼だが)。問題はこれからの5日間の過ごし方だ。テレビ、読書、パソコンは控えるように、外出も散歩程度とのことである。しかも左眼はあまりはっきり見えないし、間違ってちょっと押したりすると目の奥が痛む。、こたつに寝そべりながらテレビの音だけを聞き(どうしても見たいとき、見る必要のあるときだけ映像を見る)、新聞は休み、休み、1日かけて読む、パソコンはメールだけ見る、要するにごろごろして過ごすということにした。

 1週間目の診察を受けに行ったら、手術は成功、そもそもの乱視のため見えにくいだろうが、1ヶ月検診で何事もかければかかりつけの医者のところでその後のケアをしてもらうようになるとのことだった。
 これで禁酒も終わった。その夜の缶ビール1本、次の夜の日本酒1合、うまかった。さらに来週には、本稿に何度も登場してもらった後輩研究者のST君、IM君が私の快気祝いをしてくれるとのこと、しばらくぶりで仙台の夜の街を放浪することができる、これを楽しみに待つことにした、
 といっても手術が終わったばかり、その成果はよくわからない。新しい視力にあわせた眼鏡づくりもこれから、手術の成果は今後に期待するしかない。もちろん、その期待は裏切られないだろうが。

 それにしても、と考える、医師と患者の関係はこれでいいのかと。
 患者の私は手術をしてくれた医師とまったく会ったことがなかった。手術室で初めて見たのだが、一瞬のこと、私もまったく記憶がない。医師はもちろん患者の顔など覚えているわけはない。一日に何十人も患者を扱っている上に患部を中心に見ているだけだから、顔などまともに見ていない。手術に必要な患者の病状や身体状況については診察担当医から渡される資料でわかるから、それで何ら差し支えない。患者にとっても、治してさえもらえばいいのだから、それで何ら差し支えない。だからそれで問題はない。医療は分業と協業、マニュファクチュア段階にあるのだと思えば何と言うことはない。しかし何か血が通っていない感じがする。者は何かベルトコンベアで送り込まれてくる原料であり、診察担当医がまずその原料=患者が欠陥品かどうか(つまり白内障にかかっているかどうか)を見て手術室に送り、手術担当医は麻酔担当医の協力のもとにその原料に眼内レンズを入れて完成品としてコンベアで送り出す、それを繰り返している、何かそんな感じがしてしまう。もちろん、その手の加え方は命に直接かかわること、慎重になされていることは言うまでもないだろうが、何か違和感を感じてしまう。人を見ないで患部だけを見る、医師は単なる技術屋になってしまっている、そんな感じすらするのである。こうした傾向はこの眼科医院だけではないのではなかろうか。最近何回か入院したり、治療を受けたりしているとそれをしみじみ感じる。
 それでいいのだろうか。山本周五郎の書いた『赤ひげ診療譚』に出てくる新出去定をはじめとする医師、藤沢周平『獄医立花登手控え』に出てくる医師立花登とはまるっきり違う。もちろん、これは江戸時代の話、時代は違うと言われればその通り、しかし私が20世紀の時代にお世話になった病院や医師を考えてもやはり何か違和感を覚えるのである。そして本当にそれでいいのだろうかなどと考えてしまう(注)。
 そんなことを言っていたら、今の医師の数ですべての患者を治療するなどということはできない、医療技術は20世紀とはまるさっきり違っているのだ、専門化した医師の組織的な協力の下に医療がなされるようになっているのだ、時代が違うのだ等々言われればその通りかもしれない。こんなことを考える私は時代遅れなのだろう。そしてそういう変化があったからこそ、今回の白内障の手術は手際よくうまくいったのだろうし、多くの人が恩恵を受けているのかもしれないからだ。
 よくわからない。医療にかかわる私の体験談等をさせていただきながらもう少し考えてみたい。

(注)
 このことについては本稿の下記掲載記事でも述べているので参照されたい。
 14年2月10日掲載・本稿第六部「医者の今昔」

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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