FC2ブログ

Latest Entries

酒の後に主食?主食の後に酒?



            戦後昭和の酒と村・街そして私(15)

            ☆酒の後に主食?主食の後に酒?

 80年代半ば、沖縄に初めて調査に行ったときのことである。那覇に到着した夜、沖縄の研究者仲間が私たちの歓迎会を開いてくれた。しばらくぶりで彼らと会い、沖縄の話を聞くのは楽しみだったが、もう一つ泡盛を飲みながら沖縄料理を食べるという初体験も楽しみだった。
 夕方沖縄料理店に全員集合してまずビールで乾杯、そのビールが何と初めてのオリオンビール、その由来を聞いているうちに炒飯がみんなの前に出され、沖縄の友人たちはそれを食べ始めた。驚いた。私たちにとってはご飯を食べるということは宴会が終わるということだからである。酒も泡盛もなしで終わるのか、これが沖縄の宴会なのかとがっかりした。でも、ともかくそれが風習なのだろう、郷に入れば郷にしたがえ、やむを得ないと私も炒飯を食べた。みんな食べ終わったとたん座は賑やかになり、同時に泡盛が運ばれてきた。私にも水割りにして注いでくれる。これからが本当の宴会=飲み会だった。沖縄料理と泡盛を楽しみながら、夜遅くまで楽しく過ごした。
 後で沖縄の仲間に聞いてみた、なぜご飯を先に食べるのか、ご飯は普通飲み会の最後ではないかと。そしたら彼は笑いながらこう言う、そういう疑問を持つのは当然だが、沖縄の酒は泡盛、きわめてアルコール度数が高いので空きっ腹に飲んだりしたらすぐにダウンしてしまう、それでご飯を食べてから本格的に飲み始めるのだと。なるほどと納得である。
 続けて彼はこう言う、沖縄では一般に宴会は夜の8時頃から始まる、その前にいったん家に帰り、ご飯を食べてから会場に行くのだと。私たちの飲み会は6時からだったのだが、そう言われてみれば盛り場の通りはまだ閑散としており、会場の店で飲んでいる人も少なかった。そして私たちがかなり盛り上がったころ、8時ころには店は満員になった。なるほどである。
 日本酒と泡盛、そのアルコール度数によりご飯の食べ方が違う、きわめて理にかなっている、と納得したものだった。そして沖縄に行ったらその習慣にしたがうことにした。おかげさまで悪酔いもあまりせず、沖縄の友人たちと楽しく夜を過ごさせてもらった。

 そういえば、とそのとき思い出したことがあった。その10年くらい前、私が弟の結納を持って神奈川県の奥深い山村に行った時のことである。古い大きな家の座敷で結納の儀式が終り、祝宴となった。親戚や近隣の人たちと乾杯が終ったら、お膳に載っている小さなお椀に入ったそばをみんな一斉に食べ始めた。びっくりした。酒は乾杯だけ、後はお膳のものを食べて終わりなのかと。ともかく郷に入っては郷にしたがえ、私もそばを食べた。黒く太いそばだったけどうまかった。ほんの一口なので物足りないくらいだが。こうして食べ終わった瞬間、一斉にみんな酒を飲み始め、本格的な宴会となった。後で聞いたら、飲む前に軽くそば(この地域では昔はそばが主食だったとのこと)を食べるのがこの地域の昔からの習慣なのだそうである。
 酒を飲む前に主食を軽くとる、それが貴重な酒をたくさん飲むのを抑制するためのものなのか、ゆっくり長い時間飲めるようにするためなのかわからないが、そういう伝統のある地域もあったのである。

 しかし、99年の夏、酒と主食との関係でどうしても理解できない事態に遭遇した。
 北海道網走にある東京農大オホーツクキャンパスにはゼミ(=研究室)単位の学生の研修旅行があり、それにはゼミの教員が付き添っていくことになっている。それで私は学生旅行の引率を初めて体験することになった。私の教員生活も30年を越していたが、前に勤めていた東北大にはこうした旅行はなかったからである。
 その最初の旅行のときである、農家集団の視察調査も終わり、夕方宿泊地の知床の旅館にバスで到着、温泉に入って浴衣に着替え、食事となった。三年生なのでもうみんな成人、ビールと酒を頼み、私を含む15人全員お膳を前にして座り、みんなでビールで乾杯をした。これからいよいよ酒盛りが始まる、と思ったらどうも雰囲気が違う。乾杯のビールのコップを飲み干したら、学生諸君は順次立ち上がり、茶碗を持って部屋のすみの方においてあるご飯のおひつのところにぞろぞろ歩いて行く。そして茶碗にご飯を盛り、また自分の席に戻り、黙々とご飯を食べ始めた。
 初めて見るこの光景に驚いた。なぜご飯を食べるのだろうか。前に頼んである酒やビールはどうするのだろうか。飲む気はないのだろうか。こんな白けたままで、会話もなしで夕食を終わらせるつもりなのだろうか。コンパのしかたも知らないのか。今の若い人も変わったものだ。私は言葉も出ず、唖然としてただただ眺めているだけだった。
 やがてみんなご飯を食べ終わった、突然少し騒がしくなった。何人かが立ち上がって座敷のすみにおいてあるビール瓶やお銚子を持って席に戻り、一人であるいは隣の席のものと注ぎあって飲み始めたのである。私の隣に座った学生も銚子を持ってきて、先生どうぞと酒を勧める。そのうちにビール瓶やお銚子をもって、親しい友人なのだろう、その前に行って酒を注ぎ、談笑を始める。私の前にも何人かの学生がくる。やがて座敷の真ん中においてあったカラオケのマイクを持って歌うものも出てくる。まさに普通の宴会になった。しかし、個人的なおしゃべりが延々と続くだけ、カラオケを歌うのも一人だけ、何とも盛り上がらないうちにぽつりぽつりと部屋に引き上げはじめ、数人になったところで閉会となった。
 こんな白けた宴会は私には初めてだった。

 そうなのである。彼らは酒を飲む前にご飯とおかずをお腹に詰め込むようなのである。腹が減っているから今回は特別ということでもなさそうだ。それが彼らの常識のようだ。居酒屋などでのコンパの時には最初にご飯は出ず、おつまみなどの料理と酒が出てくるだけなので酒を飲むが、旅館のように最初にご飯が出てくるのであればまずそれから食べてお腹を膨らませ、その後に酒を飲むようなのである。
 これには驚いた。私たちであれば夏はビールを、冬であれば熱燗の日本酒をまず流し込み、口や喉、そして食道、お腹で味わい、刺身や煮物等のおつまみを食べて酒のうまみと同時に料理のうまさをお互いに引き立てて楽しむ、そして酔っぱらって、座が盛り上がり、もうそろそろ限界と言うところで閉会とし、味噌汁や漬物などとともにご飯を最後に食べて部屋に引き上げ、二次会をするもの、寝るものとに分かれる。これが私たちの普通のパターンなのだが、学生諸君はどうもそうではなさそうなのである。
 だからだろう、なかなか盛り上がらない。ご飯を食べたらそれほど酒は入らないし、飲んでもそれほど酔いが回らないからだろう。二次会をしようなどという雰囲気にもならない。
 これはショックだった。酒に対する考え方、酒の飲み方はどうも私たち以上の世代と違うようだ。

 このときの学生の一員だったOA君(現在はある会社の中堅社員として活躍している)はあの夜のことを次のように述懐している。
 「ご飯を先に食べる習慣は、私たちのゼミだけでなく部活の飲み会でもありました。あれは(過保護な)親からの助言に従ったためです。私たちの両親は無茶な飲み方(一気飲み)をしていた、させられていた世代、しかも一気飲みをさせられて急性アルコール中毒で搬送される学生のことがニュースで大騒ぎしていた時代、可愛いわが子には同じような思いをさせたくない、ましてや、網走という辺境の地で。そこで、親は子どもに『お酒を飲む前に、ちゃんとご飯を食べるんだよ。そうすれば悪酔いはあまりしないから』と助言していました。それに学生は素直に従ったのです。これが理由だったのは私だけかと思ったら、当時、同級生たちも同じようなことを言ったので、比率は結構多いと思います、ほとんどのゼミや部活の飲み会も私たちと同じでした」。
 なるほど、彼らの両親の世代つまり高度成長時代に青春を過ごした世代は、思いっきり酒が飲めるようになり、酒にガツガツしなくなった世代、しかも「過保護」が騒がれ始めた時代に育った世代、それでこういう教育をしたのかもしれない。そして子どもたちは親の言うことに素直に従う時代になったのだろう。
 これもやむをえない、とは思ったのだが、私としてはどうしてもそれに納得できなかった。

 乾いた喉にグイっと飲んだ時の冷たいビールのうまさ、空きっ腹にキューっと飲んだ時の熱燗の日本酒のうまさ、胃の腑から全身に酔いがまわっていくときの心地よさ、これはご飯を食べた後では味わえない、お腹がいっぱいでは酒はうまくないし、酔いも遅くなる。酒は酔っていい気持になるために飲むもの、酔えない酒を飲むのはもったいない。
 そしてみんなといっしょに飲むときには、お互いに酔ってワイワイガヤガヤ、素面の時とは違った一面を出しあってみんなで楽しみ、さらに親交を深める、これが酒と言うものではなかろうか。
 もちろん、泡盛のように気分よく長い時間酔いを楽しむためにお腹にご飯などを入れてから飲むということがあっていいし、酒の種類によって違うのだが。また、地域それぞれ、人それぞれ、酒の飲み方はいろいろあっていい。
 しかし、ゼミ生全員がご飯の後に酒・ビールというのはちょっと異常なのではなかろうか。今の若者はみんなそうなのだろうか。私たちの若かったころと一般的な常識が違ってしまったのだろうか。それでいいのだろうか。

 そのときは、親の教育でそうなっているとは知らなかったから もしかすると私のゼミの三年生諸君が一般的な常識、酒の飲み方を知らないだけなのだろう、彼らは成人になって間もないからだろうと考えた。とするならそうした常識(だと思うのだが、間違っているだろうか)をきちんと教えておく必要がある、そう思ったから、その後の飲み会や旅行のときには学生に宴会の仕切りをすべてまかせず、私と研究室の院生で後に助手となったWMさん(前に本稿で何度も登場してもらった)とでコンパや旅行のときの幹事の学生に指示して、私たち大人流で宴会をさせた。知床旅行のコンパ学生の一員で後に大学院に進学したOA君(さきほど当時のことを述懐してくれた)もその意図を察して率先して後輩にそれを引き継ぎ、それが私の定年のときまで引き継がれてゼミの学生諸君は卒業していった。こうして社会人となっているが、これが役に立っているかどうかわからない。またこのような「教育」はする必要がない、するべきではないという批判もあるかもしれない。でも私はそれでよかったと思っているのだが、どうだろうか。
 OA君は「あのころのおかげで、飲み方、盛り上げ方を学んだ学生も多いと思うし、社会人になってからも役立っていると思います」と言ってくれる。そして、「私たちの世代以下の人たちはやはり知床の旅館と同じように、放っとけば、まず食事、個別で話し、二次会を避けるように帰るのが多く、やむを得ず『酒教育』を受けた私などが仕切り、盛り上げることも多い、困ったものです」と彼は嘆くのだが。

Appendix

訪問者

カレンダー

12 | 2019/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR