FC2ブログ

Latest Entries

長男相続制と結婚をめぐる諸問題



            村の結婚その昔(4)

        ☆長男相続制と結婚をめぐる諸問題

 農家の長男もしくはその嫁が幼い子どもを残して死んだ場合にその弟妹と再婚させて家を維持する、前回そういう話をしたが、問題となるのは未婚の弟妹がいない場合である。
 まず、母を失った幼子をかかえている場合であるが、子どもと血のつながりのない女性を嫁として迎えるしかなかった。と言っても、子連れのところに嫁に行くなどというのは苦労するだけ、一般的には嫁ごうとはしないはずである。しかし、何らかの事情で行き遅れたり出戻ってきたりした娘の場合、行かず後家で一生家にいて肩身の狭い思いをするのもいや、就職口などそうあるわけはなし、それで一生食っていける保証もなし、当時は嫁ぐことが就職でもあった(注1)ので、そういう嫁入り先を親や親戚などから勧められれば行くよりほかなかった。
 そしてその嫁は「継母」(「ままはは」もしくは「けいぼ」=自分と血のつながっていない母)と呼ばれた。
 「ままはは」、これは幼いころの私にとっていやな言葉、怖い言葉だった。母が死んでいなくなるなど考えるのもいやなところに、その後に「ままはは」が来て子どもをいじめるなどという話が本にあったり(たとえばシンデレラがそうだった)、友だちから聞いたりしているからだ。今でも覚えているのが、火鉢の前に座っている継母が眉毛を逆立てて焼き火箸を継子の身体に当てて折檻しようとしている挿絵、雑誌に載っていたのがいまだに脳裏に残っている。あそこの家は「ままはは」なんだって、かわいそうに、道理であの子はあんなものしか食わされていない、あんなぼろ服しか着せられていない、自分の産んだ子は大事に可愛がっているくせに、などといううわさ話も耳に入ってくる。

 後で考えてみれば、こういう話は貧困と長男相続制度からくるものだった。
 まともに食えない貧困、農作業に加えてのきつい家事、ついいらいらして子どもに当たり散らしたり、暴力をふるったりしてしまうこともある、実の子に対してでさえそうなのだから、ましてや継子などに対しては実子以上についつい辛く当たってしまう。
 さらに相続問題がある。自分の産んだ子に将来土地などの財産を、できればすべて、それが無理なら一部を分けて相続させ(たとえば分家でもさせ)てくれればいいが、当時は一子相続・長男相続が普通(注2)、しかもその相続財産は一般には家族が何とか生きていける程度のもの、それを分割して分家などさせたら経営面積が減って本家の方が食えなくなってしまうからだ。そうなると家の財産は自分の産んだ子どもには一切与えられないことになる。
 それでも妻である自分に相続権があればいい。それを実子に与えればいい。しかし旧民法では特別な事情のないかぎり妻に相続権はない。それでもいいではないか、どこかに勤めて稼げばいい、といっても当時はろくな奉公先もなし、家から出ていくものは大変である。自分の産んだ子にはそんな苦労はさせたくない。邪魔なのは継子だ。そこでついつい継子をいじめてしまう。こういうことなのだろう。
 と他人が思ってしまい、そういう目で見るものだから、継子にだけ辛く当たっていると近所の人が見てうわさをする、こういうこともあったろうが。
 もちろん、実子・継子などと差別せずに、本当の兄弟として子どもを育て、家族いっしょに家をまもるというのが普通だったのだが。

 次に、幼子と嫁を残して長男が死に、その長男に弟がいない場合であるが、そのときには親類縁者つまり血のつながった家の後継者以外の未婚の男性(いわゆる次三男)を婿として迎え入れた。まったくの他人を入れるよりは家のために尽くしてくれるだろうし、安心できるからだろう。また血縁の方が来てくれやすいこともあろう。
 婿候補の親もそれを勧める、土地を分けて分家させるよりはずっといいからだ。でも、「小糠三合あれば婿に行くな」と言われるくらい婿は辛い。婿の地位は嫁と同様に低かった。ともに家をまもるための存在でしかなかった。だからといっていやだというわけにもいかない。働き場所などない時代、婿入りを断って、しかも分家もさせられずにいて、いつまでも結婚もできずに居候、厄介者になって肩身の狭い思いをして飼い殺しされるより婿に行く方がまだ増しである。親戚であれば気の使い方も少ないだろう、生まれるだろう自分の子もその家族には近縁で差別待遇は少ない等々、まったく知らない家に婿に行くよりはずっといい、それで親の言うことをきいて婿に行こうということになる。

 だからといって、分家させてもらった次三男はよかったというわけでもない。条件の悪いわずかな面積の土地しかもらえないからだ。本家もそんなにたくさん土地を持っているわけではないからである。前にも書いたことだが、そうなると当然分家は農業だけでは食べていけない。地主から土地を借りて小作農になるしかない。さらには農業・農外の日雇いや季節雇いで生計をまかなうしかない。そして何かあれば本家から食糧や金を借りて、助けてもらって生計を維持することになる。そうなると本家のいうことを聞かざるを得ない。たとえば手伝いに来いと言われれば何があっても行かざるを得ない。つまり本家に人身的に従属するしかなかった。こうした本分家関係、その縦の序列関係はすさまじいものであった。生産はもちろん生活のすみずみまで、結婚や就学にいたるまで、あらゆることで分家は本家のいうことを聞かなければならなかった(注3)。

 思うような結婚ができない、好きな人と自由に結婚できない、もちろんこれは当時の長男相続制とか「家」の維持とかの理由からだけではない。とくに忘れてはならないのは身分や貧富、職業などの差異によっても結婚できなかったことだ。もちろんそんなことは制度的には明治以降なくなった。しかし、それは厳然として残っていたし、都市部においても同じだった。
 戦前、「婦系図」(注4)や「愛染かつら」(注5)の歌や映画がヒットしたのはそのためもあった。

 好いて好かれていっしょになる、こういう事例ももちろんあった。
 しかしそうでない方が多かった。だからだろう、戦前の流行歌に悲恋、打ち明けることもできない片思い、別れの歌詞が多かったのは。
  「思い寄せても 届かぬ恋は
   つらい浮世の 片瀬波」(注6)
  「およばぬことと 諦めました
   だけど恋しい あの人よ
   ままになるなら いま一度
   ひと目だけでも 逢いたいの」(注7)

 もちろん、『矢切の渡し』(注8)の二人のように恋を貫こうとした事例もあったろう。でもこれは戦後つくらにれた歌、だから恋に生きることができたのかもしれない。
   「『つれて逃げてよ…』 『ついておいでよ…』
   夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し
   親のこころに そむいてまでも
   恋に生きた ふたりです」

 みんなみんな辛かった、長男は長男で、次三男は次三男で、娘は娘で、嫁は嫁で。親も祖父母もそうだったのだ。
 低位生産力段階だからこれもやむを得なかったのだが、そこにおしとどめたのは戦前の政治経済構造であり、さらに深刻にさせたのは「万世一系の天皇制」の確立・権威付けのために封建的家族制度を反映させた男系・長男相続、婚姻の自由の制約を強制した明治民法だった。
 だからといって、近代民法のように均分相続を単純に法で定めたとしたら、これまた家族経営崩壊等の問題を引き起こす。この矛盾をどう解決するかが戦後の一つの課題となり、新民法下でそのための努力が続けられると同時に、戦後の経済民主化による就業機会の拡大がその解決に大きく寄与した。
 しかし、もう一方で進められたいわゆる国際化・グローバル化によって農業が衰退、家族経営は崩壊しつつあり、相続どころか耕作が放棄され、さらには所有者不明となった田畑まで出る始末、かつては考えもしなかった事態が引き起こされている。こんな現在と低位生産力段階の辛かった過去、どっちがよかったかなどと比較するわけにはいかないのだが、今の世の中、もう少し何とかならないものだろうか。

(注)
1.14年1月27日掲載・本稿第六部「続・家事と花嫁修業」(1段落)参照
2.本稿の下記掲載記事で書いたように、長子(最初に生まれた子、男女を問わない)相続、末子相続等々、地域の諸条件により経営継承の形態はいろいろあったのだが、明治以降は原則として長男相続に一律化された。
  10年12月25日掲載・本稿第一部「いえの相続―宿命と特権―」(1段落)
3.10年12月25日掲載・     同     上      (5段落)参照

4.1907(明40)年に書かれた泉鏡花の小説。
  翌年、新派の芝居に脚色、初演されて人気を博し、当り狂言となる。
  1942(昭17)年、監督:マキノ正博、脚色:小国英雄、主演:長谷川一夫・山田五十鈴で映画化されたときにつくられた『婦系図の歌―湯島の白梅―』(歌:藤原亮子・小畑 実、作詩:佐伯孝夫、作曲:清水保雄)が流行した。

5.1937~38(昭12~13)年にかけて雑誌『婦人倶楽部』に連載された川口松太郎の小説。
  その翌年、監督:野村浩将、主演:田中絹代・上原謙、製作:松竹で映画化された。
  「花も嵐も 踏み越えて」で始まるこの映画の主題歌『旅の夜風』(歌:霧島昇・ミスコロムビア、作詞:西條八十、作曲:万城目正)、『悲しき子守唄』(歌:ミス・コロムビア作詞:西条八十、作曲:竹岡信幸)などは大ヒットし、私たち幼い子どもも歌ったものだった。

6.『片瀬波』、歌:松山時夫、作詞:高橋掬太郎、作曲:原野為二、1932(昭7)年
7.『雨に咲く花』、歌:関種子、作詞:高橋掬太郎、作曲:池田不二男、1935(昭10)年
8.歌:ちあきなおみ、作詞:石本美由起、作曲:船村徹、1978(昭53)年

Appendix

訪問者

カレンダー

04 | 2019/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR