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内服薬の:形態



              高齢化と医薬の今昔(5)

               ☆内服薬の:形態

 私の子どもの頃(昭和戦前・戦中・敗勢直後ということになるが)、何か病を得ると通ったのが、生家から2.5㌔くらい離れた田んぼの中に建てられた医院だった。前にも述べたように(注1)、ここは今で言う総合診療科で、医者一人で何でも診てくれた。病室もあった。街の中心部には内科、外科、眼科などの専門医院があり、大きな総合病院もあるのだが、なぜかしらないが私の生家や近隣の人はみんなそこの医者に通い、また往診もしてもらっていた(ただし、お産は産婆さんに頼み、捻挫などは私たちが「骨接ぎ」と呼んでいた接骨院にかかった)。当然私もそうで、さまざまな病気をしていろんな内服薬、塗り薬から貼り薬までの外用薬をこの医者からもらったのだが、内服薬についてはどんな薬を飲まされたのか覚えていない。覚えているのは薬の形態だ。

 まず印象に残っているのは『水薬』だ。目盛りのついた透明の小さなガラス瓶に入っていて、医師の指示する目盛りの量だけ食後あるいは食前に飲むのである。なかには甘く味がついている水薬があり、甘いものの不足している時代なので好きだった。子どもの飲みやすいように薬を水に溶かして甘味料を加えたのか、そもそも薬が甘かったのかわからないが、前者だったのではなかろうか。でも、水薬をもらっている大人を見たこともあるから、単に子ども向けではなく、それなりの理由があったのだろう。私はもう何十年も水薬を飲んだことはないのだが、内服薬としての水薬の位置づけは現在はどうなっているのだろう。

 それから『粉薬』(『散(さん)薬(やく)』とも言い、公式にはこれが使われているようだが、私たちは「こなぐすり」と言う言葉を使っていた)、これが普通だった。○○薬X㌘、△△薬Y㌘と処方箋に医師の書いた分量の粉薬を薬剤師と看護婦が調合し、それを折り紙くらいの大きさの四角の紙(薬包紙)に一回飲むだけの分量ずつ包んで私たち患者に渡してくれたものだった。今は機械的にポリ袋に分けて入れてくれるようになったが、あの薬包紙の独特の折り方(畳み方というのだろうか)、もう何年見ていないだろうか。本当になつかしい。
 なお、この粉薬をオブラートに包んで飲まされたこと、これも印象に強く残っている。子どもは痛い注射はもちろん舌になじまない薬を飲むのもいやがるもの、ましてや苦い薬など飲もうとはしない。そこでオブラートに包んで飲まされたのである。飲みづらい薬については大人も使用していた。このオブラートは医者が薬といっしょにくれたのだが、最近は見たことがない。今も用いられているのだろうか。

 そういえば「オブラートに包む」という言葉、今はあまり使われなくなっているが、オブラートが死語になりつつあるためなのか、他人の気持ちを思いやるという気持ちが日本人になくなりつつあり、アメリカ的になってきたためなのだろうか。私はオブラートに包むこともあっていいと思うのだが
 私たち子どもにとって薬とは苦いもの、まずいものだった。オブラートに包んであるいは水薬で甘くして飲ませられたので、なおのことそう思っていた。実際にうまい薬などなかった、だから子どもの頃は「良薬口に苦し」を言葉通りに受け取って我慢して薬を飲んだものだった。やがてこの言葉は「自分の役に立つ忠告は耳の痛いもの、だからがまんして聞こう」という意味であることを理解し、忠告は苦い薬と同じ、それには耳を傾けるべく心がけようと思ったものだった(なかなかできなかったが)。
 今は飲みにくい薬については糖衣錠やフィルムコート錠、カプセル剤にしているようなので、オブラートはもう使われていないし、薬も苦くない。とすると、薬は苦いものなどという感覚は若い人たちにはもうないのではなかろうか。そして「良薬口に苦し」などという言葉はピンと来なくなっており、薬は飲みやすいのが当然と考えるようになっているのではなかろうか。
 そういう世代からすれば苦言とか忠告とかも甘いのが当然、ましてや上司や教員が苦言を呈すればパワハラ、アカハラと受け止められる危険性がある。だから耳の痛いことは言ってはならない、言う場合には糖衣やフィルムコートで包んで、「歯に衣着せ」て話さなければならない。こんな世の中になっていくのだろうか。苦いだけ苦くて何の役にもたたない、それどころか毒になる「苦言」もあるだろうからそれでもいいのかもしれないが、みんな遠慮して何も言わない社会、これも困ると思うのだが。まあ、そんなことを考えるのは権力をもっているものと時代について行けない年寄りだけ、薬も苦くなくなったことだし、やがて「良薬口に苦し」は死語になるのかもしれない。

 話はまた私の子どもの頃に戻るが、医院から『錠剤』をもらったという記憶はない。もちろんカプセル剤もなかった。今医院や薬局からもらう内服薬はほとんど錠剤だが、どうしてなのだろうか。かつては各種薬品を錠剤やカプセル剤にする技術が進んでおらず、人手で粉薬を調合した方が安上がりだったからなのだろうか。よくわからない。
 医師が処方(=薬の調合と服用法)を指示し、それにもとづき薬剤師が調剤(=薬剤を計数・計量・調合)して薬包紙に包んだものをもらうと、本当に医師が患者それぞれの個性や病状に合わせて微妙に薬を調剤してくれているような気がして(実際はそうではないかもしれないが)ありがたく感じたものだったが、錠剤だとあまりそういう感じはしない、製薬会社が画一的につくったもの、それを与えられるだけの患者はその個性が無視されている感じがしてならない。そして現在医師・薬剤師のやっていることは錠剤の単なる組み合わせであり、文字通りの処方・調剤ではないような気がする。こんなことを言うのは時代遅れ、医学・薬学の進歩を知らないものの戯言と笑われるかもしれないが。

 それから『丸薬』(練り合わせて球状にした薬剤)も医院からもらったことはない。なぜか知らないが、私たちはそれを当然と思っていたような気がする。丸薬とは時代に遅れた漢方薬であり、法臘看板(注2)や新聞・雑誌の広告などで宣伝している薬で、越中富山の薬売りや薬屋から買うものであると理解していたからである。そして医者からもらう薬よりも効き目がないものと思っていた。
 その丸薬のなかで覚えているのは征露丸、救命丸、毒掃丸、反魂丹、万金丹、仁丹、熊の胆(い)くらいなものである。私は仁丹以外飲んだことがないのだが、家内は何かあると征露丸だったらしい。そのせいもあるのだろう、かなりの年齢になってからだが、家内はお腹の調子が悪いと正露丸を買ってきて飲むようになった。私は飲んだ事がなかったはずだが、その臭いをかいだときに何かなつかしい感じがした、ということは、もしかすると私も幼い時に飲んだことがあったのかもしれない。私の記憶がないだけでいろんな売薬を飲んだのかもしれない。
 でも「薬九層倍」とか、「鼻くそ丸めて万金丹」などという言葉を子どもすら知っているほど流布しているということは、あまり効き目がなく、したがってそれほど信用しておらず、医者のくれる薬の方を信用していたということなのだろうか。
 もちろん、医者は米や麦の白い粉を粉薬に混ぜ、水薬には水を足して増やしてごまかしているなどという悪口が子どもたちの間でも話になるのだから、売薬だけでなく薬全般に対する不信感があったこと、そして高価だったことを示しているのではなかろうか。
 そう言うのも無理はなかったと思う、かつての医学・薬学の水準からして効果的な薬はあまりなく、金ばかりかかってなかなか治らないので、それを医師の薬の調合のせいではないかと言って鬱憤を晴らすよりほかなかったのかもしれない。

 それはそれとして、小さい頃は不思議だった、なぜこんなに薬の宣伝が多いのかと。さきほど述べた薬以外にも胃散とか中将湯、ロート目薬等々さまざまあった。このことはそれだけ薬が売れる、あれだけ広告費を出してももとがとれるということを示している。それがあのころの私には不思議だった。なぜそんな市販薬が売れるのか、なぜ医者にかかり、ちゃんと診断してもらって薬をもらわないのか(緊急時は別だろうが)と。
 今になって考えれば、当時は健康保険などない時代、医者に行くより市販薬を買った方が安上がりだから、医者に診療費、治療費を支払えないので売薬にたよるしかなかったからということなのだろう。

 そういうと、次のような疑問が出てくる。今は国民皆保険となって医療費が少なくてすむようになった、にもかかわらず製薬会社の薬の宣伝はその昔以上にすさまじい、ということはそれだけ市販薬は売れているということ、それはどういうことなのかと。
 たしかにそうである、たとえば高度成長期についていえば市販薬の宣伝(コマーシャル、CMと言うようになっていたが)がテレビから毎日何回も流されるようになった。「くしゃみ3回ルル3錠」、「早めのパブロン」、「パンシロンでパンパンパン」、「5時から男のグロンサン」などなど、今でも覚えているくらいだ。頭にたたき込まれるほどの電化製品やインスタントラーメン、お菓子の宣伝と並んで、胃腸薬、風邪薬、頭痛薬、栄養剤等々の宣伝、すさまじいものがあった。
 これだけの費用をかけてももとがとれる、つまり売れているということは、市販薬にそれなりの効き目があるからなのだろう。そうでなかったらいくら宣伝しても売れるわけはないからである。戦後の医学、薬学等の進歩が市販薬にも反映した成果なのだろう。
 とは言っても市販の薬は高い。健康保険がきかないからだ。しかし、交通費をかけて医者に行っても「3時間待ちの3分診療」、そうやってもらった薬を飲んでも大病でないかぎり市販の薬と効果はそれほど変わらない、となるとCMに誘われて市販の薬をということになる。そして戦後民主主義による賃金の上昇が一般市民にその購入を可能にしたのだろう。素人考えなのかもしれないが。

 グロンサンで思い出した、各種ビタミンの入った炭酸栄養ドリンク剤の普及である。「うれしいとねぇ、メガネが落ちるんですよ」という大村崑のオロナミンC、「ファイト一発!」のリポビタンDのCMなどはいまだに私の記憶に残っている。
 ご存じのようにこれらは医薬品ではなく、肉体疲労時の栄養補給、滋養強壮剤である、製薬会社が製造したいうことから効き目があるだろうという信頼感もあったのだろう、それに繰り返されるCMもあり、爆発的に売れたようである。当時は日本の高度成長期、それを支えた日本人の「働き過ぎ」が世界的な話題になっていた時代、効くか効かないか別にしてCMで知った栄養ドリンク剤を飲み、その疲労を癒やそうとしたのだろう。

 高度成長が終わりをつげたころ、90年代に入ってからではなかろうか、サプリメント=栄養補助食品なる耳新しい言葉が聞かれるようになった。そして各種サプリメントの宣伝がなされるようになってきた。見聞きしていると、薬品ではなさそう、食品でもなさそう、だけど栄養や薬の補強、健康の維持に役立ちそうという感じだった。
 やがてこのサプリメントを政府は病気予防と医療費高騰対策として推奨するようになり、また国民とりわけ高齢者の健康不安が高まるなかで、暮らしの中にかなり定着してきたようである。
 そしてそれを煽ったのがテレビ(とくにBS、CS)のうるさいほどのCMだった。いくらBS、CSのCM料金が安いと言っても、それなりの金がとられる、それでもCMがやれるということは、それだけ宣伝効果があり、売れているということなのだろう。
 それにしても気になるのは、その昔のタレントや素人(安上がり?)にその効き目を語らせ、「30分以内に注文すれば半額、今すぐお電話を」などと切迫感をもって購入を迫るCMだ(これはサプリメントだけでなく、他の商品でもやっていることだが)。本当に半額にしているのか疑問になるが、もしもそれができるとすればつまりそれだけ安く売れるとすれば、そもそもは「薬九層倍」の価格であることの証明、その昔の市販薬の伝統は今もなお引き継がれているということなのだろうか。
 それでも効き目があればいい、今の世の中まさか「鼻くそ丸めて万金丹」、「鰯の頭も信心から」はないだろう、効き目があると信じたいのだが(「信じるものは救われる」?)。

(注)
1.11年1月19日掲載・本稿第一部「霜焼け、鼻水、医者」(3~4段落)、
  14年2月10日掲載・本稿第六部「医者の今昔」(1~2段落)参照
2.14年3月17日掲載・本稿第六部「看板、商店街の変化」(2段落)参照


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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