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富山の薬と膏薬、生薬のにおい



            続・においの記憶(6)

         ☆富山の薬と膏薬、生薬のにおい

 越中富山の薬売り、毎年冬になると訪ねてきたものだった(註1)。
 玄関口で挨拶をして背中に背負っていた大きな長方形の藍色の風呂敷包みを板の間におろす。そしていろりのわきに座り、私たち子どもに真四角に折ってある小さな紙袋のようなものをお土産にくれる。その真ん中に小さな丸い穴が開いていてそこに口をつけて息を吹き込むと膨らみ、子どもの手いっぱいくらいの大きさの立方体の紙風船ができあがる。丸い紙風船は一銭店屋(=駄菓子屋)でも売っているのでそう珍しくはないが、四角の風船は本当に珍しい。子どもたちはそれをもらって遊ぶのが楽しみだった。
 その間に、祖母がその薬屋の印しのついている小さな薬箱を奥の部屋から持ってくる。薬屋さんは背負ってきた大きな風呂敷包みを開ける。そこには何段かの柳行李が入っており、そのなかにたくさんの薬と帳面が入っている。薬屋さんは祖母の持ってきた薬箱を開け、帳簿と比較しながら昨年置いて行った薬がどれだけ残っているかを調べる。そしてこの一年間で使った薬の量を調べ、その代金をもらうと同時に、使った分つまり減った分の薬を柳行李からとって補充する。それからゆっくりお茶を飲み、雑談をして、また来年もよろしくと帰っていく。これが毎年のことだった。
 そのとき腹薬とか風邪薬とかいろいろ置いて行ったはずだし、私も飲んだはずなのだが、どんな薬をおいていったのかあまり覚えていない。
 それでもはっきり覚えているのは「熊の胆」だ。真っ黒な丸薬だったが、こわい熊の胃(最初はそう思っていた)からつくったすさまじく苦い薬だ、「良薬口に苦し」はこの熊の胆からきている、内臓の病気に非常によく効く薬だがかなりの高価だとのことで、私たち子どももよく知っていた。でも、いつだれがどういうときに飲んでいたかなど記憶にない。私は飲んだことがないはずであり、めったに飲むことがなかったからなのだろうか。
 もう一つ覚えているのは「頓服」だ。何でだったか急病になった時飲まされた記憶がある。どんな味がしたか、どんな形の薬でどんな味、臭いがしたかなどこれも覚えていない。子どもの私にはトンプクという言葉の響きがなぜかおかしく、それで名前だけ記憶に残ったのではないかと思っている。
 「万金丹」も飲んだかどうか記憶にないのだが、名前だけは私たち子どもの間のはやし言葉のなかに出ていたので覚えている。
   「越中富山の 薬売り
    鼻くそ丸めて 万金丹
    馬のしょんべん 水薬
    それを飲むやつ あんぽんたん」
 他の薬は思い出せないのだが、もしかして「征露丸」も置き薬のなかにあったのではなかろうか。しかし、はっきりしない。この薬の名はその命名の由来や広告等々でよく知っているのだが、飲んだかどうかも記憶になかった。ところが、今から三〇年も前になるだろうか、家内がおなかの調子が悪いと薬屋から「正露丸」(漢字名は戦後変わっていたが)を買ってきて薬瓶の蓋を開けたときにただよってきたすさまじく強烈な臭い(木からつくられるクレオソートが薬の主成分であり、それが止瀉薬となっていると同時に臭いの原因となっているらしい)、それを嗅いだ時ものすごくなつかしく感じた。またその真っ黒な丸薬、これも見た記憶がある。ということは私も飲んだことがあるのではなかろうか。そして富山の薬売りが持ってきていたのではないだろうか。と思うのだが、さだかではない。
 もう一つはっきりしないのは置き薬の中に「膏薬(こうやく)」があったかどうかである。膏薬は置いていかなかったはずだ、薬屋かどこか町で買ったはずだと思うのだが。それで家内に聞いてみた。そしたら富山の薬売りが置いていったはずだという。家内の生まれた小さな町には薬屋など当時なくて膏薬を必要に応じて買うなどできなかったし、必需品だった膏薬はいつも家においてあったので、富山の薬売りしか考えられないというのである。
 その話をした2~3日後に会ったKT君(前に本稿で何回か登場してもらった畜産学者)に聞いてみた。そしたら越中富山の薬売りが膏薬を置いて行ったのを覚えているという。家内の言うことが正しかったようである。
 私も忘れっぽくなったものだ。実はさきほどのはやし言葉の中の「馬のしょんべん 水薬」のフレーズも完全に忘れており、KT君がそのとき思い出させてくれたものである。

 さて、今「膏薬」という薬の名前を出したが、しばらくぶりでこの名前を思い出した。あのころはどこの家でも常備しており、私たちは何かというとお世話になったなつかしい名前なのだが、今の若い人たちにわからないのではなかろうか。KT君は私より約10歳下、ということは1,950年代に子ども時代を過ごした世代までは覚えていることになろうが。
 そこで改めて私なりに説明をさせてもらうが、膏薬とは、べとべとした黒い漢方薬が葉書大の薄紙の片面に塗ってあり、それを必要な大きさにハサミで切って打身、捻挫、肩こり、神経痛、あかぎれなどの患部に貼りつけて用いる貼り薬のこと(軟膏もあるようだが一般には今言った貼り薬のことを言っていた)で、戦前はどこの家でも常備していた。
 それでは膏薬はどんなにおいがしたのか。いい匂いでないことは間違いないが、はっきり思い出せない。というより言葉で表現できないといった方がいいのだろうか。家内もそうである。私をはじめ家族みんながあれほどお世話になっていながらである。
 そこでまたKT君に聞いてみた、そしたら彼も忘れている、一生懸命思い出そうとしてコールタールの臭いと似ていたのではないかという。でもそうだったかなあと私は何か納得できない。膏薬の色が真っ黒でコールタールの色に似ているからそう感じただけなのではなかろうか。
 こうした私たちの話を聞いていた飲み屋の亭主のAさん(KT君と同年代、彼もまた本稿に何度か登場してもらっている)がこう言う「油臭かった」と。そういえばそうだったかもしれない。膏薬の布に塗ってある薬は何かの油で練ってつくられているようであり、べとべとと脂っこい感じがした。それに何か有機的なあまりよくないにおいが付随していたような気がする。
 そこで私の高校大学の同期で皮膚科の医師をしているAH君(これまで何度も本稿に登場してもらった)に聞いてみたらコールタールも膏薬に使われていたはずだという。KT君の鼻は正しかったようだ。
  「良薬口に苦し」というが、「良薬鼻に………」、何なのだろうか。

 この膏薬で思い出したのがドクダミである。
 生家の西側の道路を挟んだ向かいに小さい古い家があったが、そのすぐ裏側=北側はいつもじめじめしていた。なぜかそこにドクダミがたくさん生えていた。あれは毒を吸い出す薬になるのだそうだとの子ども仲間の話もあり、「毒」という名前がついていることもあり、生えている場所も場所なので、たまに白い花が咲いて華やかにはなるが、何か暗い怖い感じがして触るのもいやだった。
 本当に幼いころだったと思うのだが、祖母がそのドクダミを採ってきてどろどろにして布に塗りたくり、それを私の身体のどこだったかかなり痛いところに貼ったことを記憶している。そこが膏薬と似ていたので思い出したのだが、ここまでしか記憶にない。
 そこでまたAH君に聞いてみた。彼は私の生家から10㌔くらい離れた純農村地帯の生まれなのだが、彼の生家では「生の葉を濡れた新聞紙に包んで火にくべてドロドロに溶かしていた、それを破れそうなおできにつけると翌日穴があいて膿が出て治ったものだ」とのことである。そう言われてみると、私もかなり大きく腫れて熱までもって痛んだお尻のおできに貼ってもらい、やはり穴があいて治った記憶があるが、もしかするとそれがドクダミだったのかもしれない。

 なお、AH君の家ではゲンノショウコを夏に刈り取り、乾燥させ、胃腸薬として煎じてお茶がわりに飲んだというが、私は名前と薬になる草だということを知っているだけ、飲んだ記憶はない。またそれ以外の生薬というのだろうか民間薬というのだろうか、それを飲んだり貼ったりしたこともあまりない。
 私に記憶があるのは、今言ったドクダミと前に書いた霜焼け防止のための松の葉のお湯だけだ(註2)。
 風呂のない日、母が松の葉を採って来て金盥(かなだらい)のお湯に入れ、それに私たち子どものひび割れした手やふくれあがった手を何分かつけさせる。それが私たち子どもの寝る前の日課だった。松の葉のいつもの刺激的な匂いがするが、本当にどれだけ効果があったのか、よくわからない。それでもその瞬間は非常にいい気持、終わった後手拭いで水気を手からしっかりとるが、手はしっとりぽかぽかしていて、これで治るのではないかと思うくらい気分がよかった。だから、悪化を防ぐという程度の効果はあったのかもしれない。しかし翌日になるとまたもとにもどる。その繰り返しだった。
 この程度だったのだが、大人になってからそうした民間薬にお世話になったことがある。

 私の30歳ころ、日中国交回復のできていないころの話だが、先輩が取り組んでいた日中友好運動に協力すべくその組織で販売している品物のなかから健康にいいというコーンフリーの粉を買った。きれいな緑色をしていたが、それを水に溶かして飲むのである。ちょっと青臭いくらいで飲むのに抵抗はなかったので、毎日コップ一杯ずつ飲んでいた。一週間くらいしてふと気が付いた、その半年くらい前に患った自然気胸の治療以降毎日のように出るようになったジンマシンの発疹、医者にかかっても治らず困っていたのだが、それが何とぴったりと止まっていたのである。これには驚いた。なぜそうなったのかわからない。かかりつけの医師に言ったらよかったねと首をかしげながら言う程度だった。その後しばらく飲んでやめたが、再発はしていない。今でもそれが不思議である。
 それから2、3年後、十二指腸潰瘍で苦しんでいたころ、中国文学を専門にしている他学部の友人から漢方薬を飲んでみたらどうかと言われ、漢方医にかかったことがある。そのとき調合してもらった煎じ薬を家で煎じるときのすさまじい臭い、これにはまいってしまった。隣近所にまで迷惑をかける上に、なかなか効き目が表れない。半年くらいでやめてしまった。結局は前にも書いたように手術をして痛みをなくしたのだが、今は潰瘍の原因がピロリ菌とわかり(当時は誰も想像すらしなかった)、そんなことをしなくとも治せるようになっているとのこと、医学も本当に進歩したものである。

(註)
1.11年1月19日掲載・本稿第一部「☆霜焼け、鼻水、医者」(3段落)参照
2.       同       上          (1段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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