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小六の湯野浜修学旅行

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(5)              ☆小六の湯野浜修学旅行 戦中戦後の混乱期、修学旅行は中止されていた。それが復活したのは1947(昭22)年、戦後の混乱がいまだ続きつつも少しずつ落ち着き始めたころだった。しかもそれはちょうど私が小学六年、修学旅行に行く学年のときだった。したがって私たちは戦後一番最初に修学旅行を楽しんだ学年ということになった。かわ...

盆地から出られる修学旅行―戦後の再開―

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(4)           ☆盆地から出られる修学旅行―戦後の再開― 子どもの私にとって生家の南に広がる田畑は本当に広かった。 北にある山形の市街地、これは大きかった、迷子になりそうな大都市だった。 幼い子どもだったからそう感じたのだろうが、徒歩が移動の主要な手段だったからそう感じたこともあったのではなかろうか。 自家用車などもちろんなく、汽車...

都市と農村の両面の体験

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(3)              ☆都市と農村の両面の体験 生家から北に向かって国道(旧13号線)をまっすぐ200㍍くらい行くと、昔からあった市街地となる。和菓子屋、醬油屋、呉服屋、卸屋、仏壇屋などの大きな店、さらに文房具店、履物屋等々の小さな店、地主・金持ちの大きな屋敷が国道の両脇に並ぶ。藁葺き、茅葺きの家など一軒もなく、瓦葺きである。憲兵隊司令...

思い浮かぶかつての田んぼ道

         敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(2)            ☆思い浮かぶかつての田んぼ道 幼いころの私の生家の近くの田畑、そのなかを縫うように走っている小道、畦道、小川、草むらなどは、高度経済成長期にすべて市街地となってしまい、当時の面影を探そうと思っても探せない。今歩いているところは昔でいうとどこの田んぼのところなのか、どこの畑のあたりなのか、まったくわからない。両親が...

パソコン音痴の嘆き

              ★パソコン音痴の嘆き   ちょっと本筋から離れて、この5日間の出来事の一つを書かせていただきたい。 水曜日のことである、朝パソコンを開いてみたらネット接続ができなくなっていた。たまにあること、放っておけば直るだろうとそのままにして、印刷を始めることにした。これから掲載しようと思っている修学旅行についての草稿の一部をそこに登場する高校の同級生の一人に送って校閲してもらうた...

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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