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授業進展度と「言葉」の地域差

          私の体験した敗戦前後の小中学校教育(7)         ☆授業進展度と「言葉」の地域差―中央と地方― 私たちの小学校時代の教科書は「国定教科書」だった。ご承知のように、国定教科書とは政府が全国の学校で一律に使用させる教科書であり、戦前の私たちはその教科書で国家権力の意図する忠君愛国、軍国主義思想を叩き込まれ、日本を戦争の加害者・被害者としてしまったわけだが、国定教科書にはたった一つ...

少人数学級、『二十四の瞳』、複式授業

          私の体験した敗戦前後の小中学校教育(6)          ☆少人数学級、『二十四の瞳』、複式授業 私が大学に入るころ(1950年代半ば)だったと思うのだが、「すし詰め学級」とか二部授業とかが新聞・ラジオで騒がれるようになった。戦後のベビーブーム世代の入学にともなう児童・生徒数の増加と教師・教室不足から生徒が教室に入りきらないので、生徒を午前と午後の二つに分けて授業する「二部授業」や...

戦中戦後の男女共学と私たち

          私の体験した敗戦前後の小中学校教育(5)         ☆戦中戦後の男女共学と私たちの小中学校 わが国の江戸時代における庶民の識字率は世界でも突出して高かったと言われているが、それを支えた私設教育機関の寺子屋は男女共学だったとのことである。 ところが、明治に設立された尋常小学校は、低学年のときは男女共学だが、高学年になると男女別学だった。 「男尊女卑」、「男女七歳にして席を同じう...

敗戦直後の叱責と処罰

          私の体験した敗戦前後の小中学校教育(4)           ☆敗戦直後の小中学校での叱責と処罰 私の四年生の夏、戦争は終わった。その後怒られた記憶はあまりない。体罰を受けたという話もあまり聞いていない。それは次のような理由からではなかったろうか。 まず、先生方の気持ちを襲った敗戦の虚脱感であり、これまでの異常ともいえる軍国主義教育、死ねと行って子どもたちを戦場に送り出したことなど...

国民学校時代の叱責と処罰

          私の体験した敗戦前後の小中学校教育(3)            ☆国民学校時代の叱責と処罰 先生の言うこと・命令に従わない場合、戦中の国民学校の生徒たちはどんな叱り方をされ、どんな罰を与えられたのか、私が実際に体験したあるいは見聞きしたことを次に述べてみたい。 まず、みんなの前で大きな声で叱られる。これはしょっちゅうだったが、たまに「職員室に来い」と言われて、職員室で改めて叱られ、...

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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