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車社会初期の農村部の飲み屋

            戦後昭和の酒と村・街そして私(11)            ☆車社会初期の農村部の飲み屋 戦後十年も過ぎ、農地改革や食糧増産政策の展開等の戦後民主化の成果が少しずつ現れ始めてきた頃、農家のどぶろく晩酌もそろそろ終わりをつげ、酒はもちろんビールでの晩酌もできるようになってきた(注)。また飲み屋で一杯飲むくらいのゆとりも出てきた。 しかし村(1954年の昭和の大合併以前の村)には飲み...

居酒屋から小料理屋・バーへ

            戦後昭和の酒と村・街そして私(10)          ☆居酒屋から小料理屋・バーへ―高度成長時代― 屋台の数が急激に減少しはじめたころからだったと思う、安サラリーマンは居酒屋に行くようになった。当時私たちの研究室の助教授だったKT先生や技官のTKさんたちとたまに行った仙台駅前の居酒屋は床がまだ土間で、そこに机と椅子がおかれ、またカウンターもあった。そこで私たちが飲んだのはもはや...

林立していた屋台の飲み屋

            戦後昭和の酒と村・街そして私(9)         ☆林立していた屋台の飲み屋ー戦後焼け跡時代ー 私が大学に入って仙台にやってきた1954(昭29)年、仙台駅前や県庁前などの中心街の路上に夕方になると屋台の飲み屋がずらりと並んだ。それまで私の住んでいた山形にももちろんあったが、そんなに数はなかった。さすが仙台は大都会とも思ったのだが、そのせいだけではなかった。戦災を受けたかどうかの...

未成年者の飲酒と戦後青年世代

            戦後昭和の酒と村・街そして私(8)         ☆未成年者の飲酒と私たち戦後青年世代 なぜか知らないが、高校時代(50年代前半)の私はみんなから不良少年、ワルと思われていた。軟派であり(たとえば演劇部に入って女生徒とつきあっていたり、授業をさぼって映画を見に行ったり)、硬派でもあって(剣道部の復活に取り組んだり、応援団に入ったり、先生に抵抗したり)目立ったからなのだろう。いや、そも...

祖母のどぶろくと巡査

            戦後昭和の酒と村・街そして私(7)              ☆祖母のどぶろくと巡査 これまで述べたように平野部から山奥まで農家と税務署の闘いが繰り広げられたのだが、幸か不幸か私の生家の地域には摘発に来なかった。税務署にきわめて近い都市近郊地域であるにもかかわらず、米の多収地帯で濁酒をつくっていることは間違いない地域であるにもかかわらずである。なぜなのかよくわからない。 私の祖...

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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