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高度成長と山村の修学旅行

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(14)            ☆高度成長・車社会化と山村の修学旅行 前回述べたような状況が大きく変わるのは1960年前後、高度経済成長の展開以降だった。都市の就業機会の拡大による次三男人口の流出、出稼ぎ・日雇い兼業の拡大、農畜産物需要の拡大、戦後民主化の延長としての農山村振興政策の展開、社会資本の整備は山村にも影響を及ぼしはじめ、その成果と...

山村の貧困と修学旅行

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(13)         ☆山村の貧困と修学旅行―山びこ学校の村とT村― 1951(昭26)年に出版された『山びこ学校』、私たちと同じ山形盆地の南西部にある山元村(後に上山市に合併)の中学生(私たちと同学年)の学級文集で、52年には映画化もされて全国的に評判になった本である(註1)。 この山元村は、AR君のT村から言うと、その真向い西側に連なる白鷹丘陵の...

交通僻地の山村と修学旅行

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(12)              ☆交通僻地の山村と修学旅行 AR君の集落から見た西側の平坦な田畑のひろがる風景、これを前節の最初で述べたが、その逆の東側には蔵王連峰の峨峨たる山々が迫っており、その最先端に前々回触れた標高1320㍍の瀧山(りゆうざん)が壁のようにそびえている。この瀧山と麓のAR君の集落や小中学校のある平地との中間に盆地状の小さい...

隣りのT村の近距離「修学旅行」

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(11)          ☆隣りのT村の近距離「修学旅行」―AR君の場合― 旧山形市の東南端に位置していた県立農事試験場と火葬場のところにある生家の畑(註1)、そこから南南東の方向にまっすぐの一本道が田んぼの中を走っていた。 その先の一番最初の集落に高校の同級生AR君の家があった。彼の集落はそのころはまだT村だった(註2)。彼の集落のまわりは田ん...

中三の東京旅行・行けない子

          敗戦前後の盆地の小都市・農山村と修学旅行(9)(10)                ☆中三の東京旅行 中学三年のときの修学旅行は、行き帰りの車中二泊+旅館一泊の計三泊二日の東京・江の島・鎌倉旅行だった。 これは私たちにとっては大旅行だった。生まれて初めて山形盆地から南に行ける、本や新聞、ラジオで何度も読んたり聞いたりしていた大都市東京を初めて見られる、うれしかった。私だけではない、ほ...

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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