Entries

むら社会(3)

             ☆むらぐるみでの共同 さて、話をまた以前のことに戻そう。 生産力の低かった時代、山林原野は、肥料・飼料・農具の原材料、燃料や建築材料の供給源として、また村の橋などの公共施設敷設の資材供給源として不可欠であり、さらに河川や湖沼の水資源の保全のためにも必要であった。 このようにむら人すべての生産と生活に重要な意味をもつもの、つまり公共的な意味をもつものであれば、しかも牧野のよ...

働く農家の子どもたち(5)

          ☆本格的な農作業と技能の伝承 小学校の時は二~三日間の田植え休みがあった。田植えの時に子どもを休ませて手伝わせる親がいたし、学校も子どもが手伝うのは当たり前と考えていた時代なので、こうした農繁休暇をわざわざつくったのだろう。もちろん休んでもたとえば一年生などは田植えはできない。私の場合は、おっぱいを飲ませるために弟妹をおんぶして田んぼに行ったり、お昼の弁当や三時のおやつなどを家...

貧しい食と厳しい労働(2) 

            ☆米をつくっても米が食べられない農家 米の多収地帯に育った私は米を食べないむらがあることなど考えもしなかった。ともかく毎日米を食べていた。ただし母の実家は養蚕が中心で水田が少なかったので麦ご飯を食べていた。おいしくないという人もいるが、幼いころの私はご飯の中に入っているちょっとだけ異質の麦を一粒ずつ前歯で噛んで食べるのが何ともいえず好きだった。 戦時中もたまにすいとんや糧飯...

遺したい記憶、伝えたい思い(2)

            ☆戦後東北農業の原点―一九五四年のこと― 一九五四(昭和二十九)年のことである。この年は私が東北大学に入学した年だったが、その晩秋、子どもをおんぶした農家の若い母親が大学病院の門をくぐった。岩手の山村の医者からの紹介状を読み、子どもを診察した医者はすぐに入院させるように言った。母親は家に戻って相談してくると答えた。医者は言った。このまま帰れば子どもの命はないと。母親は子どもを...

Appendix

訪問者

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR