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東の後進性の逆転



               東北農業の後進性からの脱却の展望(3)

                   ☆東の後進性の逆転

 前にも述べたように、戦前の東北地方の農業は近畿と対比されて「東北型農業」、あるいは「農業の東北段階」などと呼ばれてきた(註1)。
 そして、農業生産力の低さ、商業的農業展開の遅れ、巨大地主制の支配、農民の貧困を特徴とする「後進的農業地帯」として位置づけられてきた。
 この東北型の後進性は平坦稲作地帯を典型例として一般に説明されたが、東北地方を南北に走る縦三列の山地(出羽山地、奥羽山脈、北上・阿武隈高地)に存在する畑作地帯においてその後進性はさらに激しかった(註2)。それも北に行けばいくほど、麦・大豆・ソバ・アワ・ヒエ等の雑穀作が多くなり、生産力は低く、商業的農業の展開はさらに遅れていた。
 そのためもあって地主小作分解さえもあまり進まなかった。地主制は生産力の一定の高さと貨幣経済の浸透があって初めて成立するものだからである。北上山地の場合などは、山林を中心とする土地所有の差異を基礎にした名子制度や本分家の従属関係等のきわめて前近代的な収奪関係が残り、さらに明治の官民有区分は農家の生存権を否定するようなきわめて厳しいものであり、その地域の農林業の発展を大きく阻害するものであった(註3)。
 しかも山間部は交通条件を始めとする社会的な基盤の未整備もあって閉鎖的な地域社会が形成され、社会的文化的な面でも前近代的な部分をかなり残し、後進地域として位置づけられてもやむを得ないものがあった。

 しかし、戦後の農地改革、食糧増産政策の展開はこうした山間畑作地帯の状況を大きく変えた。
 さきに述べた三沢の畑作地帯のように(註4)、雑穀作+馬産の自給自足的農業から、麦、大豆、ナタネ、バレイショ等の商品性のより強い作物の拡大、馬産に替わっての酪農や肉牛の導入が進み、さらに国県営や自力による開田・開畑・草地開発も進展した。こうして旧来の自給的畑地利用方式の解体と新たな土地利用方式への模索、より商業的な農業への前進が始まったのである。
 さらに戦後復興の過程で増大した木材、薪炭の需要に対応して林業生産も大きく進展した。もちろん戦後改革の対象とならなかった山林所有が社会的経済的民主化を阻害する面はあったが、農畜林の新しい結合による地域農業振興、新しいむら社会の芽生えが見られるようになってきた。
 ところが、1960年以降の高度経済成長、農林産物輸入の本格的展開、農基法農政の展開のもとでこれが大きく変化するようになった。
 まず戦前からの伝統的畑作物はもちろん、戦後力を入れてきた普通畑作物も輸入でつくれなくなり、旧来の輪作体系が決定的に崩壊させられてしまうのである。また高度経済成長の進めた石油依存社会は薪炭の需要をなくし、木材の輸入も始まって、林業の就業機会を減少させた。食えなくなった農家は出稼ぎにいくより他なくなった。そして65~70年にかけて出稼ぎが激増する。
 こうしたなかで畑の潰廃が各地で見られるようになってきた。植林もしくは放置による林野化が進行し始めるのである。
 しかし、東北の山間部における当時の耕作放棄は、現在の耕作放棄につながるものももちろんあるが、農業生産力の高度化にともなってやむを得ず引き起こされた耕作放棄もあるなど、今のように農業の衰退を意味するものとはかぎらなかった。さきに述べた二戸市上斗米のように(註5)、葉タバコや酪農などの導入による焼き畑の放棄、つまり経営の集約化に対応してかつての粗放経営を前提とする広い農用地の利用をやめたことなどもその原因となったのである。また、機械化や車社会に対応して機械や車が入らない土地たとえば急傾斜地や広い農道のつくれない不便な土地が耕作放棄されただけだった。
 しかもこうした農地の減少を補う山林原野の農地開発があった。かつて地域の発展を妨げた公有林、生産力の立ち後れの象徴であった共有林野の大量の存在を利用して国県営の開発が進められ、畑地、草地、水田の面積が増大したのである。先に述べた湯田ダムによる国営開田(註6)、次回述べる北上総合開発による草地造成などはその典型である。さらに自力での畑地や原野の開田、山林原野の草地造成も進められた。とくに60年代後半からの選択的拡大政策によるさまざまな補助融資を利用し、米だけでなく飼料作を基礎にした大家畜、工芸作物、果樹、野菜、菌茸類の導入を進め、機械化・省力化等の技術革新を進めてその拡大を図った。ただ米については70年代に入っての減反で打撃を受けるが、逆に転作奨励金を利用して米からの転換を図り、飼料作や畑作の規模拡大を図る農家や地域も出てきた。
 このように大家畜生産、露地野菜・花き、高冷地野菜、工芸作物、菌茸類・山菜類等々の生産は1980年代までの中山間地帯、畑作地帯の希望の星であり、これで生きていこう、生きていける、と確信をもって取り組んだのである。

 こうして山間部を中心として畑作、畜産等が発展し、もう一方で先に述べたように平場を中心として稲作生産力が発展し、東北は高位農業生産力地帯となり、食糧基地と言われるようになってきた。とくに中山間部の畑作地帯では規模拡大可能性の有利性を生かし、作目によつては旧来の平坦部よりも高い生産力を誇り、先進的役割を果たす地域すら現れた。つまり従来の後進から先進へ転化する地域も現れたのである。
 これに対して中四国を始めとする西日本の農業生産力はとくに1960年代以降低迷するようになってきた。かつてその高さを誇った稲作生産力は東北に完全に逆転され、農産物輸入による二毛作の困難もあって水田の収入は少なくなり、経営面積や区画の相対的小ささから労働生産性も低く、かつて言われた東北と西日本の生産力段階の格差は完全に逆転してしまったのである。そして太平洋ベルト地帯に労働力が激しく流出し、過疎化が激しく進展し、農業は衰退するようになった。とくに中四国の山間部での過疎化は60年代から始まり、農業は崩壊の一途をたどるようになっていた。まさに東北とは対照的であった。
 もちろん東北もさまざまな問題を抱えていた。麦、大豆、ナタネ等の普通畑作物が衰退し、合理的な輪作体系をとれなくなったなどの問題点はもっていたし、選択的赤字拡大(註7)になる危険性もあったし、さらに山間部では林業が衰退し、前にも述べたように出稼ぎが増加し、若者の流出も進むなど過疎化も始まりつつあった。しかし中四国などとは比較にならなかった。
 また、こうした生産力発展・高度化の基礎となった機械化段階に対応できない耕地の耕作放棄が進んだり、農産物輸入を一因とする専門化・単一化の進展での糞尿公害、専作的畑利用による土地利用率低下と連作障害の発生等の問題も引き起こされていた。しかし、経営の複合化、生産の組織化、一層の技術革新によりそれを解決していく方向も芽生えていた。
 このように、かつての西の先進性、東の後進性は逆転し、それは70年代に明確になった。

 天気は西から変わる。農業も西から変わってきた。暖地・大陸からの近距離等の地理的条件のある西日本から稲作が始まり、やがて東漸するというように、稲作が日本に入ってきてから農業技術や経営のやり方が西から移行して来る場合が多かった。まさに「天気と農業は西から変わる」であった。
 ところが戦後はそれが逆転した。稲作を始めとする農業生産力は東北で大きく発展し、東北の低位性は高位性へと転換した。60年代以降は逆に東北が先導して農業生産力を発展させていく時代になってきた。そして70年代には高まった稲作生産力を基礎にして新たな水田利用方式を創出し、さらに中山間部における飼料作物を機軸とする本格的な畜産、新たな畑作物や林産物生産の展開による畑地の高度利用を図り、そのなかで衰退した麦豆等の普通畑作物の復活を図っていく先進性を発揮していく可能性が展望されたのである。つまり「農業は東から変わる」ことを展望させるものであった。
 しかし喜んでばかりはいられない。西日本の農業が崩壊しつつあるからである。今までの生産力の移行の法則性からすると、東北の農業もそのうち崩壊することになる。つまり「天気と農業は西から崩れる」危険性がある。
 いうまでもないが、西の農業が崩れていいわけはない。それに引き続いて東の農業が崩れていいわけはもちろんない。天気が西から崩れるのは変えられないが、農業は変えられる。いろいろ問題は抱えながらも農業生産力を発展させつつある東北が日本の農業の今後の方向を指し示し、先導して発展させていく必要がある。つまり農業を東からも変えていかなければならない。「天気は西から変わるが、農業は東から変わる」ようにしていく必要がある。
 あれほど遅れていると言われた東北の山間部の農業の新たな発展はそんなことを感じさせるものだった。

(註)
1.11年4月27日掲載・本稿第二部「☆米価の急上昇と農家の増収意欲」(2段落)参照
2.10年12月6日掲載・本稿第一部「☆米を食べられない村」、
  11年1月11日掲載・本稿第一部「☆抵抗組織としてのむら」(2段落目)、
  11年3月25日掲載・本稿第一部「☆残っていた焼畑農業」参照
3.11年2月24日掲載・本稿第一部「☆農地改革と岩手の山村」(2~5段落)参照
4.11年5月11日掲載・本稿第二部「☆水田面積の拡大―開田ブーム―」(2段落)参照
5.11年3月25日掲載・本稿第一部「☆残っていた焼畑農業」参照
6.11年5月13日掲載・本稿第二部「☆国県営の開田」参照
7.11年5月20日掲載・本稿第二部「☆選択的赤字拡大」(2、3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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