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山菜の栽培植物化

 

            山間・畑作地帯と畜産、畑作等の新しい動き(8)

                  ☆山菜の栽培植物化

 前回の記事で触れた山形県内陸の西川町、ここから六十里越街道(国道112号線・月山道路、現在はそれと並行して山形高速道が走っている)を越えると庄内地方になるが、そのとき最初に通る村が朝日村(現・鶴岡市)である(3回前の記事でリンゴの無袋栽培にかかわって述べた村山地方の朝日町はこの朝日村の東側になる)。庄内平野の南端、朝日連峰の麓にある典型的な山村であるが、漫画『釣りキチ三平』に出てくる幻の巨大魚「タキタロウ(滝太郎)」の住む大鳥池のある村と言ったらわかる人もいるかもしれない。
 この朝日村も他の山村と同様に林業と農業で生活してきた。しかし、林業の衰退のなかで1965年ころにはむらぐるみ総出稼ぎという状況になった。それでもむらの農家は、昔からの伝統を引き継いで山菜の宝庫という地域性を生かし、山菜を生活資材として活用してきた。
 たとえば山ブドウを採ってきて葡萄酒をつくって飲んでいた。
 ところが税務署はそれに目をつけ、酒税法違反で農家を摘発した。自分の家で飲むだけなのに、売ってもいないのに罰金をとられる。こんなバカな話はないと税務署に交渉したが、法的にはどうしようもないという。
 それなら合法的に葡萄酒をつくろう。工場をつくり、いわゆるワインをつくって自分たちが飲むと同時に、販売もしよう。出稼ぎ解消にも一役買うのではないか。自然物なので採取労働以外費用がかからないというメリットもある。こんな話がむらびとのなかから出てきた。そこで農協もまともに取り組んでみようかということになった。
 しかし考えてみると問題がいろいろある。まず、自生の山ブドウの採取だけでは原料に限りがあることである。自然のものだから勝手に増やせず、原料不足になる危険性がある。しかも収量、品質にばらつきがある。つまり、お天気任せなので安定収量は確保できず、品質もばらばらとなり、加工施設をつくっても稼働率が低く、ワインの質もばらばらで売れなくなる危険性がある。さらに、山のなかまで行ってあちこち散在しているものを採取するのだから時間がかかり、いわゆる労働生産性が低い。
 そこで考えた。山ブドウを畑に植えて栽培したらどうか。栽培費用はかかるかもしれないが、近くの土地で栽培するので肥培管理が徹底してやれ、当然収量や品質が高まる。しかも単位重量当たりの労働時間は少なくなり、山に取りに行く時間を貨幣換算したらかえってコストが安くなるかもしれない。もちろん、いままで通り野生の山ブドウは直接採取する。それと栽培したものをいっしょに加工しよう。朝日村農協(当時、現在は合併して庄内たがわ農協)はこう決心した。1972(昭和47)年のことである。
 しかしどこから手をつけていいかわからない。自生の山ブドウについての研究もまったくない。相談しに行っても県はもちろんあらゆるところで一笑に付される。でもあきらめなかった。ワインで町おこしをしたと有名になった北海道池田町などの先進地を視察しながら、73年農協が試験圃場を設置し、山ブドウを始めさまざまな栽培品種を植えてみることにした。同時に、家の庭先に山ブドウを植えたりしているなど関心のある農家を中心にブドウ部会を結成した。その過程で自生している山ブドウが栽培にもワインにも適するということがわかってきた。フランスの技術者に調べてもらったら山ブドウはワインの原料として最高級だと太鼓判をおしたという。それならなぜ今までそのことがわからなかったのか。農協の専務に聞いたら、明治期に日本にきたフランスの技術者の食べたヤマブドウがたまたままずかったせいではなかったかと笑う。
 そこで、山に自生している山ブドウから挿し木で増殖することにした。しかしどの木でもいいということにはならない。よく採れる木もあれば採れない木もあり、質のいい実がとれるものもあればそうでないものもある。そこで良質多収の木を挿し木の母材とした。つまり品種の選抜がなされたわけである。そして挿し木をする2㌶の種苗圃場を設置し、その圃場でもさらに選抜をしていいものを残して育成した。こうして挿し木した2年生のものを農家に配布し、農家はそれを自分の畑に植栽した。その後3年で成木になり、10㌃当たり0.7~1㌧の山ブドウを収穫するまでになった。こうして徐々に増やし、最初はジュースにして販売していたが、79年にワイン醸造施設を完成させ、本格的にワイン製造に取り組むことになる。
 私どもが調査した年の82年には4万本を製造し、「月山ワイン」として販売していた。非常においしいと大評判で、予約注文だけでいっぱいなので、庄内限定にしているという。
 山ブドウ畑は50㌶に増えていた。まさに野生植物から選抜し、栽培植物を創り出したのである。
 しかしまだまだ技術的な問題があると言っていた。たとえば山ブドウの受粉のメカニズムがよくわからないという。しかも雌雄転換があるらしい。つまり、山ブドウには実のならない系統(雄木)と実のなる系統(雌木)とがある。それなら雌木だけを増殖すればいいが、その雌木が雄木に転換する場合がある。また雄木が少しあった方がいいという現象も見られる。ともかくよくわからないという。このように技術的には未解決な部分がかなりあり、このことがこれから本腰を入れようとするさいのネックになっているという。
 ところが残念なことに、日本の果樹園芸学にはすでに栽培作物化しているブドウについては研究蓄積があるが、山ブドウについてはほとんど研究されていない。栽培植物を研究するのが農学なのだからこれはやむを得ないのだが、食用を始め生産や生活に利用している野生植物もその研究対象にしていくことを考えていいのではなかろうか。栽培植物の類縁の種の研究は栽培植物の品種改良とか栽培技術の改善に役立つはずだからである。また、栽培植物を外国から輸入することはあっても自ら日本の自然条件に適した日本の野生植物を栽培植物化することをこれまで考えてこなかったが、これからはそうしたことにも力を入れるべきではなかろうか。たとえばかつて飼料用にしてきた萱や萩などの野生植物を日本に適する飼料作物に転化させ、飼料自給率を向上させることが考えられる。もちろん、そうした研究は今すぐ成果があがるというものではなく、時間がかかり、金もかかる。こうした研究こそ大学や公的試験研究機関がなすべきことである。しかし今は無理だろう。国公立大学がなかば民間化し、いますぐ役にたつ研究をやらないと金もこないし、いますぐ結果がでて業績が積み重ねられる研究をしないと評価もされなくなっているからである。
 それはさておき、朝日村ではこのように山ブドウの栽培に取り組むのと同時に他の山菜の栽培にも取り組み始めた。
 いうまでもなくこれまで農家は山に入って自家用に山菜を採取してきた。しかしいま自然食ブームが起きており、自然のものが金になる時代になってきている。そこで山菜の販売を始めた。またそれを缶詰、瓶詰、パック詰め等の加工を施して販売することも始めた。ところが自生ものは、さきの山ブドウと同じようにお天気任せで収量は不安定、品質もばらばらで、加工施設をつくっても稼働率は低いし、売れもしない。収奪農業ではだめなのではなかろうか。
 さらに問題なのは、都会の人間がやってきて乱獲するようになったことである。自動車で簡単に来られるようになってから、とくに1970年頃林道ができて便利になってから、根こそぎ持って行く。このまま行ったら山菜資源枯渇の恐れがある。
 それを防ぐためには栽培で資源を維持していくより他ない。そこで山から種や根をもってきて転作田や畑での自然露地栽培をし、あるいはハウスでの促成栽培をすることにした。私が行ったときはワラビ30㌶、タラの木6㌶、アケビ15㌶、その他コゴミ、シドケ、行者ニンニク、ゼンマイ、青ミズ等々を栽培していた。
 いうまでもなく人間は野生植物を選抜、改良して栽培植物化し、耕地で栽培するようにして農業をつくりだしてきた。当然その過程は大昔に終わっている。ところがいまも野生植物の栽培植物化がなされている。もちろん最近でもさきに述べたようなきのこ類の栽培植物化がなされている。しかし耕地を利用する高等植物の栽培植物化は初めて見聞きした。大昔人間がやった活動が今もなされている、非常に感激した。そして野生植物の栽培植物化の過程で人間がどういう技術的問題にぶつかり、どう工夫してそれを解決してきたのかがよくわかり、非常に勉強になった。
 その後朝日村にはまともに調査に行っていない。酒田、鶴岡に行くときの高速バスの中からヤマブドウの畑を見ると、ああまだがんばっているなと安心したものだが、今はどうなっているだろうか。

 こうした山菜の栽培植物化は朝日村だけではなく、多くの中山間地域で展開された。そしてそれを加工とも結びつけた。地域性を生かしたこうした取り組みは中山間地域の今後の展望を示すものとして農家を始めとする地域住民を力づけたものだった。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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