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農村荒廃は農民に起因―過去への回帰論の展開―


                 むらの見直しと地域農業の組織化(1)

              ☆農村荒廃は農民に起因?―過去への回帰論の展開―

 1980年の晩秋、マスコミ等がこんなことを大きく取り上げた。
 このきびしい冷害のなかでも何とか米をとった篤農家がいる、こうした農家は土づくりをきちんとしており、きめ細かい管理をしていると。そこからさらに進んで、化学肥料・農薬に依存するいまの農業が冷害をもたらした、かつての堆肥を基礎にした昔の農業技術、有機農業・多労農業への回帰が必要だと主張するものもでてきた。
 こうした昔への回帰を唱える考え方は、農業近代化路線の矛盾がさまざま現れてくる1970年代初頭から展開されるようになっていた。そして70年代後半には学者、評論家、ジャーナリストの一部から次のようなことがいわれるようになった。
 最近の農村の荒廃は、農民が高度経済成長に目を奪われ,便利さと効率のみを追求して機械化・化学化を進め、農村のよさや自給経済を忘れて都市生活を目標とした所得第一主義に走り、そのために商品生産を進めたり、労賃を求めて農外に出ていったりしたところに原因があると。つまりいまの農家の考え方ややり方に農村、農業の荒廃の原因があるというのである。
 そして次のように言う。
 それにひきかえ昔の農業、家族複合経営は、そして昔のむらはよかった、堆肥を基礎にした昔の農業技術、有機農業はよかったと。そして、機械化、化学化、規模拡大等を全否定し、昔に帰れと主張する。
 さらに続けて次のようにいう。
 「自然味のあふれた農村、ロマンとメルヘン、ゆとりとやすらぎのある農村、この農村を見直せ」
 「昔に帰れ、土に帰れ」
 「経済合理主義から生き甲斐主義へと価値観を変えよ」

 これを聞いたとき、イソップ童話の「田舎のネズミと町のネズミ」を思い出した。田舎のネズミがあこがれの町に出かけた、町のネズミの暮らしは豊かだった、しかし大変なところでもあった、それで田舎のネズミは田舎に帰ってゆったりした暮らしをすることにした、ご存じのようにこんな話なのだが、これと同じことを言っているだけではなかろうか。農家は田舎のネズミと同じように都市の豊かさにあこがれるのをよそう、田舎に住み、貧しい生活であってものんびり暮らした方がいいのだと農家に説教しているのと同じではないか。貧乏でものんびり暮らすことができれば、心が豊かであれば幸せなのだと言うのだろうが、なぜそれと同じことを都市住民には言わないのだろうか。都市の人間にも豊かさを追求してはだめなのだ、貧しくとも心豊かに暮らすようにすべきだと言ったらいいではないか。なぜそれを農家だけに言うのか。農家は貧乏でもかまわない、貧乏なのが当然だから、農家に対してのみそういうことを言うのか。

 そもそも農村で、農業で生活できなくさせられている状況のもとで、農村にゆとりとやすらぎ、ロマンとメルヘンなどあるわけはない。ゆとりとやすらぎとかは生活の安定なしには生まれないのである。食えなければ生き甲斐だって出てこない。その条件なしに、つまり生活安定の基礎たるべき農業の発展条件なしに、農業に戻れ、農業にはゆとりとやすらぎがあるというのは、農家に貧乏をおしつけることにしかならない。農村はいいところだから農家は貧乏でもがまんしろということにしかならない。
 どうして農家は機械化に走ってはだめなのか。もう一度過重労働に戻れというのか。どうして農家だけが便利と効率を求めてはだめなのか。洗濯機や冷蔵庫、自動車などの便利さを求めて、なぜ悪いのだろうか。
 よそに働きに行くなと言うけれども、誰も好きこのんで都会に働きにいっているわけではない。農業だけで他産業並みの生活レベルを維持できないから行っているのだ。農家は他産業並みの生活などするのがまちがいだ、貧乏でもいいのだ、ゆとりとやすらぎがある村で心豊かに暮らすべきなのだとでもいうのか。
 また、自給生産に戻れと言うが、それではテレビや自動車を買うためのカネはどこから手に入れるのか。ロマンとメルヘンがあるのだから、そんなものを手に入れるための商品生産などしないでがまんしろというのだろうか。
 商品生産に走ったことがまちがっている、それが農家を苦しめているのだともいう。しかし、商品生産それ自体ではなくて、農産物価格の低位不安定、生産資材の独占的高価格が農家を苦しめているのである。にもかかわらず商品生産に取り組んだことに罪をかぶせるのは、農家を暮らせなくさせている根本原因を考えないようにさせること、それとの闘いを放棄させることにしかならない。そして農村の荒廃は農民自らに責任があるのだと考えさせて農民の不満を抑え、農産物輸入をさらに進めても、減反を進めても、独占的大企業の供給する資材価格が高くとも、がまんする農民、不満を言わない農民をつくるものでしかない。

 こうした「過去への回顧」、復古主義は、資本主義経済が不調になる時に、農業が危機的状況におちいるたびに、姿形を変えながら唱えられる。そして、昔はよかった,昔にもどれば、堆肥づくりなど自給自足を大事にすれば問題は解決する、政治経済が悪いのではないと主張する。昭和恐慌期の自力更生運動,それをひきついだ経済更生計画運動などはその典型例であろう。そこで言われたことが高度経済成長の破たんした今回言われていることとまったくそっくりであることに驚く。そして経営と生活の困難は農家自身のやり方が悪かったためであって、自分に主な責任があると農民に考えさせる。また誰が農業を破壊してきたのかを明らかにして闘おうとする力を弱める。さらにそれは、生産力の発展を否定する非科学的、反科学的な考えへとつながっていく。実際にこのときの過去への回帰論のなかにも科学否定論まで行く論調があった。
 もちろん、こうした論調のなかには近代化路線に対するアンチテーゼとしては聞くべきところがあった。資本の物心両面にわたる支配の拡大のもとで引き起こされた近年の農業・農村の変わり方を反省し、過ぎし方を改めて見直し、そこから今後の方向を考えようとしたものであり、正しい面も多々あった。しかし、真理も行き過ぎるとそれは誤りになってしまう。それどころか戦前の下から盛り上がった自力更正運動のように政治に利用されてしまう危険性もあった。現に過去への回帰論のうちのむらの見直し論は政策の遂行に利用されることになった。
 こうしたことから、これまでの近代化路線に対する批判に加えて、前近代復古路線に対する批判、つまり両極に対する批判の展開が私の研究の一つの課題となった。
 政府は、農家経済の苦しさ、農村の疲弊は生産性の低さからくるものだ、これを解決するためには農地流動化をさらに推進してコスト低下を図っていく必要があるとして、これまでの農産物輸入を前提とした近代化路線をさらに強力に推進するだけだったからである。
 とはいっても、今までのような近代化路線を単純に推進するわけには行かなくなっていた。これまでの構造政策の矛盾がさまざまな形で出始めていたからである。
 そして70年代後半からは、行政の側も堆肥の重視とか経営の複合化を言い始めるようになった。糞尿公害、連作障害に見られるような農政の勧めてきた単純な規模拡大、専門化・単一化路線の欠陥を放置しておくわけにいかなくなったからである。このこと自体はけっこうなのだが、これまでの専門化・単一化路線、農産物輸入に基礎をおいた近代化路線の延長であり、それを補完しようとするという側面をもっていたことに問題があった。
 さらに、行政はむらの見直し、地域の重視も唱えるようになった。76年ころから地域農政という言葉を使いはじめ、地域の自主性、自立性を尊重し、とくに地域の最小単位としての集落、その機能を重視し、集落から意見を積み上げて農政を展開するとし、むらづくりとかむらおこしとかを言うようになったのである。
 次回からこれらのことについて見てみよう。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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