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むらの見直し論の評価



              むらの見直しと地域農業の組織化(2)

                 ☆むら見直し論の評価

 地域の自主性、自立性の重視、そのこと自体はいいことである。1960年代の第一次農業構造改善事業のような地域の実情を無視した画一的、形式的、官僚的な事業の強制(註1)を反省するのは当然のことであり、地域性を無視して、地域に住む人たちの意向を無視して農業生産の発展はあり得ないからである。また、過疎化・混住化の進む中でむらを立て直していく必要もある。
 しかし、80年代前後から政府が言い始めたむらの機能重視は本当に地域農業の発展という視点から打ち出されたものだろうか。農民の要求をおさえて国の方針をうまく遂行するために地域というものを見直そうということでしかないのではないか。何かうさんくさい。疑り深い私はついついそんな風に考えてしまう。そして次のようなことを当時論じたものだった。

 江戸時代から第二次大戦後まで一貫して、政治権力は地域の自立性,むらのまとまりと統制力を通じてその意向を伝達し、それにしたがわせてきた。ところがいまは農民の異質化.多様化等のなかでそれがなかなかうまくいかなくなってきた。そこで改めて、かつて存在した、あるいはいまだ残存しているむらの統制力を再編復活させ、それにもとづいて農民の要求をおさえ、政策が貫徹できるようにしよう、これが地域重視、むら=集落の見直しの本質ではなかろうか。

 行政機関はこの集落の利用ということを米の生産調整で学んだ。
 すなわち、それぞれの集落にはいまも区長等の役員がおかれ、それは市町村役場と集落をつなぐ行政の末端機構としての役割をはたしている。そして区長等の多くは、役場から金をもらって(もちろんはした金だが)役場の仕事の一部をやっているので、自分は行政の末端機構の一員である、したがって行政のいうことには従がわないわけにはいかないと考えている。それをよく知っている市町村はこうした集落役員や有力者を集めて生産調整はやむなしとして説得し、その上で個別農家への割当てを区長等を通しておろす。それで彼らは、目標消化で集落をまとめよう、それが行政の末端の自分の任務だと考えて積極的に動く。そして集落の集会等でこの割当てをどう消化するかが話合われる。そうすれば、区長の立場もあろうとか、義理もあるとか考え、やむなく協力しようという農家もでてくる。こうしたなかで集落内に生産調整協力の雰囲気がでてくると、自分だけ協力しないでいることはよほどの決意がないかぎりできなくなる。自分だけ得をするつもりか、集落のまとまりを乱すのかと周囲から冷たい目でみられ、集落内で孤立する恐れがあるからである。この農家同志の相互監視にはとても耐えられない。生産調整協力の理由の調査でも「集落内で何となくきまり、孤立するのがいやだから」協力したという答えが多かったことはそれを示している。かくして集落全員協力ということになり、目標が達成される。つまり行政の末端機構としての役割をはたさせられている集落、そしてその集落に残存するところの「損するときはみんなで」という平等意識、集落結束意識、粗互監視機能、また義理人情、それにもとづく個の規制というむらの論理が、目標達成の一因となったのである(註2)。
 このように集落をうまく利用すれば行政の意向が貫徹できる。そこで改めて集落の機能を見直し、それを再編強化して政策遂行の基盤としようということになったのではないだろうか。

 前にも述べたように、村落の諸機能は個々では自立し得ない低位生産力段階の農家を補完するものとして必要不可欠のものであり、必然的に生まれたものである(註3)。個人の自立,発展をおさえるという問題はあったが、みんなが生きていくためには、生産と生活を成り立たせるためには、やむを得ない必要悪だった。存在するものにはそれなりの存在理由があるのである。
 このことを理解せず、農村外部の人間がむらは古いものだ、よくないものだなどいうと無性に腹が立つ。もちろんむらの人間が悪口を言うのは、自分で自分のことを言うのだからかまわないが。
 しかし、いまや生産力は大きく高まり,農家個々の自立が可能になっている。もはや村落共同体が存在する物質的基盤はなくなっている。にもかかわらず、それを復活するとなれば、必要悪のうちの悪だけが機能を発揮することになる。そしてそれは生産力の自由な発展を妨げる。
 このことは、これまでの地域の農業生産力の発展が多くの場合この村落共同体の機能を克服することによってなされてきたことを思い起こせばわかるであろう。
 たとえば生産力の直接的担い手である若い層が、古い慣習や歴史に固執する集落の中高年層の抵抗をはねのけて土地基盤整備を実施させたり、集落の有形無形の圧力をのりこえて新しい作目部門、新しい農業技術を採り入れたりして、地域の農業生産力を発展させてきた。つまり、若者は従来の村落のもっていない新しい生命力、活力を地域にもちこみ、遺制として残存する因習を打破って生産力を発展させるという革新的役割をはたしてきたのである。そして農家の革新的エネルギーが以前より自由に発揮でき、地域農業が発展できるようにしてきた。
 しかるに、あらためて村落共同体の機能を復活するというのは、こうした新しいエネルギーを抑えることになり、集落に農家を押し込め、生産の発展を阻害することにしかならない。さらに若者の意志を抑えるこうした古いむらを嫌って若者が農村から流出する危険性すらある。

 もちろん、むらには都会にはないよさもある。相互扶助などはその典型である。
 1972年、私の生家が昼火事で焼けてしまった。夕方になると焼け残った小屋に布団から食事からすべて近隣の人が運んで来てくれた。翌日、現場検証が終わったら何十人も集まり、一斉に後片づけをしてくれて、火事があったかどうかわからないほどきれいにしてくれた。これには涙がでた。その後仙台の私の近くの家で真夜中火事になった。私どもは寝入り端で朝まで知らないで寝ていた。ところが隣近所は誰も起こしてくれなかった。後で家内がその奥さんに何も手伝えなかったことを謝った。その時こんなことをいわれたという。隣近所の人は火事を眺めているだけで何もしない。その人たちに、奥さんが近くの実家の電話番号を言い、そこに電話してくれと叫んでも誰もしてくれなかったと。
 ここにむらとまちの違いがある。むらでは弱いものをみんなで助けようとする。減反割り当てがくると、零細規模の農家や家庭の事情がある農家の割り当てを免除し、みんなでそれを引き受けるなどはその典型だ。
 こうした相互扶助を始めとするむらのよさにむらの人間が誇りをもつべきだと思う。
 しかし、外部の人間がむらはいいものだなどというとこれまた無性に腹が立つ。わかったようなことを言うな。あなたたちの誉めるむらは「隣がこければうれしい社会」なのだ。ここからいかに脱却するか、これが何百年来農家が望んできたことなのだ。むらを愛しながらもむらを憎んでもきたのだ。この複雑な気持ちもわからずに、昔のむらはよかった、そこに戻れとは何事か。
 しかもいまだにむらには悪い習わしが残存している。1978年の暑い夏、会津のある集落に調査に入ったとき、大学院生の一人が興奮して宿に帰ってきた。ご主人を数年前になくし、パートで生計を維持しているご婦人の家に調査に行ったら所有水田40㌃をすべて減反しているという。なぜかと聞いたら、集落の役員からあなたの家にはそれだけの割り当てがきたといわれたからだという。そんなことはあり得ないはずなのにと彼は怒る。要するに、無知を利用し、むらにおける女性の発言権のなさを利用し、知らん顔をして犠牲をそこにしわ寄せしたのである。こんなむらさえあるのだ。そして、「隣の貧乏鴨の味」で、隣をもうけさせることなどにはましてや協力しない。たとえば隣に土地を売るなどということはしない。「誰かが突出すればよってたかって潰す社会」なのだ。
 そもそも村落共同体なるものは否定されるべきものなのである。それなしでは個々人の自立、生産力の発展はあり得ないからである。
 もちろん、その否定はさまざまな問題を引き起こす。たとえば、土地が地域の中で連担しているのに個々ばらばらに対処しようとすれば共倒れになってしまい、地域農業が衰退する。
 とすると、その現実も否定されなければならない。ただしその否定は昔に帰ることではない。新たな段階に対応した、自立した個人による、新たな結合原理をもった地域組織をつくりあげることによってなされるべきなのである。

(註)
1.11年5月9日掲載・本稿第二部「☆農業構造改善事業と大型機械の導入」(1、2段落)参照
2.この具体例の一つを下記の記事で書いている。
  11年6月15日掲載・本稿第二部「☆減反目標の達成」(1段落)
3.11年1月5、6、7、10日掲載・本稿第一部「むら社会(1)~(4)」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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