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むらの否定の否定



              むらの見直しと地域農業の組織化(3)

                  ☆むらの否定の否定

 かつての村落は、年長者、いわゆる古老が村をリードしてきた。経験とカンがものをいう低位生産力段階、慣習・伝承・不文律でもって地域が維持されてきた時代には、地域に長く住んで多くの経験をしている年長者がまずリーダーとなったのである。そして地域に何か起きたとき、その経験を生かし、みんなをまとめる役割を果たしてきた。映画『七人の侍』に出てくる爺さまなどが典型だ。
 同時に、地域に古くから居住してきた家もリーダーとなった。地域の資源の管理方法等についての経験を蓄積しているからである。また、一般にこうした家は土地を始めとする地域資源を多く保有しているので、地域内で強い発言権をもつということからも地域をリードしてきた。それもあって土地の保有の程度で発言権の序列が形成されてきた。その土地保有の程度が本分家関係と結びついているとさらに序列は強化される。そうしたなかで地域の中に家の序列、家格が形成されてくる。
 かくして年長者に加えて家格をもつものがリーダーとなるのであるが、年長者だけでは、つまり単なる経験、伝承だけでは、何か新しい事態が起きたときに対処できないことがある。何とか対応して地域をまとめるとなれば、新しい知識、情報ももっていなければならない。これに応えられるのが家格の高いものである。彼らは、相対的に金をもっているので教育を受けているし、地域外との接触も多く、さまざまな幅広い情報をもっている。さらに支配階級の情報も入る。封建時代の場合には家格の高いものが地域支配の一機構として組み込まれたからである。つまり、身分差別社会の維持のためには能力の高低よりも家格の高低を利用した方がいいので、封建領主は彼らをさまざまな役職につける。ここで家格は身分制とつながり、由緒正しき家柄となるわけだが、彼らは役職を通じても情報を入手する。
 それで、家格の高い家は、その知識独占、情報独占のために、地域の他のもの、家格の低いものよりも新しい事態に対処できる。また彼らはその知識、情報から新しいことも始める。かくして地域の牽引者、リーダーとなる。そうしたなかで、あの家のいうことについていかないわけにはいかない、ついていけば間違いないということになってくる。さらにはむらの代表としてあるいは自分のかわりに行政等の外部社会への窓口となってもらう方がいいということにもなる。
 こうしたことが何代か蓄積されてくる。それがまた家格意識を高める。あの家は代々そういう家だということで、由緒正しき家柄として、地域のリーダーとして、代表者として内外に認められるようになる。
 そのリーダー以外のものが能力がないからそうなっているわけではない。いくら能力がそなわっていても知識、情報がなければそれを発揮することはできず、追随者にならざるを得なかったのである。そして牽引者と追随者という関係も含んだ家の序列関係のもとで、農村社会が、また農業それ自体も動いてきた。
 明治以降もそうであった。もちろん、百姓であっても一定のカネと能力があれば何にでもなれるし、能力の有無にかかわらず身分で将来が左右されるなどということも法的にはなくなってきた。しかし、村の中には土地所有を基礎とした家格は厳然として存在した。そして家格の低いもの=貧しいものは教育を十分に受けられず、高いもの=豊かなものが情報を独占し、それと金力、慣習で村内に序列を形成し、むらを支配してきた。
 戦後こうした関係は大きく変化した。農地改革、その後の農村の民主化、高度経済成長のもとでの農家経済の格差の縮小、交通条件の変化、情報手段の普及等々のなかで教育、情報の独占がなくなり、これが基礎となって家格によるリーダー独占がなくなってきたのである。能力次第で誰でもリーダーになり得るようになってきた。農業、農村社会の多様化、農業技術の発展は一部の人間のリーダーシップの独占を難しくしたということもある。
 しかし、いまだに家格が遺っている。おれの家は庄屋の末裔だとか昔は大地主だったとか威張ってみたり、あの家は村長などになったことのある家柄なのでその子孫がそういう役職につくのは当たり前だというような雰囲気が残っていたりする。
 山形内陸のある町で、かなりの能力があり、信望の厚いある人を町長に推そうという声があがった。しかし彼の家は家格が低い。彼が出るなら彼よりも家格が高いおれも出るというもの、またそうした人を推そうというものも出てきて、何人も立候補することになる。能力があろうとなかろうとである。これでは町が混乱する。それで彼を候補者として推すことは取り止めになったという。
 まだ家格の亡霊、公職の世襲制が遺っているのだ。そしていまだに少数の人間が地域をひっぱってきた社会関係、牽引者と追随者という関係を単純に現代に当てはめようとする研究者もいる。
 テレビアニメの『忍たま乱太郎』と同じく「由緒貧しき家柄」に生まれた私には、こうした一種の身分制、世襲制が許せない(国会等の議員の世襲制などは論外である)。それは僻みだといわれるかもしれない。でも私は、斬り取り強盗を習いとした武士の末裔でもなければ悪徳大地主の係累でもないことに誇りをもっている。

 そもそもこうした家格の支配するむらでは農業の発展、地域の発展などはあり得ない。
 前に本分家関係のことでちょっとだけ触れた青森県田子町(註)であるが、かつてここの農家は地区内の家格の高い有力者=総本家の支配下に入り、その庇護を受け、行政等の外部社会への窓口となってもらっていたという。そのために地区内にその有力者を中心とした農家の派閥が形成され、その有力者の談合でむらが動かされてきた。しかしたまたまその談合がうまくいかない場合がある。すると派閥が相互に反目しあうことになる。そして集落内あるいは集落間で相争うことになる。こうした派閥争いが戦後もかなり長い間残った。たとえば行政や農協が会合をもってあることを論議すると、ある派とその支配する集落がそれに賛成すれば必ず他の派と集落が反対する。そして、自分の派や集落の意見が通らないとその領袖である総本家の指示で次回はその派と集落の全員が欠席する。これではまとまるものもまとまらない。こんな集落を基礎にして農業を発展させようとしても無理である。そこで農協は、こうした集落を基礎とすることをやめ、作目別に農家を組織し、農協と農家を縦に直接つなぐことにして、農家が集落と関わりなく自由に発言でき、生産に取り組めるようにした。そしてニンニク、キュウリ、畜産、米の複合化と産地形成を進めた。こうしてみんなが協力するなかから集落内・集落間の反目も薄れてきた。作目別組織という集落をこえた新しい組織が古いむらを崩す役割を果たしたのである。この例から見てもわかるように、旧来の集落には限界があるのであり、作目別組織、生産組織の形成などでその変革を考えるべきなのである。
 もちろん、産地形成においても、ましてや機械施設の共同利用、土地の有効利用などには、農家の地域的な共同協力は必要不可欠である。だからといって昔のむらに戻る必要はない。古いむらの復活ではなく、その否定の上に立って、さらに生産力進展や兼業化などの社会状況の変化のもとで否定され続けてきた結果として形成された近年の農家の孤立分散をさらに否定して、新しいむら・新しい共同協力関係を構築することこそが必要なのではなかろうか。協同組合精神で結ばれた作目別生産者組織、あるいは生産組織でもって昔のむらを否定し、さらにその否定でできた近年の孤立分散も否定し、その上に立って新たな地域的な結合を再構築していくのである。
 もちろん、それも容易ではない。混住化の進展、兼業の深化のなかでむら人の異質化が進んでいるからだ。それもあって、農業を中心とする農家で構成されていたかつてのむらの変質を嘆く人もいた。
 このことについて、次回掲載するような内容のことを『農林統計調査』という雑誌に当時書いたことがある。

(註) 11年1月10日掲載・本稿第一部「☆むらの掟」(2段落目)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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