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働く農家の子どもたち(4)

    


          ☆遊びから始まる田畑の手伝い

 田畑での子どもの最初の仕事は春の野草採りである。
 雪国では、しかも当時の交通事情のもとでは、冬に新鮮な緑黄色野菜を食べることはできなかった。青菜(せいさい)漬けやおみ漬け(これについてはまた後に述べる)の緑がせいいっぱい、それも漬け初めだけで、やがてべっこう色に変わるので緑はなくなる。たまに雪の下で縮こまっているホウレンソウを掘り起こして食べる。これは甘くておいしいが、この程度なのだから、冬の新鮮な緑黄色野菜不足を補うために、春になるとすぐにさまざまな野草を採って食べる。まだ野菜が成長していないからだ。
 大人が田畑に行くときについていき、セリ、ヨメナ、ナズナ、ツクシ、もづんくさ(餅草=ヨモギ)、ノビル等々を採るのが子どもの仕事だ。とくにナズナは、セリのように田んぼに行かなくとも家の近くの畑や空き地、道路脇などに生えているので、よく遊びかたがた採ったものだった。しかし、こうした野草はくせがあるので子どもたちはなかなか食べられない。とくに木の芽(アケビの新芽)などは苦くて食べられない(註)。食べるのは大人である。子どもにとって春の味は苦い味だった。それでもよく採ってきたとほめられたり、うまいうまいと食べてくれたりすると気分がよかった。
 雪が溶けて田んぼでセリ取りをするころ、バケツをもっていってツブ(たにし)捕りもする。このツブのからを潰して身を取り出すまでは子どもの仕事だが、この酢味噌和えは動物蛋白の不足している私たち子どもの大好物だった。
 そのうち、もっとも早い野菜、五月菜とか茎立(「くぎだづ」と呼んだ)とかのアプラナ科の葉菜が食卓に上るようになる。その頃になると野草も大きくなって食べられなくなる。
 夏には田んぼの脇の小川(用排兼用水路)に網をもっていってどんじょとり(ドジョウ捕り)、ざっこしぇめ(雑魚つかまえ)をし、多くとれたら夕ご飯のおかずにした。だけどおかずにできるほど捕れるなどというのはめったになく、結局遊びで終わることがほとんどだった。
 秋にはイナゴ捕りだ。なお、このイナゴ捕りは小学校や中学校の校内行事でもあった。稲刈りが終わった頃の一日、授業を休みにしてイナゴ捕りに行き、そのイナゴを売って学校の備品を買うのである。
 また落ち穂拾いがある。稲刈りや棒掛けが終わった後の田んぼで落ちている穂を拾い、家にもって帰る。戦後、これで学校の部品を買おうと学校行事で子どもたちが落ち穂拾いしたところもあるそうだが、これは地域の農家の許しがないとできなかった。落ち穂といえどもそれは農家の生産物であり、所有物だったからである。
 このように食べられる草や芽を採る、拾い集める、役に立つ虫や魚を捕まえる、これは子どもの仕事だったが、遊びでもあった。採取や狩猟をなりわいとしてきた人類の先祖の血が騒ぐのか、人間の本能がそうさせるのか、ともかく子どもたちは採ったり捕まえたりするのが大好きである。だからけっこう楽しかった。
 また手伝いを遊びに変えたり、さぼって遊んだりもした。遊んでいてもきつく怒られたりはしなかった。こうした幼い子どもの仕事は必要不可欠なものではなく、遊びの一つとしてやらせる程度のものでしかなかったからである。

 汽車(奥羽本線)の線路に近い田んぼのところに手伝いに行く。しかしそのうちあきてしまう。そのときには線路にあがって遊ぶ。
 細いレールの上をどれだけ落ちないで歩けるか競争したり、レールに耳をつけて汽車が近づいて来ているかどうかを判断しようとしたり、レールに葉っぱや鉄くず等をおいて車輪でつぶれてどんな形になるかを試したり、列車が来ると何両編成か数えたり、線路の脇に生えるツクシなどをとったりする。
 線路の脇に石炭の燃えかすが落ちている。そのなかにコークス状になったものもある。これはまだ燃料として使える。石炭が落ちていることもある。それを風呂の燃料にするために拾う。もちろんたいした量ではないが、それでも手伝いをしたつもりで遊びながら拾い歩く。
 この線路の遊びはいま考えてみると汚い話である。列車のトイレは線路への垂れ流しだったからだ。当時は線路のまわりの家も少ない、本数も少ない、トイレに金をかける時代でもないからこれでよかったのだろう(ただし、戦後かなりしてからだが、東北線では上野駅の近くになるとトイレの使用が禁止となった)。だからときどきレールのすぐわきにおしっこの水が点々と黒く連なっていたり、ちり紙が落ちていたりしていた。それでも平気で遊んだ。
 こうした遊びのために線路に行くと、危ないから気をつけろと親から言われる。しかし、そもそも通る本数が少ないし、見通しがいいので遠くから汽車が見え、音も聞こえるから事故を起こす危険性は少ない。それで放っておかれる。汽車の音が聞こえると、線路から下りるように親が大きな声で注意する。

 春、畑での野菜の種まきや定植の手伝いのときには、ヌギ取りが楽しみだった。ワラといっしょに堆肥にして散布した都市ゴミのなかに入っていた果物の種が春になると芽を出すが、この芽をわれわれはヌギと呼んだ。この桃、梅、梨、サクランボ、リンゴ等々のヌギを畑からとり、それを家にもっていって庭や家の前の畑の一角に植える。いつか自分の桃やサクランボが食べられるかもしれないと思うと希望に胸がはずむ。もちろんそんなにうまくいくわけはないし、そもそも植えるだけ植えてそのうち忘れてしまうので、育つわけもない。それでも採って植えるのは楽しい。一本だけ大きく育った桃のヌギがあった。水密桃でかなりおいしく、花もきれいだった。まさにこれは自分の木だつた。
 家の庭にある柿、梅、スモモ、サクランボの実を採る手伝いもあったが、木に登って採りながら食べるのが子どもたちの楽しみであり、遊びでもあった。なお、梅は梅干しなどの加工用として青いうちに採るので、酸っぱくてまずくて食べられなかったが、たまたま混じっている黄色く熟した梅はうまかった。

 初夏のある日の夕方、突然かげろうが群れをなして飛び回る。それを見つけた子どもたちは大騒ぎをして竹箒や庭箒をもって家の外に出る。箒を振り回して追いかけ、それにかげろうを引っかけて捕まえる。これは毎年めぐってくる行事で楽しい遊びである。こうして捕まえたかげろうは、鶏の餌にする。だからこれは子どもにとっては遊びであると同時に、手伝いでもあった。
 もちろん、手伝いではない遊びだけの狩猟・採取がある。田畑の道ばたに生えているバライチゴの実、近所や親戚の家の庭にある栗、スグリ、グミ、ナツメ、ザクロ、キャラの実を採って食べるなどがそうだ。甘いものやおやつがない時代にはこれは本当においしかった。たとえまずくとも、ザクロは人間の肉の味がするそうだなどと気持ちの悪いことを友だちから教えられても、お腹が空いていたから、ぶつぶつ文句を言いながらも食べた。だからこれは実利の遊びといっていい。
 役にも立たないセミやトンボを捕まえても遊んだ。夕方には迷いこんでくる蛍をつかまえ、蚊帳の中に放し、その光を楽しんだ。セミの幼虫の穴を見付けて幼虫を引きづりだし、やはり蚊帳に入れて次の朝脱皮するのを最後までじっと見たりもした。背中がぱっかり割れて透き通るような白い色をしたセミが現れ、それが茶色へと少しずつ変わっていくのがきれいだった。近くの神社や寺でフクロウやリスを見付けると石を投げたり、追っかけたりした。都市化、混住化が進んでいたとはいえ、生家のすぐ前は畑だったし、五分も歩けば一面の田んぼが広がり、寺や神社にはうっそうとした木が茂っていたから、まだそうした動物がおり、夕方はコウモリが飛び交い、夜になるとフクロウがホオゥ、ホオゥと鳴き、イタチが鶏小屋の囲いを破って鶏を捕ったりしていたのである。
 こうした仕事や遊びのなかで、子どもたちは大人から、遊び仲間から、兄弟から「青梅は毒だから食べるな」、「ばらいちごはいいが、蛇いちごは食べるな」、「郭公が鳴いたらセリは食べるな」、「サクランボの木は折れやすいから気をつけろ」、「あそこには遊びに行くな」等々、いろんなことを学んだ。
 このように手伝いは遊びでもあるが、近所の子どもたちと遊んでいる真っ最中に呼ばれて農作業を手伝わされたり、時間になって家畜の餌やりをしなければならなかったりすると、まさにそれは仕事となる。
 また、遊びも仕事でやれと命令されると、それは苦痛になってくる。学校でのイナゴ取りも、授業が休みになって歩き回れるということではうれしかったが、取る目標を示されるので楽しみではなかった。
 さらに、大きくなるに従い少しずつ田畑の仕事に出されるようになり、労働は厳しく、苦しくなり、遊びどころではなくなる。そして働くのが苦痛になってくる。

(註)
 家の畑の近くに山形県立農業試験場があり、その圃場の垣根がアケビだったのでその新芽を摘んだのだが、試験場は八〇年代に山形市西部に移転し、その跡地は学校等になり、今はもうアケビはない。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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