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女性の意志を大事にしよう


               嫁不足とむらの若者(3)

             ☆女性の意志を大事にしよう

 むらの若者をとりまく環境はかつてとは大きく変わった。
 1970年代に入って急速に進んだ機械化・施設化・化学化は、農業をかつての苦役的な過重労働から、3Kから脱却させた。そして、経営のやり方や地域・農政の変革によって農業で都市勤労者並みの生活水準を享受し得る展望も開けてきた。
 農村と都市の生活面での格差もなくなってきた。情報は都市と同じように入ってくるようになったし、車社会になって簡単に都市に行けるようになり、テレビ等もあるので都市と同じような文化に接することができ、自然の美しい農村に住みながら都市のいいところも享受できる。
 さらに、家族関係も近代化している。嫁いびりなどはなくなった。どこの家でも大事に大事にあつかってくれるようになった。学生の農村調査実習であるお宅におじゃましたとき、いっしょに行った女子学生にそこのご主人が笑いながらこう言った。
 「床の間に飾っておくから家に嫁に来てくれないかなあ」
 もちろん、まだまだ改善しなければならないことはあるが、昔とはまるっきり違う。
 そこで私はむらの若者に次のようなことを当時言ったものだった。

 農業青年はもっと自信をもとう。すばらしい農業をいとなみ、夢をもち、自分の農業に地域に自信をもった、誇りをもった青年には女性が魅力を感じ、嫁にくるはずだからだ。そして積極的に好きな女性に結婚を申し込もう。
 ただし、そのさいには女性の意志を大事にしなければならない。
 まず、結婚したら農業に従事すべきものだなどと考えてはならない。女性にも職業選択の自由があるのである。女性も農業をやることを前提にして結婚を申し込めば、農業の好きな女性以外は結婚の対象外となり、選択の幅が狭まって農業青年の結婚は難かしくなるということになる。
 そもそも農家の息子との結婚即農業就業というのがおかしい。なぜ農家の息子に嫁にくると農業をしなければならないのか。銀行員に嫁にいったら銀行員にならなければならないなどとはだれも考えない。それなのになぜ農業ではそう考えるのか。女性の職業選択の自由を束縛するような環境では農家に嫁がくるわけはない。
 また、農家の後継者を好きになることと農業が好きであるということは必ずしもイコールでないことも忘れてはならない。彼は好きでも農業は好きではないという女性もいる。もちろん、自分の好きな彼が好きな農業を自分も好きになろうと農業に従事するようになればそれでいいが、そうでない女性もいる。にもかかわらず農家に嫁に来たら必ず農業をやるべきだなどというのは女性の生き方の選択の自由の否定であり、これでは結婚したいと思ってもやめてしまう。
 したがって、もしも好きな女性が見つかったら、農業は無理してやらなくともいい、自分の能力を生かしてよそで働きたいというのであればそれでけっこう、家事や育児には自分も協力するとして結婚を申し込むことが必要となっている。
 また、サラリーマンの主婦並みによそに勤めず主婦専業でいきたいというのであれば、食えるだけの金はおれが農業でとる、経済的なことは心配しないで家事に従事し、あるいは趣味を楽しみなさいといえるような青年でなければならない。さもなければ、嫁はこない時代になりつつあるのだ。
 もちろん、妻としたい女性が農業に魅力を感じており、農業をやりたいというのであれば、大いにやってもらえばいい。農家だからその希望は簡単にかなえてあげられる。しかも野菜、花、畜産等々、何でも好きなものを選択してやれる。ここに都市の若者にない利点がある。
 そのさいには女性の能力が十分に発揮でき、自由にできる給与を支給するような仕組みを経営内につくることが必要となる。
 たとえば、農業で働いたらそれに見合うだけの給料をやり、それは自分で自由に使っていいということにする。また、花とか野菜とか自分でやりたかったらその部門はまかせる。資本は提供するし、手伝いが必要ならもちろん手伝うし、収益は自分のものとしていいということで、女性が経営者として、その部門の社長として自由に腕をふるわせる。当然そのさいには男性も家事、育児に協力することはいうまでもない。
 しかし、他産業に勤めたいというなら勤めさせてもいいではないか。専業主婦でいたいというならそれもいいだろう。男性1人で家族を食わせることのできるような農業こそが必要なのだ。前にも述べたが、アメリカのワンマンファームではそうしている(註1)。
 ただしそうすると、これまでのように家族の組み作業ができなくなるという問題が起きる。しかしそれは雇用か生産組織の形成で補完すればいい。実際にそうしているところがある。

 80年代末、山形県酒田市東部のいくつかの集落で刈り取りの生産組織が形成されたということを聞き、そこに調査に入った。さきに述べた集団栽培アレルギーのために共同化がなかなか進まなくなっていた庄内(註2)でなぜ組織ができたのか知りたかったからである。そのリーダーは次のように答えた。
 彼は7㌶の水田を夫婦2人で経営していたが、米単作のために冬と夏の期間は労働力が余る。それで2人は日雇いに出る。しかし賃金は安く、労働条件も悪い。また夏に稼ぎにいくとどうしても稲作のきめ細かい管理ができなくなる。つまり虻蜂取らずになる。それで話し合った結果、どっちかが農業に専従し、どっちかが恒常的によそに勤めることにしようということになった。しかし、これだけの面積の作業を大型機械に乗って女性がこなすのは容易ではない。それで奥さんが恒常的に働きに出て稲作は彼がやることにした。つまりワンマンファームにすることにした。
 その結果、奥さんは高い給料をもらえるようになり、彼の方は稲作専従で管理を行き届かせることができるようになった。
 こうしてうまくいったが、問題が二つあるという。奥さんを外に出したら化粧が上手になり、衣装もよくなって急にきれいになった、それで不倫が心配だということ、もう一つは春と秋の農繁期の組み作業ができなくなったことである。前の方は冗談だが、後者は深刻だった。田植えにしても刈り取りにしても1人ではできず、必ず1人の補助労働が必要なのである。だからといって奥さんを休ませて働かせるわけにもいかない。
 たまたま正月に近隣の青年と飲んだときにその悩みを話したところ、おれもそうだ、おれのところもだという。今は親父が手伝っているから何とかなっているが、後何年もしないうちに働けなくなる、そのときにどうするかが心配だという青年もいる。
 それならそうした青年みんなで生産組織をつくって労力を出し合い、協業と分業の力を発揮して問題を解決したらどうか、機械の値段も高いし、過剰投資の解決にもなるという話になった。
 しかし組織化は簡単ではなかった。機械の共同利用をしようとするとどこでも問題となるのだが、すでに個別で所有している機械の処分がやはり大きな問題となった。つまり、まだ機械を買ったばかりの農家もあれば、こわれたので至急買い換えたいというものもある。組織が新たに機械を購入すれば後者はいいが、前者は損をする。いろいろ話し合った結果、各農家の更新時期の比較的近い、つまり利害の一致するコンバインの共同利用からとりあえず始め、徐々に春作業の機械の共同利用に進むことにしようということになった。
 そして8戸で生産組織を結成し、各戸のコンバインはすべて中古として個々に処分し、組織で大型コンバイン2台を購入することにした。これまでは一戸1台計8台あったのに、それを2台にしたのだから、それが大型で高価だとしても、大幅なコスト低下になったことは言うまでもない。また、協業によって労力も軽減されたので作業受託面積を増やすこともでき、収入も増えた。このようにワンマンファーム化を組織の力で補完し、解決しようとしてつくられた生産組織はここだけではなかった。90年代に入って庄内の各地でかなり見られるようになった。
 このように、女性を労働力としない稲作生産組織は他の地域でもさまざまな形をとってみられるようになった。
 たとえば、同じ山形県の置賜地方のある農協管内では、妻がよそに勤めていて稲作作業を円滑に遂行できない30歳代の青年5名が水田を出しあって稲作を全面共同し、転作団地の大豆・麦作経営を集落から受託する組織を、農協の指導のもとに形成している。
 また、1963年に6戸で組織された宮城県栗駒町の全面共同経営・大鳥東生産組合(現在は法人化して栗駒高原ファームとなっている)では、経営権が完全に譲られた二世代目の青年の奥さん方はすべて農外兼業に専従しており、農業には青年だけが従事している。女子の事務職員が1人いるが、これは外から雇用している。これで十分にやれるし、その方がいいと彼らは言う。
 こうした事例は、女性の自立化の進展と稲作技術の発展が、男子青年農業専従者による生産組織をして土地利用型農業の担い手たらしめていることを示しているといえよう。
 これまでは、「カアチャン農業」、「サンチャン農業」の農家が農業を担っていた。しかし、そうした農家は、少なくとも土地利用型農業に関してはいまや担い手となり得なくなりつつある。機械化、高齢化の進展、さらには女性の農外就業機会の拡大の中で、作業委託、経営委託へと進み、稲作から離脱しつつあることからそれがわかろう。
 そしていま見たような「組織化されたトウチャン農業」の形態が担い手となりつつあるのである。
 このことは、家単位の農業を育成するという従来の考え方から一歩進めて、農業専従者の育成、新たな経営形態の育成も考えるべき時期にきていることを示すものであった。

 秋田市の近郊にある花き栽培農家を隣町の農業青年・婦人のグループといっしょに視察にいったときのことである。
 ハウスのなかで働いている数人の女性を見て、青年の1人がとその若い経営者に質問した。
 「あのなかのどなたが奥さんですか」
 彼は答えた。
 「あれは全員雇っている人たちであのなかにはいない、よそに勤めてます」
 青年たちが不思議そうな顔をしたら、彼は続けて言う。
 「結婚の申し込みのときに農業をしなくともいいからと家内と約束したものだから」
 さらに次のように付け加えた。
 「実は、できればいっしょに農業をやりたいと思って、子どもが生まれたとき、それをきっかけに勤めをやめて農業をやらないかと言ってみた。そしたら二晩泣かれた。それであきらめました。だからいまもよそで働いているんです」
 これでいいではないか(ちょっと淋しいかもしれないけれど)。必ず配偶者を農業に従事させなければならないということはないのだ。労力不足は雇用なり組織化なりで解決すればいい。

 夫婦2人の協業を基礎に農業はいとなまれるべきものというのがこれまでの一般的な考え方であった。しかしもはやそのような時代ではない。それは、農業生産力の進展からばかりでなく、女性の自立化の進展という面からも必然化されている。かつてのように家の労働力として嫁をもらうような時代ではなくなっているのである。
 またそうすべきでもない。女性にも職業選択の自由があるのであり、女性の自立をきちんと認識してやらなければ、女性は自分の生き方を貫くためにたとえ好きでも結婚はしないということになりかねない。
(次回掲載は、9月21日(水)とする)
 
(註)
 1.10年12月21日掲載・本稿第一部「☆労働力としての嫁」参照
 2.11年8月29日掲載・本稿第二部「☆進まなかった生産の組織化」(6段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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