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山形内陸部の雑食性



                  食生活の変化(1)

             ☆山形内陸部の雑食性―食の地域性―

 いうまでもなく、食生活は地域によってかなり異なる。自分の生まれ育った地域では考えもしなかったものを食べる地域もある。本稿第一部の最初で述べた青森・岩手の旧南部藩内に伝わる「せんべい汁」などもそうだ(註)。それでついつい南部は変わったものを食べるものだなどと言ってしまう。
 そう言うと、山形の生家で食べる「納豆汁」の方がよほど変わっていると宮城県出身の家内は言う。芋がら、豆腐、油揚げ、ニンジン、こんにゃくなどを入れてつくった味噌汁に、すり鉢ですった納豆を入れ、さらに細かく刻んだネギやセリなどを加えたものである。これを飲むと冬の寒いときなどは身体の芯から暖まる。私などは必ずおかわりをする。ところが家内は最初は食べられなかったと言う。
 家内が食べられなかったものと言えば、「鯨汁」もある。鯨の皮を塩に漬けた塩鯨(塩皮鯨ともいう、かなり塩っ辛く、また脂っこい)をジャガイモやタマネギ、豆腐などといっしょに味噌汁にする。おつゆの上に油が浮き、本当においしい。ただし煮ているときの臭いはすさまじく悪い。しかし小さい頃はそんなことはどうでもよかった。脂肪分の摂取量の少なかった頃にはその脂っこさが何ともいえずうまかった。もちろん今もうまいと思う。
 やがて家内も納豆汁、鯨汁が好きになり、自分もつくるようになって客にごちそうするまでになった。ほとんどの人がうまいとほめる。しかし、納豆汁に関してはやはり関西人はだめである。でも、名前を教えないでごちそうすると、先入観がないのでおかわりまでする人もいる。鯨汁は塩鯨がなかなか手に入らないので、たまに店頭で見つけたりするとすぐに買う。しかし最近はほとんど売っていない。
 それにしても山形の人は変なものを食べると家内は言う。
 山形が変わっているというなら、仙台の「てんよ」などはもっと変わっていると私は家内に言う。仙台に来たとき、氷水を食べさせる店などに「てんよ」という札がはってある。何かと思ったら「ところてん」(山形では「てん」という)のことである。ただし食べ方がちょっと違う。山形では酢醤油とカラシで食べるのだが、仙台では醤油と砂糖をかけて食べるのである。とてもじゃないが、仙台のてんよは私は食べられない。なお、山形ではところてんを食べさせる店の酢醤油の瓶は青い杉の葉で蓋されており、そこからところてんの上に注いで食べたものだった。何とも風情があったのだが、今はどうだろうか。

 今から60年も前になるが、私が仙台に来たばかりの頃、菊の花を食べると言ったら下宿屋の人に嗤われた。鑑賞すべきものを食べるなんて山形人は野蛮だ、田舎もの、変わり者だと思われたらしい。しかし山形ではそれが普通だったし、秋の深まりを知らせる食だった。
 春の来たのを知らせる食の一つにツクシがある。ところが同じ山形でも庄内地方は食べない。子どもの頃酒田に行ったとき、線路にツクシがたくさん生えていたので、採って食べたいといったら驚かれてしまった。内陸では春になると、ツクシばかりでなく、セリ、ナズナ、ヨメナ、ノビルなどの雑草も採って食べる。
 この菊やツクシなどを食べる地方は他にもたくさんあるが、山形内陸でしか食べないものがある。それはヒョウ(スベリヒユ)である。
 夏になると畑一面にヒョウが生える。作物にとっては雑草だから当然抜き取られるが、そのうちの大きくて太くてやわらかいものは捨てずに家に持って帰り、それをさらっとゆでる。そして一部はおひたしにして芥子醤油で食べる。今で言うとツルムラサキやモロヘイヤの味に似ていて、ちょっと酸っぱく、ぬるぬるしているが、私に言わせるとツルムラサキなどよりヒョウの方がずっとうまい。夏の暑いとき、冷えたヒョウのおひたしを辛子醤油で食べるのは絶品である。残りは天日に干す。こうしてからからに乾かしたヒョウは保存しておく。冬、野菜がなくなるころ、その干したヒョウを湯で戻し、油揚げか薩摩揚げを切ってもしくは大豆をちょっとだけ潰したもの(「ご豆」とか「打ち豆」とかいったような気がするのだが)をそれに混ぜ、油で炒めたり、煮付けたりする。戻したものをそのままおひたしにして食べてもいい。これまた絶品である。お正月には縁起物としても食べる。食べると「ヒョッとしていいことがある」からだそうである。
 なお、庄内ではスベリヒユをスベランソウと言うらしい。そして一部の地区では内陸と同じようにして食べるらしいが、このスベランソウという名前がいい。滑らない草、つまり受験生にはぴったりである。そこで受験に効くと干したこれを売り出したらけっこう売れたという。

 もっと変わっているのは、アケビの皮を食べることである。
 いまから30年も前になろうか、当時秋田短大にいたKA君が訪ねてきたので、山形出身のおかみがやっている店で飲もうということになった。カウンターに座ったところ、目の前にあるかごの中に季節を思わせるアケビの実が入っている。秋田の山国育ちの彼は早速その中身を食べ、皮を屑かごに捨てた。とたんにおかみから怒られた。KA君はキョトンとしている。思わず私は笑ってしまった。秋田県人の彼にはなぜ怒られたかがわからないのである。山形県人である私どもはアケビの甘い中身も食べるが、それよりも皮をいろいろ調理して食べる。たとえば油で炒めたり、半分に割れた皮のなかに味噌(最近はそれに肉を和えたりする)を詰めて煮たり、揚げたりして食べる。それなのにその大事な皮を捨ててしまったのでおかみは怒ったのである。しかし彼には何であんな苦い皮を食べるのかがわからない。
 このようにはやはり山形県人は変わっている(とくに内陸人)。一般に雑草といわれ、他の地域では食べない山野草も食べるのである。アケビに関して言えば皮だけではなく、春の新芽や伸びたばかりの蔓も食べる。これはさらに苦い。
 また、ウコギの葉も食べる。その新芽をさっとゆでて細かく刻み、焼いた味噌と和える。真っ白いご飯の上に載せた鮮やかな緑、ほのかな苦みと甘さ、それを引き出す味噌の味、とにかくうまい。まさに春の味、ご飯が進む。
 味噌和えといえば、間引きした小さいニンジンの葉を細かく刻んで味噌和えにし、ウコギと同じようにして食べる。
 ダイコンやハクサイなどの間引きしたものはけんちん汁にし、間引きしたソバの芽はお浸しにする。間引きした野菜もむだにはしない。
 収穫の終わったトウガラシの葉っぱを採って佃煮にしたりもする。同じく収穫の終わったトマトやマクワウリの茎に残っている小さい青い実をとって塩漬けにする。ともかく食べられるものは工夫して何でも食べる。
 「おしん」の生まれ育った土地であることからわかるように何しろ山形県の内陸部は貧乏である。だから内陸人は雑食性で何でも食べるのかもしれない。
 最近は菊の花などは仙台でも食べるようになり、全国ほとんどのデパート、スーパーの野菜売り場に並ぶようになった。しかしスベリヒユやアケビの皮が他の地方でも食べるようになったとはまだ聞いていない。

 もう一つ変わっているといえば、雑草を栽培植物化して食べていることである。オカヒジキがそれである。
 もちろん私はそれがそもそもは雑草だったとは知らなかった。少なくとも私が物心ついたときはすでにスズギという名前で畑で栽培され、山形の市場に出されていたからである。ただし1950年代の仙台ではだれも食べていなかった。60年代の初め、農家向けの雑誌『家の光』の仙台駐在の記者をしていたSYさんが山形に取材に来たので生家に連れて行ったとき、母がお茶請けにスズギのおひたしを出した。そしたら彼は驚いた、こんな高価な山菜を一(ひと)どんぶり出すなんてと。仙台の料亭で山菜としてたまに出されるが、小皿にちょっぴり盛ってべらぼうな金を取っているという。これは山菜ではなくて栽培作物なのだというと彼はさらに驚き、父にその栽培方法を詳しくたずねていた。そのころ、山形でいうそのスズギは和名では「オカヒジキ」ということを私は知った。
 さらにかなり時間がたってから、そのオカヒジキはそもそも雑草だったことを知った。山菜どころか海浜に生える雑草だったのである。これを知ったのは、東北大学農学部の修士論文発表会で園芸学研究室の大学院生が、オカヒジキは日本中の海岸に生えている雑草であるが、それに二種類あることがわかったという研究発表をしたのを聞いたときだった。それからまたかなりたってからだったが、実際に雑草として生えているところを初めて網走の海岸で見た。
 オカヒジキは海藻のヒジキと姿形が似ている。しかしそれは陸(おか)に生える。それでオカヒジキと命名したのだろう。そしてこのヒジキを山形語で発音したのがスズギだったのである。
 なぜ海岸の雑草が山形の内陸で栽培され、食べられるようになったのだろうか。不思議である。種が海岸から最上川を伝って船で内陸に運ばれ、そこから芽生えた草を食べてみたらうまいと気づき、それから栽培して食べるようになったのかもしれない。なお、網走にもオカヒジキを栽培している人がいた。この人たちの先祖は山形ではなかったろうか。
 最近は仙台のデパートなどでオカヒジキが売られるようになってきているが、少なくとも50年前まではやはり山形の食べ物は変わっていると言われてもしかたがなかったのである。
 雑草などの野生植物まで食べるのだから、野生の動物を食べるのは当然である。イナゴ、ツブ(タニシ)などはその典型例だ。海がなく、魚の恩恵に預かることの少ない内陸部にとっては良質の蛋白源である。ただし長野のようにハチノコは食べない。だから私はハチノコは食べられない。あの姿を見ただけで食べられなくなる。そういうと、イナゴを食べない西日本の人たちからイナゴなどという虫を食べる人が何をいうかと言われる。しかし食べる習慣がないとこうなってしまう。なぜ山形ではハチノコを食べなかったのだろう。そもそもクロスズメバチはいなかったからではないのか。少なくとも私は土のなかに巣をつくるハチなど見たことがない。もしもいたなら雑食性の内陸人は食べないでいられなかっただろう。
 野生動物ではないが、蚕のさなぎを人間が食べることもあったらしい。繭から糸をとり終わった後に蚕のさなぎが残滓物として出るが、これは庭の池の鯉のいいエサとなる。これを炒めて人間が食べるのである。とくに凶作の年などには食べたらしい。脂っこくておいしいと聞いたことがあるが、私は食べたことがない。

 山形では、他の地方であまり見られない青菜(せいさい)、芭蕉菜(ばしょな)を食べる。白菜や大根と同じアブラナ科に属するが、ともにカラシナの系統で、青菜はその名の通り青々とし、芭蕉菜(仙台や岩手の一部でも栽培されているとのことだが、私は見たことがない)は芭蕉のように葉っぱが広くて大きく、ともに辛みの強い野菜である。これは漬け物にする。
 「青菜漬け(せいさいづけ)」の場合は、最初は青菜という字にふさわしいきれいな青緑色でその強い辛みが何ともいえずおいしい。やがて日にちが経つと色が変わり、最後には鼈甲(べっこう)色になり、その色の変化とともに辛味がなくなって酸味が出てくる。この味の変化がまた楽しい。
 それから、青菜(せいさい)の葉を干して細かく刻み、干した大根をぶっ切りにし、それを混ぜていっしょに漬ける「おみ漬け」がある。漬けたばかりで葉が緑色のうちのおみ漬けは青菜とダイコンのそれぞれ辛味がまじって本当にうまい。近江商人が山形を行商するときこの漬け物をおかずにしようと商売物といっしょに長い間背負って歩いた、そのうちに色が変わったが、それも彼らは食べた、山形人も食べてみたらうまかった、それで「近江漬け(おみづけ)」と呼んでそれも食べるようになったという話があるが、漬けてから時間が経ち、茶色味がかって少し酸味が出てきたこのおみ漬けの味はこれまたうまい。京の漬け物「すぐき」の味はこれに似ている。
 大根漬け、白菜漬けはもちろん大量に漬ける。
 秋も深まった頃、農家ばかりでなくどこの家でも長い冬に備えた漬け物漬けが始まる。女性は一斉に外に出て小川や井戸の水で野菜を洗う。その水の冷たさで手は真っ赤になる。洗えども洗えども終わらない。小春日和のような日にあたれば幸いだが、身を切るような冷たい空気の中では身体が芯から冷える。洗ったらそれを縄に吊して干す。これは男の仕事だが、干し終わってからの青菜や大根の刻み方と漬け方、大根漬け・白菜漬けの漬け方はまた女性の仕事になる。その辛さを家内は嫁に来て知ったから漬物の時期になると必ず山形の私の生家に仙台から手伝いに行ったものだった。ともかく大家族の必要とする一冬の漬け物を漬けなければならないのだから大変だった。しかも雪に閉じこめられる冬は野菜がないのでおかずとしての漬け物の量は多くならざるを得ない。もちろん小屋の地下に掘った室(むろ)もしくは雪の中に野菜が貯蔵はされるが、大根やジャガイモ、ニンジンなどが中心で生鮮野菜はほとんどないから、漬け物が多くならざるを得ないのである。だから飽きないようにするためなのか、さまざまな栄養分をとるためなのかわからないが、ともかく漬け物の種類は多い。
 山形を舞台にしたNHKの朝ドラ『いちばん星』(77年)の主人公佐藤千夜子役を勤めた女優の高瀬春菜さんが、インタビューのなかで山形ロケで食べておいしかったものはと聞かれ、
 「漬け物です」、
 その後に続けた言葉がいい、
 「冷たいんですよねえ」、
 そうなのである、暖かいご飯に真冬の冷たさの浸みた漬物、まさに名言、もうこれに付け加える言葉はない。

 春近くになると、気温が高くなるので青菜漬けや白菜漬けは腐ってしまう危険性が出てくる。するとそれを刻んでお湯で煮て塩出しをし、それにさつま揚げや油揚げを刻んで入れてあるいは潰した大豆を入れて油で炒め、それをまた煮る。これを「くきなに」(「茎菜煮」と書くのだろうと思う)というが、けっこううまい。ただし、煮ているときの最初はいやな臭いがするのが欠点である。
 その頃になると、身体が青々とした野菜を求めるようになる。それで野菜よりも早く食べられる春の野草を待ってましたとばかりに食べる。それからもっとも早い野菜として、クギダヅ(茎立)や五月菜などのアブラナ科植物が食卓に並び、そのほろ苦さでも春を実感する。
 それにしても、食べられなくなる直前の漬け物を煮て食べるなどというのは、やはり山形は変わっていると言われてもしかたがないだろう。

 最近は青菜(せいさい)漬けやおみ漬けが仙台のデパートなどでも売られるようになった。本来の味と若干違うのが残念だが、ともかく青菜を山形人ばかりでなく多くの人が食べるようになった。菊の花やオカヒジキも普通に食べられている。その点では山形人は変わり者でなくなりつつあるのかもしれない。

(註)10年12月6日掲載・本稿第一部「貧しい食と厳しい労働(1) ☆米を食べられない村」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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