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食の格差の変化

 

                食生活の変化(2)

           ☆食の格差の変化―貧乏人と高級料理―

 山形の生家では大晦日の夜に塩鮭を焼いて食べ、お正月はその鮭の頭を煮たものとダイコン、ニンジンを刻んで酢であえた「なます」を食べる。そのさい、いわゆる氷頭(ひず・頭部の軟骨)だけではなく、頭全部を使う。ともかく魚はむだにしない。なお、鮭の頭はじっくり焼いて細かく刻み、それを暖かいご飯にふりかけても食べる。これは最高である。昔は魚屋さんに行けばたくさん鮭の頭があったので、ただでもらったり、安く買ったりして食べたものだが、今はスーパーやデパートに行ってもなかなか店頭に出ていない。切り身の塩鮭は売っているのだから頭も必ずあるはずなのだが、いったいどう処理しているのだろうか。捨てているとしたらもったいないことだ。
 仙台の農家はお正月に卵の入ったナメタガレイを食べるのが習慣だったようである。家内の家もそうだったらしい。それで近年のわが家のお正月の肴はこれと塩鮭との併存である。
 ところで、戦前ナメタガレイを食べたのは一定水準以上の農家で、貧乏な農家のお正月の魚はアンコウだったという。
 アンコウ、本で見ると何とも奇妙な形をした魚である。当然山国育ちの私は食べたことがないし、あんなものは食えないものだろうと思っていた。そのうちアンコウ鍋やアン肝の話を聞くようになったが、食べる機会はなかったし、げてもの食いの食べるものだろうと思っていた。福島に行ったときのことである。県の研究者の一人が私を料理屋に連れて行ってアンコウ鍋をごちそうしてくれた。驚くほどおいしかった。味はもちろんのこと価格もまさに高級料理であった。
 仙台でも食べるのだろうかと思って聞いたら、昔はけっこう食べた、とくに貧乏な農家はナメタガレイが高くて買えないのでかわりに安いアンコウを買ってお正月の料理として食べたものだというのである。初めてそれを聞いてまた驚いた。貧乏人の食べるものがいまや高級料理になっていると。

 山形では秋に牛肉と里芋を煮付けた「芋煮」を食べるが(これについては後にまた詳しく述べる)、いうまでもなく牛肉を食べるようになったのは明治以降のことである。そうすると山形の芋煮は明治以降始まったものということになる。しかしもっと以前からあったらしい。そもそも芋煮とは里芋とカラガイを醤油で煮つけたものであり、秋おそくの仕事納めのごちそうとして食べたものらしい。里芋は越冬できないので、雪の降る前に全部食べてしまおうと、むらのみんなが出し合っていっしょに戸外で芋煮をし、仕事納めとして食べたというのである。また、最上川の船便が冬期間休みになる最後の日、各港で船頭さんに芋煮をふるまってその年のご苦労に感謝の意を表したともいう。そうしたことが仲間たちが集まって川原で芋煮会をやる現在の風習の原点となったのだろう。そのカラガイが明治以降牛肉に変わり、里芋と牛肉を煮て食べるのが芋煮となったらしい。
 そう説明をしてもカラガイ(カラカイともいう)とは何かわからない人がけっこういる。これはからからに干されて固くなっている干魚で、山形内陸ではそれを二晩くらい水に浸けてもどし、さらに煮て軟らかくし、醤油と砂糖で甘く煮付ける。今はお祭りとかお正月とかにそうやって食べ、芋煮には使わなくなっている。
 このカラガイに似ているものにボンダラがある。これもカラガイと同じような干魚で、棒のように長くて固く、同じようにして食べる。ボンダラはカラガイよりおいしくない。そのかわりにずっと値段が安い。だからこれは普通のときに食べる。生魚のない内陸ではボンダラは塩鮭と同じく重要な蛋白源であった。なお、私たちは小さい頃「つらら」のこともボンダラと言った。両方とも棒のように長くて固いからこう呼んだのだろうか、まだわからない。
 ボンダラはおそらく棒鱈(ぼうだら)のことだろうと小さい頃でも想像がついた。辞書によれば真鱈を三枚におろして素干しにしたものとのことである。わからなかったのはカラガイだった。貝ではもちろんないし、私などはカラガイという魚を干したものだろうと思っていた。いつごろだろうか、それはエイの一種を干したものだということがわかつた。さらにもっと経ってから、そのエイを日本海沿岸ではカスベと呼び、生のそれを煮て食べていることを知った。知りながらもそのカスベを食べたことはなかった。初めて食べたのは網走に行ってからだった。スーパーなどに行くときれいな桃色をしたカスベがたくさん並んでいる。早速買い、醤油で煮付けて食べてみた。おいしい。とくに軟骨の噛み応えがいい。網走にいる間何回食べたことだろう。仙台に帰ってきてみたら、たまにではあるが、カスベが店に出るようになっていた。しかし、カラガイもボンダラもいまだに売っていない。山形でもあまり売っていなくなったという。しかもかなり高価である。その上料理するのに手間がかかる。それで普通の家庭ではあまり食べなくなったらしい。ただし料亭に行くと食べられる。
 カラガイとくにボンダラなどは貧乏人の食べるものだった。ところがそれは料亭の高級料理になってしまったのである。
 考えてみればこうした逆転現象はそれ以外にもいろいろある。かつて猫すらまたいで通るといわれた貧乏人の食べる塩鮭や筋子も戦後の一時期は高級品になった。数の子などはいまも高級品である。
 「畑のキャビア」などと呼ばれている「とんぶり」もそうだ。秋田で初めてごちそうになったとき、それが「ほうき草」の実だと聞いて驚いた。これはさすがの雑食性の山形人も食べなかった。ほうき草は自家用に二、三本植え、それを干して枯れた葉っぱや実をたたき落として庭ぼうきを作るのだが、種子として必要な実以外はゴミとして捨てていた(と思う、もしかして余った実は鶏の餌にしていたのかもしれない)。しかし1970年代もすぎるとほうき草を栽培することはなくなった。もっと使い勝手のいいほうきが安く買えるようになったからである。だからもうほうき草は見られなくなった。と思っていたら、また秋田で見られるようになった。これはうれしい。しかも高級料理の素材として栽培されるようになったのである。これも逆転現象の一つと言っていいであろう。

 農水産物ではないが、かつて庶民の子どもが一銭二銭の小銭をもって買いに走った駄菓子もそうなっている。仙台では「仙台駄菓子」という名で高級菓子になっているが、山形では「富貴豆」がその典型だ。先にも述べたように、私が子どもの頃は富貴豆は箱をかついで売りに来る人から子どもがおまけを楽しみにしながら買うものだった(註)。ところが今は山形名産の高級菓子として評価され、お菓子屋やおみやげ屋、デパートで買うものとなっている。たしかにふっくらとした舌触り、舌の上でとろけるような柔らかさ、上品な甘さは、お土産用にしても恥ずかしくはない。しかし、これが洟(はな)をたらした私たち子どもが買って道ばたで食べるものだったと思うと何となく奇妙である。
 1970年ころある人から聞かれた。山形に平清水焼きという有名な焼き物があるが、知っているかと。平清水はよく知っている。生家からよく見える千歳山の麓にある集落で、小学校の頃はその近くに遠足で行ったり、遊びに行ったりしている。そして陶磁器を焼いていることも知っている。しかし土管つくりが主体で、茶碗等もつくるが、瀬戸物などに比べると質が悪い。まあどちらかといえば貧乏人の使うもの、買うものである。そんなところの焼き物が有名だなどと聞いたことはない。そこで生家に帰ったとき聞いたら、いや今は変わってしまった、突然有名になって客がどんどん来るようになり、店もでき、窯も立派になったと言う。そう言われて行ってみた。集落の雰囲気はまるっきり変わっており、有名な陶磁器の街のようになっていた。そして平清水焼きは実用というよりはしゃれた食器、飾り物、さらには芸術品になっていた。かつての庶民の焼き物が高級品となったのである。これも逆転現象と言えるだろう。

 食の階級性の逆転現象といえば、昔貧乏人の食べられなかったものが一般庶民の食べ物となっていることもそうだ。
 卵がその典型だ。ある学生が金がなくなると卵だけをおかずにしてご飯を食べると言っていたが、かつて貧乏人の食べられなかった卵は貧乏人の食べものに変わっている。
 米もそうだ。戦後すぐのこと、後に首相になった池田大蔵大臣が「貧乏人は麦を食え」、要するに金のないものは米を食うなと言って物議をかもしたことがあったが、いまや米は貧乏人も簡単に手に入れられるようになっている。
 また、かつて貧乏人は魚肉ソーセージしか食べられなかった。あの味は今でも懐かしく、たまにスーパーで見つけると買ってきておやつに食べて見るが、まともな肉でつくられたハム、ソーセージなどは食べられなかった。それが今普通に食べられるようになっている。それよりも何よりも肉が普通に食べられるようになっている。魚で言えばマグロとかハマチがそうだ。
 メロン、1970年ころまではめったに食べられない貧乏人のあこがれの的、高嶺の花だったのに、まずアンデスメロンが世に出たことでメロンの味を味わうことができるようになり、最近ではマスクメロンも高級感は残りながらも比較的容易に手に入るようになっている。

 貧富による食の格差が少なくなったこと、これはきわめてけっこうなことだ。
 食の地域格差も少なくなった。デパートや大型スーパーに行けば、沖縄のマンゴーやモズク、讃岐のうどん、京都の和菓子、北海道の「ときしらず」(鮭の一種、これはうまい)やカニが並ぶ。これもいい。
 しかしもう一方で、伝統野菜が消え、北から南まで野菜や果実の味がほぼ同じになり、旬が感じられる野菜は少なくなった。つまり食の地域性が失わされてきている。
 それはまだいい。ファーストフードを始めとする外食産業・中食産業の発展のなかで、食の地域性どころか日本的な食生活も破壊され、食のグローバル化=アメリカ化が進み、それと併行して健康破壊、自然破壊、農漁村の崩壊が進められてきた。
 もうそろそろこうした状況から脱却する必要があるのではなかろうか。

(註)11年2月1日掲載・本稿第一部「☆一銭店屋」(3段落目)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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