Entries

消えていく伝統料理、家庭料理



                 食生活の変化(3)

              ☆消えていく伝統料理、家庭料理

 かなり前のことだが、音楽に関するある集まりである声楽家からこんなことを聞いた。コンクールなどで一位になった人は欠点がまったくなく、さすがにすばらしい。しかし、何か魅力がない。その点、二位とか三位になった人は欠点はあるし、癖もあるが、面白いし、何となく魅力がある。これを「二位三位の魅力」というのだと。
 寿司屋さんに行ったとき、そこの職人さんとスーパーなどで売っている「寿司の素」などの家庭での寿司の味付けをする食材の話になった。寿司の素が寿司屋の味と同じだと宣伝しているがそんなことはないだろう、おいしくないのではないかと私が言ったら、職人さんは言う。実はあの味は私どもが追求している究極の味なのだ、しかしどうしてもあそこまでいかない、あれに近づこうと思って絶えずがんばっているのだと。それならどうして寿司屋さんの寿司の方がおいしいのか、米やご飯の炊き方などが違うのか。そしたら言う、私どものつくるものには究極の味まで達しない欠点がどこかにある、癖がある、その欠点や癖が逆にそれぞれの店のうまさを感じさせているのではないかと。
 この二つの話を考え合わせたとき、なるほどと思った。たしかに優等生はおもしろくない、魅力がない。いわゆる優等生でない人、どこかに欠点がある人の方が付き合っていておもしろいし、人間的な魅力がある場合がある。そうなると私は優等生でないからかなり魅力があるはずである。もちろんそれははかない願望だ。二位三位どころか予選も通過できないような欠点だらけの劣等生だからだ。
 一般的にいえば料亭とか有名料理店とかの料理はおいしい。もしもこれを優等生とすれば、家庭での料理は「二位三位の魅力」、どこか欠点があるが、だからこそ個性的で魅力があるということになるのではなかろうか。

 「きりたんぽ」を初めて食べたのは秋田の川反(かわばた)にある料亭だったが、そのおいしさが忘れられず、何とかして家族に食べさせたかった。そのうち駅でお土産として売るようになったので、いつも買って帰るようになった。
 いうまでもなくきりたんぽは秋田の家庭料理である。それを地域の料理屋が地域内外の人に食べさせることは当然あっていい。とくに地域外の人、親戚や知人がいなくてその家庭料理を食べるわけにはいかない人にはぜひとも食べさせてもらいたい。その結果お土産などとして買っていくようになれば地域の農産物の販路拡大にもなる。
 しかし、やはり家庭で食べるきりたんぽはまた違う。
 五城目町で地域の農家の奥さんたちがつくってくれたものは本当においしかった(このことについてはまた後に述べる)。とくに「だまっこもち」(前夜あまったきりたんぽをだんごのように丸めたもの)を前夜の残ったきりたんぽのおつゆに入れて翌朝食べたときのおいしさは絶品だった。
 今でもそのおいしさが忘れられないのは、比内鶏の産地に近い町の生まれの研究者KA君の家におじゃましたときにいただいた彼のお母さん手作りのきりたんぽである。仙台にいま住む彼がそれと同じようにつくってくれるのもうまいし、秋田の料理屋さんのももちろんおいしいが、きりたんぽの本場の地域にずっと引き継がれてきたやり方でしかも地元の食材でつくったあのときのお母さんのきりたんぽにはかなわない。

 韓国の農家に調査に行ったとき、庭にあるハウスのなかが真っ赤になっている。何の花を植えているのかと思って見せてもらったら、何とトウガラシの真っ赤な実が一面干してあっただけだった。しかもそれはほとんど自家用だという。さすが韓国と思いながら調査を始めた。そのうち奥さんがお茶を出してくれた。机の上に真っ赤な白菜漬けつまりキムチがお茶請けとしてのっている。あまりいい色なのでごちそうになった。思わず大きな声でうまいっと言ってしまった。前夜はソウルの料亭でキムチをごちそうになり、うまいと思ったのだが、それとはまた異なる何ともいえないおいしさである。
 それは日本でも同じだ。農家に調査に行くと、よく漬け物が出される。見るからにおいしそうである。当たり前である。取れたての野菜をその地域、その家でもっともうまいと引き継がれてきたやり方で漬けるのだから。

 網走の秋、スーパーに行くと、漬物用の大中小のポリ容器、重し、塩の袋が店頭にずらっと並ぶ。そして大量の白菜、大根などがトラックでどんどん運ばれてくる。消費者はそれらを買って白菜漬け、たくあん、さらに鮭や鰊などを入れた飯鮨(いいずし)を漬ける。そして冬に備える。
 こうした風景をしばらくぶりで見た。東北でも60年代前半ころまでは秋に大量に漬け物を漬けた。農家はもちろんのこと、都市住民も白菜や大根を農家や八百屋さんに注文して大量に買い、自分の家で洗って干し、桶に漬けたものだった。そして冬に備えた。だから雪が降るまではどこの家でも冬支度で何となく気忙しかったものだ。それが網走ではまだ残っていたのである。冬でも生鮮野菜が手に入る時代になっても、長く厳しい冬が近づくと何となく冬に備えなければという気持ちになって漬物を漬けようとするのだろうか。
 しかし府県ではいつのころからかそんなことがなくなってしまった。農家すら漬物を漬けなくなってきた。韓国でもキムチを漬ける家が最近少なくなっているという。そして買って食べる。
 スーパーに行けばいろいろな漬け物が季節を問わず並んでおり、好きなものを買って食べることができる。また同じたくあんでも加工会社によってそれぞれ味が違うので、そこから好きな味のものを買って食べればいい。しかもそこそこ味が良い。誰でも食べられるように癖のない味にしているからだ(私にはみんな甘すぎてだめだが)。
 漬物は家庭料理ではなくなってきた。そして漬け物加工会社の優等生の味に画一化されてしまった。多種多様な個性的な家庭の味、欠点はあるが何となく捨てがたい味がなくなりつつある。
 漬物ばかりではない。家庭料理から追い出されて商品化されてしまった料理が多々ある。それでも商品化して残ればまだいい。消えてしまったあるいは消えてしまいそうになっている伝統的な家庭料理も多いのではなかろうか。これは食文化の継承という面から大きな問題である。
 そしてこれは食文化の貧困化が進んでいることを示しているのではなかろうか。
 そういうと、そんなことはないだろう、かえって食は豊かになっているではないかと反論されるかもしれない。
 たしかにそうした面はある。餃子、キムチ、パスタ、ポトフ等々、中華料理はもちろんのこと韓国料理、イタリア料理、フランス料理など、世界の料理のうちのいくつかが食卓にのぼるようになっているからだ。しかも日本的な味付けをし、調理方法なども日本人に合うように適宜変えながら食べている。これはすばらしいことだ。さすが日本人とも思う。
 しかし、そのかわりに日本古来の食や家庭料理が消えていく。それでいいのだろうか。自分の国の食文化がなくなってどうして食文化は豊かになったなどといえるのだろうか。

 伝統料理といっても、そのなかにあまり食べたくないものがあるというお年寄りもある。たとえば「はっと」汁だ。貧しかった頃や戦時中が思い出されるし、しかもまずいものなど食べたくないというのである。これはいわゆる「すいとん」のことで、岩手から宮城にかけて「はっと」と呼ぶところがある(「ひっつみ」、「とってなげ」と呼ぶ地域もある)のだが、昔は米の代用食で、醤油も買えなくて塩味だったり、「はっと」以外だしじゃこしか入っていなかったりだったという。これではうまくないわけだ、
 また伝統食のなかには子どもがきらうものもある。やむを得ないかもしれない。苦かったり、固かったり、臭かったりなどの癖があって普通は食べないもの、あるいは残りものなどを、ともかく飢えをしのぐために工夫して何とか食べられるようにした料理のなかには、今食べたらこんなものを食べていたのかと思うものがあり、子どもたちが食べられないというのは当然であろう。
 こうしたなかで消えつつある伝統料理がある。
 しかしそうした問題を新しい調理方法を取り入れることで解決し、地域に残しているところもある。たとえばさきのすいとんに鶏肉などの肉を入れ、野菜などをたくさん入れて味をよくしているところもある。わが家では8月15日に必ずそうしたすいとんを食べる。戦時中のことを忘れないようにするためである。すると孫たちは、戦争中こんなにおいしいのを食べていたのと言いながら、喜んで食べる。
 宮城県栗駒町(現・栗原市)で農家の青年たちと飲んだときである。あちこちの店を飲み歩き、最後にラーメンを食べようと連れていかれた。出てきたラーメンを見て驚いた。麺が入っていない。そのかわりに「はっと」が入っている。肉の入っていないワンタンのように見えるが、はっとはまた独特の舌触り、歯触りである。だけどつゆ味はラーメンのようである。「この『はっと』を食べさせたかった、もう一つ、ここの美人のママさんを見せたかったのだ」と青年たちは笑っていたが、たしかにママさんは美人だったし、ラーメン味のはっとは本当においしかった。こうした新しい形になって伝統料理が残ることも当然あってしかるべきではないか。そしてそれをもっと普及させたらいいのではないか。そんなことを感じたのだか、仙台ではまだ「はっと(すいとん)ラーメン」を見たことがない。栗駒にはまだ残っているだろうか。

 秋になると仙台のスーパーでもきりたんぽセットが並ぶ。こうなったのはうれしいことだ。秋田のおいしい伝統料理を秋田人以外のものも交通費をかけないで家で食べられるようになったのである。
 しかしもう一方で、自分の生まれ育ったところの伝統料理をつくろうと思っても、その食材が店に並んでおらず、食べられない場合もある。大量流通にのらないような品目、全国流通にのらないような地域の伝統的な品目、少量しか売れないものなどが売られていないのである。しかもそうした性格をもつ食材は一般に伝統的な料理の食材である。農家は売れないからこうした食材を栽培しなくなる。こうして伝統料理が消えてしまった場合も多い。
 また、過疎化で伝統料理を引き継ぐ若者がいない、高齢化で料理をする人がいないというなかで、もう再現不可能な、幻となった料理も数多いのではなかろうか。
 さらには、女性の社会進出、核家族化、長時間労働、少子化、食農教育の弱さ等々からレトルト食品、冷凍食品、外食、中食などにたより、手間ひまのかかる伝統料理はもちろんのこと家庭料理すらしなくなっている。このまま行けば、全国流通に乗ったもの以外の各地の伝統料理は消えてしまうのではなかろうか。それどころか家庭料理すらなくなるのかもしれない。

 カレーライス、子どもにもっとも人気のある料理だそうである。私も好きだった。でも、私たちが子どものころはそれを「ライスカレー」と呼んだ。家庭でばかりでなく食堂でもそうだった。高校のころだったと思うが、ライスカレーはまちがいで、英語ではcurried riceというのだから正しくはカレーライスなのだと誰かから教わった記憶がある。ただしそれもまちがいで、curried riceはドライカレーのことであり、われわれのいうライスカレーはcurry and riceもしくはcurry with riceだったのだが、ともかく1960年代後半になってから(だと思うが)、どこの食堂でも「カレーライス」と呼ぶようになってきた。単により正しい呼び方に変わっただけだろうとそのころは特別何も感じなかった。
 しかしかなり後になって気が付いたことがある。ちょうどそのころからカレーの色が黄色から茶色に変わり、カレーの上に載っていた数粒のグリーンピースがなくなり、カレーにかけるウスターソースをおく食堂がなくなってきたことを。そこで考えた。ライスカレーの名前が変わったのではない、そもそもカレーライスとライスカレーは違うものと考えるべきではないのかと。
 つまりライスカレーとは、まず、ジャガイモやニンジン、タマネギ、肉などをカレールーで煮込んでつくったカレー汁の色が黄色である。ごはんの上にかけたそのカレーの上の真ん中辺にグリーンピースが数粒載せられて彩りが添えられ、真っ赤な福神漬けがわきに載せられ、その赤色が近くのご飯を染めている。そして、好みにもよるが、カレーの上にウスターソースをかけて食べる。こういうものなのである。食堂で出すのも家でつくるのもみんなそうだった。ただし家庭ではグリーンピースや福神漬けは省略されることが多かった。当時は高価だったからである。
 なぜライスカレーは黄色だったのだろうか。家内はカレー粉・小麦粉・バターの炒め方によるのではないかと言う。自分の家でルーをつくると炒める時間が少ないために黄色になるのではないかと。
 そのうちインスタントカレールウが家庭に普及して自分の家でルーをつくらなくなった。また食堂では大食品会社のつくる業務用カレールウを使うようになった。そのころからカレーが茶色になったのではなかったろうか。茶色になるとグリーンピースは彩りとして映えない。それで使わなくなったのだろう。また、こうした加工ルウはけっこういい味がついている。そうなるとソースなどかけなくてもよくなる。それでソースは使わなくなったのだろう。
 1950年代前半だったと思うのだが、友人からカレーにソースをかけて食べるのは田舎者なのだと教えられたことがある。その後、何という名前の映画だったか忘れたが、そこにそのようなことが出ていた。ある女性(女優は島崎雪子だったような気がする)がカレーにソースをかけて食べたら恋人に田舎者だと言われてふられてしまい、やけになってソースをたくさんかけて食べる場面があったのである。もしかするとこのように田舎者と言われるのがいやでかけなくなったのかななどと思ったこともあったが、ともかくソースをかけなくなった。
 かくしてカレーライスになった。こう考えているが、わが家ではまだ自家製のルーを使った黄色のライスカレーである。だから孫たちはそれを「おばあちゃんのカレー」と呼ぶ。
 なお、かつてソースといえば今でいうウスターソースを指していた。やはり60年代もおそくなってだと思うのだが、「とんかつソース」もしくは「ブルドックソース」とわれわれが呼んだ中濃ソースが普及するようになり、今はソースといえばそれを指すようになった。
 カレーライスになってから、つまり食品会社のつくるルーを使うようになってから、カレーはおいしくなった。その代わりに家庭により味が大きく違うということはあまりなくなった。

 加工食品会社や外食店などは料亭や料理店の味、一流の味の食べ物を提供するかもしれない。しかし、家庭の二流三流の味、欠点はあるけれど魅力のある味、家庭によりそれぞれ異なる多様な味、いわゆるお袋の味がなくなっていいのだろうか。家庭料理の復活、伝統料理の復活を可能にするような社会経済体制になってもらいたいものだ。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR