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農薬問題と消費者の誤解



              食をめぐる消費者と生産者の諸問題(2)

                 ☆農薬問題と消費者の誤解

 70年代末、ある集会で消費者代表がこう言った。最近旬(しゅん)の野菜がなくなった、そして味が薄くて栄養分のないハウス野菜を農家から高く買わされていると。
 それに対して私は前回述べたような内容の発言をして反論したのだが、ハウスものは栄養がない、味が薄いということに関してはそれが本当かどうかわからない、でも冬に新鮮な野菜を食べられずにビタミン不足になるよりましではないかとも言った。そして最後に、それでもやはりハウスはまちがいだというなら、消費者を説得してくれ、そして旬以外の時期の需要をなくし、旬のものを買うようにしてくれ、それなしに農家がつくるのはけしからんというのは身勝手というものだと。

 彼女はそのときこうも言った。
 農家は自分の家で食べるものには農薬をかけず、売り物には農薬をかける、農家は農薬の危険を知っているからだ、自分の安全しか考えない農家はけしからんと。これは有吉佐和子の『複合汚染』に書いてあったことの受け売りなのだろうが、これには頭にきた。
 まともに農業で生きていこうとしている農家は、そんな販売用と自家用とを区別して栽培するほどの時間的経済的なゆとりなどないからである。
 もちろん農家は消費者と同じものを食べない。消費者にはいいものを売り、その残りもの、形などが悪くて売れないものを食べているからである。しかしそれは同じ畑の同じ栽培方法でつくった生産物である。私の家でもそうだった。たとえばキュウリは売り物にならないヘボキュウリ、つまりひねこびて十分に大きくならない、あるいは大きく曲がっている、上と下の太さの異なる等々、要するにあまりおいしくないもの、見栄えの悪いもの、消費者が買ってくれないものを食べていた。他のものもそうで、前に述べたように米も二番米(註1)を食べ、おいしいものは販売した。
 もしも自給用と販売用と区別して栽培するなどという農家がいたとすれば、それはよほど暇な農家なのだろう。たとえば、経営の中核的担い手でなくなった年寄りが趣味的に自給用としてわずかの畑をやっている農家、兼業などで別に収入があって経営面積も少なく、金になろうとなるまいと遊び的にやっている農家であれば、分離栽培は可能だろう。そうした例外的な農家を大きく取り上げて他の多くの農家はすべて消費者にひどいことをやっている、ずるいなどというのは大きな誤りである。
 もちろん、化学肥料、農薬の多投には問題があるし、できるなら使わない方がいいことはいうまでもない。そして堆厩肥の投入が必要であることもいうまでもない。しかし、堆肥を使えば化学肥料や農薬は使わなくともすむなどという単純なものではない。収量低下、労働時間の増加、過重労働の復活を覚悟しなければならない。もう一度稲の三番草を泥の中をはいずりまわってやれというのか(註2)。一度自分で体験してみたらいい。それでもやれというなら、それに見合う経済的補償をしてくれるべきではないか。
 もしも本当に有機農業をいい、化学肥料、農薬を使うなというなら、そして堆肥投入等の資源循環型農業であるべきだなどというなら、自分の出した糞尿を田畑まで運んでくるべきである。それが本当のリサイクルなのである。
 また、トンボ、チョウチョがいなくなったのは、農家が農薬をまいたからだという。しかし、トンボ、チョウチョを住めなくしたのはまず都市である。都市住民が田畑や山野を宅地にし、小川をつぶしてみずからトンボなどを殺しておいて、なぜ農薬を使った農家を責めるのか。

 小さい頃、といってもいつの頃だったか正確な記憶はない。ある日のこと、家から50㍍くらい離れている畑の方から、父の大きな声が聞こえてきた。何事かと思って行ってみたら、畑の隣にある家の人と窓越しに何かやりあっている。そこは転勤族がよく引っ越してくるどこかの貸家で、時々住人が変わるのでつきあいはないが、そこの家の人が畑に散布した堆肥が臭いとか汚いとか文句を言ったので、父がそれに反論していたのである。都市近郊、後に流行った言葉で言えば混住化の進んでいる地域だけあってそうした問題がいろいろ起きていた。
 都市近郊だから漬物用の白菜などの注文(当時は個人の家で大量に漬けるのが普通だった)が消費者から直接あるので、秋になるとリヤカーか牛車でその消費者の家に持っていく。昔からのおとくいさんは別だが、紹介などされて新規に注文を受けた家に行くと、表面の葉っぱが汚れている、それをとって目方を量れとか、葉っぱに虫食いの痕があるとか文句をいう。
 1960年以前、仙台近郊のイチゴ栽培農家は季節になると自分の家をイチゴミルクの店にして食べさせてくれた。今はもう完全に町のなかになってなくなってしまったが、今日はイチゴミルクがあるということを知らせる目印に高い竹竿に赤い旗を立てていたものだった。山形ではそんなことがなかったので非常にめずらしく、友だちといっしょに食べに行ったものである。その畑の近くに家を建てたある教授がこういった。「あんなのは食べられませんよ、人糞尿をかけているのだから」。人糞尿が肥料としていかに重要かわからないのか、農学部の教授ともあろうものがよくそんなことをいうもんだと頭にきたが、消費者はみんなそんな風に考えていた。
 しかし不潔であろうと何であろうとともかくそれしかないから食べざるを得なかった。ところがそうしなくともよくなった。戦後になって化学肥料と農薬が大量に出回るようになったからである。
 それで、人糞尿はもちろん堆厩肥も入れるな、そして化学肥料と農薬で虫やばい菌のいない、汚れのない「清浄野菜」をつくって供給しろ、こう消費者は主張するようになった。
 ところがである。ある頃から、とくに有吉佐和子の著書『複合汚染』が公刊された頃からだと思うが、突然化学肥料はだめだ、農薬はだめだ、堆厩肥が必要だと言うようになってきた。とくに消費者団体のおばちゃんたちがヒステリックにそれを唱え始めるようになった。そして農家に来て堆肥を手に取り、においをかぎ、さらには舐めてみて、うんこれはいい堆肥だなどとわかったような顔をしてご託宣を並べるようになってきた。

 『複合汚染』が話題になった頃、家内が小松菜(だったと思う)の種を買ってきてプランターに植えた(私は、プロの農家のつくった野菜を買って食べようと言っているのだが)。やがて芽を出し、青々と育ってくるのを、毎日水やりをしながら楽しんでいた。やがてプランター一面がみずみずしい緑色で埋め尽くされるようになった。それで明日の朝採って食べようと家内は楽しみに寝た。
 翌朝庭に出て驚いた。あれほどあった葉っぱが一枚もない。プランターの土が黒々と見える。泥棒に盗まれたのかと思ったが、細い茎が少し残っており、そんな形跡はない。昨夜までのあの緑は何だったのだろうか。夢を見ていたのか。目を疑ったという。
 泥棒は泥棒でも、人間ではなかった。犯人は虫だった。土中や根際に隠れている夜盗虫(だと思う)がちょうどおいしくなったころを見計らって夜外にはい出してすべて食べてしまったのである。ともかく収穫皆無だった。
 それから家内は完全無農薬栽培をすべきだなどとは言わなくなった。

 80年代の終わり頃、仙台の地方紙『河北新報』が都市住民の要求ということで農薬の空中散布反対キャンペーンを大々的に展開した。私はそれにものすごい抵抗感を感じた。
 農家だって喜んで空中散布をしているわけではない。できるならそんなことはしたくない。健康にとっても問題があるし、カネもかかるのだ。だけどそうしないとやっていけないようにしたのは誰なのか。
 かつて消費者は、今述べたように「清浄野菜」などといって堆肥などを使わず農薬や化学肥料だけを使ったものを珍重し、堆肥を使う農家を汚い、臭いと悪口をいって侮蔑した。そこで農家は消費者の要求に応えて化学肥料と農薬を使った「清浄稲」を栽培した。ところがそれはだめだという。おかしいではないか。いまさら何が無農薬栽培か。
 そもそもそんなことをいえた義理か。空中散布は消費者の要求から出てきたものといえるからだ。政財界のいうことをそのまま受けとめ、日本の米価は高い、コストが高い、アメリカのように大規模経営でヘリコプターや飛行機を使って種蒔きや肥料、農薬の散布をやるようなすばらしい農業を日本でもやり、コスト低下せよといい、生産者米価引き下げを支持してきたではないか。その引き下げに対応するために、当面技術的に可能な防除だけでもアメリカと同様にヘリコプターを使用し、省力化、コスト低下を図ってきたのだ。まさに空中散布は消費者の理想とする稲作の要求に応えたものなのである。にもかかわらずなぜいまさらそれを拒否するのか。
 さらに次のことも考えなければならない。米価引き下げで農業で食えなくなるなかで農業労働力は流出し、高齢化が進み、きめの細かい管理による防除、集落ぐるみの共同防除もできなくなっており、それでやむを得ず空散(くうさん・空中散布の略称)をせざるを得なくなっていることである。米価引き下げに賛成して空散せざるを得ないようにした消費者にもその責任があるのである。
 こうしたことを忘れて農家はけしからん、空散やめよというのは消費者の身勝手というものであろう。
 この身勝手さは、都市近郊の住民により明確に現われる。以前から住んでいた住民がやっている空散を後からやってきた住民がやめろという。やめて稲作に被害が出た場合どうしてくれるのか。農家だけに犠牲を負わせるのか。収入を減らして農業をやれなくさせ、農家が農業で生きる権利を奪っていいのか。以前から住んでいた農家がいままでやってきたことをやめさせ、農業で生きていけなくさせて地域から追い出す権利が彼らにあるのか。アメリカ大陸に侵入してきた白人が先住権のあるインディアンの権利を奪い、住めなくさせて追い出すようなものではないか。いや、命にかかわる問題だから反対するのだというかもしれない。それならそんなところに田んぼや畑を潰して住居をかまえなければよかったのである。地価が安いからと自分が望んで田んぼの中に住宅を建てたのではなかったか。
 農家自らが空散をやめようというのはかまわない。また消費者が農家にお願いをするのならまだ許せる。しかし、農家を罪人のごとく、大企業の公害まき散らしに対するがごとく扱う住民運動やマスコミのキャンペーンは許せない。
 もちろん、空散は決していいと思わない。やめるべきだとも考えている。そして住民の要求が完全にまちがっているなどというつもりもない。ただしその要求は、自分の身勝手さを反省した上で、単なる権利要求としてではなく、農家の立場を考え、農業、農家をまもるという立場からなされるべきであろう。そして空散しなくともすむような米価の要求、農業労働力が流出しなくともすむ政策要求をともに行う。また、空散の代替をいっしょに考え、それに援助する。こうしたことを前提にして、自治体、農家、農協、非農家ともに話し合い、空散しなくともすむようにしていく必要があるのではなかろうか。
 こんなことを考えたものだった。

 1980年ころ、ある消費者団体の役員が農薬の散布をやめさせろと宮城県庁に交渉に来た。そのとき彼女らはある新聞を示した。それは九州の稲作に関する記事で、何回もの農薬散布で昆虫がいなくなっているという内容だった。そして言う、こんなに農薬をまくのはけしからんと。
 県庁の職員は答えた。九州と東北は違う。九州は南国なので虫が多く発生する。それで殺虫剤が何回も散布される。東北の場合はイモチ病が大問題なので、殺菌剤をまく。農薬の質が違うので、新聞の記事のような問題は東北では少ない。もちろん殺菌剤であろうとも農薬をまかないにこしたことはないので、その削減には努めると。
 そして彼は私に笑って言う。もっと勉強をしてからきてもらいたい、そしてこちらが勉強になって行政を変えるような交渉をしてもらいたいものだと。
 ともかく北国の東北の農薬散布量は少なくてすむのである(というと北海道からはうちはもっと少なくてすむといわれるかもしれないが)。
 秋田県若美町(現・男鹿市)、ここは前にも登場しているが(註3)、ここのメロン農家の組織が関東のあるメロン産地の視察に行った。この視察に同行した農協の営農部長が帰ってきてからこう言っていた。この産地と比べるとうちのメロンは無農薬メロンと言っていいと。
 それでふと思い出したことがある。この関東の産地の近くで肥料・農薬商をいとなんでいる大学時代の同級生が、うちの県のメロンは食べるなよ、おれがいろんな農薬を口先三寸で売って大量に使わせているのだからと笑いながら言っていたことである。もちろん半分は冗談だろうが、半分は本当だろう。ともかく暖地だから病害虫は多発する。どうしても多くの農薬を使わなければならないのである。
 これに対して、秋田は寒冷地、病害虫の発生は少ない。当然農薬の散布量はきわめて少ない。部長の言うように無農薬といっていいほどである。
 ここに自信をもち、それをさらに推し進めていく必要があるのだが、同時に東北の消費者も東北の生産物に誇りをもって地産地消を進めてもらいたいものである。

(註)
1.10年12月7日掲載・本稿第一部「☆米が食べられなかった稲作農家」(1段落)参照
2.10年12月11日掲載・本稿第一部「☆足踏み脱穀機止まりの機械化」(6段落)、
  10年12月17日掲載・本稿第一部「☆本格的な農作業と技能の伝承」(6段落)参照
3.11年7月29日掲載・本稿第二部「☆施設園芸の展開」(1段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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