Entries

産直、農薬と生産者のあり方


               食をめぐる消費者と生産者の諸問題(3)

                ☆産直、農薬と生産者のあり方

 地産地消といえば、ある婦人団体でやっている産直に参加している近所の奥さんがこんなことを言っていた。
 週3回市内の農家から産直野菜が届く。ある時期になると毎回毎回ホウレンソウだけがくる。またある時は毎回大根になる。その奥さんはいう、3週間も連日ホウレンソウを食べていると身体が青くなりそうだと。そう文句をいうと、旬のものだからそうなるのだ、それがいいのだとその婦人団体は説明する。
 これを聞いたとき、奥さんつまり消費者と、そういう野菜を届ける農家つまり生産者の双方に、文句を言いたくなった。
 まず消費者であるが、いまのようにハウスがなく、交通機関もないときは、それぞれの地域で季節に応じた野菜を毎日食べるのが普通だった。たとえば私の家でもキュウリの時期はキュウリだけ、ナスの最盛期はナスだけが野菜のおかずとして食卓にのぼった。もちろんそれでは飽きる。栄養も偏る。だから、そうならないように、お汁の実にしたり、おひたしにしたり、和え物にしたり、焼いたり、揚げたり、味付けを変えたり、他のものといっしょに煮たり、浅漬け、塩漬け、ぬか漬け、味噌漬け、粕漬け等々の多様な漬け物にしたりする等々、いろいろな調理方法を工夫して食べた。そういう工夫をする必要があるのではないか。それもしないで文句をいうのは農業の季節性というものを知らずにわがままを言っていることにしかならない。
 生産者に対してはこう言いたい。産直に甘えるなと。自分だって毎日毎日ホウレンソウだけ食べていたらいやにならないか。消費者の気持ちをなぜ考えないのか。しかも自分の家には畑がある。それを利用して多種多様な野菜をつくり、供給していく、そういう努力をどうしてしないのか。かつての触れ売り農家がそうだった。いろいろなものをつくって持っていった。需要のないものをつくったら売れずに持って帰らなければならないから、売れるものを、つまり消費者の気持ちを考えてつくった。ところが産直だったら必ず買ってもらえると甘えている。その根性が許せない。生産者としての誇りはないのか。

 同じこの団体から有機野菜だという大根をたまたま家内が買った。家に帰って輪切りにしたら中に鬆(す)が入っていた。文句を言ったら、農薬を使わない有機野菜だからだ、これは安心できる証拠だと答えたという。納得できない家内は、山形の私の生家に帰ったとき野菜作りのプロだった父に聞いた。そしたら父はそれは農薬の有無とは関係ない、土壌管理等の肥培管理の悪さからくるものだという。
 それで家内は怒る。農薬をかけない、化学肥料を入れないということは放っておけばいいということではないだろう。鬆(す)など入らないようにきちんと管理すべきではないか。それを有機栽培だからしかたないなどというのは、消費者をごまかしていることにしかならない。
 まったくその通りである。聞いた私も農民の血をひいているものとして頭に来た。消費者の無知、新興宗教的な有機農業崇拝に乗じて、買ってくれると思ってごまかして質の悪いものまで売る。有機農業だといえば何でも許されると思っている。その甘えが、根性がいやだ。
 そもそも、いかに虫が食わないようにするか、栄養分がいきわたるようにするかを考えて努力する、そして中も外もきちんとした野菜を出す、これが農民の心意気ではないか。そのために昔からずっと農家が努力してきたのではなかったか。そして誇りをもてないような生産物は売るのはもちろん、人にあげたりもしなかった。きちんとした野菜を食べてもらう、これが農民ではないか。昔もっていた農民の誇りはどこへ行ったのか。
 もちろんそれには手間がよけいかかり、経費がかかるだろう。そしたらその分だけ高い価格を要求すればいい。高くていやだという人は外国産の農薬漬けの野菜を買えばいいではないか。
 こんなことを考えている頃、空中散布反対キャンペーン、農薬散布に生産者はどう向き合うべきかに悩んでいた雑誌『家の光』の記者から農薬問題を農家はどう考えるべきかについて原稿を書いてくれとの依頼があった。そこで次のようなことを書いたが、それをそのままここに掲載してみる。

 「現在の技術水準のもとでは、農業生産の安定と品質の確保のために、農薬が必要不可欠であることはいうまでもありません。
 しかし、これまでの農薬散布のしかたでよかったのかどうかを、経営者という立場から改めて検討しなおしてみる必要があるのではないでしょうか。
 農業者が経営者であるかぎり、当然生産費用の低減、投入資材の節減に努めます。したがって農薬散布もできるかぎり控えるよう努力するはずです。しかし、これまでその努力をどれだけしてきたでしょうか。
 まず問題となるのは、大体この時期に病害虫が発生しやすいとなると、実際に発生するしないにかかわらず、ともかくその時期に一種の保険料として農薬を散布するという傾向がなかったかということです。つまりいわゆるカレンダー稲作になって、過剰散布になっていたのではないでしょうか。それどころか年によっては適期防除にならず、収量も落ちて、費用をかけただけ損ということになっていなかったでしょうか。
 次に問題となるのは、農薬がどの程度効果があるかを考えて散布していたかどうかということです。たしかに、農薬散布は病害虫の抑制効果があるし、それで収量がある程度上がるかもしれません。しかし、経営者として考えるべきことは、追加投入した農薬費に対してどれだけの追加収益が上がり、所得がどれだけ残るのかです。ところがこれまでは、ともかく最高の収量さえとればいいということで所得を考えずに農薬をかけてはいなかったでしょうか。そして、収量が絶対的に低下するぎりぎりまで農薬をかける傾向になっていなかったでしょうか。
 さらに経営者として考えるべきことは、生産の、また経営の持続です。そのためにはまず生産環境が維持保全されていなければなりません。たとえば水質が汚染したり、地球が温暖化したら生産は持続できなくなります。したがって経営者は当然生産環境の維持保全に努めることになります。実際にこれまで農業者は土地の保全や水質確保などに努め、その結果として国土・環境保全に大きな役割をはたしてきました。しかし近年の農業は地球環境破壊の加害者となっているのではないかということが問題となっています。ヨーロッパでの農薬、化学肥料等による地下水汚染などがその典型です。わが国の場合は、雨の多さ、水田のもつ浄化機能等でそれほど問題にはなってはいません。しかし、だからといって、このままでいいのでしょうか。自分で自分の首をしめることにならないでしょうか。生産環境の維持保全という視点から地球環境保全に配慮した農業を確立することが経営者として必要になってきていると思います。
 そしてそれは生産者の社会的責任でもあります。利益を得るためには、公害をたれながし、有害な商品を供給するのをものともしないような企業と同じであってはなりません。責任のもてる生産物を供給し、生産過程で環境を破壊するようなことのないようにすることは生産者の社会的責任です。
 また、労働者としての立場からは労働環境の問題として、生活者としての立場からは自らの食の安全、健康をまもる問題として、農薬散布等の資材投入をみなおすことも必要となるでしょう。
 こうしたことから考えると、去年の異常気象を契機に、これまでのスケジュール的農薬散布を見直すところが出てきていることは、大いに歓迎すべきことだと思います。
 これを機会に、改めてこれまでの農薬を始めとする資材投入のあり方を考え直し、低投入持続型農業、環境保全型農業の技術と経営の確立に自ら、また地域あげて取り組んでいくことが必要です。もちろんこの実現は容易なものではありません。しかもいま言われている低コスト農業と矛盾する面もあります。食の安全や環境保全には金や労力がかかるからです。したがって、よけいにかかった費用は公的あるいは消費者の負担でまかなうようにすること、新しい技術確立のための試験研究にさらに力を入れ、またきちんとした管理ができる労働力が確保し得る農業政策を展開すること等を要求していくことも必要となります。
 マスコミや消費者が騒ぐからその圧力に屈してやむを得ず農薬の空中散布をやめるというようなことであってはなりません。ましてや、ないものねだり的な、非科学的な、わがままな消費者の要求には、毅然とした態度で接すべきです。そして、輸入農産物にくらべて日本の農産物がいかに安全であり、日本農業をまもることがいかに大事であり、また消費者の協力も必要であること等を教育していくべきです。
 受け身ではなく、農業者として主体的に、新しい農業の確立に取り組むことがこれからの課題となるでしょう。」(註)

(註) 拙稿「生産者の立場から農薬問題を考えよう」、『家の光』1992年4月号所収
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR