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食への無関心と「わがまま」


               食をめぐる消費者と生産者の諸問題(5)

                   ☆食への無関心と「わがまま」

 20年くらい前、北里大学獣医畜産学部の大学院の集中講義を頼まれたときのことである。講義が終わった後みんなでいっしょに飲もうというということになって居酒屋に入り、院生の一人(院生としては珍しい「茶髪」だった)に適当に料理を注文してくれと頼んだ。そしたら彼は壁に貼ってあるメニューのすぐ前に行き、目を近づけて見ている。大きな字で書かれているのにかかわらずである。それで目がそんなに悪いのかと聞いた。すると彼は次のような話をしてくれた。
 3年前に大学の選択科目の海外農場実習で半年間アメリカに行った。考えていたのと違って、単なる労働者としていくつかの農場を回って働かされただけだったが、最初の農場では毎日毎日農薬散布をさせられた。2~3日たつうちめまいがするようになった。ともかく気分が悪い。農薬のせいではないかと心配になった。ちょうどその時、日本人が来たということを聞いた地域のロータリークラブがパーティに招待してくれた。そこで身体の具合の悪さを話したら、それはかわいそうだということになり、防毒マスクをつけて仕事をさせろと農場主に翌日交渉してくれた。そしたら後でマスクが支給された。これはこれでいいことなのだが、そんなに強い農薬を撒いて食の安全面でどうなのかという疑問をなぜそのロータリークラブの人たちがもたないのかが不思議となる。それはそれとして、ともかくそこでの実習、と言うより無償労働が終わり、別の農場に行った。おかげでめまいは治った。しかし視力がなくなってきた。それに加えて髪の毛が真っ赤になってきた。染めたわけでもないのにである。それで頭を刈ったら黒い髪が生えてきたので安心した。ところが1~2㌢伸びるとそこから上が赤くなってくる。それが何年経ってもなおらない。しかし下黒、上赤ではかっこわるい。それで生えぎわまで「茶髪」に染めているのだという。まさにこれは農薬による被害であり、そんな農薬漬けの農産物が日本に輸出され、それを日本の子どもたちが食べさせられているのかと思うとぞっとする。

 このような輸入農産物の危険性についてはさすがに親の世代の関心が高い。ある世論調査で、輸入食品で不安なこととして「残留農薬」、「食品添加物」、「遺伝子組み換え」をあげていたが、それはまったく正しい。
 ところが、年齢が若くなるにつれてこうした輸入食品の品質、安全性に関心をもたなくなる。とくに20歳代、また独身者がそうである。食料自給の必要性についてもあまり関心をもたない。そして輸入農産物を主原料とするファーストフード、インスタント食品、コンビニ弁当に頼る。アンケート調査でも、輸入食品を購入する回数が増えており、今後さらに増えるだろうと答えている。飽食時代、新栄養失調時代を子どもで過ごした若者は食に関心をもたないのである。
 それをとくに感じたのが、アメリカの牛のBSE問題である。本来からいえば消費者は吉野家などの牛丼を食べなくなるはずである。そして、今までなぜ危険な牛肉を我々に食わせてきたのか、なぜ安全な日本の牛肉を食べさせなかったのかと怒るはずである。ところが、輸入禁止で明日から食べられなくなるといったらずらっと店の前に並ぶ。そして早く輸入解禁してくれ、さびしいなどという。
 こうした消費者がいるから、政府とくに外務省はアメリカの圧力を簡単に受け入れ、全頭検査をやめてアメリカからの輸入を再開しようということになる。すると消費者は安い牛肉、安い牛丼が食べられるようになると歓迎する。報道機関はまたそれを大きく取り上げる。アメリカはそうした報道をもとにして消費者が要求しているのだから牛肉の輸入を全面解禁しろと言う。
 もちろん、こういう消費者が自分の責任で自分だけ食べるのならそれでもかまわない。未検査のアメリカ牛肉を食べてBSEにかかっても自分がそれを選んだのだから我々の知ったことではない。我々は検査済みの安全な国内産の牛を食べればいい。
 しかしこのように食に対する関心のない親に育てられ、アメリカ牛肉を食わされる子どもがかわいそうである。また、こうした親から学んであるいは親といっしょに輸入牛肉を食べてBSEになったらもっとかわいそうだ。よく消費者重視、消費者優先と言うが、このような消費者を重視し、そのわがままを優先させて聞いていたら子どもが大変なことになる。そのわがままが、消費者の間違った要求が、農業技術を、食の流通加工技術を歪め、食と農に関する政策をおかしくさせ、食の安全を始めとするさまざまな問題を引き起こす一因となってきたのである。

 ある宅急便のテレビコマーシャルで「あなたのわがまま運びます」というのがあった。いかに宅急便が利用者の要求に、つまりわがままに応えてきたか、そして便利にしてきたかを歴史的に追う、そして最後にいう、「日本のわがまま運びます」と。たしかに「わがまま」に応えてくれるなかで日本は便利になってきた。私もその便利さを利用している。しかし消費者の要求なるわがままに応えた結果が日本をだめにしている側面があることも忘れてはならない。
 たとえば消費者は、前々回述べたように清浄野菜を生産者に要求したり、と思うと突然無農薬無化学肥料を要求したりしてきた。また、見映えの良いものを要求し、季節にとらわれず年中食べたい、すぐ腐敗したり、悪くなったりしないようにしてほしいとも農業に要求した。さらに日本の農産物の価格は高すぎる、安くしろという要求をしてきた。
 流通・加工資本も、こうした消費者に売れるようにするために、また自らの利益のために、消費者の要求だとしてそれを農業側に強要した。たとえばスーパーマーケットは、季節を問わない定時・定量・定質の農産物出荷、貯蔵しやすい品目、品種を要求した。中小商店を駆逐するために、消費者がいつ来ても欲しいものが買えるようにあらゆるものを品揃えし、品質・規格もそろえ、毎日同じものをほぼ同じ価格で売り、また全国チェーンで量販しやすいように大量流通、大量販売で安く売ろうとした。一方外食産業は、毎日同じ料理をマニュアル通り出すことで不熟練労働化とコスト低下を図ろうとし、そのためにスーパーと同様に定時・定量・定質の農産物出荷を農業側に要求する。
 このような消費者の要求、その要求を増幅し、またそれを隠れ蓑にした流通・加工資本の要求は、当然のことながら、農業や農産加工に無理をかける。そもそも今言ったような要求は農業の性格、生物の性格からして無理な相談なのである。たとえば、消費者の好むような一定の質の規格品を、しかも季節を問わず毎日生産することなどは、工業製品のように簡単にできるわけはない。虫食いはいやだ、腐るのはいやだ、日持ちをよくしろといっても人力だけでそれを防ぐことはできない。また、安くしろといわれても自然条件の異なるアメリカや低賃金の途上国とは太刀打ちできない。つまり、このような消費者の要求は生産者のことを考えない、日本の地域性、作物や家畜の生理・生態を無視したわがままともいえる。ところが消費者はそれを市場を通じて、価格を通じて生産者側に強要する。
 当然のことながら、無理が通れば道理引っ込む。そして生産者は化学肥料、農薬をたくさん投入せざるを得なくなる。また露地栽培から施設栽培、さらには植物工場に移らざるを得なくなる。あるいは輸入飼料や抗生物質を用いて多頭飼育せざるを得なくなる。そればかりでなく、直接消費者に接する流通・加工資本も消費者の要求に直接応えて着色料、防腐剤、添加物などを使わざるを得なくなる。さらに彼らは安いものをいつでも欲しいという消費者の要求に応えるとして農産物の輸入を増加させる。その結果が食の安全問題である。さらに資源問題、環境問題である。こう見てみると消費者は自ら食の安全問題を始めとする諸問題を引き起こしているといえる。
 「あなたのわがまま届けます」、それは最終的には「あなたの命を届けます、届け先は地獄か極楽かどちらかになりますが」に行き着くのである。

 もちろん消費者の要求はすべて間違っているとか無視しろとかいうわけではない。たとえば、すぐ腐ったり、悪くなったりしては中毒を起こしたり、無駄に捨てたりしなければならなくなるので、できるだけ保存できるようにしたいと要求するのは当たり前のことである。また、積雪寒冷地帯で冬も生鮮野菜が食べたいというのも当然である。こうした要求にいかに応えていくかは生産者、技術者の課題であり、そのための技術革新を図っていくことはきわめて重要である。しかし、消費者の要求がすべて正しいとは限らないし、たとえ正しいとしてもそれが集まればかえって間違いとなる場合もあることに注意しなければならない。次回は一例をあげてそれを考えてみることにする。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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