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食の安全と生協



            食をめぐる消費者と生産者の諸問題(9)

                ☆食の安全と生協

 08年の正月明け、生協から購入した「CO・OP手作り餃子」を千葉の母子が食べて中毒を起こし、その餃子のなかにメタミドホスが検出され、それ以外にも生協取り扱いの冷凍食品に毒物が混入もしくは付着していたことが大きな問題となった。そしてそれは生協が委託して中国でつくらせたものだった。
 この事件に対する生協の対処の仕方、その不手際がマスコミ等で大きな問題となった。そして生協上層部は危機管理のあり方に問題があったと陳謝した。
 しかし本質はそこにあるのではない。役職員全員の協同組合精神が薄れていること、「よりよき生活と平和のために」という目標が消え去っているところに問題の本質があるのではなかろうか。
 たとえば「手作り」と聞くと国内のどこかの工場で従業員の方が本当に手で包んだものだろうと考えてしまう。ところが実際はそうではない。これでは組合員をごまかしていることになる。そういうと、ごまかしているわけではない、裏に原産地中国と書いてある、それを見ない組合員が悪いと言われるかもしれない。しかし袋の「手作り」をぱっと見たら国内産だろうとどうしても考えてしまう。こうした錯覚が生まれるようにしておいて、つまり錯覚を利用して売り込む、きわめて悪質な商法だとしか言いようがない。また、たとえ中国産であることがわかってもCO・OPの名前が入っている、食の安全と言うことから始まった生協である、他のスーパーなどとは違うはずで安全だと思ってしまう。この錯覚を利用してCO・OPの名前をつけて売る。しかし検査もろくにしないでただ名前をつけるだけで何がCO・OP商品なのか。これも悪質な錯覚商法ではないか。
 協同組合の先駆者であるロッチデールの組合は品質の純良と量目の正確について公正に取り扱うことを原則の一つとしたのだが、これではこの「公正取引の原則」についてきちんと役職員全体が勉強し、それを実践しているとは思えない。
 これは20年くらい前の話だが、ある生協が農協と減農薬の協定を結んだところ、本当に農薬を撒かなかったかどうか生協組合員が生産者の畑に毎週一回監視に来たという。大企業に対してなら監視もわかるが、なぜ農家にこんな傲慢な態度をとるのか。こんなことまでした生協がどうして中国の餃子には監視に行かなかったのか。
 そもそも中国に原料を求め、そこで加工させること自体が問題である。加工農産物の輸入が国内の農産物の価格を引き下げ、農業の衰退を引き起こしているのだが、それに生協が拍車をかけていいのだろうか。
 安全でさえあれば外国産でもいいのだろうか(その安全にも疑問符がついたわけだが)。外国の少ない水を農産物に入れて輸入し、さらにその運搬で石油をたくさん燃やすなどして環境を破壊していいのだろうか。
 消費者が安いものを求めているからやむを得ないというかもしれない。しかし消費者の要求であればまちがった要求にも応えるということでいいのか。日本の農家のつくったものを食べよう、そして自給率を高めて行こう、さらにはそれでもって環境をまもろうときちんと教育していくことこそが必要なのではなかろうか。それでも安いのが欲しい、外国産でもいいという組合員がいれば、その品物のもつ問題点をきちんと指摘した上で、それでも欲しいという組合員もいるのでやむを得ず店舗におく、できれば高くとも安全な国産のものを購入しよう、そして日本農業を支えていこう、こういうことを商品棚に書いておくべきなのである。
 食糧自給率の向上、日本農業の発展を言っていた生協はどこへ行ってしまったのか。安ければいいということで外国から輸入する、そして工場を海外につくる、こうして経済の空洞化を進め、また日本農業を崩壊させる、こうした大資本と同じ行動を生協がとっている。中国産餃子問題はこうしたことを表面化させたのだが、こんなことでいいのだろうか。

 今から十数年前だったと思うが、東北のある酪農協の工場が牛乳の不正表示事件を起こした。これが大問題となり、そこと取引している生協もその仕入れを止めた。これは当然のことである。生協が不正表示の牛乳を売るわけにはいかないからである。問題はそのときの仕入れ担当の職員のマスコミへの発言とその後の対応である。ともかくけしからんと大きな声で非難する。そして他のスーパーと同じように取引を完全にやめてしまった。
 それを聞いたとき非常に不愉快になった。間違いをおかした相手は同じ協同組合の仲間である。それをなぜ一般の営利企業と同じように非難するのか。しかもその酪農協は、生協がまだできたばかりで弱体の頃、牛乳を供給し続けてくれたところである。他の大乳業メーカーが12円で牛乳を売っているとき、10円牛乳として生協に供給し、それが組合員の拡大に大きな力を発揮した。その恩義を忘れたのか。いつからそんなに偉くなって威張るようになったのか。
 本来なら生協は、単に非難するだけではなく、不公正な取引を深く自己批判し、改めて品質とか量目について公正に取り扱うという原則に立ち返ってもらいたいと、同じ協同組合の仲間として忠告、助言するという態度をとるべきではなかろうか。そしてもしも問題点を改善したなら、生協は酪農協といっしょに組合員に謝りながらもう一度買ってもらうように努力し、その立ち直りを援助する、こうしたことがあってしかるべきではなかろうか。
 しかしそうはしなかった。結局その酪農協は潰れてしまい、よそに吸収合併されてしまった。
 これが協同組合といえるだろうか。弱いもの同士助け合うという姿勢、協同組合間協同はどこに行ったのだろうか。
 ちょうどそのころだったと思う。O-157による食中毒が発生し、その感染源はカイワレ大根だと騒がれた事件が起きた。即座に生協はカイワレ大根の取り扱いを全面停止した。しかし、感染源として問題になったのは大阪の一生産者の生産物である。生協が仕入れている生産者の生産したものではない。そもそもカイワレ大根が原因であったかどうかという問題もある。ところが、ヒステリックに即日全面販売停止にする。売れないから取り扱い量を減らすというのならわかるが、店頭からすべて追放する。それをマスコミが大々的に報道する。消費者はますますパニック状態になり、カイワレをまったく買わなくなる。こうして消費者パニックをある意味で煽り、とくに悪いこともしていない生産者を倒産寸前に追い込む一役を買う。科学的な立場に立つべき生協がこんなことでいいのだろうか。
 そんな不満を私が強くもったころ、それは生協がかなり強大になったころのことであるが、そのころからどうも生協がおかしくなっている感じがする。

 いつのころからだろうか、急に消費者が威張り始めるようになった。消費者は神様だとか王様だとかいわれるようになってからであろうが、ともかく偉くなった。そして生協は傲慢になった。生産者は、農家は、自分たち消費者に尽くすべきものであると王様のような態度をとるようになった。
 生協はそうした逆転したいまの社会をただしていく役割、狂気の社会のなかに正気の島をつくっていく役割をもっていたのではなかったか。
 かつて威張っていた王様はブルジョア革命で潰された。いまの王様の消費者も威張っているといつかはしっぺ返しを喰らうことになるだろう。

 この餃子事件を契機に生協を脱退する組合員がかなり出てきたという。私も頭にきた。しかし私は批判はするけれどもやめない。酪農協に対して生協がやったように取引停止をしたりはしない。この誤りを契機に、改めて協同組合としてのあり方を考え直し、原点に帰って本来の運動体、組織体としての生協に戻る、そうした自浄能力を生協はまだもっていると思うからだ。今後に期待したいものである。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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