Entries

住の機能性と景観


               農村景観と自然保護をめぐる諸問題(1)

                  ☆住の機能性と景観

 山形の冬の朝、朝食の準備で戸棚を開ける。なかに昨夜醤油で煮付けたカレイが一皿残っている。カレイのまわりには煮こごりができている。そういえば今朝は寒かったな、それで煮汁が固まったのだなどと思いながら、箸か匙ですくって煮こごりを口の中に入れる。ゼリーのように固まった煮こごりが舌の上に冷たくやわらかくのっかる。少しずつしみるように溶け出し、いい味が口の中に広がる。
 うまい、でもそれは味見程度にして食べずに残す。ごはんにかけて食べるためである。熱々のご飯に煮こごりをのせる、溶け始めた煮こごりが熱々の白いご飯を赤く染める、全部溶けないうちにそれをあわてて口に入れ、熱さと冷たさの混じった食感と味とを楽しむ。
 子どものころ、朝の寒さはつらいけど、これは楽しみだった。山形よりは暖かい仙台でもたまにこうした煮こごりができ、おいしく食べたものだった。やはり部屋は冷蔵庫並みに寒かったからである。
 しかし、今は煮こごりなどはほとんど見られなくなった。家が新改築されて外の寒さが直接入ってこなくなり、暖房も整備されてきたからである。だから若い人たちに煮こごりなどといってもわからなくなった。住の変化が食を変えたと言えるのかもしれない。もちろんそれぞれ独自に変わってきたのだが。

 食が変わったように住も変わった。農村では茅葺き、藁葺きの家などほとんどなくなってしまった。都会と同じような、住宅メーカーの宣伝にあるような住宅が並ぶようになり、かつての農村集落の景観はなくなってしまった。
 これに対して、古いものをこわすな、機能性だけを重視するな、農村景観をまもれというような声がとくに建築家の間から出ている。
 たしかにそれはわかる。私もたとえば茅葺きの家のある風景は残したい。山形から鶴岡に抜ける六十里越街道(国道112号線)の湯殿山近くに多層民家が残っている田麦俣という集落があるが、いま残っている家は数少ない。何でもう少し残さなかったのかと思う。もちろんこうした茅葺きの家に住む人たちだってできれば残したいし、残したかっただろう。ただしそのままではきわめて不便であり、住みにくい。たとえば冬は寒い。いまは石油やガス、電気で暖房ができるので茅葺きの家でもかつてのような寒い思いはしなくともすむが、それにしても天井の高い部屋はなかなか暖まらず、暖房費はべらぼうにかかる。やはり現代の住生活の利便性、快適性の恩恵を受けたい。そうしなければ都会から嫁にも来ない。
 しかも維持・保全にはカネがかかる。土や石ではなく木や草でつくったものであり、しかも湿気の多い風土のもとでは腐りやすいからである。当然その維持、補修には多くの人手と資材がかかる。さらに職人と地域の人々の経験に裏付けられた技術と技能、協同労働が必要である。そればかりではない。萱刈り場などの保全も必要とされる。こうしたものが保証されない限り、茅葺きを解体し、現代風に建て替えようとするのは当然のことであろう。これを責める権利はわれわれにはもちろん、建築家にもない。
 もし残そうとするなら、技術や地域の協同の伝承や資金に対する支援を充実し、茅葺きの家に住む人々が現代の住生活の恩恵を受けられるようにする工夫改良、たとえば内部構造を住みやすく一部改良するとか、もしくは茅葺きの家とマッチするような現代建築の別棟を建て、現代の生活の利便・快適を享受できるようにするとかが必要となる。あるいは公的資金で買い取って保存することも考えるべきだろう。こうした支援をしなかったことが問題なのであって、それを言わないですぐに「昔のことをすぐ捨ててしまう日本人」などと悪口をいうのはいかがなものか。
 観光地化されたところ、たとえば岐阜県の白川郷のようなところは、それなりの公的な援助があり、また観光客がきて金を落としていってくれる。それで景観は残る。しかしそうした観光客もこないところ、ぽつりぽつりしか茅葺き屋根の家が残っていなくて公的支援もないところ(白川郷のすぐ近くにもあるし、東北にも多い)では、どんどんこわされている。
 よく世界に誇る日本の木造建築というが、有名寺社や多層民家のみでなく、一般の民家も残すような政策こそ大事なのではなかろうか。それも移築保存ではなく、その地域に残していくことを考えなければならない。家というものは地域の風土に合わせてつくられたものだからである。

 景観問題等について建築関係の人の話を聴くことがある。彼らの大半は、ヨーロッパの古い街並みや公園をスライド等で見せる。そして言う、いかにヨーロッパはきれいか、何百年にもなる古い建物をいかに大事にしているか、それに対し日本は古い街並みを大事にせず、すぐにこわして、美観を損ねるような不揃いの街並みをつくる、いかに日本人はだめかということを延々としゃべる。
 北海道に来てもそういうことを言う。しかし、開拓当初の百年も前の北海道の掘っ立て小屋を、それで構成される街並みを残しておくべきだったというのだろうか。都府県だって同じだ。窓も少なくて薄暗く、寒い家を残し、そこに住むべきだと言うのだろうか。
 もちろん、古いものは大事にはしたい。開拓当初の街並みだって残しておきたい。しかし、そこに住む人のことを考える必要がある。もしも残せと言うなら住む人の利便性を確保しつついかに古いものを残していくかという具体的な提案をすべきである。またそうすれば余分な金がかかるかもしれないのでそれに対する公的な支援制度をつくるべきでもある。しかし、私に言わせるとそもそも北海道におけるかつての農村景観の再生などというのはあり得ない。かつての開拓集落は史跡として別途保存するとか、開拓記念公園などをつくってそこで展示するとかしかないのである。
 またこんなことはいうまでもないだろうが、日本の木の建物とヨーロッパの土・石の建物との相違も考えなければならないだろう。いうまでもなく木造の建物は残しにくい。江戸の大火を考えればよくわかるだろう。残したくとも残せない。そうした欠陥はあっても木造は日本の湿った風土に適するし、日本には木が豊富にある。そこでしょっちゅう建て替えることになる。かつての景観はそれで消える。これに対して土・石でつくった欧米の建物は残りやすい。残そうという特別な意識がなくとも残る。こわすのも木造と違って大変なのでそのままとなる。その結果として古い景観が残っているだけなのではないか。欧米の人たちの意識が特別高いわけでも何でもないのである。
 このように住にも地域性がある。たとえば北海道ではほとんどの家が通りに面して車庫を建てている。これがいかに美観を損ねているかという話を建築関係のある学者がしていた。たしかに景観はよくない。表に面した車庫のために庭も不整形となり、狭く見える。ガソリン代と時間の節約からそうしているのだろう、さすが美観よりも経済合理性を考える北海道人だ、最初はこう考えた。しかしそうではなかった。そうしないと冬をこせないのである。車庫が屋敷の奥になどあったら、冬の雪かきが大変になるからである。除雪される道路に直接面していないと、車が出られなくなる。私が網走で借りた家も府県の人が設計したためにそうなっていて、大変な目にあった。それにはそれなりの理由があるのだ。
 もちろんそうではあってももう少し美観を考えた車庫であって欲しいとは考える。あまりにも利便性、機能性のみ追求しているからである。しかし機能性はやはり重視しなければならない。それと景観を調和させていく必要がある。もう少し工夫し、街作りの一環として行政などが考える必要があるのではなかろうか。ただしそうするには金がかかるだろう。
 家の新築、増改築にさいして日本の木で作った家を建てたいと思う人がかなりあるはずである。環境問題を考えた建物にしたいと思う人もいよう。周辺の景観なども考えて建てられればそれにこしたことはない。しかしそれにはべらぼうな金がかかる。量産される住宅メーカーの外材とセメント、石油産品でできたパターン住宅にでもしなければ一般庶民は家を建てられない。こうした問題の解決なくして日本人はだめだというのはおかしいのではなかろうか。

 羽黒山の杉木立の中の長い長い階段を上り詰めていくと、左手に庄内平野が一望できるところがある。一面の田んぼの緑の中に集落がぽつりぽつりと浮かぶ。緑の田んぼは海のように見え、密集している家々や神社等の木々の濃い緑でできている集落はそこに浮かぶ島のように見える。『陸の松島』とも呼ぶのだそうで、本当に見事である。同じ山形の米沢盆地を見て「エデンの園」「アジアのアルカディア(桃源郷)」だと絶賛したイザベラ・バード(註)にこの景色を見せたら、何と表現しただろうか(残念なことに彼女は庄内を通らずに山形内陸から秋田に直行している)。
 これと対照的なのが、米沢盆地にある飯豊町だ。山から見下ろすと、田んぼのなかに農家がぽつんぽつんと点のように散在している。庄内のように家々が集落のなかにまとまっていない。つまり密居集落ではなくて散居集落である。
 岩手県の胆沢町(現・奥州市)もそうだ。飛行機で岩手県上空に入ると、ここは胆沢の上空だと言うことがすぐわかる。奥羽山脈の方から三角州のように水田が広がり、そこに点々と緑に囲まれた屋根が散らばって見え、典型的な散居村だということがわかる。
 この景色もまた見事である。散居村というと富山の砺波平野が有名だが、東北にもあちこちにある。
 いうまでもなく、この見事な景観をつくるために農家は密居、散居にしたわけではない。地域の自然条件、農地の開拓や集落の形成の歴史により規定されてそうなったものである。つまりその地域の自然条件や開拓当初の技術水準等々に規定されながらもっとも機能的につくられたものなのである。そしてそれが見事な農村景観をつくりだしている。
 しかしその景観、それを形成している農家の住宅、また集落は、その当時の生産、生活の条件に合わせてつくられたものであり、生産や生活のしかたが変われば変わってしかるべきものである。また新しい施設も建てなければならない。ところがそれが問題だという人がいる。

 農業における最近の機能性の追求が農村景観をこわしている、ある建築学者がこういう。その例としてカントリーエレベーターをあげる。機能性のみを考えた灰色のコンクリートの建物、景観とは異質な建物を緑のなかにどんと建てるとは何事かと。
 そして機能性は別としてたとえばこんなふうにしたらどうかとデッサンを見せてくれた。黄色の大きな太い管をぐにゃぐにゃとねじ曲げて組み合わせたもの(これがカントリーだという)が緑の水田と濃緑の山麓を背景に建てられている。もしかするとこの建物、構図は芸術性が高いのかもしれない。しかし私のようなセンスのないものにはその建物はグロテスクにしか見えない。背景の農村風景とも決して調和しているとは思えない。
 たしかにいまのカントリーは姿形はよくない。しかしそれは機能性の追求と言うより予算の関係からくるものであり、農家や農協、行政のセンスではない。したがってもう少し予算を増やして景観に配慮するような建物にすべきであるとは考える。しかしそのさい考えなければならないのは、有名な建築家などにその設計を頼まないことだ。金がかかる上に自分の趣味をおしつけて景観をかえって悪くしたり、機能性をなくしたりしてしまう危険性があるからだ。
 そもそも機能性の追求は景観をこわすという考え方がおかしい。機能性の追求、たとえばむだなものを徹底して排除するということが簡潔の美をもたらすこともあるのだ。
 かの有名な白川郷の建物だってその通りだ。美しさをねらって意図してつくられたものではないし、おかみの決めた基準などに沿ってつくられたわけでもない。当時の建築技術、地域の生産と生活の水準と様式に対応して機能性を追求していく中で必然的に、自然のうちに統一され、すばらしい景観を形成しているのである。
 また北海道の雄大な田畑の景観も基盤整備による機能性の追求がつくりだしていることも忘れてはならない。
(次回掲載は7日とさせていただく)

(註)
11年6月8日掲載・本稿第二部「☆まだ悪かった生活環境」(最終段落)参照
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR