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地域住民の暮らしと自然保護運動



              農村景観と自然保護をめぐる諸問題(4)

               ☆地域住民の暮らしと自然保護運動

 青森県三沢市、これまで何回も取り上げてきたところだが(註)、ここで言いたいことをより明確にするために、繰り返しになるところもあるけれども、もう一度その農業の変化を簡単に述べさせてもらう。
 三沢市は典型的なヤマセ地帯にあり、繰り返し冷害にあってきた。したがってかつては水田が少なく、畑作中心の経営をいとなみ、それに馬産を結びつけていた。
 戦後馬産は衰退したが、畑作振興政策に沿って麦・大豆・ナタネ・ジャガイモ等に力を入れた。しかしこうした作物は外国からの輸入で価格が低下し、経営が成り立たなくなってきた。
 そのときに行政から勧められたのが酪農と結びつけたビート栽培だった。ビートは砂糖の原料として売れるし、その絞り粕と茎葉は乳牛の飼料となって収入を増やす。一挙両得ということで農家もそれに取り組んだ。病害虫の発生等でかなり苦労したがようやく定着させた。
 ところが、砂糖の輸入自由化で近くの製糖工場が1966年閉鎖され、ビートも酪農もやめざるを得なくなった。
 すると今度は開田を勧められた。当時は米価が上昇していたし、寒冷地稲作技術の向上で安定多収が可能になっていたので農家はそれに飛び付いた。そして政府の補助や融資、あるいは自費で畑や原野を一斉に水田にした。
 ところが1970年から減反政策が展開される。また80年代には厳しい冷害に見舞われる。農家経済は大きな打撃を受けた。
 これだけを見てもわかるように、三沢市の農家はまさに農政に振り回されてきたといえよう。それでも農家はこうした状況から脱却すべく努力し、いまはナガイモ等の根菜類の産地として名声を馳せるようになっている。

 この三沢市に仏沼という干拓地がある。69年から71年にかけて国営事業で沼地250㌶が開田されたのだが、減反政策でここでの米の作付けは禁止された。しかし転作しようにも地下水位が高くてできない。約25㌶を放牧地として利用するのがせいいっぱいだった。それでもいつかは米がつくれる日がくるかもしれないと、金と労力をかけて排水機を動かし、水路を整備してきた。放置しておけばもとの沼地に戻ってしまうからである。また干拓と農地整備の負担金も返済してきた。収入はまったく入らないのにである。
 そうこうしているうちにこの干拓地に萱(かや)が生えてきた。そこで毎年春になると農家全員出役して野焼きをし、これ以上荒れないようにしてきた。
 その萱原でオウセッカという渡り鳥を「発見」したと野鳥の会が騒ぎ始めた。地元の人たちはどんな鳥かと思ってよくみてみた。何のことはない、カヤモグリと呼んでいた鳥で沼のほとりの萱の生えているところに昔からいたものだった。ただ、かつての沼地をポンプアップで一定の地下水位に維持して湿性植物を発生させてきたためにそこに多く住みつき、目立つようになったらしい。
 いうまでもなく、このような干拓地からは金がまったく入らない。こんな無収入の干拓地の維持のためにいつまでもカネをかけて維持するのは大変だし、だからといって米をめぐる厳しい状況のもとで水田として活用するのはもはや無理である。そこで農家は、改めて土地改良をして市営放牧場として活用することを市に要望することにした。飼料不足、家畜の運動場不足で困っている畜産農家も多いし、畜産振興は厩肥の供給源として畑作産地の維持、発展にとっても不可欠だからである。市も地域農業振興のために仏沼の土地を活用しようということになった。 
 ところがそれに対して野鳥の会が反対運動を始めた。そしてオウセッカをまもれ、仏沼湿原をまもれ、自然をまもれというキャペーンを展開してマスコミを動かし、さらに進んで仏沼を「オウセッカの村」にしよう、そのために土地を買おうと全国的な募金運動まで始めた。
 当然、農家は怒った。何の断りもなしに自分たちの土地を「オウセッカの村」にするとは、勝手に入り込んで看板をたてたりするとは何ごとかと。そもそも「湿原」とは何ごとか。ここは自分たちがカネを払って維持している「干拓地」だ。排水機を動かし、水路を毎年整備しているから湿原状態になっているだけでしかない。自然をまもれというが、自然のままにしておいたらもとの沼地に戻り、オウセッカは少なくなる。何もしないで、金もださないでオウセッカをまもれとは何事か。畜産振興を阻害し、地元で暮らせないようにして過疎化を進め、都市の過密化をもたらして、自然はまもれるのか。日本の畜産を衰退させ、外国からの畜産物や飼料の輸入を増やして、輸出国の地力喪失や砂漠化、日本の河川や海洋等の富栄養化をもたらし、地球環境を破壊していいのかと。
 県と市は、こうした対立を解消して放牧場を建設すべく、環境アセスメント委員会を設置した。そして調査したところ、放牧地にしているところでもオウセッカは産卵営巣しており、畜産と野鳥は敵対するものではないことがわかった。そこで、農家が要求していた放牧場の面積を少し減らすなどの犠牲を農家に負ってもらい、牛も野鳥も共生でき、環境と人間の共生を教育する環境教育牧場にすることを提案した。ところがそれにも野鳥の会は反対した。自分たちの代表も委員会に入って決定したにもかかわらずである。それで建設はなかなか進まなかった。
 これまでは農政に振り回され、いままた自然保護団体に振り回される。農家としてはたまったものではない。しかし、話し合いを繰り返して、ようやくほぼ委員会の提案通りとなった。
 この委員会に参加しながら考えた。
 この自然保護団体と同様のことを我々先進国なるものが開発途上国にしていないだろうか。かつては植民地的収奪で苦しめ、そこから脱却すべく開発を進めようとすると、先進国は開発援助で環境破壊を進め、最近ではそれと逆に環境保全、自然保護という美名で開発を抑えこもうとする。そこに住む人々の暮らしを考えた自然保護・環境保全と開発、そのための援助を進めていくことこそ、いま必要とされているのではなかろうかと。

 自然保護運動は資源・環境の保全に大きな役割を果たしてきた。そしてその運動を今後とも発展させていかなければならない。しかしそれは行き過ぎてはならない。 
 まず考えなければならないのは、何もかも野生の自然のままに残すのがいい、自然が変わらなければいいというものではないことである。たとえば河川の改修なしには洪水や渇水などが起きてしまう。一定の自然の変更なくして、あるいは自然を利用することなくして人間は豊かに生きていくことができないのである。人間は人間になった時から自然の生態系を変えてきたし、いま存在する自然もすでに人間の存在で影響を受け、変えられている自然なのである。
 またこうした一定の人間の管理、自然の変更により、自然が保護される場合もあることを見落としてはならない。たとえば湖沼等の水質を浄化するといわれている葦は放置しておくと枯渇するが、毎年人間が刈り取ることにより復活する。つまり自然を人間が活用することにより自然がまもられるのである。
 そして自然と人間が共同してつくりあげた旧来とは異なる新しい豊かな自然もある。 
 雑木林がその典型例である。それは人間がつくりだしたものであり、人の手が入ることにより維持されてきた。すなわちそもそも自然林であったものが、薪や炭として10~15年サイクルで伐採され、そこに再び草木が芽生え、成長する、それがまた薪炭源として利用され、さらにそこの落ち葉や下草が焚き付けや堆肥として利用される、こうした過程を経て雑木林となったのである。そしてそれはクヌギやコナラ等を中心に自然林にはない多様な生物相をもっており、自然林にはない景観をかたちづくる。しかし、もしもそれを利用せずに放置しておけば雑木林は荒れ、すべてがブナの単純な極相林になってしまい、生物の多様性も失われる。そして山火事を待たなければ雑木林はできなくなる。近年の山村の過疎化やいわゆるエネルギー革命で雑木林に人手が入らないようになるなかで現にそうした状況が生まれている。単純に人手さえ入らなければ自然がまもられるなどというのはきわめて単純な考え方であり、人手が入らなくなっている現状こそが問題なのである。
 また、植林つまり人工林は自然をこわすものとして反対している人もいるが、これにも問題がある。
 彼らは次のように言う。スギやヒノキの植林とその下草刈りの結果、他の樹種が入り込む余地がなくなり、しかもそこには光が入り込めないので、植物や鳥、昆虫の種類が少なくなる。さらに土壌がやせ、台風や大雪で根こそぎ倒れ、大きな被害が引き起こされる。画一化された単純な林はもろい。これに対し、広葉樹林は肥えた土壌と保水力に富み、自然の猛威にも耐える力をもつ。そして多くの種類の植物が季節ごとにすみ分け、多種多様な植物や動物たちを育む。こうした広葉樹林を切り倒して植林するのに反対するのだと。
 たしかにそうした一面はある。しかし、だからといって植林をやめ、すべて広葉樹にしたら建築用材はどうなるのか。家はもう建てるなというのか。そういうわけにはいくまい。そうなれば外国から建築用材を輸入するより他なくなる。それは輸出国の林野を荒らし、資源を枯渇させ、さらには地球環境を破壊する。自分の国の環境はまもらなければならないが、他の国や地球はどうでもいいのか。
 さらに、植林なしで、すべて広葉樹林にして、山間地域の人が生きていけるかということも考えなければならない。現状では低価格の広葉樹に依存しては生活できない。つまり植林とその伐採なしでは地域外に流出するより他ない。こうして過疎化が進んで山の管理がなされなくなり、かえって環境が悪化することこそ問題なのではなかろうか。現に材木の輸入で過疎化が進み、植林地の間伐などの管理がなされなくなっている、ここにこそ問題があるのではなかろうか。
 もちろん、従来の植林一辺倒に問題があることは認める。そしてすべて針葉樹にしろなどというつもりもない。広葉樹と針葉樹のバランスのとれた林野の利用を図り、山間部でもその地域に住む人達が生きていけるようにし、雑木林が残るような管理をしてもらうことこそ必要なのではなかろうか。ところが単純な自然保護運動はこうしたことを忘れる。そして地域に住む人のことを考えない。
 森林伐採反対運動などはその一例である。もしもその運動がそこに住む人々の要求であるなら問題はない。しかし伐採が地域住民の生きるための要求である場合もある。たとえば他産業への就業機会のない山村住民がその地域で生きていくために森林を伐採したいという場合がある。そうしたときに自然保護団体がきて反対する。伐採も林道も、害獣駆除もだめだという。それではその地域住民はどうやって生きていけばいいのか。貧しくても我慢してそこで暮らせというのか。自分が緑が必要だと思えば他人はどうなってもかまわないのか。自らは都市に住んで緑や自然を破壊しておきながら、他人の犠牲において他にそれを求めるのは都市住民のエゴイズム以外の何物でもない。 
 いや国有林伐採に反対しているのだ、地域住民とは関係ないというかもしれない。しかし国有林に依存して生活している地域住民がおり、それが過疎化を防いできた面もあったことも忘れてはならない。また国有林を切るなと言いながら、財政赤字の縮小が必要だ、国有林会計赤字は問題だというのは矛盾でしかない。
 森林伐採に反対するなら、自然保護を要求するなら、その地域に住む人々が生きていけるような、伐採しなくとも生きていけるような施策を地域住民と協力してつくりあげ、その実現のための運動をともに展開すべきなのである。そして環境保全、自然保護のためには自己負担も考えなければならない。そうしないから、過疎に悩む地元の「悲願」を利用して企業や政治家が一体となって不要不急の道路をつくったり、リゾート開発したりして自然がさらに破壊されることになるのだ。
 近視眼的な運動、野鳥とか植物とかしか考えない運動、何が自然破壊を進めているのかその根源を考えない運動であってはならないであろう。そして人間を考慮に入れた、人間と自然との共生を考えた長期的な視点にたった自然保護運動でなければならないであろう。そうしなければ運動は広がらないし、その目的とする自然保護もできないのではなかろうか。

(註)
11年5月11日掲載・本稿第二部「☆水田面積の拡大―開田ブーム―」(2~4段落)、
11年6月15日掲載・ 同 上   「六〇年代の水稲生産力急上昇(7) ☆減反目標の達成」 (3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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