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鯨とムツゴロウだけがかわいそうなの



               農村景観と自然保護をめぐる諸問題(5)

               ☆鯨とムツゴロウだけがかわいそうなの

 ついでと言っては何だが、もう少し自然保護について語らせてもらいたい。
 網走にいるとき、市役所の水産課に勤めている卒業生から家に電話がきた。今から捕鯨船が港に入り、捕ってきた鯨の解体をする、捕鯨で有名な鮎川が宮城県にあるから見たことがあるかもしれないが、もしも見たことがなければ港に来たらどうか、だれでも見られるというのである。実は私は解体どころか鯨それ自体を見たことがない。よく知らせてくれたとお礼を言って早速家内と港に行った。
 行ってみたら見物する市民が港にたくさん集まっていた。やがて港に見慣れない船が近づいてきた。捕鯨船である。大きいのかと思っていたが、そんなに大きくない。これでは鯨を船に載せることはできないだろうと思ったら、太いロープでつないで海の中を引っ張ってきていた。それをワイヤーで岸壁に引き上げる。
 鯨は思ったより小さかった。10㍍くらいだったろうか。聞いてみるとツチクジラという小型の鯨なのだそうだ。
 すぐに解体が始まるかと思ったら、誰かが巻き尺のようなものをもって計測を始めた。水産庁の職員が調査をしているのだという。調査捕鯨なのだから当然だった。かつての捕鯨基地だった網走、鮎川、和歌山県の太地でそれぞれ2頭ずつ捕っていいことになっているのだそうである。
 やがて解体が始まった。写真などで見たことのある大きな長刀(なぎなた)のような刃物を鯨の背中の頭の方から尾に向かって入れ、少しずつ解体を進めていった。見事な刃さばきである。
 いっしょに見物していた人のなかに鯨料理屋のご主人がいた。そこで聞いた、この鯨を店でいつ出すのか、食べてみたいと。そしたら彼はいう、あまりおいしい肉ではない、どうしても食べたいのなら出してやるが、お薦めではないと。
 見ているうちに夕方遅くなり、そろそろ寒くなってきた。網走は夏でも夕方寒くなってくることがある。解体は一晩もかかるというし、とにかく鯨とその解体の始めを見ただけでもよしとしようと家に帰った。なお、結局はこのツチクジラの肉は食べなかった。
 後で聞いたら、解体をする人たちは網走に住んでいるが、他に職業をもっているという。鯨の捕獲頭数が減り、解体だけでは食べていけなくなったからのようである。後継者もいないという。あの見事な技術が網走の地から、いや日本から消えてしまうのだろうか。それだけではない。鯨を食べるという文化も消されてしまうのだろうか。

 鯨の肉、戦後よく食卓にのぼった。うまかった。肉や魚がまともに食べられない時代、脂肪分に飢えていた時期、前にも述べた鯨汁、鯨のベーコンはもちろん、鯨カツなどは本当にうまかった。さらに鯨の缶詰、どうしてか今と違ってうまく、遠足やキャンプのときにもっていくと最高のおかずだった。
 それだけ鯨の肉になじみがあったのだが、仙台に来てその刺身を食べると聞いたとき、まさか、冗談だろうと思った。からかわれているのではないかと疑ったほどだった。考えてみたら、仙台の近くに鮎川という捕鯨基地があり、鮮度が保てるだろうから、刺身もあり得る。しかし食べたいとはまったく思わなかった。気持ち悪くさえ思ったものだった。
 初めて食べたのは70年ころだったと思う、研究室に研修にきていた農業改良普及員の方に連れて行かれた仙台駅近くのX橋のたもとにある小さな居酒屋だった。なお、X橋というと戦後の仙台を知っている人には変な顔をされるのだが、前に書いたような赤線も青線も当時はなくなって普通の町になっていた(註)。その店で鯨の刺身を出され、ものは試しと思って食べてみたら、食わず嫌いだったことを後悔したほどうまかった。そう言ってほめたら店の主人が最高においしいのは「尾の身」の部分だ、めったに手に入らないがそのうち入手したら連絡するという。2週間くらいしてからだろうか、電話が来た。せっかく連絡してくれたのに行かないと悪いと思ってその日の夕方友人といっしょにまた行った。脂が霜降り状になっている肉でこれまた絶品だった。尾の身とは鯨の背びれから尾の付け根までの肉のことらしい。それから2、3度食べただろうか、やがてその店はなくなり、それ以来食べることはなくなった。
 網走に来て、先ほど言った鯨料理屋でほんのちょっぴり、本当に何十年ぶりで食べることができた。また、さらし鯨をスーパーで売っていたので、これもしばらくぶりで食べた。さらし鯨とはおばけ鯨とも言い、脂をしぼった後の鯨の皮を薄く切ってゆでてさらしたものらしく、雪のように白くぷりぷりした食感を酢味噌をつけて味わうのは酒のつまみとして最高である。
 残念ながら仙台ではさらし鯨にお目にかかったことはない。刺身用の鯨は売っているが、家内はあまり好きではないので、揚げてカツにして食べている。私の大好きな鯨のベーコンは高価なので年金暮らしになった今はたまにしか食べなくなった。
 それにしても捕鯨が制限された後の一時期ほとんど見かけなくなっていた鯨の肉が再び店頭に並ぶようになったのはうれしい。
 しかし、最近鯨の肉を食べる人が少なくなった、とくに若者が食べないと言う。幼いころ捕鯨制限で食べる習慣をつけられなかったこと、飼料と肉の輸入で牛豚鶏肉が安くなり、鯨で脂肪分を補給する必要がなくなったことなどから来ているのだろう。
 そうした状況を変え、鯨を食べるという食文化、鯨の利用や捕獲に関する技術や文化、これを何とか次世代に引き継いでいきたいものだ。

 ところが反捕鯨国は捕鯨の全面禁止を主張している。かつて脂をしぼるためにだけ乱獲してきた反捕鯨国が捕獲を自粛することは当然あっていい。しかしそれを他国にもおしつけてはならないのではなかろうか。もちろん鯨が絶滅危惧種であるならば禁止もやむを得ない。しかしそれを証明する科学的な根拠もなしに全面禁止を主張する。それは、鯨を捕ること、食べることに対する反捕鯨国民の嫌悪感を背景にしたきわめて感情的な主張としか考えられない。
 いうまでもなく食文化には民族により、地域により大きな差異がある。たとえば東日本の人間はイナゴを食べるが、西日本の人たちは何でこんな虫を食べるのと気味悪がって食べない。むりやり食べさせると、おいしいとは言うが、多くの人はやはり食べない。関東東山の農山村ではハチの子を食べるが、われわれは食べられない。大学時代に同級生から子ども時代に捕まえた話を聞くととっても面白いし、食べて食べられないことはない。しかし食べる気はしない。だからといって、ハチの子を食べるなとは言わないし、イナゴは食べるなと言われたこともない。地域で取れるものを食べるという地産地消でこれまで人間は生きてきたのだから、地域の自然条件等によって食文化に差異があるのは当然だからである。
 ところが反捕鯨運動はその食文化の差異を否定する。自らの食文化以外のものや異民族の食文化に対する軽蔑・嫌悪感・拒否感を環境保護というオブラートに包んで主張する。科学的根拠にもとづいて環境保護、捕鯨禁止を主張しているとはどうしても考えられない。環境保護を名目にした食文化差別としか思えない。
 そもそも主要な反捕鯨国の欧米諸国はかつてキリスト教と資本主義を正しいもの、優れたものとしてそれを受け入れない国に武力でもって押しつけてきたが、グリーンピースなるものの調査捕鯨船に対する武力攻撃などを見ると、そうした白人エリート意識の伝統がまだ生き延びているのではないかと思わざるを得ない。

 もちろんそんな優越意識からではなく、鯨をかわいそうだと思う気持ちから反対する人たちもいる。こうした気持ちは大事にしなければならない。人間は自分が生きるために殺生しているあらゆる生物に対してかわいそうだと思う気持ちをもたなければならない。それがあって初めて感謝の気持ち、大事にしなければという気持ちが生まれ、それがわれわれの食を始めとする生活、環境をまもることにつながるからである。しかし、かわいそうだからと言う理由で長年培ってきた文化や伝統を否定したり、生活の向上や生産の発展に反対したりすることはあってならないだろう。

 97年の春、諫早湾の干潟の一部を干拓するためにつくられた潮受け堤防の排水門が締め切られた。テレビは、何十枚もの鋼板を一気にすさまじい勢いで諫早湾の干潟に落として、干拓するところとそうでないところを仕切った光景を映した
 続けてムツゴロウが干潟の泥の上をはいずりまわったり、跳び上がったり、泥のなかの巣穴にもぐったりしている姿を映した。そしてそれを見たことのない全国各地の多くの人に何と珍しい、そしてかわいい動物だろうと思わせた。
 続けてこう言った、堤防で締め切ったためにこのムツゴロウはやがて干上がって死んでしまう、こうした生物の命を絶つあの鋼板はまさに「ギロチン」に見えたと。
 そしてこれまで干拓やムツゴロウなどにまったく無関心だったマスコミは大騒ぎを始めた、ムツゴロウを始めとする何億という干潟の生物の命を絶つような干拓はやめろと。それを見た人たちはマスコミの言うとおりだ、ムツゴロウがかわいそうだと胸を傷めた。

 でも私はそうは思わなかった。そしてそういうことを言う人たちに聞きたかった。
 東京湾にも干潟がある。この干潟の埋め立てでも同じように無数の生物の命を絶ってきた。しかもゴミで埋め立ててきた。どうしてそれに反対しなかったのか、またこれからもさらに埋め立てを進めようとしているが、それにはどうして反対しようとしないのか。ムツゴロウはかわいそうだが、東京湾の干潟の埋め立てで殺されているさまざまな水生動物はかわいそうではないのか、保護しなくともいいのか。
 どうして命にそんな差別をするのか。もちろんムツゴロウが絶滅危惧種であるならばそうした差別をするのもやむを得ないかもしれない。しかし絶滅危惧種ではない。干潟もまた何十年かするうちに今の沖合の方にまた新しくできる。それなのになぜ差別するのか。
 東京湾の埋め立てに反対しない人たちは諫早湾干拓に反対する資格はないのではないだろうか。

 さらに問題なのは、全国各地に耕作放棄地まであるのに、つまり農地が余っているのに、なぜ干拓して農地を造成するのかと言って反対する人もいることである。
 それなら工業団地や空港を造成すために干拓するのはいいのか。工業用地だって、造成したのに工場が来なくて余っているところが東北にはたくさんある。それを問題とせず、農地だけを余っているとして反対するのはおかしいではないか。
 しかも農地はそもそも余っていない。国民の食糧をまかなって余りあるほどの土地などない。耕作放棄地は食糧自給を放棄した政治がつくりだしただけであって農地が余っているわけではない。それどころか大幅に不足している。政財界人やマスコミなども日本の農地が少ないから食糧自給はできない、だから農産物は輸入するしかないと言っており、農地が少ないことを認めているではないか。そもそも世界的な食糧問題を考えたときには農地を増やすことこそ必要なのである。
 また、防災のための干拓を望む地域住民や農民の声があることも見落としてはならないであろう。

 もちろん、自然を破壊し、地域住民の生活を破壊してまで農地を造成しろなどというつもりはない。
 とくに諫早湾の場合は干拓が漁業に悪影響を与えていると漁民が反対しており、これには十分に耳を傾ける必要があろう。
 しかしそれ以外の反対の理由には納得できない。どう解決していくかを理性的に考えるべきであり、そのさいには農業と自然保護を単純に対立概念にすべきではないであろう。

(註)
 11年4月11日掲載・本稿第二部「☆駅裏―さなぎ女学校―」(四段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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