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「冬水田んぼ」の考え方




               農村景観と自然保護をめぐる諸問題(6)

                  ☆「冬水田んぼ」の考え方

 昔は冬の田んぼに水が張ってあった。というより、そうせざるを得なかった。春の人力でのつまり三本鍬(備中鍬)での耕起には土が湿っていた方がよかったからである。また、田んぼを乾かそうにも用排水路が未整備でできなかったということもあった。
 こうした水のある田んぼにはさまざまな水生生物が棲んでいた。それが白鳥などの渡り鳥、冬鳥のエサになった。
 ところが、最近の農家は水を張らなくなった。牛馬さらには機械による耕起のために、またそれによる春先の乾土効果を容易にして収量を高めるために、冬期間は水を落としておくようになったからである。用排水整備の進展はその落水を容易にした。
 しかし、そのために渡り鳥のエサが少なくなり、白鳥などの飛来が少なくなった、こう主張する人たちがでてきた。つまり、農家は経済効率を追い求めて冬の水田の環境を変え、野鳥の生育環境を悪化させているというのである。
 こうしたなかで「冬水田んぼ」が自然保護団体のなかから主張されるようになってきた。つまり冬期間田んぼに水を張って野鳥等がエサをついばめるようにすることが環境保全、野鳥保護のために不可欠だというのである。
 渡り鳥の飛来する地域の周辺農家の中にもそれに賛同して「冬水田んぼ」にする方が出てきた。それをマスコミ等は大きく取り上げ、「冬水田んぼ」は自然保護にとって不可欠である、水田を昔の姿に戻せなどと主張し、そうしない農家を非難するような風潮も出てきた。

 しかし私にはどうもよくわからない。「冬水田んぼ」つまり「冬季湛水田」にしなくなったことが本当に野鳥の飛来を阻害したのだろうか、
 もしも本当にそうだとしたら、次のような疑問が湧いてくる。関東以南のかつての二毛作地帯の水田はほとんど「冬水田んぼ」でなく、冬は畑状態になっていたはずだが、こうしたところには野鳥が飛来しなかったのだろうか。もしそうだとすれば水田二毛作は自然保護に反するものだということになる。そして関東以南の二毛作農家は自然を破壊してきたことになる。いうまでもないが米麦二毛作は限られた土地を合理的に利用し、人々にできるかぎり多くの食糧を供給するきわめて優れた技術だった。これは間違いだったのだろうか。
 私はこうした二毛作が衰退しているのを嘆き、その再開、拡大を主張しており、東北でも戦後取り組んだ経験を生かして新たに導入、拡大を図るべきだと考えている。また田畑輪換も進めるべきだとも思っている。食糧自給率を高めるためには、水田を米ばかりでなく麦や大豆、飼料作物で利用すること、そして土地利用率を高めることが不可欠だからだ。東北のような水田地帯、食糧基地でそれを推進することなくして自給率を高めることはできない。そうすると冬は水田を畑状態にしなければならない。またある年は一年中畑状態にしておかなければならないこともある。つまり「冬水田んぼ」にはできない。それでいいと私は考えているのだが、それは間違いなのだろうか。

 もう一つ、「冬水田んぼ」では水稲の収量が落ち、耕起の能率が悪くなるのだが、それをどう補償してくれるのかがほとんど考えられていないことも疑問となる。
 もちろん、農家の方が自主的にやるのであれば、経済的な不利益があってもやろうとするのであれば、何も言うことはない。しかし、自然保護団体やマスコミが「冬水田んぼ」なるものを農家に押しつけるのであれば、これは環境エゴというより他ない。しかもそれは米価低迷のもとで苦しんでいる農家の収入をさらに減らし、農業の担い手の減少に拍車をかけることになり、その結果として水田が荒廃したり、農産物輸入が増加したりすれば、かえって地球環境を破壊することになる。
 もしも本当に「冬水田んぼ」が野鳥の保護に必要なものだとするならば、食糧自給率の向上と地域の農家の生活と矛盾しないように、技術的にまた経済的にどう解決するかを考えていく必要があろう。たとえば、春に乾田化しないことによる米の収量低下や耕起費用の増加を補償するという条件で農家の協力を得てブロックローテーションをし、何年かおきに一部の水田には必ず冬に水がある状態にすることが考えられる。あるいは二毛作や田畑輪換のできないような土地条件のところを常時「冬水田んぼ」にすることも考えられよう。

 そもそも環境保全は農業の発展、食糧自給率の向上と密接不可分であるはずだ。もちろん矛盾することも多々ある。しかし人間はそれを解決してきた。単純に昔がよかった、昔に戻れなどというのではなく、地域の人々を中心に多くの人々が知恵を出し合い、さまざまな側面から支援しあってその矛盾を解決し、環境保全と農業発展をともに達成していくことが必要なのではなかろうか。自然保護運動はそうした視点をもつ必要があろう。

 さて、話を本筋に戻し、次回からはふたたび東北農業の変化を歴史的に追っていくことにする。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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