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農家の嫁(3)

  

               ☆労働力としての嫁

 それにしても農家の嫁には行きたくもやりたくもなかった。農家の娘もできるなら農家には嫁ぎたくなかった。農家の親でさえ、とくに母親は、農家に自分の娘を嫁がせたくなかった。農家の結婚にはいろいろなものが付随していたからだ。
 いうまでもなく、結婚は、夫婦という新しい家族単位をつくって既存の家庭に入るか独立した家庭をつくり、子を産み、育てるという人間として当然の行為である。そして結婚した当事者は家事、育児労働に従事し、また家族の生活維持のために必要な物質的財貨を獲得する労働に従事することになる。いうまでもなくそれは夫婦二人がともに従事しなければならないことである。
 ところが、当時の都市の給料取りの家庭は、家事、育児は女性、生活費をかせぐのは男性と分業がなされていた。かつての家事労働は、電化・自動化が進んだ現在とは違って、きわめて厳しいものがあったからである。炊事、洗濯、掃除、育児すべてすさまじい長時間労働だった。一方、生産労働は、機械化・化学化が進んだ現在と違って力仕事が多く、まさに重労働であり、女性が生産労働に従事するのは多くの場合大変であった。したがって生産・外の労働は男、家事・内の労働は女という分業はそれなりの合理性があった。
 こう考えれば、農家においてもそうした性別分業があってしかるべきだった。現にアメリカの農業などはそうだった。フィールド(麦作などの穀物を大規模に栽培する畑)の仕事は男が担当し、家事と自家用の野菜をつくるガーデン(庭畑)の仕事は女が担当するというように性別分業が成立していた。まさにアメリカはワンマンファームだったのである。
 前に京大にいた農経研究者ISさんからこんな話を聞いたことがある。アメリカの農家を訪ねたとき、ご主人は親切にいろいろ教えてくれたが、奥さんはまったく知らん顔であいさつもしなかった。それで同行してくれたアメリカの研究者にあれは失礼ではないかと言った。そしたら、それは当然だという。あなたは農業経営(farm)を訪ねたのだからご主人が応対した、農業に従事しておらずよそで働いている奥さんは関係がない、もしも家庭(home)を訪ねたのであれば奥さんも出てきて大歓迎をしただろうと。これだけはっきりした男女間の分業が農家にもあるのである。
 しかし日本農業は欧米並みではなかった。女性は家事、育児はもちろん農業もやらなければならなかった。これは欧米とは異なる自然条件、そこからくる農業労働の相違からくるものと思われる。つまりアジアモンスーン地帯にあるわが国では欧米のように耕地にフィールド(畑作・粗放農業)とガーデン(園芸作・集約農業)の差がなく、農業のすべてが、つまり稲作や麦作などの穀作農業=フィールド農業さえも、ガーデン農業=園芸的・労働集約的農業にならざるを得なかった。だから男女ともに、家族ぐるみで、農業に従事しなければならなかったのである。
 このように夫婦二人で農業に従事するのであれば、わが国の農家の所得は男一人で働く場合の二倍になってしかるべきである。親夫婦も働けば四倍にもなるはずである。しかし実際にはそうならない。農産物価格の低さ、高率高額の小作料のもとで生きていくのがせいいっぱいの所得しか得られない。サラリーマンは家族を食べさせるだけの所得を一人で得ているのに、農家は家族総員で働いて食うのがせいいっぱい、それどころか食えないものすらいる。農民と都市住民との間に決定的な所得格差があったのである。それなら農業をやめてみんな都市に行けばいい。しかしそんな働き口が当時はあるわけがなかった。都市にも働き口がなくて職をさがしているものが多くいるのである。そうなれば農業に従事して一粒でも二粒でも米麦等を多く穫り、一銭でも二銭でも多く稼ぐより外ない。しかも当時の手労働を中心とした農業生産力の段階では家族の協業と分業がなければ、そのための家族労働力の確保がなければ経営は維持できず、生活費もかせげない。それで農家の嫁は農業に従事せざるを得なかった。
 かくして農業は男女共同でいとなまれた。もちろん、男女間に若干の分業はあった。たとえば耕起・代かき・田植え作業の場合、男は家畜の扱いや重いものの持ち運びをし、女性は相対的に力を必要としない労働に従事するなど、まさに協業と分業でいとなまれてきた。
 それなら、家事、育児についても、男女間の分業と協業でやればいい。つまり男女いっしょに家事、育児にたずさわればいい。というよりそうすべきである。農業労働時間は男女ほぼ同じなのだから、家事・育児の労働時間も男女同じであっていいはずである。
 ところが、男性はほとんど家事・育児に協力しなかった。男はそんなものに手を出すべきではない、男の沽券に関わるというのが当時の雰囲気だった。家事、育児は本来夫婦共同でやるべきなのに、それは女性の仕事だとして男性は手伝いすらしないのである。ここだけは都会並み、かつての武士社会並みであった。
 これでは女性はたまったものではない。さきにも述べたように当時の手労働段階のもとでの家事育児の労働にはすさまじいものがある。それに加えて農業の長時間重労働がある。まさに朝早くから夜遅くまで休むひまもない。

 こうした女性の過重な負担から何とか脱却させたい、それが私の父の願いだった。都市のサラリーマンのように男一人が働いて生活が維持でき、女性は家事、育児に専従できるような農業にしたい。そして女性を楽にさせてやりたい。しかしそんなことは当時は高望みでしかなかった。
 それで父は母の家事育児を手伝おうとした。しかしおおっぴらにそんなことをするわけにはいかない。あそこの嫁は亭主にそんなことをさせているなどと隣近所に評判になって母が変な目で見られたら困るし、祖父母だっていい顔をするわけはない。だから子供の世話を手伝うくらいしかできなかった。たとえば子どものおしめの取り替えである。私と妹に続いて年子で弟が生まれたときなどは、赤ん坊の弟の世話だけでも大変な母に苦労をかけないように、私と妹の二人をいっしょにおんぶしてよく外に連れ出した。おんぶされた二人は窮屈だからあっち行けそっちへ行けとねんねこのなかでけんかになる。たまたまそうしながら行きつけの床屋さんの前を通ったら、「また、二人おんぶでけんかしてんのか」と笑われたのを今でも記憶している。田畑にでかけるときに父がおしめを持っていって小川で洗濯をし、帰りに家に持ってきたりすることもあった。ただしこっそり人に隠れてだった。
 長男で嫁を取らなければならない立場にあった私も、子ども心ではあるが父と同じことを考えていた。さらに進んで、都市のサラリーマンは男一人で家計をまかなえるのに、なぜ農家は女性まで含めた家族ぐるみで働かなければ食っていけないのか、なぜこのような不平等が都市と農村の間にあるのか、強い疑問をもつようになった。
 もちろん、農家だけが大変だったわけではない。都市勤労者でも男一人だけが働いて女性を家事に専従させられるものなどは少なく、現実には多くの女性が内職等で働かざるを得ず、その内職すらなくて困っていたのだが。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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