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農業を継がない「後継者」



                 後継者問題の深刻化(4)

                ☆農業を継がない「後継者」

 農家の長男の青年、一般に「後継者」と呼ばれているが、そのなかに生家に残って農外に就業している青年がいる。かつてはこうした「後継者」は農作業を手伝った。ところが最近の「後継者」は手伝わなくなった。それが農業を継がなくなった一因になっている、こう嘆く人がいた。
 しかしその考え方はおかしい、私は次のように反論した。
どうして彼らは、農外で毎日勤めた上に、本来休むべき朝晩、日曜祭日まで、どうして農業をしなければいけないのか。農家に生まれたら何故そういう過重労働をしなければならないのか。そもそもやらせる方もまちがっているのであり、今の若い人達が働かないのは当然のことなのだ。
 また、青年が土地をまもろうという気持ちを持たなくなったことを嘆く人にはこう言った。
 そうした意識変化をまちがっているとは思わない、他産業で生きていけるにもかかわらず土地にしがみついて手放さない方が、荒らしても他の農家に土地は貸さないなどという方がまちがっているのだと。
 そもそも、農家の長男に生まれたら必ず農業をやらなければならないなどという考え方がおかしい。もちろんこれまでは長男が宿命として農業を、家を継承してきた。しかし今の若者の意識は変わってきた。農家の青年にも職業選択の自由があるのであり、必ず農業を継がなければならないなどと考えなくなってきた。この変化は家と農業の呪縛から若者が解放されたことを示すものであり、喜ぶべきことである。これからは宿命としてではなく、職業として農業を選択し、自らの意志で家を継承する時代、「宿命」から「選択」の時代になってきたのである。
 そうなれば、一方では子どもに十分な教育を受けさせて農業を選択する能力と幅広い知識をもたせること、他方では選択の対象になるような、子どもたちが喜んで農業をやろうとするような経営を、家を、そして地域をつくっていくことが必要となる。
 こう言ってきたのだが、それを現実のものにするのは容易ではなかった。

 私などが言うまでもなく、農家は子どもたちを高校はもちろん短大や四大に進学させた。それに関連して問題とされたのは農家の子どもが農業高校に入らなくなったこと、親も入れさせなくなったことだった。中学の教師も成績のいい子には普通高校を薦めた。こうしたことから農業高校は成績の悪い子どもの受け皿となってしまった。こんな高校に行けば意欲と能力のある子どもすら農業をやろうとする意欲をなくしてしまう。そこでますます農業高校に行かなくなる。それに対応して農業高校が減らされてきた。そしてこれを農業軽視政策ととらえる人もいた。また農家が子どもを農業高校に行かせないことが後継者問題の一因であるという人もいた。
 たしかに農業高校の地位が低落したことには問題がある。しかしそれが後継者問題の一因だと私は思わない。そもそもなぜ農業後継者は農業高校に入らなければならないのか。普通高校を出て農業を継いでもいいではないか。建築家は工業高校を出なければならないということはないのと同じである。普通高校から工学部に入って建築家になっているものもいる。そう考えれば、普通高校を出て、あるいはいろんな分野の大学や短大を出て農業をやってもいいではないか。
 そんなことより問題なのは、短大や大学が農村地域にないことだ。雪国や山村では高校に通わせるのも大変だ。そこで農外に働きに行って、さらには土地まで売って、子どもたちに大都市で教育を受けさせた。本来ならそんなことまでしなくとも教育を受けられるように政府が援助すべきなのだが、親は自分たちができなかった悲しい思いを子どもにはさせたくなかったから無理してでも入学させた。それは子どもたちにとって喜ばしいことであり、昔と比べたら天国だった。
 こうして勉強した子どもたちが卒業し、故郷に帰ってきて農業をやり、やがては売った土地を買い戻し、さらには増やし、親の面倒を見さえすれば問題ない。またこれは地域にとっても喜ばしいことであり、大いにそうして欲しいものである。高学歴のものが都市や商工業の大企業にだけ勤めるなどというのはおかしいからである。農林漁業、農山漁村地域も高学歴者を必要としているのである。
 しかし、子どもたちのほとんどは農業を継がなかった。
 これまでの経営規模では両親の労力だけで十分経営できるし、規模拡大は容易ではないし、減反・米価据え置き・輸入自由化等で農業で生活するのは容易ではなかったからである。
 それで何とか地域に就業機会を見つけて他産業に従事することになる。こうして家は継いだ。しかし昔と違って農業の手伝いはしなくなった。先に述べた若者の意識変化もあるが、勤め先のサービス残業、休日出勤等で農作業の手伝いは難しくなっていたし、ましてや農繁期に休んだりすればクビになるなど、労働条件がきわめて厳しくなっていたことも大きな原因となっている。
 それでも、親が働けなくなったら勤め先をやめて農業を継げば問題はない。何年間かよそで勤めてから農業をやることがあってよく、その方がかえって良い場合もある。他産業で働いたことで得られた知識、農業のみに従事していたのでは得られない経験を蓄積し、あるいはさまざまな職種の友人や知り合いを他の地域に多くつくることができるので、それを将来農業を継いだ場合に役立てることができるからである。
 親はそれを期待し、子どもも最初はそう考えていた。しかし、多くの後継者は農業に戻らなかった。戻って農業をやるよりも他産業従事の方がずっと所得は高いからである。しかも農業専従で生きていける展望はきわめて少ない。かくして家は継いでも農業は継がないことになるのである。

 地域に就業機会が見つからない場合は、とくに働き口のない出稼ぎ地帯などでは、子どもは学卒後そのまま大都市に残り、あるいは高卒後職を求めて家を離れ、農業どころか家すら継がなかった。子どものためと思って外で高等教育を受けさせたことが、家を、むらをつぶすのである。
 しかし、家を、故郷を捨てた子どもが悪いわけではない。少なくとも中学のころまでは地域に残ろう、親の後を継ごうと多くの子どもは考えていた。しかし、現実は厳しかった。家に帰っても農業では生きていけないのである。農業の展望もない。どこか農外に職を求めようと思っても農山村にはまともな勤め口がない。役場職員や農協職員、教員にでもなれればいいが、数は限られている。こうした現実がわかってくるにつれ、故郷に帰る夢を失い、大都市に職を求めることになるのである。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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