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農業継承を阻む旧来の地域と家族経営



                  後継者問題の深刻化(5)

               ☆農業継承を阻む旧来の地域と家族経営

 ある女性がこんなことを言っていた、
 「私は農業が嫌いではない、ただ、あのむらの雰囲気、家の雰囲気がいやだ」
 だから嫁に行きたくないと。
 またある青年はこんなことを言う、
 「親を見ていると農業はやりたくなくなる」
 親の背中を見て子は育つというが、親の農業を見ているとかえって育たない。
 どういうことなのだろうか。このことは、農政が変わったとしてもこれまでの経営のあり方や地域のあり方が変わらなければ、経営が継承される保証はないことを示しているのではなかろうか。
 そうなると、地域を変え、またこれまでの家を、親のやってきた農業のあり方を変えることも必要となる。

 80年代の初めだったような気がする、山形県天童市の当時の市長さんが私にこんなことを言って口説いた。
 農家の嫁不足と言われているが農家はまだいい、商店の嫁不足はもっと深刻だ、それどころか最近は後継者もいなくなり、商店街が寂れようとしていると。
 いうまでもなく、これはスーパーマーケット等の大資本の進出による商店の将来展望のなさによってもたらされたものである。しかしそれだけではない。休みもなしに舅姑といっしょに家の中に縛りつけられ、外に出るという救い道もないこれまでの商店、つまり旧来の家族経営を女性がいやがっていること、また男子後継者もそうした暗い家を嫌うようになってきたこともその一因となっている。
 農業も同じなのではないだろうか。農産物自由化を始めとする大資本本位の政治が農業の展望を暗くし、後継者、嫁不足をもたらしていることはいうまでもないが、旧来の家族経営という形態が近年の農家の若者の意識、女性の意識にあわなくなっていることもその一因となっているのではなかろうか。

 そもそも農家の子弟にとって家を継ぐというのはきわめて重いものだった。
 まず家をとりまく「農村」は、古く、暗く、貧しいという昔からのイメージがある。私の育った山形県村山地方などは『おしん』のふるさとだからなおのことだ。また、何百、何千年と続いてきた変わらない動きのないところ、よどんだところというイメージ、停滞した重いイメージがあった。
 それに「農家」となるとさらに重い。そもそも家の相続が若者には重い。自分たち夫婦の思うままの家庭を新しくつくるわけにはいかない。これまで何代かにわたって蓄積され、引き継がれてきた家族関係のなかに入り、それを引き継いでいかなければならない。親子関係、親戚関係、近隣との関係、それにまつわる伝統、習慣、慣行、重みを引き継いでいかなければならないのである。また、農家にはかつての家父長的な関係が残り、夫婦間、親子間は対等ではない。さらに親の扶養義務があるし、兄弟等の面倒をみる責任も出てくる。よそに出ていった血族のよりどころとしての圧力もかかる。
 これは若者には重い。その上こうした関係が経営のなかにまで入り込む。男親が家庭内の実権、家の代表権をもつ上に、経営の実権と代表権ももつ。そしていつまでも若者は親の指揮のもとで働かされ、小遣い程度しか金はもらえない。
 自己完結的な経営になってきたからなおのこと大変だ。仲間といっしょに働いたり、しゃべったり、飲んだりするチャンスが少なくなってきたからだ。これではたまらない。ある稲作専業青年はこういう。兼業農家が朝早く一斉に田んぼに出てきて田植えをする。みんな急いでいるから話し合う暇もない。7時半を過ぎるとみんな勤めにでるので田んぼには誰もいなくなる。田植機を動かしている人が遠くにぽつぽつと見えるだけである。雑談をしにいくわけにもいかない。ともかく淋しいという。仲間を求める若者にはこうした孤立がたまらない。
 そういうと、昔だって農家は孤立して個別でやっていたではないかというかもいれない。しかし、手植え・手刈りの当時はゆい・手間替えや雇用で田んぼはにぎやかだった。またさまざまなむら仕事、共同作業があり、いっしょに働き、飲むことが出来た。それがいまはない。かつての若者が望んでいた隣近所やむらに規制されない経営、自己完結経営の実現は、こうした別の問題を引き起こすのである。
 経営と生活が一体化していることもたまらない。山形県の有機農業で有名な町に先進的に取り組んだ非常に優れた経営がある。その子どももきわめて優秀である。しかし、農業は継がない。彼はこういう。しょっちゅう全国各地から生産者が家をたずねてくる。また消費者との交流とかで都市住民がづかづかと家に入り込んでくる。それを親は必死になって接待する。そうすると消費者は、農業はいいとか農家の生活はいいとかいう。うるさい、黙れといいたい。こっちは見せ物じゃないんだ。なぜ親は生活までのぞかせてまで自分を売り込まなければならないのか。こういうのである。消費者との交流のなかで農家の子どもが農業のよさ、農家のよさを見直し、自信をもつようになったなどとよくいうものもいるが、子どもが内心そういうことを考えていることも見落としてはならないのではないか。それはそれとして、ともかく生活と経営の区別がまったくないことが若者にとってはいやなのである。
 農家は親子夫婦いっしょに住むべきものだという雰囲気も重い。それは農村の醇風美俗などと言われてきたし、隣近所も親戚縁者もそれが当然のことと考えている。しかし、都会に出て行った親戚縁者は親を見捨てて出て行ったのに、また自分は子ども夫婦と別居していながら、なぜ自分の実家、農家だけはそうしろ、それはいいことだなどというのか。そしてなぜ実家を継いだものだけに親の面倒を見させ、嫁舅の間に入って苦労させるのか。
 若者にとってはこうした家族経営の緊縛からいかに逃れるかが問題なのだ。経営と生活の二重の重みがいやだから、家は継いでも農業は継がない。さらには両方ともいやがって外に出てしまうことだってあるのだ。
 職業として農業を選択するかどうかを考える以前の問題が旧来の家族経営にはあるのである。

 青年のなかにこういうことをいうものがいた、
 「農業は好きだが、農家は嫌いだ」と。
 これはこれまでの農家のあり方、地域農業のあり方がいまの若者の意識と合っていないこと、そしてそれが農業の継承を困難にしている一因となっていることを示している。いうまでもなく、これは国の農業政策で解決できる問題ではない。農業政策の転換は継承問題解決の必要条件ではあるが、十分条件ではないのである。
 したがって、若者が選択したいと思うような魅力ある農業経営を地域から構築していくことが必要となるのではなかろうか。
 もちろん家族経営はもう時代おくれだなどというつもりはない。しかし旧来の家族経営の維持という固定した考え方から脱却し、農業生産力の発展段階と若者の意識変化に対応した新しい経営形態を考えるべき時期にきているのではなかろうか。それをさきに述べた庄内の生産組織や秋田の花の経営の事例(註)が示しているのではなかろうか。

 90年ころ、野菜等の生産や組織化で大きな成果をあげている宮城県亘理町の逢隈農協青年部の青年たちが、こんなことを私に話してくれた。最近みんなで視察旅行に行った。滋賀県の米の産地に行ったら、道路を人っ子一人通らず、むらのなかはシーンとしている。次に、渥美半島の菊の産地に行った。そしたら、美人の若い嫁さんがぞろぞろ歩いている。なぜこんなに違うのか、不思議だったと。
 それに私はこう応えた。滋賀の場合、米単作なので女性に仕事がない、それで嫁に来ない、たとえ来ても外に働きに行く、だからむらは静かなのだ。これに対して渥美半島の場合、女性にはきれいな花の仕事がある、しかもきわめて所得が高い、それで嫁に来る、そして彼女らも男性も外に働きにいかない、それでむらに人がいることになるのだと。
 そこに東北農政局の職員が同席していた。彼は東海農政局から転勤してきたばかりだったので、渥美をよく知っていた。それで彼は、私の言うことにまったくその通りだとうなずいた。しかし、と彼は付け加えた。そういう嫁さんは昭和の女性だ、平成の女性はそれだけでは嫁にこない、金がいくらあっても花栽培には休みがないのをいやがると。
 こうした女性の意識変化に対応できない旧来の家族経営、定休日もなしに黙々と働くのが当たり前だった経営では嫁にこないのである。男だって今までの家族経営に満足できなくなっているのではなかろうか。そしてそれが後継者流出の一因となっているのではなかろうか。
 そうなると、若者が魅力をもつ農業の確立、そのための家とむらの変革が必要となる。

(註) 11年9月16日掲載・本稿第二部「☆女性の意志を大事にしよう」参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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