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若者が魅力をもつ農業の確立


                 後継者問題の深刻化(5)

               ☆若者が魅力をもつ農業の確立

 それでは、若者がやってみたいと思うような魅力のある農業とはどのようなものか。それは次の七つの条件を備えた農業だろうと、80年代中ごろから90年代初頭にかけて、よく農家の方たちに話したものだった(したがってこれから述べることには当時の時代状況が反映されている)。

  ①他産業なみ、あるいはそれ以上の所得が上げられる農業 
 若者が職業として農業を選ぶかどうかを考える時、まず他産業でいくらの所得が得られるか、農業ではどれだけの所得を得られるのかを考える。その時に農業所得があまりにも低ければ他産業を選ぶ。したがって他産業並みの所得を得られる農業であることが必要になる。
 そのさい注意しなければならないのは「一人当たり」の所得だということである。家族ぐるみで働いて家族が食べられる所得を得るだけでは若者は満足しない。
 昔はいかに家で食うかだった。だから農家所得を問題とした。しかし労働評価観念の発達しているいまの若者は、自分の働きに対して自分がいくらもらえるかを問題とする。同級生などが自分はこれだけの給料をもらっていると話すのを聞いており、自分の労働は少なくとも彼らと同じであっていいはずだと考えるようになっているからだ。だから、家族労働力全員農業に専従して家族全員食えるだけの所得を得ることができるとしても、一人当たり所得にすると他産業以下でしかないというのでは、子どもはよそに勤めた方がずっといいと考え、他出してしまうことになる。したがって他産業並みの一人当たり所得が得られるようにすることが若者が農業を選択する必要条件となるのである。
 それでは他産業並みの一人当たり所得とはいくらか。都市勤労者の生涯賃金は2億4千万円(註1)だが、これは家賃などの高い東京なども含めた金額なのでそんなに必要ないし、実際に東北の場合はそれより低い。2億円というところである。それを40年働いて得たものとして割ると年間5百万円の所得となる。したがって、男子基幹農業専従者一人当たり5百万円以上の年間所得が得られる農業を確立し、他産業並みあるいはそれ以上にすることが必要となる。 
 女子であれば一人当たり3百万円以上でいいのではないか。そういうと男女雇用均等法違反ではないかといわれるかもしれない。実際、宮城県古川市でその話をしたら農協婦人部の方からそんなことを言うから農家に嫁がこないのだと怒られた。それにこう答えた。もちろん私は5百万でいいと思っている。寄り合いだ何だと集まっては酒を飲み、二日酔いになって奥さんによけい仕事をやらせている男よりもたくさんもらってもいいはずだからだ。ただここで3百万というのは、この地域の誘致企業に勤めた場合の賃金並み、あるいはそれ以上だからまあいいのではないかと考えたからだと。
 そして、もし夫婦二人で働けば8百万円以上の所得が得られる農業にする。こうして経済的なゆとりのある農業の確立により、新規就農者の確保を図るのである(もちろん、そのためには無制限の農産物輸入の抑制と価格政策の充実のための闘いも必要となるが)。
 しかし、それだけでは新規就農者は出てこない。若者の意識はもっと変化しており、それに対応しなければ後継者は就農しようとはしない。次のようなことも必要となる。

  ②休みがあり、遊びのできる農業
 いま他産業では労働時間短縮が課題となっており、実際に土曜日を休日にしたりしている。そして余暇の時代とまでいわれている(註2)。
 そうした時代に、年中忙しい農業、時間の制限のない労働、家族サービスもできない農業では、新規就農者は出てこない。
 私のところによく企業の就職担当者がくるが、そのうちの一人が次のような話をしていた。会社訪問で来る学生が給料やボーナスはいくらかと以前は聞いた、ところが今は休みがきちんととれるか、有給休暇は何日とれるかと聞くと。つまり今の若者にとっては一定の所得を得るのは当然であり、休日がいくらとれ、遊びができる時間がとれるかどうかが問題なのである。
 こうした若者の労働に対する意識の変化に対応し、経済的なゆとりに加え、時間的なゆとりのある農業を確立していかなければならない。
 そういうと、会社勤めと違って農家は時間を自由に使えるからいいという。たしかにその良さはあるが、自由だからというのでいろいろな地域の役員を押し付けられ、「役害」を受けることが多い。また、お盆や正月にゆっくりできるからいいという考えもあるが、その時期には東京などから子どもや兄弟が帰って来るのでゆっくりできない。特に態度が悪いのは娘だ。帰ってきて自分の子どもは嫁さんに預け、二日ぐらいごろ寝して、三日目には遊びにでかける。親も悪い。笹かまぼこのお土産一つで、帰りに車のトランクいっぱいに米だ野菜だと詰め込んでやる。そして帰った後は疲れた嫁さんが三日も寝込んでしまう。こうしたお母さんを見ている子どもたちは、嫁さんにこんな思いをさせる家などは継ぎたくなくなる。
 そうなれば、一日8時間労働というような時間のけじめがあり、休日や有給休暇があり、家族や仲間とともに余暇を楽しめる農業を確立していくことが必要となる。もちろん、農繁期と農閑期があるのでそれにうまく対応する必要はあるが。

  ③他産業なみの福利条件のある農業
 これまでの農業には、他産業に勤めた場合のような健康保険、失業保険、労災、退職金、年金等の福利条件が一般的には整備されていなかった。ここにも若者は不満をもっている。したがってそうした福利条件が整備できる農業経営の形態にすることが必要となる。

  ④仲間といっしょに語り合い、働ける場のある農業
 現在の家族経営はまったく孤立して営まれている。他産業のように多くの仲間といっしょに働き、また遊ぶことができない。とくに若者の場合には同年代の仲間が農業にはいない。共同の動物である人間にとっては、ましてや若者には、これは耐えられない。
 かっては共同で働く場があった。たとえば道普請や堀払い、入会山の共同作業などの村仕事があった。また、前にも述べたように田植えや稲刈りには何十人も集まって働いた。ところが今は機械化が進み自己完結できるようになった。そのために多くの人といっしょに働く場がない。昔の田植えや稲刈りの風景などはもう見られなくなった。完全な孤立だ。
 Uターンしてきてハウスきゅうりを作っている仙台のある青年はもうイヤになったと私にいう。誰とも話ができず、毎日毎日ハウスの中でジーッと仕事をしていると頭が狂いそうになると。親と話しすればいいといわれても毎日同じ話ばかりしているわけにはいかないし、世の中から捨てられている、孤立しているという感じはなくならないという。兼業に出ている近所の青年たちとたまに会って話してもまったく話がかみあわない。
 こうした孤立感から、周辺の若者の多くが農外に出ていくと、農業をやりたいと思う青年ですら、友連れ現象で農外に流出してしまうことになる。
 山形置賜のある町で転作と稲作の受託作業を行う生産組織に行ったときのことである。組織のオペレーターの青年たちがこんなことを言っていた。夕方受託作業が終わって共同の機械置き場にみんなが集まり、明日の打合せをしながら一杯飲むのが本当に楽しい、それで兼業をやめ、家の農業と組織のオペレーターに専従するようになったのだと。
 これらのことからわかるように、個別で能力を発揮して働く喜びと共同で働く喜びがともに得られ、同じ農業をいとなむ仲間としてともに話し合い、遊び合って明日への活力が出てくるような場をもつ農業を形成することが必要なのである。

  ⑤面白くて、やりがいのある農業
 そもそも農業というものは面白いものである。Uターンしてきた青年がよくそういう。上からガタガタいわれることもなく、自分の自由にやれ、能力を発揮することができる、自然のなかで働く喜び、収穫の喜びがあり、とにかく面白いと。
 ところが一般にこれまでの家族経営、とくに稲作経営は、親でもやれる農業、親の言うとおりにやっていれば何とかなる農業、親がなかなか経営権を譲らない農業、自ら技術・経営・販売戦略をたてることのできない農業だった。これでは面白くなく、やりがいもない。だから、「親父を倒して身上(しんしょう)を奪うか」などと言いたくもなる。飲んだときにそう言った酒田の青年たちに、私はそうしろとたきつけた。早く親をなくした人、倒れて働けない親のいる人に優秀な人が多い、親が上にいると息子はだめになるのだと。
 若者は技術者、経営者としての能力が発揮できる農業、自分の知識が生かせて意見の通る農業を希望しているのである。そうなれば、親は早くリタイアすべきではないか。もちろん完全リタイアでなくともよい。経営の一定部分は完全に若者にまかせることにするということでもいい。
 宮城県南方町のある肉牛農家では、畜舎5棟を、父が2棟、24歳の息子2棟、母1棟と分け、それぞれ独立して経営していた。もちろんお互いに協力はする。しかし、基本的には自分が管理し、収益は自分のものとしている。だれが一番うまくやっているかと聞いたら、お母さんは自分の育てた牛が一番高く売れると威張っていた。
 また、ある農家では親夫婦が稲作、息子夫婦は花、ある農家は息子が稲作で父は野菜と部門を分けて独立して経営して、忙しい時はお互いに賃金を払って雇われあっていたが、こうした例は各地で見られた。
 このように、親子がパートナーとして協力しながらそれぞれ自立しているような新しい家族関係のもとでいとなまれる農業でなければ若者はやりたがらない。
 また、失敗の恐れがあっても努力すればそのかいのある面白い農業でもなければならない。つまりべンチャービジネス的性格を持つ農業でなければならない。今若者が一番残っているのは野菜と花を経営している農家だということがそれを示している。失敗の恐れはあるが、やればやっただけのことがある。また需要や価格は絶えず変わり、新しい品種が次々出てくるので、絶えざるイノベーション(技術や意識、組織の革新)が必要となる。それが若者には面白い。それで後継者がいることになる。
 その点では今の稲作は面白くない。技術体系はほぼ確立しているし、普及員のいうことを聞いていればそこそことれるからだ。
 ところが、普及員のいうままやらない農家があった。93年、山形市近郊の水田10㌶経営農家を訪ねたら、ササニシキ以外に何とキララ397を作っていた。なぜかと聞くと山形でも早場米を出すことが出来るのではないかと考えて試してみたのだという。コシヒカリも作っている。消費者が要求するものなのでやってみることにしたという。奨励品種のどまんなかはもちろんつくっているが、そのうちの一部は湛水直播で栽培している。都市近郊なのでそのうち高齢化が進んだらみんなが土地を借りてくれとくるだろう、その結果としての規模拡大に備えて直播も試験しなければならないからだ。こんなふうにいろんなことをやっており、26歳の後継者も生き生きとしていた。
 その後すぐに宮城県古川市の10㌶弱経営の農家2戸を訪ねた。2戸ともササニシキとひとめぼれを作っていた。
 そこで宮城県の普及員の方に言った。いかに宮城県の普及員は指導力が強いか、これに対して農家が奨励品種以外のものをつくるのを止められない山形の普及員はいかに指導力が弱いかと。これが皮肉だということはもちろんわかっていて、普及員の方は苦笑いしながら言った、山形は新しいものにチャレンジする、だから稲作まで面白くしてしまう、しかし宮城では言われたとおりにやるだけ、これでは面白くなく、若者は出て行ってしまうだろうと。
 中高年層の方はかって稲作は面白かったという。60年代から70年代にかけての米づくり運動のときなどはまさにむらは燃えていた。ということは、自ら面白くなくさせているだけなのではないのか。稲作もベンチャービジネス的性格をもつ農業、たえざるイノベーションのある農業にしていく必要があるのではないか。若者はやりがいのある、能力が発揮できる職業を選ぼうとするからである。
(ちょっと長くなったので、ここから後は次回の掲載とする)

(註)
 1.1990年ころの数字である。
 2.これも90年ころまでのこと、今はその逆で、政財界は長時間労働を黙認どころかそれを法認しようとさえしている。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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