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続・若者が魅力をもつ農業の確立



                後継者問題の深刻化(6)

            ☆続・若者が魅力をもつ農業の確立

(前回より続く)
  ⑥かっこよくて、誇りの持てる農業
 これまで述べてきたように旧来の農業経営にはいろいろ問題があるが、だからといって他産業の企業に勤めても、そんなに面白くもなく、やりがいがあるわけでもない。職場の仲間と話し合う暇もない長時間労働でゆとりも何もないし、福利面でもそれほど恵まれているわけでもない。カローシが世界共通の言葉になるほど、日本の労働者は働かされている。
 関東地方のある銀行に勤めた卒業生が訪ねてきたとき、私にこんなことを口説いていった。勤務時間は実質朝8時から夜10時まで、だけどサービス残業なので一日1時間しか残業手当は出ない。夕飯はもちろん出ないし、食べにいく暇もない。休むのは昼休み30分だけ。パソコンの前に座って融資にかかわる資料を整理する仕事なので勤務中はまったく話をしない。昼休みは同僚と言葉を交わすが、日によっては一人とも口をきかない日がある。週休二日制でゆっくり休めるかと思うと土曜に支店長から招集がかかる。職場のみんなが今言ったような状況のなかでバラバラに孤立し、職場の和もできないので、職員間の親睦を深めるということで今日はゴルフ大会、来週は何とか会だとかで呼び出される。出世に差し支えるので、行かないわけにはいかない。だから週休二日制などは実質ないと言っていい。
 こんな状況なのだ。だからといって、都市も悪いのだから農家もがまんしろというわけにはいかない。そんな労働条件を押しつける資本主義的な企業がそもそもまちがっているのであり、その真似を農業がする必要はもちろんない。
 しかし、よそのものはよく見える。しかも農業・農村・農家のイメージは昔から悪く、今も農業や田舎に対する差別がある。また3K産業とも言われる。そもそもこんな言葉がでてくるのはおかしいし、そうした職業を嫌うような風潮があるのは大きな間違いである。それに農業は3Kなどではもちろんなくなっている。しかしそうした社会的風潮に若者は耐えられない。親の精神教育でそれはまちがってるのだといってもなかなか納得させられない。 
 そうなると、そういうイメージを打破するようなかっこいい、誇りのもてる農業に形式の面からもしていくことが必要となる。
 ある青年が農業を継いで一番いやだったのは他産業に勤めた同級生が名刺を出すのに自分が出せないことだったと言っていた。そしたら別の青年がおれは名刺をつくっているという。肩書きをみたら百姓とあった。しかしそれは開き直りでしかない。県職員などは平職員でも技師とか主事とか肩書きをつけて名刺を出すのだから、経営者である農業者が出せないのがおかしい。名刺を出せる農業にしなければならない。つまらないことかもしれないが、若い時にはこのつまらないことが気にかかるものであり、それをわかってやらなければならない。

  ⑦都市から来て違和感のない生活環境をそなえた農業
 この言葉は宮城県角田市古豊室集団の初代組合長のKMさん(後の農協組合長)からヒントを得たものである。
 1960年代後半、当時としては珍しかったのだが、角田市農協が農協ぐるみで生協に加盟した。それを契機に古豊室が集落ぐるみで梅干しを加工して、また黒豚や野菜を生産して生協に供給するようになった。そして生産者と消費者の交流が始まり、消費者が生産現場の古豊室集落を訪れるようになった。ところが、いっしょについてきた子どもたちがトイレにいきたがらない。昔の便所なので臭いし、怖いのである。しかも古豊室はかつて非常に貧しいむらといわれただけあって、家屋敷や道路など周辺も汚い。こんなところに住むのは別人種ではないかというような目で子どもたちは見る。こんな状況では都市から嫁さんは来ないし、若者も残らないのではないか。そう感じたKMさんは「都市から来て違和感のない」物的生活環境を整備しようと考えたという。やがて古豊室集落は生産、生活両面で努力する中で全国的に有名となり、ほとんどの息子は家に残り、都市部からも嫁がくるようになった。
 まったくその通りである。農村は生活環境整備という面ではきわめて立ち遅れている。もちろん農村には都市にないよい生活環境もある。しかし下水道整備のように立ち後れているものが農村部に多々ある。こうしたものに対する公共投資を要求しながら自らの力でも整備を進め、都市以上に優れた生活環境を作っていかなければならない。
 吉幾三はかつて次のように歌った。
  「テレビも無エ ラジオも無エ………
   信号無エ ある訳無エ
   俺らの村には電気が無エ
   俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
   東京へ出るだ……… 東京で牛飼うだ」(註)
 こんなことを息子からさえ言われるようではましてや嫁などくるわけはない。

 物質的な面だけでなく、精神的な生活環境も変えていかなければならない。
 仙台で開かれた東日本の村づくり交流集会で北海道の方から次のような発言があった。
 ある農家の息子が二世帯住宅にしたいと言いだした。親は猛反対した。親子ばらばらに暮らすなどしたら隣近所や親戚縁者からあの家はどうなっているのかと奇妙な目で見られると。そして大げんかになった。そのことがむらづくり委員会のなかで話題になったとき、賛否半々で大激論になった。どう思うか。
 そう聞かれたときに、私はこう答えた。
 親子いっしょに住み、働くのは昔からの農家の醇風美俗であり、これはまもるべきだなどというものもいるが、決してそうではない。たとえば宮城県では、かつて豪農といわれた家には屋敷内に隠居所が別に建てられており、息子が結婚すると母屋を譲ってそこに別居するという習慣があったことはそれを示している。二世代あるいは三世代同居したのは、貧乏で隠居所のあるような大きな家をつくれなかったからで、やむを得ずだったのだ。また鹿児島では末子が相続すると親は隠居所に引っ込むのが風習となっているという。このように必ず同居しなければならないものではないのだ。そう考えると二世帯住宅でもいいのではないか。農村は屋敷地が広いからそれは簡単にできる。もちろん、親子夫婦両方が納得するならいっしょに住んでもかまわない。都市と違って農村はどちらでもできるところに良さがある。そこに自信をもち、またそれを都市にも宣伝し、都市から嫁が喜んでくるようにしなければならない。
 また隣近所がちょっと変わったことをすると変な目で見るなどということのないようにしなければならない。
 旧来の家族経営の集まりである農村、旧来の農家の雰囲気の原体験が若者を追い出す一因となったのであり、それを変えていくこと、いい原体験ができるような雰囲気を意図的につくりあげていくが必要なのである。

 以上述べたような若者が魅力をもつ農業は当然旧来の家族経営とは違うものである。親の指揮の下に、家族ぐるみで農業をして食べられる所得を得ることを目的とする旧来の家族経営では、若者の意識とあわず、新規就業者は出てこないのである。
 近年の若者の意識変化に対応できない経営では、たとえ一定の所得が得られても、後継者は残らない。近年の後継者不足、嫁不足は、いうまでもなく農産物の輸入自由化を始めとする大資本本位の農政に根本原因があるのだが、それだけが原因ではない。旧来の家族経営と若者の意識変化との矛盾も一因となっているのである。
 それではこうした若者が魅力をもつような新しい経営形態とは具体的にどのようなものか。当然それは地域により、個人の考え方により異なっていていいわけだが、これまで述べてきたような家と経営のあり方の変革や複合化、組織化、販売力強化等々、いろいろなことを考えていくことが必要となろう。
 もちろん、こうした農業の確立は個人の努力だけでは限界がある。さきにも触れだが、農産物の無制限の輸入を抑制する、少なくとも生産費を償う農産物価格を補償する等々の施策の展開が必要であることはいうまでもない。
 こうして『宿命』としてではなく自らの意志で『選択』して農業を継承していくことができるようにしていくことが今求められているのではなかろうか。こんなことを80年代半ばから90年代にかけて考えたものだった。もちろん農家のなかにも私とほぼ同じ考え方で努力している方が多々あった。そして優秀な若者が農業を継いでいる地域や農家も生まれていた。
 しかし、そうした努力はなかなか報われなかった。

 80年代の終わりころではなかったろうか、東京に住む大先輩の研究者KIさんが盛岡市近郊の都南村(現・盛岡市)の山間部調査の帰りに仙台に立ち寄ったとき、私にこんなことを言った。ある農家におじゃましたら、そこのお年寄りから「会社でもいい、農協でもいい、ともかく誰でもいいから土地を預かってくれないか」と言われた、東北もそこまで行ったかと驚いたと。私もショックだった。もはやここまでいっているところ、貸し手はいても借り手=農業の担い手がいないところも出てきていたのである。
 これを何とか食い止めなければならない。しかし、90年代に入るとそうした努力を無にするような政策が展開され、若者はさらに激しく流出することになり、東北農業は衰退の道をたどるようになるのである。

(註)俺ら東京さ行ぐだ 歌:吉幾三 作詞作曲:吉幾三 1984年

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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