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食管廃止と「売る喜び」



               農業をとりまく状況の激変―90年前後―(6)

                  ☆食管廃止と「売る喜び」

 米輸入の部分自由化に対応し、50年以上にわたって米の生産、流通を規制してきた食糧管理法が1995年に廃止された。そして新食糧法(「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」)が制定され、民間流通により価格形成が行われるようになり、農家は自由に米を販売できるようになった。
 それで農家のなかに米を消費者に直接販売するものも出てきた。そのなかに次のようなことを言う人がいた。
 これまで農協を通して米を売っていたために売るという喜びを知らなかった。自分で売ると自分の生産したものを食べてくれる人がわかる。反応がすぐかえってくる。こんなうれしいことはない。しかも消費者はわれわれ生産者と接することを喜んでくれる。これからは農協系統利用をやめてすべて直接消費者に販売することにしよう。農協に手数料を払わないだけでも利益になると。
 マスコミはそれをはやしたてた。学者や評論家のなかにも、農業者は生産だけしていてはだめだ、売ることを知らなければだめだと言うものも出てきた。また、ちょうど野菜などの直売や宅配などの産直がブームになっているころであり、産直こそがこれからの農業のあり方だというものも出てきた。

 しかし、「売る喜び」を知らなかったということは、「売る苦しさ」を知らないですんできたということでもあった。
 たしかに、たまに売ると楽しい。すべて売り切れたときの満足感は何ともいえないものがある。しかも直売などをすると消費者が大事にしてくれる。
 しかし、それは商人と違った雰囲気、ものめずらしさ、価格の安さ、鮮度等から大事にされているだけでしかない。
 そもそも消費者はそんなに人はよくない。高いといっては買わず、品物に傷があるといっては買わない。直接消費者と接触することは消費者のわがままと接触することなのである。また、買ってやるという傲慢さにもつきあわなければならないのだ。
 しかも、黙っていてはなかなか売れない。しかし口下手な人もいる。動植物と会話するのは好きだが、人とは、とくに見知らぬ人、不特定多数の人とつきあうのは苦手だという人もいる。売ることを知らなければだめだと言われるなら、こういう人は農業をやれないことになる。
 さらに、もしも自分のつくったものすべてを、毎日、個人で直接消費者に売るとなったらどうだろうか。たとえば売れ残りが出たときどうするか。生鮮野菜など貯蔵のきかないものはとくにそれが問題となる。
 すべて買ってもらうためには、売れ残らないようにするためには、頭を下げることも必要となる。そうでなくてさえ農家は「天」と「地」に頭を下げながら生産しているのに、販売で「人」にも頭を下げなければならない。売るということは卑屈になることである場合もあるのである。
 そして最終的には値段を下げて売り切れるようにしなければならなくなる。しかし安くして生産費を償わなくなったらどうしようもない。それに値下げは自分の生産したものの誇りを自ら傷つけることでもある。
 それでも消費者が買いに来てくれればまだいい。しかし直売場が都市から遠ければなかなか来てくれない。それなら都市に直売場をつくればいい。しかし、生産者がそこに毎日生産物を運ぶのは大変だし、借地料の高さなどから他の店より安く売るわけにはいかないので客が離れてしまう危険性もある。

 そういうと、それは直売だからだ、消費者との契約にもとづく販売、たとえば消費者の要求するおいしい米をつくって宅配する、その代償として生産費にみあう価格を払ってもらうというようなやり方で消費者と直結すればいいではないか、そうすれば売れ残りはないし、安売りなどしなくともいい、農協を通さないだけでも収益が増えるという人もいる。たしかに、こうした契約にもとづく宅配のような販売方法もあり得る。
 しかし問題となるのは、すべての農家が消費者と直結するわけにはいかないことだ。すべての消費者が産直の意義や安全性に対する理解をもっていないからである。また、産直したいと思ってもできない消費者も多いことも問題となる。時間的、経済的問題からスーパー等から買わざるを得ない消費者が圧倒的多数なのである。しかもそうした世帯が増えている。それは生協の家庭班が抱えるようになった問題を見てもわかる。それはこういうことだ。家庭班は主婦で組織されているが、その班長さんの家に班員の注文した品物を生協のトラックが週何回と決まった日時に届ける。その時間になるとみんながやって来て荷分けをし、自分の注文した品物をもって帰る。ところが、最近その主婦の多くが生活費を稼ぐためにパートなどで働きに出るようになった。そうなると品物を分けておいてやっても取りにこない。何日もおいておかれる場合もある。これでは班長さんもいやになる。そして班長さんのなり手がいなくなる。それで班が維持できなくなっている。こんなことが当時話題となったのであるが、このように産直したくても出来ない消費者が増えているのである。
 こうしたなかで販路をさがすのは非常に大変だ。何とかさがしたとしても、個々ばらばらの消費者に包装して輸送するのに、また毎年消費者から注文をとり、離れないように宣伝するのには、相当の手間と費用がかかる。そして過重労働になる危険性もある。
 そもそも生産と販売の両方をやるというのは容易ではないのである。もちろん家族の中で生産担当者と販売担当者と分業すれば両方やれる。しかしそうすると生産の規模を減らさなければならない。いままで二人でやってきたことを生産担当者一人でやらなければならなくなるから、単純計算すれば生産を半分に減らさなければならなくなる。こうした生産減による所得減を直接販売のメリットで補えればいいが、それほどの販売利益を得られるわけでもない。そして生活できる所得が得られなくなる危険性もある。それを解決するためにがんばって生産を増やし、販売もがんばるとなると過重労働になってしまう。千葉県の産直農家の労働時間を調べたところ、普通の専業農家の1.5倍から2倍の労働時間がかかっていたという報告が農村医学会であったとの報道を見たことがあるが、それが実態であろう。もしも昔のように家族労働を無償あるいは低賃金労働として評価し、少しでも手取り所得を増やしたいというならそれでいいかもしれないが、それでは若者は農業はやろうとしないだろう。
 さらに代金取立不能の危険があるし、代金決済の遅れによる資金難等の問題がある。
 山形の天童の産直農家がそれを口説いていた。東京の消費者に宅配した2万円の米代金が振り込まれない、その回収のために2万円の新幹線の運賃をかけて行くわけにいかない、結局損をすると。そこで遠隔地はやめ、近隣で宅配することにした。ところが、これまた金がかかるという。米と引き替えに代金をよこさない人がいる。そこで振り替え用紙を送る。それでもなかなか払わない人がいる。しかたがないから取り立てに行く。その時に手土産を持っていかないわけにはいかない。そうでないと高利貸しの取り立てみたいになり、次から注文が来なくなる恐れがあるからだ。その手土産代が馬鹿にならない、こう言うのである。

 そういうと、それは少量取り引きだからだ、家族労働だけでやろうとするから収益が上がらず過重労働になるのだ、周辺の農家から米を買い集めて大量にし、販売管理に専門的に従事する労働力を雇用してやればもうかるという人もいた。つまり米販売業者も兼ねればいいというのである。
 しかしそう簡単にいくものではない。それは93年のときのヤミ米販売農家の例を見ればよくわかる。
 大潟村のある農家がそうだった。彼は何人かの仲間といっしょに生産調整非協力農家百何十戸かの米、つまりヤミ米を集め、その包装や運送、事務などのために人を雇用して、東京などに宅配し、収益をあげていた。そして彼は、これからは流通5割、加工3割、生産2割で儲けていくのだといっていた。
 また岩手県南のある大規模農家は、隣近所から米を買い集めて一定の量にし、多くの消費者から注文を取り、人を雇って宅配して利益をあげていた。
 マスコミはこうした事例を取り上げて、これがこれからの農業のあり方だともちあげた。
 これらの農家は93年も同じことでやろうとした。大潟村の場合はその春から夏にかけて一俵2万8千円の価格で売るとして消費者から注文をとった。その米は周辺の農家から2万5千円で買う予定でいた。そして一俵千円から2千円の利益を得ることを目論んだのである。ところが大凶作である。米がなかなか集まらない。しかもヤミ米業者が2万8千円以上で買いに来た。減反非協力農家はそちらに売ることにした。減反政策に反対してではなく、金もうけのために減反しなかった人たちだから、高く買う業者に売ろうとするのは当然のことだった。だからなおのこと彼のところに米が集まらない。そこで彼は慌てて2万8千円まで買値を上げた。儲けなしになっても注文を受けた以上それに応じないわけにはいかないからである。そうしたらヤミ屋は3万で買うと言ってくる。そこでどうしようもなくなって3万円で買わざるを得なくなった。赤字になるがやむを得ない。ところがそこまで値上げしても米が集まらない。それで消費者の一部に断りの電話をせざるを得なくなった。当然大赤字を抱えてにっちもさっちもいかなくなった。
 岩手県南のある大規模農家も同様だった。彼は3200万円もの借金を抱えてしまったとのことだった。
 このことから見てもわかるように、プロの商人と太刀打ちしていくのは容易ではない。消費者に販売するには、流通で儲けるには相当の資金力、販売力、組織力が必要であり、まさに流通のプロでなければならないのであって、片手間にできるものではないのである。考えて見れば、工業の大企業だって商社などのプロに販売をまかせ、直接消費者に販売などしていないのである。
 しかも消費地には米の卸売業者や小売業者もおり、それと太刀打ちしていくなどというのは容易にできるものではない。福島県のあるシンポジウムで会った米小売業者の方に、米の産直などと競争していかなければならないので大変ですねと言ったら、こっちは販売のプロです、素人には負けないノウハウをもっていますと自信たっぷりだった。
 それならこういう業者に直接米を販売したらいいではないかという考え方もあろう。しかしそれもそう簡単にはいかない。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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