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新規参入の推奨とそれをめぐる諸問題



                世紀末の東北農業をめぐる動き(3)

               ☆新規参入の推奨とそれをめぐる諸問題

 網走といえば監獄を思い浮かべるほど、網走監獄は有名である。その監獄の獄舎などの古い建物をそのまま移築し、また資料館なども整備した監獄博物館がつくられ、かつての監獄や囚人の暮らしがどんなものだったかがわかるようにしており、そこは道東の観光ルートに組み込まれている。
 その博物館で囚人が農作業をさせられている資料が展示されていた。囚人がいかに苛酷な生活をしていたかを説明するための一つの資料としてなのだが、多くの人はそれを見て何とむごいことをというような表情をする。
 この網走にいたころのことである。秋田の若美町(現・男鹿市)からわが家に遊びに来た農家の奥さん二人は、それを見たとき、顔を見合わせてこう言った。
 「私たち、こんな作業、毎日やってるよね」
 二人を案内していた家内がそれを聞いたとき、はっとした。考えてみれば、この展示物は彼女らが毎日やっている農作業を、犯罪者が、悪人が罰としてやらされる苛酷な労働であると言っているようなものだ。これは彼女らに対する、農家に対する侮蔑となりかねない。もちろん、同じ労働でも、囚人のようにろくなものも食わされない苛酷な条件のもとで強制的に働かされるのと、彼女らのように自らの意志で働くのとではその質がまったく異なる。そしてこの展示は前者を言おうとしている。しかし、この展示は、農業労働は本来いやなもの、罰としてやらされるような辛いものだという悪いイメージを与えかねない。やはりこれは農家に、彼女らに失礼である。
 こんなことを家内が私に話した。私もショックだった。これでは、農業というものはきつい、汚い、危険、いわゆる3Kだというイメージをさらに強めてしまい、嫁不足はもちろん後継者流出に、さらに都市住民の農業観に悪影響を与える危険性がある。事実は事実として、そして囚人がいかなる条件のもとで道の開発にいかなる役割を果たさせられたのかを伝えるとしても、展示のしかたを変える必要があろう。
 しかし、とまた思い直した、そこまで神経質にならなくともいいのかもしれないと。農業労働に対する偏見は、もうかなりなくなっているからである。

 北海道十勝平野の新得町に新規就農を希望する女性を受け入れるレディスファームスクールという研修施設がある。毎年10人から20人入所してくる。やる気で来ているだけあって本当にまじめだ、否応なしに家業の農業を継いだ男とはまるっきり違うと町役場の人はいう。当然のことながらこうした女性を嫁にもらいたいと地域の農家は考える。しかし、ここは農業研修の場である、農家の嫁の養成の場ではない、ここに来る女性は農家の花嫁になりたくて来たわけではなく、農業が好きだから来ているのだ、そもそも物欲しそうにしてこうした施設をつくったら研修する女性は来ないと、役場は常々農家に厳しく言っている。だから地域の若い男性との交流会も開かないし、農家には嫁に欲しいなどと絶対に言うなと固く禁じている。農家もそれはわかっている。しかし、家に実習に来て一生懸命やっている女性を見ているとやはり欲しくなる。とくに親がそうである。だけど嫁に来てくれなどとはいえない。
 そこである農家の方がこう言ったという。
「あなたにこの家の経営を譲りたい、この家にきて農業をやってくれ、そしてあなたがうちの息子を雇って使ってくれ」
 役場の人からそれを聞いたとき、いやうまい口説き文句を考えたものだと感心しながら笑ってしまった。
 これだけ厳しく禁じられていてもやはり男女の仲、研修終了後この地域の農家の嫁となり、農業をやっている女性はいる。また周辺の大規模経営に雇われて、あるいは故郷の府県に帰って農業をやっているものもいる。
 うれしいことだ。農業に魅力を感じて新規に農業に参入しようとする非農家の女性が生まれてきているのである。かつては考えられなかったことだ。
 女性ばかりではない。非農家育ちの男性のなかにも新規参入希望者が出てきている。これも大いに歓迎したい。農家出身であれ非農家出身であれ、いやいやではなく、好きだから農業を職業として選択したいと考える若者にこそ、農業をやってもらいたいからだ。

 農村の過疎化、農業の担い手不足に悩む自治体、そして政府も、こうした新規参入希望を歓迎し、農業研修施設の整備や農地の斡旋等で積極的に援助するようになった。これも喜ばしいことである。非農家出身者の場合、農業を職業として選択することは、開拓入植等の特別な機会以外、農家の嫁になるか婿になるかでしかこれまで実現できなかったのだが、そうでなくともできるようにし、職業選択の自由を農業場面においても保証し、農業を開かれた職業にしようとすることを示すものだからである。
 実際にこうした支援を利用し、都市から農村に移住して農業を始め、地域の活性化に寄与する人たちも出てきた。
 しかし、もう一方で移住していろいろ問題を引き起こす人も出てきた。既存の住民との間にさまざまな摩擦が生じたところがあり、受け入れが拒否されたところすらあった。
 そうすると、それは農村に残る閉鎖性、昔からのしきたりなどのためだ、農家や村落に問題があると非難された。
 もちろん、それもあるだろう。前に詳しく述べたような村落の閉鎖性、さまざまな規制、掟、こうしたものはかつて生きていくためにやむを得ないものだったが、今は必要なくなっており、にもかかわらずそれが残っていて新規参入者といざこざを引き起こしている場合がある。これは受け入れ側で直していかなければならない。
 しかし、新規参入者側にも大きな問題がある。農業・農村に対する誤解・偏見をもっていて、それが摩擦を引き起こす一因となっているからである。

 芸能人が突然農家などを訪ねて泊めてもらう『田舎に泊まろう』というテレビ番組がある。泊まれるまでの折衝と、泊まった家での接待や人々との交流がおもしろいのだそうである。しかし私にはきわめて不愉快な番組だ。なぜ田舎なのか。「都市に泊まろう」もやってみたらどうなのか。しかしおそらく都市では泊めてくれない。きわめていやな気分の残る番組になるだろう。これに対して田舎は泊めてくれる可能性がある。田舎者はお人好しだからだ。だから番組制作者はつくるし、視聴者も安心して見る。もちろん泊めてもらえない場合もあるが、ほとんどOKとのことだ。やはり都会とは違う、田舎の人間は無防備でどこかぬけていると視聴者がとるのか、本当にいい人たちだととるのかわからないが、いずれにせよ農村部の人間は異質の人間だと見て楽しんでいる。ここには差別がある。それをこの番組はねらっているのだろうが、それがたまらなくいやなのである。
 しかし、この番組のように、農村の人たちは都会と違ってお人好しだなどとは考えてもらいたくない。こんな差別意識をもっているから問題が生じるのだ。
 また、単なる「脱都会」、自然や農村生活へのあこがれといった甘い気分、農業は他人に管理されずに自由にやれる職業だとか、農村では都会のようなわずらわしい人間関係がないとかいうような農業や農村に対する幻想、甘い期待をもって新規参入しようとすることも問題を引き起こす大きな原因となっている。
 このことに関して次のようなことを書いたことがある。

 新規参入しようとする者はまず、地域で生きていくためにはルールが必要であり、それを自主的にまもらなければならないことを理解しなければならない。
 とりわけ農村の場合、農業の特殊性や自然条件から都市にない助けられたり助けたりのルール、地域的な規制、決まりがある。なかば強制的に駆りだされる共同作業などが典型である。そうすると、これでは企業に勤めていた場合と同じではないか、農業者は経営者であるから自由のはずだ、なぜ強制され、管理されなければならないのかと新規参入者は不満をもつ。しかしそれは農地等の地域資源を維持管理するための、地域社会を維持するための共同であり、やむを得ないものである。この詳細については前に詳しく述べたので省略するが(註)、多数の共同の力で維持管理しなければならない生産手段が地域には存在し、その管理はその共同所有者、利用者である農家が自発的に自ら労働を拠出してつまり無償で共同で維持管理しなければならないのである。また農村にはその自然的条件からして都市にはない地域維持の共同が必要な場合があり、また社会基盤の整備が遅れているために都市では公共的なサービスでなされているものを共同でやらなければならないこともある。それなしには地域社会や生活を維持できないのである。管理社会を逃れたいということで新規参入してくるものがあるが、農村社会にも管理があるのであり、自分の都合だけでなく相手の都合も考えなければ社会も生産も成り立たないのである。この点では都市も農村も同じであり、自立した経営者で構成されている農村ではなおのこと必要となる。これを理解して、つまり地域になじんで初めて、同じ村人としてつきあってもらえるようになる。閉鎖性の強かった昔でさえ、移住者が何年間か地域に住み、地域のもつ自然的社会的条件、それに対応した決まりを理解したことが村人に認められれば、同じ仲間として喜んで受け入れ、同等に付き合ってくれたのである。
 ところが、農家はなかなか親しく付き合ってくれない、技術をなかなか教えてくれないなどと新規参入者は非難する。
 しかし都市だって新しく近くに越してきた人にそう簡単に付き合わない。隣近所でも相当親しくならなければ家のなかにも入れない。東北から近畿のある都市に引っ越した人が近所の人から遊びに来いといわれたので行ったら何をしにきたかという顔で玄関先で帰された。遊びに来いといったのは挨拶がわりに言ったのでそれを本気にするのは失礼だ、常識がないと後で陰口をいわれたという。最近では隣は何をする人ぞで挨拶もしない。農村は農家はこうした都市と違うはずだと期待してきたのだろう。たしかに農村は都市ほどひどくはない。しかし、農家だってどんな人間とでも付き合うほどお人好しではない。
 技術の伝授問題についてもこれを農家の閉鎖性として非難することができるだろうか。それでは都市の人は親切に教えてくれるだろうか。商店主は同じ商売をしようとするものが近くにきたからといって販売のノウハウを教えるわけはない。近くに新しくできた自分と同じ製品をつくる工場主からこれまで蓄積した技術の教えを乞われた時に、以前から住んでいた工場主は教えるだろうか。商工業の方がそういう意味ではもっと閉鎖的である。農村だってどんな人間にも何でも教える馬鹿正直な人間の集まりではない。
 もちろん、都市とくらべたら農村の人付き合いはずっといい。また農業者は商工業者と違って同じ農業者間つまり同業者間で、教えすぎるほど教えあっている。隣近所はもちろん他の市町村の人でも同じ仲間だと思えば教えを乞いにくるものには応える。新規参入者もその態度、人間性いかんで村人は既存の人々と同じように付き合ってくれるし、いろいろと教えてもくれる。農家や農村を特別なものと考えてそれに甘えていては、農家は人がいいなどという先入観、というよりは偏見をなくさなければ、そして地域になじもうとしなければ誰も付き合ってくれないし、経営・生活技術も教えてくれないのである。
 こうした知識を新規参入者が持っていないことが、そして新規参入者と受け入れ側との間に意識のギャップがあることが新規参入を妨げる一因になっている。
 したがって新規参入者は、まず農村地域、農村社会に関する知識を参入以前にきちんと持っていることが必要となる。単に持つばかりでなく、それを理解しなければならない。
 また、考えの甘さや経済的理由から脱落するものもいるので、農業技術・経営の難しさや新規参入の厳しい側面をきちんと認識しなければならない。
 そして、農業をやる人がいないから参入してやるのだ、だから村の人が大事にしないのはおかしいなどという驕り高ぶった考え方は捨てなければならない。いずれにせよ謙虚な気持ちが必要とされる。
 新規参入の支援機関は新規参入希望者に対してこうした教育をきちんとし、農業、農村に対する甘い期待を捨てさせなければならない。そしてたとえば地域社会の一員として水路清掃、農道畦畔の草刈り、環境保全等の共同に積極的に参加する覚悟をさせる。そうして始めて信頼が得られ、農地を預けてもよいということになるのであり、自治体等の支援にすべて依存するのでは発展はあり得ないということを教える必要がある。
 同時に受け入れ側、これまでの支援体制のあり方も反省しなければならない。果たしてここまでしていいのかと思うほどの至れり尽くせりの参入支援のサービスをするから、自分は偉いのだ、大事に扱われるのは当然だなどと考えさせ、甘い考えをもたせてしまっているからである。媚びへつらう必要性はない。自分の地域にどうしても来てくれなどといってはならない。過疎を防止したい、人口を増やしたいということからあせってはならない。

 こんなことを書いたのだが、そこまで言う必要もなかったかもしれない。新規参入希望者が生まれているといっても青年の数からすればそれは本当に微々たるものでしかなく、そんなことが大問題になるほどのものではなかったからである。都市と農村との大きな所得格差、農業の将来展望の暗さ、農村生活の不便さのもとでこれは当然のことであろう。プロの農家の子弟ですら農業に見切りをつけて外に出ていっているのに、素人がやっていくなどというのは容易ではないことはだれにでもわかることだった。
 実際に農業を職業として選択し、農村に住もうとする人たちはきわめて少なく、担い手不足を解決するなどというにはほど遠かった。

(註) 11年1月5、6、7、10、11、12日掲載・本稿第一部「むら社会(1)~(6)」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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