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姥捨て村・「満耄」移民計画



               世紀末の東北農業をめぐる動き(4)

                ☆姥捨て村・「満耄」移民計画

 「自然や動物が好きだ」、「静かな農村の生活がいい」、「有機農業をやりたい」、「職業としてよりも『生き方としての農業』をいとなみたい」、だから農村に移住したい、収入が少なくとも、不便でもかまわないという人がいる。
 とはいっても、いくら収入が少なくていいといっても一定の生活費は必要である。しかし突然農村に飛び込んできてそれなりの収入を得るというのは容易ではない。
 したがって、こうした「生き方としての農業」をやれるのは中途退職者あるいは定年退職者ということになる。退職金はある、貯金はある、子育ては終わっている、それで農業収入が少なくとも生活していけるからである。
 実際に農業への新規参入で多かったのは第二の人生としての農業を考える中高年層だった。
 そこでさけばれるようになってきたのが、こうした高齢者の農村移住による過疎化、耕作放棄の防止だった。

 90年代の中頃だったと思う、むらづくりに関する集まりでの挨拶のなかで、財界も参加しているむらづくり運動の全国組織の幹部職員がこんなことを言った。
 「都市住民の意識調査をやったところ、将来農村に住みたいというものがきわめて多かった。とくに高齢者の希望が多い。それに財界は大きな関心をもっている。それでいま高齢者の農村移住計画を考えている。それをむらづくりに役立ててもらいたい」
 この話を聞いたちょうどそのころ、財界やマスコミが、団塊の世代つまり激増する高齢者に対して農村に移住しようと大々的に宣伝し始めた。そしてこれは過疎対策、耕作放棄地対策としてきわめて有効だとも強調した。
 たしかにそうすれば農村の人口は増えるだろう。そして彼らは退職金と年金を基礎にして自給的な、趣味的な農業をやれるので、耕作放棄地はある程度少なくなるかもしれない。しかも彼らは60歳前後だからまだ自立して生活できる。けっこうなことかもしれない。
 しかし、こうした移住者が多数出てきて農業をやり、余剰を販売されたりなどされたら専業でがんばっている地域の農家にとってはいい迷惑である。もしも農業で生きていくとなれば労賃もきちんと保証された生産費を償う価格で売ろうとするが、彼らはそういう価格で売れなくともいい。年金と退職金で生きているのだから販売は小遣い稼ぎ、安くともかまわない。こんなものを直売だなどと称して売られたら、農業で生きようとしている若者や専業農家の足を引っ張るだけになってしまう。
 さらに問題なのは、彼らも後20年もすれば働けなくなることだ。それどころか、病気になったり、寝たきりになったりするかもしれない。そのときに誰が面倒を見るのだろうか。しかも移住者の子どもの大半は都会暮らしである。動けなくなっても介護しにきてくれるわけではない。都市以上に高齢化が進んで面倒を見る人がいなくなって悩んでいる農村に、また新たな悩みをかかえさせるだけになるのではないか。
 しかも農村には経済力がない。いくら人口が増えてもそれが高齢者だけではカネが入らない。そこには生産がないからだ。もちろん、自給野菜程度は生産するかもしれないし、若干の販売もするかもしれない。また年金や退職金の残りはむらに落ちるかもしれない。年金にかかる税収もあるかもしれない。しかしそれで高齢化による保険・医療・福祉、在宅介護サービス等に要する資金をまかなえるわけはない。税収が増えるどころか支出が増えるだけ、かえって農村の経済力を疲弊させるだけである。税金を多く払える若いときは都市にいて大都市に納め、多くの税金を払えなくなったときに農村にくる。これではたまったものではない。ごっそり移住されたら大迷惑、過疎対策などには一切ならない。一時期人口が増えても若者がいないのだから何年間かすれば人口は減ってしまう、まさに一時しのぎの対策でしかない。
 そもそも農村部に高齢者が多く、都市部に若者が多いという人口構成が問題なのに、また農村部に高齢者を増やそうとする、これはおかしくないだろうか。
 若者だけがいる都市社会などというのは異常な社会なのだ。都市にも年寄りは必要なのだ。たとえば子どもについていえば、親ばかりではなく、年寄りにもつきあってもらうことで情操が豊かになり、知識も豊かになる。そう考えれば、高齢者も都市で生きがいを持って生きていけるようにすることこそが必要なのではなかろうか。
 逆に、高齢者が多すぎ、若者のいない農村も異常である。年寄りだけではどうしようもない、農村にも若者が必要だということは説明の必要もないであろう。
 単に人口が増えればいいというものではない。バランスのとれた人口構成があってこそ生き生きした社会、心豊かな社会が形成できるのである。そのためには都市も年寄りが住みやすいようにする政策、農村部も若者が定住できるようにする政策、つまり農林業を機軸とする産業で生きていける政策、農村部に若者の働き口をもうける政策こそが必要なのである。
 ところがこうした政策にまともに取り組もうとせず美辞麗句を並べて高齢者に農村移住を勧める。つまり都市には企業の利益に役にたつ若いものだけをおき、もう役に立たなくなった高齢者は農村にやる。まさにこれは高齢者の都市からの追放計画、姥捨て計画でしかない。 
 その昔、高齢者を山に捨てたという。今度は農村に捨てようとしている。かつての「姥捨て山」が「姥捨て村」に変わったのである。高齢者の農村移住を念頭においてむらづくりを考えろなどというのはまさに姥捨て村づくり計画をつくれというようなものだ。
 もう少し近くの話をすれば、昭和の初期、日本に人が余っているということで満州や蒙古への移住、いわゆる「満蒙(まんもう)移民」計画が推進された(註)。いまは都市に年寄りが余っているとして農村への移住を推進しようとしている。しかもかつてのように子どもも含めての一家移住ではない。若者は、つまり企業にとって必要な若齢者は残す。ここに大きな違いがある。まさにこれは企業にとってもはや不要となった過剰人口、何十万人もの耄碌(もうろく)予備人口(私もその一人だからこういっても怒られないだろう)を移住させ、老いて耄碌した人々で農山村を満たそうとする「満耄(まんもう)移民」計画としか言いようがない。そしてそれは農村部がいまかかえている問題を拡大再生産するだけでしかない。

 もちろん、団塊の世代が農村の良さを見直しつつあることはきわめてけっこうなことである。また彼らの中に農業をやりたい、農村で過ごしたいという気持ちがあることもよくわかる。それを否定するわけでも何でもない。ましてや、ふるさとに住みたいと思っていたにもかかわらず泣く泣く出ざるを得なかった方々がもう一度農業に、農村に戻りたいというのであれば何もいうことはない、ふるさとでゆっくりと老後を過ごしてもらいたい。そしてできれば村と農林漁業を発展させる力となって欲しい。子どもや孫を連れて移住してきてもらえるならなおのことよい。
 ただそのさい、政府と都市に注文がある。もしも都市が高齢者の老後を農村で過ごさせたいなら、若い元気なときに何十年も払ってきた税金の一部を農村に返してもらいたい。老後のための施設や援助に使うための税金も都市で前払いしてきたはずである。その税金つきで農村に来るようにさせてもらいたい。また、高齢化してもちゃんと生きていくことができる地域政策、医療・福祉等の高齢者対策を政府はきちんとやってもらいたい。
 しかし、そんなことはしようとしない。これでは移住計画が進むわけはない。安心して移住などできないからである。病院などが農村部から撤退している状況ではなおのこと不安で農村などに住めない。かくして移住はほとんど進まなかった。そしていつのまにか話題にものぼらなくなってきた。農村に移住してのんびり趣味の店などをやって楽しんでいる中高年層の事例がテレビなどでたまに紹介される程度でしかなくなってきた。

(註) 10年12月27日掲載・本稿第一部「☆北海道へ、満州へ」(4段落)参照



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コメント

[C17] 農、高齢者、子ども、女性、空き家。ブログ拝読させていただきました。

岩田と申します。ブログ興味深く拝読させていただいております。海外在住ですが、本籍愛知へ帰国を考えています。考える中でやはり課題は自分自身の雇用であり、また子育てや周辺環境の変化でした。その中で、実家のあるところ、またその周辺でも比較的農は盛んなため、自分自身で取り組み団体を調べてみました。NPOですが取り組んでいるところがある、では子育ては、それについても実は昨今のいわゆる待機児童でというところでも、預けてやってくれるところある、仕事に関しては、これはやはりどこかに勤めてというのはあまりだめだなと感じています。よって、農村と都市があり、老若男女のバランスが取れているところを探し(長久手市)そこへ入ろうと考えています。農に関しては、いわゆる耕作放棄地の再建ですが、今は耕して作物をおすそ分け程度です。が、自分としてはこういう複数に顔を出し、加工にまで至ることを考えたいですし、また空き家と子育て場所の連携(長久手東部は昔ながらの雰囲気が若干あるそうです)、そこに女子大生など若い世代を入れ、子育てに参加してもらい、実際の多世代というものに農と、セットで多世代がやれる環境づくりをと考えています。自分自身の子育て、仕事について考え悩んだ末に思いついたことでもあります。帰国後はそこの自治会や、農村部に2集落ほど固まっていますから、そこのご年配の方々にお話をさせていただいて、子どもたちも顔合わせをさせてやり(子どもも親だけでなく、お年寄りとつき合い、情操が豊かになるとお書きになられましたが、正にそう思います)、その集落には顔見知りが全部という形にしたいと考えています。子どもが全て自分の思考の中心にいます(ちなみに双子です)。高齢者、子育て、女性、空き家、農、この5点セットが今自分の中ではキーワードになっています。
個人的には、この5点を結んで結束活動しているところを見たことがほとんどありません。高齢者介護なら介護だけ、農業なら農業だけと、あるいは介護施設と保育園というかたちのみで、真の形ではない気がします。ありがとうございました。引き続き拝読させていただきます。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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