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リゾート開発の推奨とその結末


               世紀末の東北農業をめぐる動き(5)

               ☆リゾート開発の推奨とその結末

 農山村に人を呼び込み、過疎化から脱却しようという動きはその他にもあった。
 その一つに、土日や有給休暇を利用して農村に住みたい、農業をやりたいという都市住民を農村に呼び込むことでむらを活性化しようという動きがあった。そして農園付き小住宅の造成と分譲、古民家の売却などに取り組んだところもあった。
 しかし、そうしたことのできる経済的時間的ゆとりをもつ人は少ない。しかもそういう人たちの多くは東北から遠い大都市に住んでいる。往復に何時間もかかる東北などに来るわけはない。だからそうした計画はうまくいかなかった。たとえ来たとしても、休日だけの住民、地域住民としての意識をもたない人が増えるだけで、ウィークデイなどはやはり幽霊部落、そしてゴミ処理問題などで地域住民とのごたごたが起きるのがせいぜいということにしかならなかった。
 また、民宿で自然志向、農業志向の人たちを呼び込むことも試みられたが、現実にはそういう志向を持つ人はそれほど多くなく、たとえ持っていたとしても都市勤労者の労働条件、給料のもとではそれほど行くことができず、限られた日数で行くなら観光地で豪華な旅行をということになり、期待したほどにはならなかった。
 そこで考えられたのがリゾート開発で人を呼ぶことだった。ゴルフ場、スキー場、各種スポーツ施設、テーマパーク、別荘地、リゾートホテル等を造成し、温泉を掘り、そこでの雇用を増やし、地元の生産物を販売する等で地域を活性化するというのである。東北でもゴルフ場の造成が急激な勢いで進んだ。

 古い話になるが、1968(昭和43)年の春、四国の松山に行ったときのことである。ミカンの大規模農家を訪ねてお話をうかがった。私にとっては初めてのミカン農家の調査で興味津々でいろいろお伺いしたのだが、最後にこれから経営をどうするかを聞いた。するとその農家の方は言う、ミカンの規模はこのままでいく、そして裏山を何人かの人といっしょに開発してゴルフ場をつくり、それを経営するという。びっくりした。当時は一部上流階級のものしかゴルフをやらず、ゴルフ人口がきわめて少なかったし、ましてや東北ではゴルフ場などほとんどなかったころだからである。そこで聞いた、農家の方がやるんですかと。そしたらその方は笑って答えた、「百姓なんか相手にできるか」。同じ百姓なのに何と言うことをいうのかと思ったが、後で考えたらよくわかった。阪神、瀬戸内は高度経済成長まっただなか、接待ゴルフが盛んになっており、客はそこにいくらでもいたのである。
 このことが今でも強く印象に残っているのだが、やがて東北にもゴルフ場ブームが押し寄せてきた。80年代に入ったころだろうと思う、首都圏からの客も目当てにして東北各地にゴルフ場ができた。その頃は中流サラリーマンもやるようになっており、土日などは大変な盛況だったようである。県などの依頼で山村の視察調査に行ったとき、昼食の時間になったら、地元の食堂などではなく、ゴルフ場の豪華なクラブハウスに案内され、時代も変わったものだと思ったものだった。

 今度は99年北海道に行ってからの話になるが、北の地から羽田に行く飛行機は、必ずと言っていいほど房総半島の上空をぐるっと一回りして着陸する。もうすぐだと思って降りる心構えをして下の景色を見ると、低くなだらかな丘陵の木々の緑が何かでひっかかれたようになくなっている。何かの傷のようにも見える。それがいくつもいくつもある。最初は何なのかわからなかった。何回か往復するうちにはっと気が付いた。そうだ、あれはゴルフ場だと。それにしてもすさまじい数である。こんなにあるとは信じられない。だからゴルフ場だとは考えなかったのだ。こんなにたくさんあって客が入るのだろうかとさえ思ってしまう。
 そこでいつも考えてしまう、なぜこんなにたくさん山をまた畑を傷つけなければならないのだろうかと。かつて地域の人たちの必需品であった雑木林を根こそぎ押しつぶし、山の形を大きく変え、昔からそこに住んでいた動物のすみかをこんなになくしてゴルフ場をつくっていいのだろうか。芝生という緑があるからいいではないかと言われるかもしれない。しかしその芝の維持のためにどれだけの農薬が用いられ、人手が使われているだろうか。ともかくもったいない。あれだけの金と人手をかけるなら放牧場を造成し、牛を飼わせた方がずっといいはずだ。飼料や肉の自給率は高まるし、農薬も使わないですむ。そもそも草地面積よりもゴルフ場の面積の方が多いというのがおかしい。そして日本は国土が狭い、だから飼料を輸入しなければならないという。こんな話があるだろうか。しかし「牛よりも人を放牧した方がもうかる」という社会なのである。
 それでも、あの緑あふれる芝生がもしも子どもたちに開放され、子どもたちが芝生をごろごろころげまわったり、思いっきりかけずりまわったりするのに使うのであればまだ許せる。町の中にある公園の芝生などは立ち入り禁止になっていて遊べないから、ぜひそうさせてやりたい。しかし、あの広々とした土地で遊んでいるのは大人だけ、しかもぽつんぽつんといるだけである。
 運動だからそれでもいいではないかというが、それならクラブなどは自分で運べばいいではないか。なぜキャディに背負わせたり運ばせたりするのかがわからない。そして政財界のご接待に使われたり、高い会員権が投機の対象としてべらぼうな金で取引されたりする。だからどうしてもゴルフは好きになれない。
 せめて、世界的な食糧不足になったらこうしたゴルフ場を接収して牛などを放牧し、あるいはジャガイモ畑にして食料を確保するという法律を定めておくくらいはしてもらいたい。そうでないとますますゴルフがきらいになるだけだ。

 話をもとに戻す。
 スキー場の存在が農村人口を増やしたことは聞いたことがある。前にも書いたが、スキーにきた都会の女性がスキー指導員をやっている農家の青年に惹かれ、結婚して地域に残った、こんな話は何回も聞いた。しかし、ゴルフ場ができて農家に嫁さんが来たり、地域が活性化したなどという話は聞いたことがない。
 にもかかわらず、こうしたリゾート開発を政府は勧め、にっちもさっちもいかなくなっていた市町村はそれに望みを託した。とくに1987年にリゾート法ができたことを契機にそれに取り組もうとするところが出てきた。そして大企業系列のデベロッパーのリードのもとにゴルフ場、スキー場、リゾートホテルなどの開発を進めた。
 その結果どうなったか、もう説明するまでもないだろう、リゾート施設は一時的なブームにわいただけでやがて閑古鳥が鳴き、結局は廃業して無残な姿をさらし、自治体は財政破綻、地域振興や農業振興にはまったく役に立たず、結局はその建設に携わった建設・土木業界がもうかっただけだった。
 もちろんすべてが失敗しているわけではない。たとえば仙台から一時間くらいの距離にある山間部に90年ころできたゴルフ場はきちんと営業している。しかし、それが本当に農村振興につながったのか。ここの農業青年がこんなことを言っていた。
 このゴルフ場の経営主体となる住建大企業は、地域の農産物の販売や雇用拡大に役立つために開発するのだ、むらづくりにも積極的に参加したいとして開発の前後には職員一人を現場に派遣し、むら人のなかに入っていろいろな提言をするなどしていた。この開発のために町や県は土地取得を手伝い、道路をつくり、橋をつくってやった。地元の人たちがその橋に開発主体の企業の名前をつけて呼んだほど、町や県は尽くした。そして完成した。そしたら企業からは何の音沙汰もない。ゴルフ場やリゾートホテルは地域の農産物などほとんど利用しない。最初の姿勢は開発にさいして地元とごたごたを起こさないためのポーズでしかなかったのだ、何のための開発だったのかと。
 それが現実である。財界のいう都市住民の農村移住計画、むらづくり、リゾート開発などは彼らの利益のためのものでしかないのである。それを忘れて企業と提携してむらづくりを進めようなどとするととんでもないことになる。
 もちろん、村の活性化に企業を利用することはあってもいい。しかし、企業の善意などに期待するわけにはいかない。地域の主体性がよほどきちんとしていないとむらは企業にのっとられてしまったり、地域が衰退してしまったりしてしまう。幻想をもつことなく企業に対応していくことが必要なのである。
 また、休日に農村で過ごしたいという都市住民の希望に応え、リゾート開発を進めることもあっていい。そのさいには、農業の振興、地元の利益に役に立ち、国民大衆のレクリェーション施設として本当に役に立つものかどうか、地域の豊かな自然を壊すことにならないかどうか、大企業の利益の対象としてだけ利用されないかどうか、きちんと見極めて進めなければならない。
 こんなことを90年代前半に話したことがあったのだが、バブル崩壊ととともにリゾート開発による地域振興などという話は消えてしまった。リゾート開発は地域に深い傷を負わせて終わった。
 そして農村人口の流出は止まるどころかますます深刻化するだけだった。

 こうした状況を何とか打開したいと考える農家や農協、輸入農産物の激増や食生活、環境悪化に不安をもつ消費者や生協などの間に生まれたのが、地産地消の運動だった。また、行政は産地直売を推奨した。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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