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法人化と企業精神なるものの勧め



               世紀末の東北農業をめぐる動き(8)

               ☆法人化と企業精神なるものの勧め

 1960年代なかばに6戸で構成される稲作全面共同経営の「大鳥東生産組合」が宮城県栗駒町(現・栗原市)に設立された。経営は順調に展開し、現在は設立者の第二世代が全員その経営を継承している。この経営は任意組合だったが、95年に法人化し、それを機会に「くりこま高原ファーム」と名称を変更した(註1)。法人化した理由はさまざまあるが、もっとも大きかったのは経営の継承問題であった。当時40歳代の組合長の長男が農業を継がないというのである。彼は非常にショックを受けた。彼らの世代は当然のごとく農業を継承したにもかかわらず、またこの共同経営は他産業並みの所得も定休日もある非常にすぐれた経営をしているにかかわらず、継がないと言うのである。もちろんそれは職業選択の自由からして認めざるを得ない。ただ、そうなると問題となるのが誰に経営を移譲すればいいかということである。いまはまだ20歳代の構成員もおり、その子どもも小さいから問題にならないが、将来何人かの構成員の子どもが経営を継がなかったりすれば、極端には全員継がないなどとなったら、この30年以上も続いた経営は潰れてしまう。つまり血族に継がせるということだけを考えていては経営を持続していくことはできない。法人にして、構成員以外の人も入れられるようにして、この経営を継承してもらうようにしないとだめなのではないか。こういうことも一因となって法人化したのである。
 このように、法人化は家族経営の限界を克服する一手段であり、また家族経営の発展の一形態であるので、一つの方向として考えていくことが必要となっている。
 ところが政財界はそうは考えない。法人と一般の農家とは違うもの、法人は企業的経営で家族経営とはまったく異なるものであり、法人は優れているものとして両者の間に垣根をつくる。
 そして政財界は、法人化とは利益を追求する企業経営化であるととらえ、この企業経営化を進めることこそ日本農業が生き延びる道だとする。
 つまり、国境措置や所得政策等の農業振興策はとらなくとも、法人化さえすれば国際化時代にも対応できるかのごとくいい、法人化を構造政策の一つの中心として推進する。
 さらに次のように言う、農産物輸入や農業政策後退よりも企業的精神をもっていない農家の存在、企業的精神のある企業の農業進出を認めないことが農業の衰退の原因だ、企業経営であれば、企業的精神をもてば、厳しい状況は切り抜けることができると。マスコミもそれをあおった。そして農業への企業進出に不安を覚える人たちには、企業の社会的責任がいわれる時代に企業が悪いことをするわけはないと識者なる人たちは説得しようとした(註2)。
 しかし、本当に社会的責任を感じているなら、なぜ企業は工業生産の拠点を海外にシフトし、経済空洞化を進め、国内の下請け零細企業やそこで働く人たちを苦しめるのだろうか。また、なぜ企業は海外の農産物を日本に輸入したり、開発輸入をしたりして農家を困らせ、農地を潰廃させ、地域の環境や景観を破壊しているのだろうか。
 経営を存続させ、利益を拡大するためにはそれはやむを得ないと財界はいう。そしてそうするのが経営者の企業感覚からして当然だという。 
 たしかにいますぐの利益だけ求め、人類社会の利益はおろか長期的な視点をもたない企業的精神、もうけのために自国での生産はやめて他国に生産を移転し、国や民族はどうなってもかまわないという無国籍の企業的精神、こうした精神をもてば経営としては生き延びるかもしれない。
 しかし、幸か不幸か、日本の農業者はこのような「企業的精神」はもっていなかった。
 たとえば、もうからない国内での農業はやめ、円高ドル安を利用して開発途上国などに進出して農業をやり、低コストで生産して日本に輸出して、つまり日本の農業をつぶして利益をあげ、自分の経営だけは生き延びようなどとは考えなかった。日本農業や地域農業などどうなってもいい、経営さえ生き延びればいいなどという企業的精神はもたなかったのである。だからそんなことはしなかった。つまり企業的精神なるものがなかったからこそこれまでわが国の農業は維持されてきた。
 しかし農外企業は企業的精神で国内生産の空洞化を進めてきた。国内の生産はなくなったが、自分たちの経営だけは生き延び、さらに成長したのである。
 これが企業的精神であるとしたなら農業にそんな精神は必要ない。
 ましてやバブルに踊って土地や株の投機的な取引などで大もうけをし、さらにはそれで巨額の赤字を出してその責任すらまともにとろうとしない企業精神、国から援助してもらう農業は産業として自立していないと非難しておきながら自らはバブルの失敗のつけを税金で払わせている面の皮の厚い企業的精神、そして巨額の経営者報酬なるものを支払ってまた株の配当を増やして何の罪悪感ももたない企業精神、こんなもので農業をやられたら国内の農業や農地はどうなるだろうか。

 もう一つ考えなければならないことは、農業における法人化の推進は農業への進出と農地の所有をめざす資本の要求であることである。生産、流通、農地所有・利用等にかかわるあらゆる面での規制緩和を進め、とりわけ株式会社の農業進出を可能にしようとしていることなどはまさにそこに狙いがある。
 つまり、株式会社が農業をやれるようにして大企業もしくはその下請企業がこれまでの農産物流通・加工に加えて生産にまで進出し、生産から流通まで独占的に支配しようとしているのである。
 もちろん、農業がもうからなくなれば簡単に農業をやめてしまうだろう。企業的精神なるものからしてこれは当然のことである。そうなったら農地を農外に転用し、それでもうけようとするだろう。実はそこに農業進出の本当の狙いがあるのかもしれない。土地転がしでぼろもうけをしてきた資本が農地も転がしたい、そのためにとりあえず農業をやっておこうということを考えているのかもしれない。
 つまり、これまで株式会社などは農地を所有することはできなかったが、株式会社も農業をやれることにして農地を所有できるようにする。そして土地を農地価格で安くかきあつめ、それを後にゴルフ場や住宅用地など農外に転用し、あるいは転用地として高価格で売って大きな利益を得る。こうしてこれまで都市でやってきた土地転がしを農村部でもやれるようにする、これまで手を出せなかった農地を所有して投機の対象、土地転がしの対象とする。つまり日本のすべての土地を利益の対象にする、ここにも狙いがあるのである。
 こうしたことから財界は株式会社を農業生産法人として認めるよう強く求めてきた。当然農業者の側は強く反発し、新しい農業基本法の作成の過程で大激論になった。しかし、1999年成立した新農基法(「食料・農業・農村基本法」)は、法人化の推進の名の下に、限定条件付きではあるが、株式会社の農業参入を認めた。これは、企業の農業進出、農地所有に道を開くものだった。
 もう一方で新農基法は、食糧自給率の向上を大きくかかげる等、国民の声に応えようとする側面ももっていた。

(註)
1.この経営については下記の記事でも紹介している。
  11年9月16日掲載・本稿第二部「☆女性の意思を大事にしよう」(3段落)
2.その後もまったく同じことを言って農産物の全面自由化と企業の農業進出を推進しようとしている。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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