Entries

県民性はある?




               東北人の気質と地域性(2)

                 ☆県民性はある?

 かなり前のことになるが、西日本出身の先輩研究者のNKさんが私にこう言った。
 明治期に書かれた本を読んだら、東日本は殺人等の粗暴犯が多く、西日本には詐欺等の知能犯が多い、東は馬型で西は牛型だと書いてあった、人間には地域性があるらしいと。そして私を冷やかす、この本がいうように東日本の人間は粗暴な性格をもっている、君はその人種だと。
 頭に来た私は言った。1人で30人も殺したという事件は岡山で起きている、これは日本最高記録であり、この結果犯人1人当たりの平均殺人数は東より多くなっているはずだ、こんな西日本こそ凶暴ではないか。どんな地域でも悪い奴もいればいい奴もいる、地域による人間性の差異を問題にすると、地域差別を助長することになると。彼はそれに対して何も言わなかったが、この粗暴犯、知能犯のことを人間の風土性としてある本に書いた。それにはちょっと頭にきた。
 そうはいいながらも、私もやはり人間には地域特有の性格・気風があるのではないかと考えることがある。

 若い頃、「海に夕日が沈むのを見せたい」と家内に言ったら、「海から日が昇るのを見たことがあるから見なくともいい」と言う。「朝日と夕日では大きさがまるっきり違う、色も違う、だから見せたいのだ」と言ってもわからない。頭に来たので、「海に接すると太陽はジュッと音をたてて沈む、それを見たくないか」と言う。当然のことながらますます信じない。私の言うことをようやく理解してくれたのは、新潟の瀬波温泉の海で初めて落日を見たときであった。
 この感覚の相違は何だろう。太平洋側生まれと日本海側生まれのせいなのだろうか。
 それからときどきみんなにこんな質問をした。「考えないで瞬間的に答えろよ、太陽は海に沈むのか、昇るのか」。面白いことに、太平洋側生まれの人はほとんど「昇る」と答え、日本海側出身者は「沈む」と答える。ついでに冬のイメージを聞くと、雪国の人間は雪とか白とか答えるが、南の方に行くにしたがってそうした答えは少なくなる。
 どうも人間の感性は生まれ育った地域の自然条件によって異なるようである。農業に地域性があるように人間の考え方にも地域性があるらしい。だから県民性などと言うことがよく話題になるのだろう。
 そこで、各地で取材している新聞・雑誌記者3人と飲んだときに聞いてみた。「県民性」なるものはあるのかと。異口同音に「ある」と答えた。しかし、と河北新報の記者のKSさんは続ける、同じ県民でも地域によって気質はかなり異なると。彼が山形支局にいたときの経験からだ。同じ山形でも庄内、最上、村山、置賜の4地域で気質がかなり違うと言う。私もそう思うし、いっしょに飲んだ他の記者も同感だとうなずく。四国4県とほぼ同じ広さの岩手県はもちろんそうだ。岩手の県北は青森とつながる南部藩に属する山間畑作地帯、県南は宮城県と同じ伊達藩で稲作地帯、三陸沿岸は漁業地帯なのだから、同じ県だからといって気質も同じだなどとは簡単に言えない。

 福島県は、山々を境にして太平洋岸の浜通り、福島から郡山、白河と南北に続く中通り、そして会津と三つの地域に区分される。
 ある年の冬、いわきから郡山そして会津若松へと2泊3日の用事を福島県庁から頼まれた。その時一番困ったのは履き物をどうするかである。会津若松では当然長靴が必要となる。しかしいわきで長靴を履いて歩いたら笑われる。郡山に行ったら少なくともブーツが必要だろう。案の定そうだった。海の近くのいわきはカラッと晴れ上がっており、雪はなく、道路は乾いている。磐越東線で阿武隈山地を越えて郡山に行ったら雪がちらちら、道路には2~3㌢の雪がある。翌日磐越西線で深い山々に囲まれた会津若松に着いたら30㌢以上の雪が積もっており、長靴なしでは歩けない。このように同じ県内でも浜通り、中通り、会津と気象、地形はかなり異なる。それはそこに住む人たちの気質も違えるはずである。同じ行政管内として共通する点はあるかもしれないが、県民性として一つにくくるのは無理というものではなかろうか。
 会津の人たちはよく「会津っぽ」と呼ばれる。独立心が強くて筋を通す気風をもっており、それが会津っぽだと自分たちも言う。
 この会津に転勤すると、転勤者は3回泣くと県庁や農協県連の職員は言う。まず転勤を命じられたとき、いやがって泣く。会津は交通条件が悪くて不便だし、雪も多いからだ。次に転勤した後に泣く。会津の人たちは閉鎖的で、なかなか親しく受け入れてくれないからである。当然仕事がしにくく、うまく進まない。最後は、いよいよお別れのときである。会津の人たちと徐々に親しくなり、その人情の厚さにひたってきた転勤者は別れるのが悲しくて泣く。
 会津の人たちは、これを「会津の三泣き」と称して自慢する。自分達は取っつきが悪いかもしれないが、実は人間がいいことを示すものだと。
 しかし、会津出身以外の人はこっそり言う。実は、会津を去るときの3度目の涙は悲しみの涙ではなくて「うれし泣き」の涙だ、頑固でしつこくて理屈っぽくて暗くて人の悪い会津人とさよならするのがうれしくて泣くのだと。
 私には両者の言うことともに正しいと思えるのだが、会津には後に述べるような内陸部に共通する特有の気質があるように思われる。
 この会津に対して浜通りは宮城県南東部、茨城県沿岸部の人たちとその気質が似ており、中通りはこの浜通りと会津の中間のような気がする。
 この浜通りのように県をこえて気質が似ているということもあるのではなかろうか。

 秋田・岩手の地域連携でいかに地域振興を図っていくかという会議のとき、秋田の田沢湖町(現・仙北市)の人が次のようなことを言った。
 われわれは隣町の岩手県雫石町の情報を知りたい。ところが地方紙もテレビのローカルニュースもまったく伝えてくれず、日本海側の羽後本荘とか能代とかの情報はくわしく伝える、しかし同じ県内といってもそこは奥羽山脈のど真ん中に住む自分たちに直接関係ない、お隣の町で何が起きているのかを知りたいのだと。それを聞いたときなるほどと思った。考えてみたら、田沢湖町から雫石に抜ける道路沿いの集落の人たちは、峠で隔てられているとはいえ、隣り部落であり、その昔から深い交流があったのである。われわれは県境で区切って考えてしまうのだが、県境をこえて生産・生活・文化あらゆる面で深くつながっていた地域もあるのである。
 それで思い出したのは、宮城県小野田町(現・加美町)の山形県境に近い集落に山形県の尾花沢市から嫁に来ている人がかなりあり、逆に尾花沢へ嫁や婿に出している家もあったことである。それを聞いたときなぜ他の県からと驚いたが、考えてみれば一山越えた隣りの地域でしかないのである。しかもそれをつなぐ道路は中羽前街道でその昔の主要道でもある。こうした人的交流はあって当然で、驚く方がおかしいのである。
 これだけ深いつながりがあれば、やはり隣の地域のニュースを知りたい。そして情報が流れてくれば、たとえばこういうことをやっているならいっしょに連携してやろう、こういうことを教わろうとかいうことになろうが、よほどの大事件でもないかぎり、県の異なる隣の地域の情報は新聞やテレビには出ない。新聞のローカル版、テレビのローカルニュースといってもそれは本当のローカルではなく、行政圏内の報道にしかなっていない。これで地域連携などできるのだろうか。
 こんなことを考えさせられたことがあったのだが、このように昔からの深い人的・物的交流があれば、その気質にはかなり類似したところがあるはずである。たとえば山間部の田沢湖町周辺の人たちの気質は遠く離れた沿岸部の由利や能代の人たちの気質よりも隣接している岩手県雫石町周辺の人たちと似ているかもしれない。
 このようなことから考えると県民性などということで一括りにすることはできないのではなかろうか。とは言っても、人間の地域性はやはりあると思われる。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR