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国際性と民族性、地域性



               地方と中央、日本人と国際化(4)

                ☆国際性と民族性、地域性

 前回述べた国際化に関連して、私と音楽の話からもう少し語らせてもらいたい。
 1954年、私の大学1年の秋、希望していた学生寮に入ることができ、下宿を引き払った。その寮は新しく建てられた一部屋2人、2段ベッド付きの当時としてはきわめて近代的な建物だった。入って2~3日したころだと思うのだが、友だちも外出したので一人で夕食をすませ、部屋でごろ寝をしていたら、食堂から歌が聞こえてくる。そういえば楽団カチューシャ(だったと思う)の人が寮に泊まっており、その御礼に夜歌唱指導をしてくれるという知らせがあったことを思い出した。退屈だったので何となく行ってみた。全寮生の約2割、50人ほどがうす暗い食堂の椅子に座っていた。その後ろに私も座って、指導をしてくれる女性がアコーディオンの伴奏で歌うのを聴いた。これまで聞いたことのないラドミを基調とする哀愁のこもったメロディだった。しかも覚えやすい。歌詞もよかった。ロシアの歌だという。感激してすぐに覚えたのだが、その後歌もその名前も忘れていた。3年生になって『川岸のベンチで』(註1)という歌だったことを思い出した。この年から農学部の学生と東北大学付属看護学校の学生とでつくっている混声合唱団に入ったからである。合唱などは歌のうまい特別な人間がやるものと思っていたが、誰でも歌える、みんなで歌おうをスローガンにしているうたごえ運動の合唱団であったことと、いろいろな縁があったことから参加することになったのである。やがてそれに夢中になり、合唱などまったく縁もゆかりもなかった私が音符を覚え、後には指揮者までやることになるのだが、当時のうたごえ運動の歌の中心はロシアの歌だった。後にダークダックスなども歌うようになって普遍化してくるが、当時はともかく新鮮だった。そのうち、いずみたくなど日本人のつくった新しい歌や他の国の歌も歌うようになった。
 1961年、安保闘争を題材にした組曲がつくられたというので、それを取り上げて歌うことになった。非常にいい曲なのだが、最初のところがどうしても気になる。中国風のメロディなのである。なぜなのかわからなかった。ある時、この組曲をつくった東京の合唱団(うたごえ運動の中心的な合唱団)の人が得々としてこう語った。中国にこの曲を持っていったら、有名な作曲家が手直しをしてくれた、それで非常にいい曲になったと。中国風になったのはそのせいだったのだ。頭に来た。この歌は日本人の闘いの歌である。それなのになぜ中国風のメロディなのか。どんな偉い人かしらないが、なぜ中国のいうことを聞いて手直しをして得々としているのかと。
 それで思い出したことがあった。その2~3年前、当時のソビエトの作曲家が東京にきたとき日本の朝の印象を作曲した、日本のメロディも入っている、それはそれはすばらしい歌だとして、うたごえの中心合唱団が一生懸命普及しようとした。私に言わせるといい歌などとは全然思えない。日本のメロディなどといっても、どこだかわからない東洋風のメロディが曲のなかにちょっと入っているだけである。実際にまったく流行らなかった。こんな歌を、ソビエトの作曲家がつくったというだけで、なぜこんなにもちあげるのか。これも頭に来ていた。
 当時、ソビエトと中国は社会主義の大国だった。後にその誤りや問題点がいろいろわかってくるが、当時は世界で初めての社会主義をつくろうとしていることで左翼運動から尊敬されていたし、私も好意をもっていた。しかしこのことは何でもすばらしい、その言うことは何でも正しいということにはならない。音楽ももちろんその通りである。ロシアの歌からいろいろ学ぶことはあったが、ロシア人がつくつた歌は何でもいいということにはならない。中国の音楽家のいうことだからそれは正しいと言うことにはならないし、ましてや中国風のメロディは日本的なメロディより優れているなどということはない。そう考えない日本のうたごえ運動の中心メンバーは何と卑屈なんだろう。保守はアメリカ崇拝、左翼は中ソ崇拝(共産党はそのすぐ後に自主独立・反大国主義路線をとるが)、日本人というのはそもそもそういう性格をもっているのだろうか、それが大国のもっている大国主義をますますつけあがらせることになるのではなかろうか。

 こんなことを考えてから十数年過ぎて、たまたま子どもがかけていたチャイコフスキーの交響曲のレコードを聞くともなしに聞いていた。途中であれっと思った。聞いたことのあるロシア民謡が出てきたのである。よく聞いてみると、私も歌ったことのある『白樺の木』(註1)という民謡で、さまざまアレンジされて入っていた。それ以外にもさまざまなロシア民謡のメロディが出てくる。驚いた。それまでまったく気がつかず、すべてがチャイコフスキーのオリジナルだろうと思っていたからである。この交響曲はロシア民謡だということがはっきりわかるような構成になっているのだが、それ以外の曲にもロシアの音楽の伝統が直接間接に反映されている(と思う、まともに音楽を勉強したわけでないので誤りかもしれないが)。それがわれわれの心を打ち、世界のさまざまな国民の気持ちをとらえ、世界の名曲とさせているのではなかろうか。チャイコフスキーばかりではない。ガーシュインがアメリカ音楽を基礎とした曲をつくっているように、世界的に有名な他の作曲家も民族性を反映させているから世界中の人々の気持ちをとらえているのではなかろうか。
 そう考えてみれば絵だってそうだ。日本的としか言いようのない浮世絵がゴッホを始めとする西洋の近代絵画に大きな影響を与えているのはその典型例だろう。
 とすると、「もっとも民族的なものはもっとも国際的なものである」ということにならないだろうか。研究もそう言えるのではなかろうか。「地域に根ざした研究こそ国際的な研究になる」のではなかろうか。
 日本という地域にねざした稲作の研究が世界をリードしているのはそれを示しているといえよう。火山灰土壌の研究も世界をリードしているが、日本が世界有数の火山国であり、多種多様な火山灰土壌、その転化したあるいは人為的に変化させた土壌が多様に存在しているという地域性を生かした研究が日本でなされているからなのである。もう一つ例をあげれば、ボツリヌス菌、猛毒で世界的に有名な食中毒の菌であるが、これを発見したのは北海道の研究機関だった。日本海側や北海道で食べるものに飯鮨(いいずし・鰊とか鮭、ハタハタなどの切り身とご飯とでつくる押鮨の一種)があるが、これによる中毒の研究のなかでこの菌を発見し、それをもとにさまざまな研究成果をあげて世界に発信している。
 このように、国際的な研究というのは、今世界で話題になっていること、よその国でやっていることを研究すること、海外に行って研究することだけではないのである。
 もちろん単に民族的であればいいわけではない。チャイコフスキーの曲にしても、単にロシアの楽器だけ使ってロシアの民謡だけを基礎にして作曲・演奏したら国際的なものにならなかったであろう。世界のさまざまな音楽のいろいろな形での融合もあって名曲となっているのである。
 研究も同じだ。地域が大事だといって地域に閉じこもってはならないし、そこに埋没して独りよがりになってはならない。郷土史研究などによく見られることだが、その地域の事実を集積するだけであってはならない。もちろんその価値は一切ないなどというつもりはない。一定の事実は明らかにしており、それを記録に残しておくということはそれなりの意義があり、さらにそれは研究の素材ともなるからである。しかしそれはそれ以上でもそれ以下でもない。さまざまな学的な交流のなかで、他国、他地域から学び、他国、他地域に成果を発信するなかで、客観化、相対化し、法則性を明らかにしようとすることで研究となる。地域に根ざしつつ地域から離れることにより全国に共通するあるいは国際的な研究になるのではなかろうか。
 後に大阪の大学の教授となったKH君が大学院生の頃、東北だけでなく他の地域も研究したいと言ったことがある。たしかにそれは必要である。しかしあちこち見ればいい研究ができるというものでもない。かえって焦点がぼけてしまい、毒にも薬にもならない論文になってしまう危険性がある。まず自分の足下の東北を徹底してつきつめて研究したらどうか。そうしたなかで問題意識をさらに鮮明にすれば、後で他の地域の研究をする時の視点もはっきりするし、逆にそれが自分のこれまでやった東北の研究をさらに深めることにつながる。そしてその研究はさらに普遍性をもつようになる。こんな風に彼に話したことがあるのだが、「地域に根ざした研究がもっとも普遍性をもつ」ということもあるのではなかろうか。
 ただしこれは、大学院時代と助手の初期のころに調査の機会になかなか恵まれず、ましてや東北以外の調査などあまりできなかった私の負け惜しみだったのかもしれない。私が「中央」ではなく山形、仙台という「地方」に生まれ住んだことで抱かされてきた劣等感の裏返しだった可能性もある。
 しかし私は全国区ではなく東北地方区を基本に研究を進めてきたことを本当によかったと今は思っている。
 ともかく、国際化だといって地域を、自国を忘れてはならないのではなかろうか。そしてもっともっと地域に、自国に誇りをもつ必要がある。そしてそれが真の国際化の前提だと私は考えている。
 私は東北の悪口はいいながらも東北を愛してきた。それでよかったと思うし、これからも愛し続けようと思う(註2)。

(註)
1. 参考のために歌詞を一番だけ紹介しておく。
 『川岸のベンチで』 「灯またたき 月は水に揺れ 川岸で語る 若者と乙女よ」
 『白樺の木』 「小さい白樺の木 生えているよ野原に リューリリュリ野原に リューリリュリ野原に」
2.4月2日から第四部を始める。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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