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定年前後



                  わびしい日日是好日(1)

                    ☆定年前後

 「十年一昔」という。まさに10年前は昔であり、そのころのことを聞かれて正確に答えるなどというのは、よほどのことでないかぎり、まず無理である。
 ところが私どもは農家調査で平気で10年前、あるいは20年、さらには30年も前のことを聞く。そのころ土地をどれだけ持って何を栽培していたか、機械はいつ頃何万円で買ったか、家族員数はどうだったかなどなど。農家の方は必死になって思い出して答えてくれる。しかし必ずしも正確なものではない。もしも10年単位くらいに調査をしてそれをきちんと残しておいたらデータは正確になり、かなりおもしろい研究ができるのではないかと思うことがある。実際にそういう経験もしている。
 1962(昭和37)年、東北大農研のYK先生の調査に参加させていただいたときのことである。それは1949(昭和24)年に農林中金が調査した宮城県古川市志田地区(現・大崎市)の農家の調査個票をもとにその後の変化を調査するというものだった。49年当時の個票に土地面積や家族員数等が正確に記載されていたので、その後の増減変化をほぼ正確に押さえることができ、それを基礎に分析することができた。この10年余にわたる期間は農地改革、復員や疎開、戦後復興等の激動の時期であったので、単なる農家の記憶ではここまで正確に調査できなかったろう。
 同じようなことをまた感じたことがあった。1955(昭和30)年に行われた農業集落農地動態調査の個票が農水省に残っているというので、その個票をもとに調査集落を改めて調査し、どのように農家が変化したか、とくに農地がどう動いたかを当時農工大におられたKIさんを中心に全国各地で調査することになり、私もそのメンバーの一員となった。この調査は1972(昭和47)年から何年間かにわたってなされたが、私の担当した最初の調査地区は山形県酒田市南遊佐集落だった。
 その調査票を基礎に農家に行って調査すると、きわめてよく変化がわかる。農家はそういえば17年前はそうだったとなつかしそうに思い出し、それをもとにしてそれからの変化をすらすらと答えてくれる。世代が替わっていて当時のことがわからない農家でも、自分の子ども時代はそうだったかもしれないなどと思い出して答えてくれる。昔の調査票のコピーをさしあげると記念になると非常に喜んでくれた。
 我々としてもうれしかった。歴史的な変化がきちんとわかり、それをもとに分析できるからである。また、調査しなければそのまま消えてしまったであろう集落の農業の変化、歴史がほぼ正確に記録されることになるということもあった。
 こうしたことから、私はそれ以後の調査では必ず全戸の調査個票を保存することにした。もしかしてまたその地域を調査するとなれば、それはそのまま使えるので非常に役に立つからである。さらに、自ら機会をつくって10~20年後にそこを調査し、変化をきちんと押さえたいとも考えた。
 しかし、もう一度調査にいくなどという機会はなかなかつくれなかった。特別なことたとえば外部から委託されるなどのことがなければ、もう一度調査するなどと言うのは、時間と経費の関係からなかなかできなかったからである。
 それでも調査個票は捨てられなかった。しかし、時間が経つに連れ、研究室は狭くなってくる。資料や調査票も膨大なものとなり、それをおいておくスペースも少なくなってくる。どうしたらいいかと研究室のお世話をしてくれている職員の方から責められる。私の定年の時期も迫ってくる。後輩の教員は私どもの時代以上に忙しく、私の考えを引き継いで再調査をしてくれる暇などはあるわけもない。
 そこで東北大定年時の1999年、エイヤッとばかりに廃棄することにした。調査に参加したみんなの苦労の成果を、研究の種子を捨てるのは本当にしのびなかったが、やむを得なかった。
 それでも各地の調査資料や調査ノートだけは捨てなかった。そして網走にそのままもってきた。しかしそれから7年過ぎ、とうとう廃棄する時期がきてしまった。

 私が研究生活に入ったころの60年代は調査に行って必要な資料を捜すのに苦労した。そもそも今のように紙がたくさんある時代でないから記録されているものは少ないし、何とか記録されているその少ない資料も戦後の混乱や町村合併のなかで処分されたものもあるからである。こんなことで資料収集に苦労したので、調査に行ったときにいただいた各地の資料は必ず保存しておくことにした。いつ役に立つかわからないからである。また、こうした資料はもしかすると現地で保存されていないかもしれず、改めて歴史的に地域調査をしようとするとき役にたつかもしれない。自分でなくとももしかしたら誰か他の人の役にたつかもしれない。
 そんなことを考えて、調査に行ったとき集めた各地のさまざまな資料、農家や地域の方々から聞き取りしたノート等は捨てないでおいた。
 実際にそれが役に立ったときが何回かあった。たとえば、1960年代後半から70年代にかけて開田をテーマに行った岩手県和賀町(現・北上市)調査のときに集めた資料が、1992年の第三セクターによる転作田受託に関する同地域の調査のときに非常に役に立った。当時の資料の多くが町や農協ではどこに行ったかわからなくなっていたからなおのことだった。
 こうして保存した資料、ノートは膨大なものになった。それらは廃棄せず、ほとんどを網走にもって行った。東北大を定年になれば少しは暇になるだろう、そのときにこうした諸資料をゆっくりと整理し、かつて書きたくとも書けなかったことや書かなかったことを、改めて現時点からの視点で見直して論文を書くのもいいだろう、またどうしても必要と思われる資料は後輩に残していこうなどと考えたからである。しかし、現実には整理できなかった。手を付けることすらできなかった。こうして農大も定年を迎えるにいたった。
 今度は勤めがないので時間の余裕もできるはずである。そうなれはいろいろ整理できる。そしてそれをもとに原稿を書いたり、必要な人に資料を提供することができるかもしれない。
 とは考えたものの、もうまとめて報告するだけの能力はなくなっている。年齢からして私に残された時間も少ない。さらにまとめたとしてもそれを公表する場もないし、それがどれだけ学問の発展に寄与するのかもわからない。
 また、資料を残しておいても誰が利用するというあてもない。最近の研究者は、農業、農村をめぐるめまぐるしい動きについていくのがせいいっぱい、しかも大学は評価、評価で追われて研究に使う時間もけずられており、じっくり歴史的に見る中で法則性を探すなどといっている暇がないようだからだ。残しておいても場所をとるだけだ。
 そこで思い切って調査のさいに収集した資料は、調査ノート以外、廃棄することにした。そればかりでなく、学問にかかわる書籍もすべて手放すことにした(このことについては後に述べる)。

 こうして06年4月、東京農業大学での教員生活を終え、7年ぶりで網走から仙台に帰った。この7年間日本の社会は大きく変わったが、しばらくぶりで見る東北の農業も大きく変わっていた。それもいい方向への変化ではなかった。
 もちろん自分も変わっていた。70歳、まさに高齢者になっていた。ちょうどそのころに感じたり考えたりしたことを次回から述べることにする。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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