Entries

「世界の常識」と日本人



                 わびしい日日是好日(3)

                ☆「世界の常識」と日本人

 ある新聞に「日本人ほどおめでたい民族は世界中見回しても珍しい」と書いてあった。
 日本人は「言い値でものを買い、釣り銭も数えない」からだそうである。たしかにわれわれはそうしている。日本では、売り手がごまかしたりふっかけたりしない、計算もきちんとしていてお釣りを間違うわけはないと考えているからである。つまり相手を信用している。これが気にくわないらしい。そして日本人は「世界の常識」から外れているという。
 しかし、それでいいではないか。相手がごまかしているのではないかとたえず心配していなければならない社会、人間を信頼できない社会などよりずっといいではないか。そもそも資本主義社会というのは等価交換を前提としている。その等価交換をもとにした円滑な商品流通・貨幣流通は、商業道徳つまりごまかさないという信頼関係が成立し、それが成熟してはじめて可能となるものである。したがって信用という関係が成立している日本はまさに成熟した資本主義社会なのである。それをもう一度商品経済の未成熟な社会に戻して、おめでたくない民族になれというのか。
 また、日本人が「人前ですぐ財布を開ける」のもおめでたいことの一つだという。私などはまったくその通りで、サハリンに行ったときに同僚に注意された。それから気をつけたが、日本ではもちろん気をつけない。財布を開けても盗まれたりしないからである。こんな社会こそ、おめでたい人間が被害をうけない社会こそ望ましいのではないだろうか。そのことを我々は誇りに思いこそすれ「珍しい民族」などと自らをさげすむ必要はさらさらないのではなかろうか。
 それから「喜怒哀楽を訴えず、自分の考えを言わない」ことも珍しいという。しかし、感情をむきだしにしなくとも、一々とりたてて言わなくとも、何も言わなくともわかりあえる、こんないいことはないではないか。自分のことだけ主張する人間で成り立つ社会より、お互いに相手のことをわかりあおうという優しい気持ちをもっている人々で構成される社会の方がいいではないか。
 さらに「自分で自分を確保するしかないのに危機意識が欠落している」のも日本人のおめでたさだという。たしかに他の国よりも危機意識はないかもしれない。これは当然のことである。犯罪は他の国に比べて非常に少ないからだ。自分で自分をまもるしかないとしていつも銃を持ち歩かなければならない国、家に銃を備えていなければならない社会の方がおかしいのではないだろうか。自己責任だ、みんな勝手に自分で自分の身をまもれなどというような社会よりも、みんなお互いに助け合ってみんなでみんなをまもりあう社会こそ望ましいのではなかろうか。
 そういうと、国内ではそれで通用するかもしれない、しかしいまは国際化の時代である、そのときにそんな危機意識のなさでいいのか、といわれるかもしれない。だからといって、日本を他国と同様に危機意識をもたなければならない社会にする必要はない。そもそもそんな危機意識をもたなければならないような国際化、国際社会こそおかしいのだ。
 おめでたさを許す日本社会、危機意識などもたなくともいい日本社会を誇りに思い、それをまもり、さらにこうした社会を世界中に広げていくことこそ必要なのではないだろうか。

 日本は「平和ぼけ」していると非難するものもいる。平和ぼけしている日本人はイラクとかアフガンとかいろいろ問題が起きているのに何もしようとはしない、国際協力をしようとしない、こんな国は珍しいという。そして国際協力、自衛隊の海外派遣をすべきだ、「普通の国」になるべきだと主張する。そう言われると何となくそういうものかと思い、ちょっとだけなら自衛隊を海外派遣してもいいのではないか、アメリカに協力するのが国際協力なのだろう、「世界の常識」なのだろうと考えるようになる。こうして善意からではあるが、海外派兵に賛成になり、知らず知らずのうちに戦争への道に引きずられていく。ずるずると戦争に引き込まれていった戦前の道、戦争への道を「平和ぼけ」論者はいままたたどらせようとしているのである。
 たしかにわれわれは平和ぼけになっているかもしれない。そしてそれは戦後六十年間、ともかく国家の武力でもって外国人を殺戮させなかった憲法のおかげである。たしかにこんな憲法をもっている国は珍しい。しかしそれはそれでけっこうではないか。それどころか、世界中の人々が平和ぼけになるようにしようではないか。世界のすべての国が日本の憲法のような戦争放棄をかかげるようにし、世界中が平和ぼけになるような社会をつくっていこうではないか。
 そして日本を珍しい存在から世界で普通の存在にしていこう。ただし、食糧自給率が異常に低いという珍しい存在からだけは日本が脱却してもらいたい。この点だけはせめてEU諸国並みの自給率をもつ「普通の国」になってもらいたいものである。

 1940(昭15)年、『紀元は二千六百年』という歌がラジオから毎日のように流れた。戦前使わせられたこの「皇紀」の年号なるものは史実にあわないきわめて非科学的なものであり、戦後廃止された。しかし明治とか昭和とかいう元号は残された。しかも公文書等ではこの元号を使うように強制されている。国際化だ、グローバルスタンダードだなどと騒ぎながら、これだけはいまだにそのままである。
 しかし、この元号はきわめて不便である。まず他の国の人々と共有することができない。欧米諸国の西暦と元号とを置き換えることが必要となり、その換算が面倒だ。また、元号では今から何年前か計算するのが難しい。天明とか元禄とか言われてもいまから何年前なのかがすぐにはわからない。昭和と平成を連続させるのも難しい。さらに天皇が変われば変わるのできわめて複雑である。そもそも天皇の生き死にに合わせて年を数える、名前を変えるのがおかしい。だから私は使いたくない。そうは言っても、明治、大正、昭和で小さい頃から育ち、周囲もそう使ってきたので、元号の年代で言った方が時代のイメージがわかる場合がある。だからといって元号を使うのもしゃくである。そもそも天皇制、身分制がきらいだからだ。それでこの原稿では西暦を使ってきたのだが、もしかして昭和・平成との換算で計算がまちがったりしているかもしれない。
 それでは西暦に全面的に切り替えるべきなのか。それもまたしゃくである。もちろん科学的にあるいは国際的に決められたものであればそれにしたがうのはやぶさかではない。しかし西暦はキリストの誕生した年をもとに決めたという。必ずしも科学的なものとはいえないし、国際的な協定で決められたわけでもない。そもそもクリスチャンでもないわれわれがどうしてその年を紀元としなければならないのか。なぜ釈迦の生まれた年ではだめなのか。人類が正確に年代を表記した「紀元」は周の時代の共和元年(キリスト紀元前841年)が始めなのだそうだが、なぜそこから年号を始めないのか。クリスチャンの年号をなぜ国際基準としなければならないのか。
 世界のあらゆる人々が納得できる年をゼロとして、それを世界共通の年号として使えるようにしたらどうなのだろうか。たとえば地球にとってあるいは人類にとって貴重な年を紀元とする。彗星が大接近した年でもいい、第二次大戦が終わった年でもいい。もちろん戦争による死者が一人も世界で出なくなった年をゼロ年とすることにし、それまでは便宜上西暦を使うということにしてもかまわない。
 年号変更でパソコン等を切り替えるのは大変だし、混乱もするだろうが、いまの技術では簡単だし、一時的なものでしかない。ぜひそうしてもらいたいものだ。

 年号ばかりではない。他の面でも欧米基準、キリスト教基準が横行しているが、それを変える必要もあるのではなかろうか。さらに最近では法律から経済、文化あらゆる面でグローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードに切り替え、それを「世界の常識」にしようとしているが、それを押しとどめる必要があろう。世界は多様な国家、民族、言語、宗教、文化から成り立っているのである。
 こんなことを考えながら近年研究を進めてきたのだが、なかなか世の中はよくならない。政財界は規制緩和とか改革とか言って、日本の社会をおかしくしている。国民もそれをおかしいとは思わず、自分で自分の首をしめている。もういやになる。

 01年、同時多発テロのあった日、私は調査でサハリンにいた。朝の食事にホテルの食堂に行ったら、ビルに飛行機が突っ込むのがテレビに映っていた。ロシア語なので何を言っているのかわからず、映画かCGでもやっているのかと思って見ていた。食事が終わり、調査にでかけるために外に出た。そして車に乗り込んだら、迎えに来てくれた通訳の方が、飛行機がニューヨークのビルにぶつかった、どこから来た飛行機なのか、なぜこうなったのかわからない、ともかく戦争状態のようだ、もしかすると予定通りには日本に帰れないかもしれないとまでいう。
 びっくりした。同時に、「アメリカさんよ、自分の国の空を守ることもできないで、よその国に口を出したり、手を出したりしなさんな、このバーカ」という言葉が頭の中をよぎった。
 このような「ざまをみろ」というような感情は私だけがもったわけではないことが日本に帰ってからわかった。ある新聞に次のような記事がのっていた。居酒屋で飲んでいた中年の男性数人が、テレビで同時多発テロのニュースを初めて聞いたとき、一斉に手を叩いたというのである。
 もちろん、その中年の男性たちもその後すぐに事態の深刻さに気づき、また被害者のことを思い、テロに対する憤りを感じたことであろう。私にしても同じであった。しかし、申し訳ないが、一瞬ではあっても痛快だと思ったことは事実である。
 潜在意識のもとに眠っているアメリカの傲慢な大国主義に対する反感、それがこういう形で現れたのではなかろうか。最近の弱肉強食社会、 リストラまで押しつけてくる大企業の横暴さ等々、鬱積している大きなものに対する反感が民衆の心の中にあるのではなかろうか。そしてそれはゆがんだ形での反感かもしれないが、まともな変革への意識に転化する可能性があるのではなかろうか。
 04年のプロ野球問題では、某有名球団のボス経営者の発言「たかが選手ごときが」にファンは強く反発し、選手の労働組合を支援し、ストライキを成功させた。
 この大衆の健全性にもっと確信をもっていいのではなかろうか。あきらめないでもう少しわれわれ世代もがんばらなければならないのではなかろうか。そして現代の苦悩を次代に先送りしてわれわれ世代と同じような苦悩を次の世代に味わわせないようにする必要があろう。
 そんなことを自分に言い聞かせているのだが、頭も身体もいうことをきかなくなり、そんな気力もなくなってきているのが悲しい。                    (2007年6月脱稿)



スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR