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「毎日が日曜日」≠「「悠々自適」



                 わびしい日日是好日(4)

              ☆「毎日が日曜日」≠「「悠々自適」

 東北大を定年になり、網走の農大に行って3ヶ月くらいしてからだろうか、用事があって仙台に帰った。そのとき家内が隣近所の人に言われたという、ご主人の顔が本当におだやかになったと。
 言われて驚いたが、あるいはそうかもしれないと思った。これまでは自分の能力以上に背伸びをしてきた。そして急ぎ足で走ってきた。ゆっくりとまわりを見るゆとりもなく、まっすぐに走ってきた。ともかく走り続けなければならなかった。しかし仕事は一段落した。もう走らなくともよくなった。そのことがもしかするとおだやかな顔にさせたのかもしれない。
 ところが網走に行って1~2年したらまた厳しい顔になったと家内から言われた。さまざまな役職につけられるなどで忙しくなったからかもしれない。しかし最後のころはそれからも解放された。網走を、北海道を、そして最後の大学生活をゆっくりと楽しむことができた。
 そして今度は農大も定年になり、さらにゆっくりすることができるようになった。もっとおだやかないい顔になるのではないかと期待している。

 退職をすると「毎日が日曜日」となる、これをどう過ごすかが問題だなどとよく言われる。
 しかし、幼いころは毎日が日曜日だった。それで退屈はしなかった。
 学校に入ってからは日曜日がうれしかった。もちろん、夏休みや冬・春の休みはもっとうれしかった。だから待ち遠しかった。しかし長い夏休みもあっという間に終わってしまう。休みの最後のころには憂鬱になった。宿題が終わっていないからなおのことである。
 勤めてからも休みが待ち遠しかった。だから金曜日の夜はうれしかった。土曜日は半日(当時は土曜日の午前中は勤務で午後休み、いわゆる半ドンだった)、日曜日は一日、子どもたちと過ごすことが出来るからだ。
 ところが土曜日の夜になるとさびしくなってくる。もう一日しか遊べないのかと。子どもを寝かせた後そんなことを考え始める頃に、テレビから『夢で逢いましょう』(註1)のメロディーが流れてくる。楽しく見る。最後にまた坂本スミ子の歌が流れる。
   「夢で逢いましょう 夢で逢いましょう
    夜があなたにささやく、夜があなたを抱きしめ」
 この歌が最後に流れると、いつも胸がつまるような感じがした。
 日曜日はそんなことを忘れてしまう。家で、あるいは外に出て、家族とゆっくりいっしょに過ごすのが本当に楽しい。月一回はデパートに行き、子どもたちはおもちゃを眺め、屋上のミニ遊園地で遊び、お子様ランチを食べる。
 しかしまた夕方からさびしくなってくる。ちょうど6時半からテレビで『しゃぼん玉ホリデイ』(註2)が始まる。クレイジイキャッツが出てくる楽しい番組なのだが、これが終わるともう休みも終わりだということが実感となり、ザピーナッツが歌うエンディングの『スターダスト』の曲を聴くとまた辛くなる。
 いつのころからかその土日もゆっくり休んでいられなくなってきた。週休二日制となって土曜日丸一日休みとなったにもかかわらずである。用事でつぶれることもあるし、たとえ外での用事がなくとも原稿とか何かに追われていたからである。それでもやはり土日が待ち遠しかった。子どもたちが自立してからもである。
 いよいよ退職となった。これから毎日が日曜日となる。ふたたび幼いころに戻ることができる。こんな幸せなことはない。したいことはいろいろある。自分の人生の整理もしなければならない。テレビも映画もいっぱい見たいし、本も読みたい。遊びにも出歩きたい。短い余生では毎日が日曜日でも時間が足りないくらいだ。
 もう仕事、学問はやめた。能力も限界である。これまでも、ない頭を振り絞って無理して論文を書き、講義や講演をしてきた。絞れるものももうなくなってきた。まだやろうとするのは未練というものである。それで学問の本は捨てることにした。しかし古本屋に出しても昔と違って売れるわけはない。そもそも網走にはまともな古本屋はない。図書館で引き取ってくれるような時代でもない。と思ったら、たまたま若い同僚がすべて引き取ってくれた。ともかくリサイクルでき、ゴミに出さずにすんだので、ほっとした。

 仙台に帰ってきて、毎日が日曜日を楽しむことになったが、当初は引越の整理等で忙しい日々を過ごした。ようやく片づけが終わり、何とか落ち着いて生活ができるようになった。しかしこまごました整理がまだまだ残っており、ましてや7年間の二重生活のツケの整理などもあり、ゆっくり小説を読む時間もとれない。それでもかつてのように時間に縛られ、追われることがなくなったことが幸せである。ただし年金暮らしになって「ひまはあれども金はなし」となった。これでお金があったら(ついでに若さが戻ったら)言うことはないのだが。

 悠々自適、いい言葉である。これが定年後の望みだったし、後輩諸君からは「悠々自適でいいですね」とうらやましがられる。
 しかし現実には「悠々」ではない。年金は驚くほど少なく、医療費、介護保険料は上がるし、人並みの生活をするのは大変である。もちろん、遠方で開かれる学会などに出席などできるわけがない。学問をやめることにしたのでそれでかまわないのだが、昔からの研究者仲間と顔を合わせ、飲むことができないのが残念だ。
 別荘まで買える大銀行、大商社などの定年退職者とくらべるとわれわれはひどいものだ。もちろんこう不満をもらしている私よりも低い年金しかもらっていない人が多数なので、不満は言えないのかもしれないが。
 わずかな貯金を取り崩して遊ぶわけにはいかない。寿命がわかっているなら、旅行を始めとしていろいろ使い道があるのだが、もしかして長生きして病気になったり介護の世話になったりしたときのお金を残しておかないわけにはいかない。だからといって寿命がわかったらこれまた大変だろう。どっちがいいのかわからないが、もう少しゆとりのある老後を楽しめる社会にしてもらいたいものだ。

 仙台に戻ってきて住民票の届けを出したら、市役所から連絡がきた。70歳以上なので敬老パスを交付するというのである。説明を見ると、一年間1万円分の市内のバス・地下鉄を無料で利用できる、さらに5千円を出すと市内全線すべて無料になるという。家内と二人で相談した結果、後者のパスの交付を受けることにした。年金生活者になったのだから、また時間的余裕もあるのだから、今までのようにタクシー利用ではなくバス利用に切り替えよう、網走にいた7年間を除き長年にわたり仙台市に住民税をたくさん払ってきたのだから、しかも私の利用しない地下鉄の建設と赤字補填にその金が使われてきたのだから、ただで乗る権利はあるはずだということからである。
 ただになったら、バスに乗る機会がかなり増えた。そして乗客をゆっくり観察できるようになった。
 まず痛感したのは敬老パスを使う乗客がいかに多いかである。日中など、時間によってであるが、乗客の3分の2以上が敬老パス利用者である。バスの乗客が多いのは喜ばしいが、市営バスが赤字にならないかと心配になるほどだ。
 だけど、終点の仙台駅前で乗降する敬老パス利用者はそれほど多くはない。
 敬老パス利用者の3分の1くらいは病院、医院通いのようである。大学病院とかの大きい病院のある停留所、医院の集積しているような場所での乗降が多いことからそれが推測できる。
 後の3分の1は繁華街の停留所で降りる。おそらく買い物だろう。私どももそのたぐいだ。私どもの繁華街で買い物する回数も増えた。もしもバスが有料だったら、よほどのことがないかぎり、わざわざ街まで買い物に行くことはなかったろう。無料パスはまさしく商店街の活性化につながるということが実感できた。もちろんお年寄りは若者の入るファッションビルのようなところにはいない。三越などに入ると年寄りを多く見かける。年寄りも優雅なものだ。そう言ったら家内は言う。デパートに勤めている知り合いの人に聞いたら、三越に入るお年寄りは特別でお金持ちが多いと言っていたと。それ以外の多くの年寄りはウインドショッピングで終わるか、他の店に行くようである。
 それにしても街に人がいないよりはいた方がいい。まさに「枯れ木も山のにぎわい」である。私もその枯れ木の1本として敬老パスを大いに利用したいと思っている。

 その昔、デパートは何でもそろっているまさに百貨店であった。おもちゃ売り場はもちろん屋上には子どもの遊び場もあり、大人から子どもまで楽しめたものだ。しかし、いつのころからだろうか、屋上から遊具がなくなり、デパートは子どもたちの楽しみの場所ではなくなってしまった。
 こうしたデパートに代わって百貨店と言えるようになったのは郊外に建設された大型量販店である。デパートにはなくなったおもちゃ売り場があり、文房具からDVD、パソコンゲームまで売っている。さらに遊び場もあり、子どもの乗り物やゲーム機がかなりのスペースをとっており、子どもがそこに群れている。昔ながらのいい光景だ。
 と思いながらぶらついているうち気が付いたことがある。お年寄りがさまざまな種類のゲーム機の前に座っているのだ。500円か1000円出してコインを購入し、そのコインでパチンコ、スロットマシン、その他さまざまの名前もよくわからないゲーム機で遊びながら、コインを損したり殖やしたりしている。その遊び場にはコインを何日間か貯金しておいてくれるところもある。お金をむしり取られる本来のパチンコやスロットマシンよりはいい。子どもに帰って遊ぶのもいいだろう。しかし、席から立ち上がるとき傘をそこにおいて場所を確保するくらいに夢中になって、子どもの遊び場所を占領している年寄りの姿を見ると何ともいえなくなる。年寄りばかりではない。中年の主婦らしきものも何時間も座り込んでいる。こんなところにしか生き甲斐をさがせない世の中、何と寒々しいのだろう。(2007年6月脱稿)

(註)
1.NHKテレビ・バラエティ番組『夢で逢いましょう』(61~66年)、
2.日本テレビ系・音楽バラエティ番組『シャボン玉ホリディ』(61~72年)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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