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六〇年代の農村調査必携品



                 農村調査必携品から見た技術進歩(1)

                  ☆六〇年代の農村調査必携品

 農村の現場から学ぶことを基礎にして私は研究をしてきた。そのために農家・農村調査を幾たびとなく行ってきたが、そのときにいろんなことを書き留めた調査ノートがかなりの量になっている。本は捨ててもこれだけは捨てられなかった。それで仙台から網走に持っていき、さらに網走から仙台に持ち帰ってきた。
 古いものから最近までの調査ノートを段ボールから出し、本箱に年代別に整理しているうち、ふと思い出した。そういえば農村調査に行くとき必ず旅行カバンに詰め込んで持っていくものがあったなと。そしてその内容が年次を追うにしたがって変わってきたことにも気がついた。それもきわめて大きな変化だった。持って行かなくともよくなったもの、持っていくのは必要だがより便利なものに変わったもの等々さまざまだが、すでに変わった中で生活している今の若い人などからすると想像もできないような時代にわれわれが生きていたのだということ、そして驚くべき技術進歩によって本当に便利な世の中になったこと、なのに今みんなが豊かさを実感していない不思議さ、こうしたことを改めて痛感した。
 そこでここでは、農村調査とその取りまとめに関連する事柄の変化を機軸にして、世の中の変化、農村の変化を見てみることにする。

 1960年代、私が研究生活に本格的に取り組み始めた頃、農村調査にいくさいの必携品は、調査票、ノート、集計用紙、筆記用具(鉛筆、消しゴム、鉛筆削り)、そろばん、腕時計、名刺、タオルを含む洗面用具、手ぬぐい、扇子、折りたたみ式の傘、着替え等だった。

 まず調査票だが、何人かの調査員が何戸かの農家におじゃまして聞き取りを行うさいにこれは不可欠となる。調査すべき事項、たとえば家族の年齢と就業状況、経営面積や作付面積、生産量、農業機械台数、経営収支等の現状と変化、今後の経営方向等々について聞き漏らしがないように、聞き取りやすいように、また後で整理しやすいようにつくった調査票を持っていき、私どもはそれに基づいて農家の方個々にお聞きし、それに対する回答を調査票に記入するのである。その調査票は調査終了後に回収され、それを調査責任者が集計整理し、それを基礎にして論文を書くのだから、きわめて重要なものである。
 したがって、調査に出かける前にまずその調査票を作成しなければならない。つまり、必要な調査項目を記入しやすいように間隔を空けながら紙に印刷し、それを調査戸数分だけ作成するのである。
 しかし、当時は今のように簡単に印刷できない。印刷所に頼むときわめて高価なのでそんなことをやるわけにもいかない。それで誰かが通称ガリ版で原紙に手書きし、みんなでその原紙をもとに謄写版でわら半紙にプリント(印刷)して作成した。
 当時はそれが普通だった。小中学校での副教材、学期末などの試験問題用紙などすべて先生がガリ版印刷で作成し、会社や市町村役場等でもさまざまなものをガリ版で印刷したものだった。そのためにガリ版刷りを商売にする印刷屋もあり、字のうまい学生などはそこでアルバイトをしていた。けっこういいバイト賃が出た(私は字が下手なのでできなかったが)。だから私たちにとってはガリ版刷りはなじみ深いものなのだが、今の若い人たちにはわからないかもしれない。そこでその印刷のしかたを若干説明しておくことにする。
 まず、「原紙」と呼ばれる特殊な蝋紙(パラフィン等を塗った半透明の薄茶色の薄い紙)を専用の鉄製の「やすり板」の上に置き、そこに「鉄筆」という先端が鉄の針でできたペンで文字などを書く(このときガリガリと音がする、これが何とも言えず心地よいのだが、ここからガリ版という呼び名ができたようである)。すると鉄筆で書いた部分が削れ、そこだけが薄くなる。次に、こうして書いた原紙を「謄写版」という印刷器の木枠に張ってある網に張り、その下にわら半紙をおく。そして網・原紙の上にインクを塗り、それをローラーで押しつける。すると、原紙に鉄筆で書いた文字など薄くなっていた部分のところだけインクが通り、紙に印刷される。これを何回も繰り返して必要な部数だけ印刷するというものである。
 こうしたガリ版刷りで調査票を作成するのだが、まず調査責任者が中心になってつくった調査票を研究室内のだれか字の上手な人に頼んで原紙に書いてもらい、それをみんなで謄写版で必要な部数印刷するのである。こうやって作成した調査票をみんなが分担して持っていく(たまには調査員のなかの若い者が全部一括して運ぶこともあるが)。

 この調査票に次いで忘れてならないものはノートと集計用紙である。調査票以外に記録しなければならないことが多々あるからである。
 たとえば集落の代表者から集落の組織や歴史を聞いたり、町や農協から地域の農業の概況や問題点等々を聞いたりしたことは、調査票とは別に記録しておかなければならない。
 それ以外にも町や農協、農家にある諸資料を書き写して帰らなければならない。たとえば町政要覧、農協の総会資料、集落の総会の資料などに調査にとって必要なことがあるとそれをノートに書き写す。また役場や農協にある農家戸数、耕地面積、農産物販売数量等々の統計資料については、その数字を集計用紙に書き写す。
 今のようにコピー機があるわけではないからそうしないわけにはいかない。しかも調査地で書き写さなければならない。諸資料を借りて大学に持ち帰って書き写すことなどはできない。貴重な資料だし、現地においておかないと困る資料もあるからだ。もちろん中には持って帰って書き写していい、後で送り返してくれればいいという方もいるが、よほどのことがないかぎり現地で書き写すようにした。貴重な資料を紛失したりすると大変だからだ。ところが、そういう現地の方の好意を利用して貴重な古文書などを持ち帰り、まったく返そうとしない学者もいるそうだ。そうした被害に遭った農家や役場の方から、学者というものはひどいものだ、これから調査に協力しないなどと文句を言われたこともあったが、学者としての面汚し、恥ずかしい思いをしたものだった。
 いうまでもないが、すべて手でノート等に書き写す。時には先生や先輩が調査している間その指示にしたがって院生や学生が書き写す場合もある。いずれにせよ当然時間がかかる。だから、すべて写すわけにはいかない。どの部分をどのくらい書き写すか、つまりどの部分がもっとも重要なところかを判断すること、これが必要となる。必要な部分を見落としたら大変なことになるし、それほど必要でないところを書き写したら時間と労力の無駄となる。したがってこの判断は調査者とくに調査責任者の重要な任務となる。

 次に絶対に忘れてならないのは筆記用具である。私の場合は鉛筆、消しゴム、鉛筆削りが不可欠だった。万年筆も持っていくが、めったに使わなかった。当時は高価だったので大事にしたいからということもあったが、インクがなくなると困るということもあった。それを補充するためにとインク瓶とスポイトも持っていくわけにもいかない。だから特に必要な場合しか万年筆は使わなかった。
 やがてボールペンが普及し、万年筆のインクの補充もカートリッジとなって容易になったが、それでも私は鉛筆を主に使用した。
 とくに調査票の記入はそうした。それは訂正の難易から来るものだった。たとえば、たしかこうだったはずだと農家の方が答えても、話しているうちにいろんなことを思い出し、いや実際はこうだったということになったとき、鉛筆なら前に書いたことを消しゴムで消して簡単に訂正することができるが、万年筆だとそういうわけにはいかない。訂正するとどうしても汚くなってしまう。自分だけが使うものであればそれでもかまわないが、他の人がそれを見る場合は迷惑をかけることになる。自分も困ることがある。ましてや字の汚い私、それをさまざま訂正などしていたら自分でも読めない危険性がある。それで鉛筆と消しゴムを使うのである。
 もう一つ、次のようなこともある。調査していると、話があちこち飛ぶ場合があり、調査票の順序通りに話が進まないことがある。たとえば、あることを聞いているときに農家の方がそれと関連する別のことを思い出して話してくれる。そのときにその話は調査票の後の調査項目のところで改めて聞くからなどとストップさせるわけにはいかない。後で聞いても今言おうとしたのと同じことを話してもらえるかどうかわからないし、忘れてしまったり、鮮度が落ちてしまうこともあるからだ。せっかく思い出したことはすぐに聞いて書き留めておいた方がいい。それで調査票のすみにでもどこでもいいからともかく農家の方が話したことを書いておく。そして後で該当する調査項目のところに転記すればいい。そのときには鉛筆が便利だ。消したり、書き加えたり簡単にできるからである。
 それで必ず鉛筆にしたのだが、当然のことながら鉛筆の芯はすり減るので鉛筆削りは不可欠となる。私の場合はナイフ型の「安全カミソリ」を必ず筆入れの中に入れて持ち歩いた。と言われても、今の若い人たちはそれがどんなものかおそらくわからないだろう。今はほとんど見かけなくなっているからだ。私たちが子どもの頃は、鉛筆けずりや紙の切断、工作のために小刀やナイフを学校に持っていくのが当たり前、というより持ってこないと先生から怒られたものだったが、今は危険だからと言ってそういうものを持ち込ませない世の中、ましてや知らないかもしれない。
 これは戦後普及したもので、正式にはボンナイフとかカミソリナイフとよぶらしい。一時期はこれが全盛だった。もう販売されていないらしいのでその姿形はインターネットで検索して見てもらいたい。ともかくよく切れるし、小さくて軽いし、折りたたみ式なので持ち運びや使用にさいしてはきわめて安全、本当に便利だった。
 なお、他人に見せたり、特にていねいに訂正したりする必要のない調査ノートへの記入は鉛筆以外にボールペンや万年筆も使った。ただし原稿を書くのには万年筆だけを使った。書きやすかったし、しかも当時はボールペンの質が悪く、インク消しも使えなかったからである。

 それから、そろばんを忘れてはならなかった。これは特に経営収支や生産費、家計費の調査のときは必要となる。簿記など記帳している農家がきわめて少ない時代なので何をどれだけ買い、どれだけ売ったかなどは、どうしても不正確な回答になるからだ。農家の方に思い出してもらい、いっしょに考えながら記入し、それをそろばんで合計するなどしてみて多すぎはしないか、少なすぎはしないか検討して、修正記入するのである。
 役場、農協等の資料収集のさいにもそろばんで計算することが必要となる場合がある。統計資料の数字を合計したり、差し引いたりしてノートや集計用紙に記録しなければならない場合も多々あるからだ。
 でも、これは忘れても何とかなることがある。役場等にはもちろんどこの農家にも必ずそろばんがあるのでお借りすることができるからだ。農家の方が家にあるそろばんを出してきていっしょに計算してくれ、自分のそろばんを出す必要がない場合もあった。そうはいっても、それに頼るわけにはいかない。やはり必携品となる。私は荷物にならないようにと小型のそろばんをいつも持ち歩いた。

 腕時計、これは日常でも必携品なのだが、とくに調査の場合は交通機関の時間、調査農家との約束の時間等からして不可欠となる。忘れん坊の私、家を出るとき神経質と言われるくらい腕を見て忘れていないか確かめたものだった。
 財布、いうまでもないが、忘れてならない。

 以上述べたようなものさえ忘れなければ調査はともかくできるのだが、名刺も忘れてはならなかった。とくに役場や農協では役職員の方が名刺を出すので、こちらも出さないと失礼に当たるからである。なくなっても困るので必ずカバンの中に予備の名刺を入れておくことにした。それでも名刺などは忘れてもとくに調査に差し支えない。何とかなる。
 忘れてならないものは他にまだまだあった。

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コメント

[C18] 危険物

ナイフ型の安全カミソリは必需品ですよね。飛行機に乗る時以外は・・・。
  • 2012-04-16 08:32
  • mayu
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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