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今なら考えられない必携品



                農村調査必携品から見た技術進歩(2)

                 ☆今なら考えられない必携品

 タオル、石鹸、髭剃り、歯ブラシ、歯磨き粉等の洗面用具、着替え、これらは宿泊して調査する場合の必携品だった。とくにかつては交通機関が不便なために近くでも宿泊せざるを得ない場合が多かったし、また今のように旅館がサービスしてくれるわけではないので、これには気を遣った。
 忘れたりしたら大変だった。たとえばタオルを忘れたら顔も洗えなければ風呂にもいけない。買えばいいといっても、当時は貴重品、旅館で売っていないし、貸してもくれない。店に行って買おうと思っても一般的に店は遠い。たとえ近くに店があって売っていても当時はきわめて高価、タオルなどは半日当が吹っ飛んでしまう。それで忘れないように持ち歩くことになる。この持ち歩きは大変だった。調査が終わって帰ろうとするとき、使って濡れたタオルを持って帰らなければならない場合があるからである。それをそのままカバンに入れたら他のものも濡れてしまう。だから、水の浸透しないタオル入れあるいは洗面用具入れが必要となる。
 髭剃りについてはちょうど私が調査に歩くようになった頃は髭剃り用の替え刃式安全剃刀が普及していたので、それを持ち歩いた。高価だったが、本当に安全、便利、家でもそれを使っていた。
 なお、この髭剃りには石鹸が不可欠だったが、旅館の洗面所や風呂場においていない。お風呂で使うためにも石鹸は必要である。それで、小さな石鹸とそれを容れるセルロイド製の石鹸入れを持ち歩いたものだった。

 それから、夏の調査の時に不可欠のものがあった。それは扇子である。
 扇風機も冷房もない時代、軽くてしかも小さくすることができて持ち運びに便利な扇子を持って歩き、農家や農協等での調査中はそれで風を送るよりなかったのである。
 扇子は列車やバスでの移動中も不可欠だった。もちろん、列車やバスは窓を開ければ風が入ってきて涼しくなる。しかし、強い風が入ってきたりするといろんなものが飛ばされて困る。また、進行方向に自分が座っている場合は自分に直接風が当たるのでいいが、その逆に座って窓を開けると向かい側に座っている人つまり直接風の当たる人からいやな顔をされることもある。だから大きく窓を開けるわけにはいかない。ましてや雨が降ると窓を開けておけない。夜などは窓から虫が飛び込んでくる。だからといって開けないでおくと蒸し暑くてどうしようもなくなる。だから扇子がどうしても必要となる。もちろん、扇いでもそれほど涼しくなどならない。湿気はやはりひどい。それでよく気分が悪くなったものだったが、ともかく扇子はないよりはあった方がもちろんいい。
 走行中、列車の出入り口のデッキにドアを開けて立つ。これは気分がいい。車外の新鮮な空気を全身に受けられるので車内の人いきれで気分悪くすることがないし、走りすぎる景色を眺めることができる。これは最高の気分だった。だからそこにいるのが好きだった。しかし、夜などいつまでもそこに座っているわけにはいかない。車掌さんから危ないと注意されることもある。そこで座席に戻ると、また扇子が必要となる。
 こんなことから扇子は必携品だった。

 夏に必要なものといえば手拭いがあった。洗面用のタオル以外に手拭いも持っていったのである。いくら扇子で扇いでも汗だくになってしまい、列車やバスで窓を空けて風を入れると土ぼこりと汗で顔など真っ黒になり、小さなハンカチなどで間に合わない場合があるからである。未舗装道路が普通だったからとくに車は大変だった。
 それで思い出すのは1976年夏の岩手県遠野の調査である。入会牧野に関する調査だったので、農家調査の終わった後に調査対象外の牧野の現状も見てみようと、荒川牧野に行ってみることにした。私はこの牧野に70年頃に行ったことがあるのだが、その後の変化はどうかを見てみたかったし、景観も非常にいいので、調査に同行したメンバーにぜひ見せたかった。そこで県と普及所の手配してくれた車4台に分乗して出かけることにした。最初はよかった。国道は舗装されているからである。ところがそこから外れると未舗装なのですさまじい土ぼこりがたつ。私と農政局の職員、女子大学院生の乗っている車は平気である。黒塗りの立派な公用車、冷房が効いているので、窓を閉めているからである。しかも私どもの乗る車がトップを走っているので土ぼこりなどまったく感じない。ところが後続の車はそんな設備はなく、窓を開けないわけには行かない。もっともひどいのはジープだ。前後の窓と屋根しかない。まともに前の車があげる土ぼこりが入り込む。現地に到着してから後続のみんなから不満が出た。それで帰りには私どもの車が一番最後に走ることとした。
 70年代半ばでもクーラーのある列車や自動車がまだ少なかったのである。だからその頃までは手拭いも必携品だった。

 また、帽子もあった方がよかった。
 暑さ防止、ほこり除けに非常に便利だった。
 急に雨が降り出したときの雨除けにもなった。当時の調査は歩くのが当たり前、たまたまバスがあればそれを利用するが、停留所からも調査農家は遠いので、雨が降ったら悲惨だった。そのとき、頭からずぶぬれにならないようにするのに大いに役立つ。しかしそれはちょっとの間だけ、後はあきらめるより他ない。
 それなら傘を持って歩けばいいではないかと言われるかもしれないが、当時は唐傘(からかさ)の時代、大きくて重くて持って歩くのは容易ではない。洋傘(こうもり)もあるが、高価だし、やはり持ち歩くのが大変だ。もちろん、近隣の調査なら、雨が降っていればあるいは雨の予報があれば当然持っていくし、帰りに晴れても近いから持ち歩きはがまんできるが、遠隔地の調査だと長くて重い傘の持ち運びはじゃまになってどうしようもない。だから持っていくわけにはいかない。
 したがって雨が降り始めたら宿から借りることになる。ただし当時傘は貴重品、そんなに本数がない。やむを得ず調査農家の場所の近いものが相合い傘で行くことになる。
 調査の途中に雨が降ると農家の方が傘を貸してくれる。しかしこれは必ず返しに行かなければならない。当時は貴重品だったからなおのことだ。これがまた大変だ。多くの場合、お宅は宿や停留所から遠いからだ。
 そのうち折りたたみの傘が普及し始めた。軽く小さく、簡単に持ち運びができる。これは本当にありがたかった。それから傘は調査のさいの必携品となった。天気予報のいかんにかかわらず持ち歩くようになった。

 なお、私の場合はたばこも必携品だった。町場のようにたばこ屋が多くあるわけではないし、自動販売機がない時代でもあり、調査の最中や夜中に切らしてしまうと大変だからである。しかも私の吸うたばこはゴールデンバット、戦前から庶民に普及していたたばこで値段はもっとも安いが、めったに手に入らない(専売公社は新しく売り出したハイライトなどの高いタバコを売りたいために店に卸す数を制限していた、だから私はたばこ屋さんに特約して買っていた)からなおのことだった。必ずカバンの中に数個入れていき、たばこ屋さんで補充することにしていた。
 そのうち気がついたことがある。農村部のたばこ屋さんにゴールデンバットがたくさん並んでいるのである。貧乏だった時代の農家は安いたばこを吸っており、その習慣からの根強い需要に応じるために専売公社はたくさん卸していたのである。それがわかってからは、調査が終わって帰るときに、たばこ屋さんに寄って1カートン(10個入りの箱)を一つ必ず買って帰ったものだった。
 その後、ゴールデンバットがますま入手難になったこと、子どもから「吸うのはやめろと言わないが身体のためにせめてフィルターのついたたばこにしてくれ」と言われたことからエコーというたばこ(これも安い)に切り替えた。それでもやはりたばこは必携品として家で準備していった(註)。

(註)今はたばこをやめているが、喫煙に関しては12年1月13日掲載・本稿第三部「たばこをやめた話」を見 ていただきたい。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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