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調査必携品の変化


                 農村調査必携品から見た技術進歩(3)

                ☆調査必携品の変化―行き届くサービス―

 秋田の夜は酒が進む。前にも書いたが、翌朝はだいたい二日酔いだ。例によって例のごとく、90年ころのある朝もそうだった。その日の午後は仙台で用事があるので、何とかそれまでに回復しなければならない。それでいっしょに行っていたKA君(当時助教授)と相談し、グリーン車に乗って寝ていくことにした。
 出発直後、車内の売り子さんがやってきてグリーン車の乗客へのサービスとしてお絞りを出し、さらにコーヒーか缶ジュースどちらかを無料でサービスするという。それで私はコーヒーをお願いした。ところがKA君はどちらも要らないと断り、すぐに寝てしまった。
 仙台近くになって目を覚ましたとき、彼に私が言った、なぜあのサービスを断ったのか、あの瞬間コーヒーは飲みたくなかったとしても缶ジュースならもらっておけば後で飲めるはずだ、それをもらわないなんて自分は金持ちだからそんなものはいらないというように見える、もったいないということを忘れたのかと。
 彼は一瞬黙った。一分くらいしてからだろうか、私に聞いてきた。先生はホテルに常備してあるカミソリや歯ブラシなどをもらってきたかと。私は持ってこなかったと答えた。すると彼はニャッと笑った、そして言う、私はもらってきた、先生はなぜ持ってこないのか、もったいないという気持ちがあるなら、金持ちだからいらないなどという顔をしたくないのならもらってくるべきではないかと。答えに窮してしまった。彼は溜飲をさげたようだった。
 KA君は家に帰ってからこの話を奥さんにした。二人で大笑いをした後、奥さんがこう言ったという、それは世代の違いではないかと。先生方の世代は食糧不足時代に育ったために飲食物についてはもったいないと思う、それに対して私たちの世代は飲食物よりも他の便利なものを欲しがる、この違いだろうというのである。
 そうかもしれない。ともかく時代は変わった。

 ホテルに行けば、タオル、石けん、シャンプー、使い捨ての髭剃り、歯ブラシが、さらに櫛までが部屋においてあり、無料で使用できる。まさに至れりつくせりのサービスだ。だから洗面用具は無理して持っていく必要はなくなった。私も調査や旅行のさいには電気かみそりと歯ブラシを持っていくだけになり、たとえそれを忘れてもホテルにあるので心配がなくなった。また、濡れたタオルの持ち帰りでカバンが重くなったり、濡れるのを心配したりする必要もなくなった。

 傘も忘れないようにと神経質になる必要がなくなってきた。忘れてもビニール傘などを安い値段であちこちの店で売っている。また突然雨が降ったりすると調査農家の方が簡単に貸してくれ、返さなくともいいからとも言われる。
 駅の忘れ物に傘がすさまじく多く、落とし主は取りにも来ない、それで駅が困っているなどという話を聞く。物不足の時代に育った私などはその変化にただただ驚くだけだ。忘れんぼの私は子供の頃傘をよく忘れてきて祖母から怒られたものだった。現在もよく傘を忘れて家内からいやな顔をされるが、かつてのように怒られなくなった。このことはいいことなのだが、何かしっくりこない。
 とにかくものは豊富になった。またコンビニの普及で日用品の多くはいつでも買えるようになつた。忘れ物をしてもそんなに心配はなくなった。しかし、果たしてこんなことでいいのか、使い捨て社会でいいのかという疑問は残る。
 ボールペンなどもそうだ。替え芯のない使い捨てのボールペンが使われるようになった。しかも品物はよくなっている。以前のようにボールペンのインクが先端のボールのところから漏れてポケットの中が汚れたり、字が汚くなったりすることもなくなった。また、太い字しか書けないというようなこともなくなり、細字から太字まで、油性・水性等、いろいろなボールペンができた。やがて黒、青、赤など、二色や三色が一本のなかにおさめられたものもできてきた。しかも透明のプラスチックでつくられるようになったのでインクがなくなったのがすぐわかる。これなら万年筆よりもずっと便利である。万年筆のように紙にインクがにじんだりすることもない。その上万年筆よりもはるかに安く、どこででも売っている。それが使い捨てなのである(替え芯のあるものもできてはいるが)。
 こうしたボールペンの普及で万年筆が使われなくなってきた。そして万年筆は調査必携品ではなくなってきた。

 70年代、どこのお宅に行っても扇風機があるようになった。また列車の中にも扇風機が設置されるようになり、さらに90年代に入るとほとんどの列車にクーラーがつくようになった。バスや普通の自動車も空調がついているようになった。
 それで調査のさいに扇子を持ち歩く必要はなくなってきた。手ぬぐいで汗をふき、顔の汚れをとるなどという必要もなくなってきた。ともに必携品ではなくなった。
 列車に関してもう少し言えば、窓を開けて風を入れて暑さをしのぐ必要もなくなった。それどころか、窓を開けようとしても開かなくなった。冷暖房が整備されるなかでその効率性を高めるために、また列車のスピードアップに対応するために、窓の開け閉めができなくされたのである。さらに、列車の出入り口のドアも自動ドアとなり、走行中に自分でドアを開閉することもできなくなった。
 こうしたなかで暑さ寒さや湿度が調節されて快適な旅ができるようになった。列車の騒音も聞こえなくなった。車外のほこりやゴミが飛び込んできたり、悪臭(たとえば製紙工場の臭い)が入って来たりすることもなくなった。垂れ流しだった車内の便所から飛沫状になってたまに飛んでくる汚物に悩まされることもなくなった(その頃には垂れ流しの客車が少なくなってはいたが)。
 また、窓から身を乗り出して落ちたり、出入り口のデッキから振り落とされたり、飛び乗りや飛び降りで怪我したりする危険性もなくなった。
 このようによくはなったのだが、クーラーが効きすぎて寒くて居眠りもできないのには困ったものだった。
 さらにもう一つ、ムードがなくなったことも淋しかった。
 私が高校のころ、先輩からこんな唄(後に流行歌となった)を教わったことがある。
  「汽車の窓から手を握り 送ってくれた人よりも
   ホームのかげで泣いていた かわいあの娘(こ)が忘らりょか
   トコズンドコ ストトコズンドコ」
 このような汽車の窓から手を握るなどということはもうできなくなった。見送りの人と窓越しに声を交わすことはできなくなった。ましてや、汽車の窓から身を乗り出して手を振って別れを惜しむなどという光景は見られなくなった。
 駅弁やお茶を入れた箱を肩に掛け、「おべんとう、おちゃー」と触れながら列車のわきを歩いて売りに来る立ち売りの売り子さんに窓から声をかけ、窓越しにお金を出して弁当を受け取るなどということもできなくなった(もちろんこれは高速化による停車時間の短縮、車内販売の普及等にもよるものだが)。
 その昔、列車が駅に着くと駅員さんがホームを歩きながら、たとえば仙台駅では「せんだいー、せんだいー」と大きな声を出して、駅の名前を知らせたものだった。窓が開かなくなったら、それが聞こえなくなる。しかし、今は駅の案内放送がある。ただしそれは小さな駅にはない。けれども車内放送が教えてくれる。かつては次の駅が近づくたびに車掌さんが車内を前から後ろまで「次は○○駅です」と教えて歩いたものだったが、車内放送でそれをやるようになってそんなこともなくなった。
 このように人との接触が少なくなった。そればかりでなく、自然とのふれあいも少なくなった。窓を開けて、あるいはドアを開けたデッキに立って、それぞれの地域の匂い、山の、田んぼの、鉄路の匂い等々をかいだり、さわやかな風を入れて気分を新たにしたりすることもできなくなつた。
 そうは言ってもやはり列車が速くなったことはいいことなのだが。

 着替え、いうまでもなくこれは今までと同じく持って歩かなければならない。安くて豊富に衣類が出回るようになったこと、以前のように汚れた物を着ていてもみんながそれほど気にしない時代ではなくなったことなどから、着替えをたくさん持っていかなければならなくなったことが、変化と言えば変化だろう。そうすると、長期間にわたる調査の場合などはかなりの量になる。しかし、ホテルなどでは下着までしかも一日でクリーニングしてくれる。それでそんなに持っていく必要もなくなった。
 もう一つ、今までと変わりなく持って歩かなければならないのはタバコだった。しかし、自動販売機ができたので夜中タバコ屋が閉まっていても買えるようになり、前よりは気が楽になった。
 このように、ともかく物が豊かになり、サービスがよくなる、何ともいい世の中になったものだ。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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