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新しい調査用品の出現



                農村調査必携品から見た技術進歩(4)

                   ☆新しい調査用品の出現

 必携品だった鉛筆削りのためのナイフや安全カミソリなどは要らなくなった。持ち運びが便利できれいに削れる小型の鉛筆削り器(シャープナー)が普及したからである。
 なお、そのころの私は研究室では電動式の機械式鉛筆削り器、家では手動式のそれを利用するようになっていた。不器用な私のこと、ナイフ等で鉛筆を削るとすさまじく不格好になるが、鉛筆削り器では本当に簡単にきれいに削れるので、いらいらしなくともよくなった。
 ただし、私は小型鉛筆削り器を持たず、調査等には安全カミソリ(註)を相変わらず持ち歩いた。大学に通勤するときも、旅行に行くときも、このカミソリを含む筆記用具一式を入れた筆入れをカバンのなかに入れて持ち歩いた。そしてそれを使った。何となく捨てられなかったのである。

 それからかなりの時間が過ぎた03年のこと、女満別空港から羽田に向かおうとしたとき私のカバンが金属探知器に反応した。金属製のものなどは爪切りや髭剃りくらいしか入っていないはずなのにおかしい。カバンを開けて係員といっしょに調べてみたが、とくにそれらしきものはない。そこで筆入れを開けてみた。安全カミソリがあった。それを見た係員がこの刃物が反応したんですねと言い、続けて「これはこちらでお預かりします、羽田で別途窓口で引き渡すか、女満別に戻ってきたときにお引き渡しいたします」と言う。たしかにこれは刃物だ、しかし武器としてほとんど役に立ちそうもない、こんな小さなものが何で持ち込み禁止なのか、これまでは引っかかりもしなかったではないかと言うと、同時多発テロ以来こうなったのだと言う。いやな世の中になったものだ。古いものだし、捨ててもいいのだが、何となくしゃくなので女満別空港で預かっておいてくれといったら預かり証をよこした。しかしその帰りは時間がなく、空港でそれを受け取らずに大学に戻った。
 この話を研究室での雑談のときにみんなにしたら、当時研究室の助手をしていた女性研究者WMさんがちょうど空港に用事があって行くのでついでに取ってきてやるという。それならと頼んだ。空港から帰ってきた彼女が笑いながらこう言った。
 預かり証を渡したら空港の女子職員が大きな封筒をもってきた、そしてカウンターの上で恐る恐る開けた、そのなかから出てきた「凶器」、二人の目は釘付けになった、何と古びた本当に小さな安全カミソリ、それがポトリと二人の間に落ちた、その瞬間思わず二人で顔を見合わせて大笑いしてしまったと。
 それからは筆入れのなかには入れておかないことにした。また空港で時間を取られるのがいやだからだ。でも、そのときに取って来てもらったおかげで何十年も前に買った安全カミソリが今も机の中に入っている。

 そろばんも持って行かなくてよくなった。電子式卓上計算機、通称電卓が開発され、やがては手に持てるほどの小型薄型になり、しかも低価格で手に入るようになったからである。あんなに小さいのに加減はもちろん乗除も簡単にできる。私のようなそろばん下手には本当に役に立った。この新しい武器は調査後の統計資料等の集計整理にも非常に役に立つのだが、そのことについてはまた後に述べることにする。

 新しい武器といえばテープレコーダーがあった。自分で簡単に録音ができる、それを保存しておいていつでも聞くことができる、驚きだった。
 最初にテープレコーダーを使ったのは大学院生のときだったが、みんなが自分の声を吹き込み、それを聞いてお互いに笑い合ったものだった。同時に、テープに吹き込んだ自分の声を聞いてこんな声だったのかとがっかりした。自分の声だと思ってきたのとはまるっきり違うのである。顔は鏡にほぼ正確に映るので客観的にわかるが、自分の声というものは口、鼻、喉などの器官を通して自分の耳で聞いているのできわめて主観的に認識しているものであり、他人が聞く自分の声は違うものなのだということを初めて知った。
 やがて、テープレコーダーは小型化し、簡単に持ち運びができるようになった。このいわゆるポータブルテープレコーダーを研究室で購入し、調査にそれを持っていって使うことにした。便利だった。これで録音しておくとノートに書く時間の節約になり、書くことによる会話の中断がなくなって話は円滑に進むし、聞き取ったことの書き漏らしもなくなるからである。しかし、後でテープから書き起こすのが大変である。時間がかなりかかる。しかも聞く時間とこの書き起こす時間と二重に必要となるわけで、時間がもったいない。学生などに起こしてもらうことも考えられるが、聞いたうちのどこが大事か判断できないのですべて起こすことになり、余分なことまで文章にすることになるので、結局これも無駄である。バイト賃もかかる。このようにそれほど役に立たないことがわかったので、調査にはあまり持っていかなくなった。そして研究室のテープレコーダーは一字一句残さず記録しておかなければならない学会や研究会のシンポジウムなどの時だけ使うようになった。
 それでも、ただ一度だけ役場にある統計資料を現地で書き写す時間を節約するために持っていったことがある。統計資料の数字を読み上げてテープに吹き込み、研究室に帰ってからそれを集計用紙に書き起こすことにしたのである。いずれにせよ全部書き写さなければならないものなのでだれに起こしてもらっても無駄にならないからだ。そして労賃無料の家内に頼んでそれを起こしてもらった。

 もう一つ、資料写しのための武器として利用したのはカメラだった。農村部の記録しておきたいさまざまな映像を撮ってくるという名目で購入した研究室のカメラを私は文献や統計資料を書き写すかわりに利用したのである。
 つまり、必要な資料を写真におさめてきて、研究室に帰ってからそれを読み、そのなかの必要なところを書き写すのである。もちろんカメラで写すと字は小さく、読みにくい。読めるようにするには拡大しなければならないが、そうすると印画紙代が高くなってどうしようもない。ところがいいものができた。現像したネガフィルムの映像を大きく拡大して読むことのできる機械ができたのである。これは印画紙に焼き付けるさいに使われる引き延ばし機と原理は基本的に同じで、ネガに電気の光を当て、レンズで拡大して下においた白い板に照写し、それを読むというものである。この機械を何と呼んでいたか忘れてしまったが、研究室でもそれを購入した。
 これは1960年前後、私の農民運動史の研究のときに大いに役に立った。戦前の新聞のなかに記載されている農民運動の記事を山形県立図書館で調べたのだが、そのさいその記事を全部書き写すとなると時間的に労力的に大変である。そこでカメラを持っていき、必要なところを接写した。そして帰ってからフィルムを現像し、そのフィルムをいつでも使える資料としてとっておくと同時に、引き延ばし機で大きな字にして読み、必要なところを書き写し、論文作成に利用したのである。しかし、これも大変だった。カメラで上手に写すのは大変だったし、何とかうまく写せても読みにくかったし、金もかかった。

 やがてこうしたカメラやテープレコーダーを資料の複写のために持っていく必要はなくなってきた。それはコピー機の普及によるものだった。当然のことながら手書きで資料を写す必要性もなくなってきた。

 次回掲載は26日(木)とする。

(註)12年4月16日掲載記事・本稿第四部「☆六〇年代の農村調査必携品」(5段落)参照


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コメント

[C19] 骨董品

あの安全カミソリは、そのうち博物館行きの骨董品になると思います。
  • 2012-04-23 12:46
  • mayu
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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