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調査準備時間の短縮


         農村調査必携品から見た技術進歩(5)

       ☆調査準備時間の短縮―コピー機の普及―

 家の改築で室内のものをいろいろ整理していたら、カーボン紙が2~3枚でてきた。なつかしかった。初めてそれを見た小学校低学年の孫は珍しがっていろいろ複写していた。そうなのである、私も何十年ぶりかで見たのだから、孫など知っているわけはない。若い人たちもわからないのではなかろうか。
 カーボン紙とは、何枚か同じものを複写するときに使うB5もしくはA5版の青もしくは黒の薄い紙である。このカーボン紙を薄い紙と普通紙の間に挟み、薄い紙に鉛筆等で書く。すると、その書いたものがそのまま下の普通紙に青もしくは黒色で複写されるのである。これは宅急便の申込用紙、つまり用紙の一番上に書くとその文字が下の紙にも青色で出てくるのを思い出してもらえば想像できよう。これはノーカーボン紙というらしいが、それが普及してカーボン紙が使われなくなったとのことである。
 このカーボン紙はかつて簡単な複写などによく使われた。便利だったが、字は薄い、紙は汚れる、何枚も複写できないという問題点があった。それで私どもは事務的なことにたまに使うだけで、調査などにはほとんど使わなかった。たとえば調査票などの作成には使えず、複写は前に述べたようなガリ版刷りしかなかった。

 70年前後ではなかったろうか、私どもがリコピーと読んでいた青焼き式の複写機(正式にはジアゾ式複写機というらしい)が普及し始め、私どもの研究室でも購入した。これは便利だった。薄い紙に書きさえすれば、ガリ版・謄写版なしで何枚も複写できたからである。
 ただ問題もあった。特殊な用紙に複写されて出てくる青紫色の文字等は何ヶ月かすると色があせ、やがては消えてしまうのである。また薄くではあるが青紫色に紙全体が染まるものだからその上に書き込んでも読みにくい。これでは調査票の印刷などには使えない。準備段階でみんなで調査票の案をつくるときなどにはいいが。
 さらに大きな問題は、光透過性のある薄い紙に書かれたものしか複写できないこと、たとえば本のある頁をそのまま複製するというような複写はできないことである。もちろんこれはガリ版もカーボン紙もできなかった。これらはいずれも筆写だった。その点ではカメラによる複写は複製といえたが、そのままの形で複写されるわけではないし、さきに述べたようなさまざまな不便さがあった。
 そこに登場したのが、われわれがゼロックスと呼んだコピー機(PPC複写機が正式名称らしい)だった。これはすごかった。普通の白い紙に複写したいものが黒く写り、それは長期間保存しておいてもそれほど劣化せず、さらに本のように厚いまた両面刷りのものも複写できるのである。
 このコピー機はきわめて高価であり、レンタルで導入すると複写一枚何十円と料金が取られる、ここに欠点はあったが、その便利さから普及し、役場や農協などにも導入されるようになった。大学でもまず図書館に導入された。
 こうなると調査票は簡単に印刷できる。調査票を鉛筆で書き、それをコピー機で必要部数複写をすればいいのである。ガリ版刷りなどからくらべたら時間的にも労力的にも格段の差だ。
 さらに、調査に行ったとき資料のコピーを役場や農協に頼むことができるようになり(もちろん有料でだが)、資料を書き写す時間はほとんどいらなくなった。本稿の第二部に1950年代の「年季奉公証」のコピーを載せてある(註)が、単に文章だけ写すのでなく、文書それ自体をそのまま複写することでその文書と書かれた当時の雰囲気が推測でき、こうした面からもこの複写というのはすごいと思ったものだった。
 やがてコピー機はより小型化され、複写時に拡大、縮小ができたり、コピー時間が短くなるなど性能はよくなり、さらにレンタル料も安くなったので、研究室でも導入することにした。そしてガリ版刷りはなくなり、あれだけ活躍した謄写版は研究室の隅っこで眠ることになり、やがては廃棄されてしまった。

 ところで、コピー機を導入した時もっとも利用したのが大学院生だった。図書室の本をコピーすればノートに書き写す必要はなくなり、また自分の金で本を購入する必要がなく、本の返却の心配なく読めるからである。学生も同様だったが、彼らは自分がサボった授業時間のノートを友だちから借りてコピーするということまで始めた。
 こうした状況を見た当時の教授のTK先生は嘆いた、「彼らは知識を頭にではなく、コピー機に打ち込んでいる」と。つまり自分で本を読めば、そして必要なところを書き写せば頭のなかにそれが叩き込まれる、ところがコピーするとそれだけで勉強したように思ってしまって頭に残らない、これでは知識をコピー機に叩き込んでいるだけではないかというのである。なるほどと大笑いしたものだった。
 当然研究室の支払うべきコピー代金はべらぼうなものとなった。そこで各自何枚までと枚数を制限し、それ以上は有料とすることにした。
 90年代に入った頃にはさらにレンタル料は安くなり、購入することができるほど機械は安くなった。
 こうしたなかで役場、農協等に何か資料をというと簡単に無料でコピーしてくれ、あるいはコピーして待っていてくれるようにもなった。それで資料収集の時間と労力が節約され、またノートや集計用紙をそれほど持って行かなくともよくなった。
 このように便利になったのだが、するとまた問題が起きてくる。とくに必要、不必要など考えず、何でもかんでもコピーしてもらうようになってくるということである。筆写しなければならない時代は、どれが必要か必要でないかを見極めて筆写した、つまり資料を取捨選択したものだった。時間が限られているからである。そもそも資料収集はこのように何を収集するか、何を切り捨てるかを考えることから始まるのだが、コピー機はそうした思考を停止させる。そして調査者はコピーしてくることで資料収集は終わったと思いこむ。さらにあまりにも大量にコピーしてくるものだから結局は全部読まないで終わる場合もある。これは思考能力、資料収集能力の衰え、研究者の堕落でしかない。
 もちろん、調査当時不必要だと思っても後に必要となるかもしれない資料もあり、資料は集められれば集められるほどよい。その点ではコピーはやはりきわめて有用な武器であった。

 このようにいろいろと便利なものがしかも豊富に出回るようになって、調査はしやすくなり、調査票の作成等の調査前の準備も楽になった。
 同時に、調査に行きやすくなってきた。高速交通体系がかなり整備されてきたからである。

(註)11年4月13日掲載・本稿第二部「☆年季奉公」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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