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自家用車不可欠の時代へ

 

                 車社会化の進展(4)

               ☆自家用車不可欠の時代へ

 車社会になるなかで、大学でも自家用車で通ってくる同僚が増えてきた。
 しかし私は自家用車を持とうと思わず、免許も取らなかった。それほど不便を感じなかったからである。仙台には新幹線が発着し、在来線は近隣に関してはかつて以上に走り、市電はなくなったがバスはさまざまな路線を何本も走っており、タクシーはいつでもどこでも走っているからである。
 もちろん不便もある。バス路線はすべて仙台駅・町中心部から放射状に走っており、その放射線を横に結ぶバス路線がないのである。私もその被害を受けた。勤務先の農学部から駅までの路線、また私の住んでいるところから駅までの路線はあるが、勤務先と私の住宅地などをつなぐ路線、つまり中心部への放射状の路線を横につなぐ路線がない。仙台駅まで行って乗り換えるより他なくなるが、そんなことをしたらすさまじく時間がかかり、金もかかる。駅まで行かず、途中のバス停で降りて学部まで歩く方法もあるが、それもけっこう時間がかかる。
 しかし、幸いなことに自宅と勤務先はそんなに距離はなかった。それで自転車で通勤することにした。ところが困ることもある。雨や雪が降ったときである。そのときだけバスに乗り、後は遠くとも傘をさして歩けばいい。ところがバスは定刻通りには絶対に来ない。雨や雪の時などましてや遅れる。この待ち時間にいらいらし、胃がおかしくなる。一時間目の授業などに後れてしまうこともある。
 だから最初の授業のときに学生に言う、「私は『けたぐり式オープンカー』で通っているので、雨が降ったら乗れない、それで遅れることがあるかもしれないが了解して欲しい」と。学生はみんな笑って了解する(たった一人だけ、先生はオープンカーで通っているとまともに受け取った学生もいたが)。
 さらに大きな問題は、私は小さい頃からバス酔いすることである。大人になってからは少なくなったが、窓が締め切ってあって風の入らない、何とも蒸し暑い、外も見られない満員バスなどに乗ると、とたんに気持ちが悪くなって吐き気を催す。
 そんなことがたまらなくなって、雨や雪のとき、急ぐときにはタクシーに乗ることにした。自転車とタクシーの併用は自家用車をもつよりもずっと経済的であり、地球環境にも優しく、心身ともにいいと考え、定年までそれで通した。

 ところが、そういうわけに行かなくなってきた。東北大定年後、網走で暮らすことになったからである。広大な北海道では、とりわけ大都市からの遠隔地や農村部では、車なしでは生きていけない。
 北海道は鉄道の廃線の先駆者だったからなおのことだ。炭鉱の閉鎖、都道府県とは比べものにならないほどの離農、それに対応する人口の激減(札幌だけは増えているが)のなかで線路は激減した。前にも述べたが、明治末に戻ったと思われるくらいに線路はなくなったのである(註1)。当然バス路線も整理縮小されている。
 そうしたところにあの広大さである。帯広などの調査に行くと、帯広畜産大学の研究者仲間が自家用車で調査地に連れて行ってくれた。何しろ村は広いし、家は散在しており、車なしでは調査などできるわけはないのである。前に、村でいう隣りは遠いという話をした(註2)が、北海道での隣りはそんなものではない。
 網走市に行ったばかりのことである。網走市農協から市内全域の五万分の一の地図をもらった。そのなかに農家の名前とその位置が記入されている。きっとこれは地域の代表者か何かの名前だろうと思った。ところがよくよく聞いてみると全農家の名前が書いてあるのだという。驚いた。しかし考えてみたら、一戸平均37㌶、その大きな面積のなかに一戸の農家ということになるのだから、地図に記入できるわけだ。都府県ならそういうわけにいかない。37㌶も耕地があれば、少なくとも20戸の農家がそこに住んでいる。とてもじゃないが地図には書けない。ところが網走ではあの広大な面積のところに380戸しかいないのだからすべての農家の名前が書けるのである。
 かつてはそういうわけにはいかなかった。1955年ころでいえば1800戸も農家がいたからだ。ところが離農が進んで、こうした結果になってしまった。
 そのために、隣の家に行くのに歩けば10分近くもかかるようになった。府県でいえば隣の集落に行くくらいの時間がかかる。北海道は散居だからましてやそうなる。農地の見回りも歩いたら大変だ。市役所や農協、病院にも歩いたら一日がかりになる。主要道路以外、観光バス以外、バスなど通らなくなったからなおのことだ。そうなるとどうしても車が必要となる。車なら1分で隣りの家に行けるし、農地の見回りも楽にできるし、町中心部にも行ける。こうして、離農・過疎化が車を持たざるを得なくさせた。札幌のような大都市は別にして、北海道で暮らすとなったら車は必要不可欠なのである。
 そこでやむを得ず私も自家用車を購入することにした。しかしその前に運転免許をとらなければならない。私も家内も持っていないからだ。そこで二人でいっしょに網走の自動車学校に通おうということになった。ところが研究室の連中はいう、「いっしょに習いに行くのはやめろ、お二人の運動神経からして絶対に奥さんが先に免許をとり、先生は一生冷やかされることになるから」と。それもそうかもしれない、そうは思ったが、ともかく私は大学の新人、最初は忙しいので後にすることにし、家内だけを自動車学校に通わせた。何ヶ月かかけてともかく一回で試験を通った。女性では最高齢の新規免許取得者、自動車学校始まって以来だ、みんなの模範だと校長から誉められたという。
 なお、結局私は自動車学校には行かなかった。忙しくなってきて免許を取るのが面倒になってきたし、一人免許をもっていればすむだろうと思ったからである。
 そして99年秋、車を買った。自家用車を持つ、こんなことはかつては考えもしなかったし、考えることもできなかった。

 持ってみて初めて自家用車の便利さがわかった。
 町場から遠く離れた山の上にあるキャンパスに通うのには車なしでは大変だった。もちろんバスは何本も通っているが、夜遅くなったとき、突然用事ができたとき、真冬の寒いときなど本当に困る。それで家内に毎日送迎してもらうことにした。
 また買い物も自家用車なしでは大変だ。わが借家の近くの小さな店は潰れており、町の中心部の中小商店もシャッターをおろしつつあり、郊外にできた量販店を中心とする商店街に行かなければならなくなっていたからだ。
 さらに近辺の散策や観光にも欠かせない。列車では行くところが限られるし、主要道路だけしかも一日数えられるくらいしか通らないバスに頼っていたらどこにもいけない。知床などのように有名な観光地は観光バスがあるからまだいいが、ちょっとした隠れた観光地などは見ることができない。
 いずれにせよ自家用車は不可欠だった。それは私どもだけではない。網走に住む人ほとんどがそうである。
 家内が高齢者としての免許更新に行ったときのことである。はたしてこの人の免許を更新していいのだろうか、認知症に近いのではないかと思われるような人もいたという。しかし免許を返上するわけにはいかない。ただそうすると交通事故が不安だ。また、いくらがんばってもいつかは返上しなければならなくなる時がくるが、そのときにどうするのかも心配となる。市は年に一度バス・タクシーいずれにも使える5千円の助成券を高齢者に出しているが、買い物一つとってもそんな額ですむわけはない。やはり車が必要なのだ。
 そんなことでやむを得ず私どもは自家用車をもつことになったのだが、おかげで日常生活の利便さだけでなく、近辺のさまざまなところを四季折々散策させてもらい、さらに初夏には毎年ワラビやコゴミ、タラの芽採りもさせてもらうという楽しみも味あわせてもらった。

 家内の運転する隣の席に座っていると、ときどきハッとさせられることがあった。横断歩道のないところを人が横断するときなどがそうだ。家内は怒る、なぜ横断歩道を、信号のあるところを渡らないのかと。
 しかし、と私はなだめる、歩行者の立場に立って考えてみろと。横断歩道と横断歩道の間の距離がかなりある(府県の都市とは比べものにならない)、そこまで歩くのは大変だ、とくにお年寄りにとってはそうだ、車の少ない頃は自由に横断できたのになぜ横断できないのか、そもそもそれが問題なので彼らを責めるわけにいかないのではないか。家内もそれがわからないではない。だけどやはり運転する立場としては困ると言う。もちろんそれも当然である。
 しかし、とまた考える。かつて「向こう三軒両隣」という言葉があった。自分の家の向かいにある三軒と左右の隣にある二軒、当然親しく付き合うことになるので、親しい近隣の間柄のことをいうのであるが、自動車社会になってから道路の向かい側に簡単に行けなくなった。行けないどころか会話することすら難しい。道路を挟んでは自動車の音で声も聞こえないからだ。向こうに行くのには何十㍍か歩いて横断歩道をわたり、さらに何十㍍か歩かなければならない。帰ってくるのも大変だ。道路は川、横断歩道は橋のようなもの、こうしたなかで向こう三軒とは助け合いはもちろんのこと付き合いすらできなくなる。都市部の家々の、人々の孤立化が進み、淋しいぎすぎすした社会となる。そして高齢者の孤独はさらにひどくなる。

 それはそれとして、自家用車が不可欠なのは北海道だけではなかった。日本全国、とりわけ農村部ではそれなしに生きられない時代になりつつあった。

(註)
1.11年1月18日掲載・本稿第一部「☆線路と歩き」(3段落)参照
2.12年4月27日掲載・本稿第四部「☆むらの「隣り」は遠かった」(3段落)参照


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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