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コンピューターからパソコンへ



                 情報化社会の到来(3)

               ☆コンピューターからパソコンへ

 ラジオが聞こえない。家族の誰かが言う、真空管が切れたのではないかと。ラジオの後ろを見てみる。中を覗くと電球をちょっといびつにしたような真空管のなかにあるフィラメント線がいつものように赤く光っていない。やっぱり切れたのだ。すぐに子どもが電気屋に走らされる。内外の情報がもっとも早く聞け、落語や歌などを楽しむことができるラジオ、家庭には欠かせないものとなっていたからだ。こわれた真空管を取り外し、新しいのを差し込むとまた聞こえ始め、ほっとする。
 1950年ころは、このラジオが都市農村を問わずどの家庭にもあるようになっており、茶の間などのみんなが集まる部屋の高いところにでんと鎮座していた。
 このラジオに不可欠の真空管、これがどういう役割をするのか、中学の理科で習ったはずだと言う人もいるが、よく覚えていない。ともかく重要なものであるらしい。
 高校を卒業したころにテレビが始まったが、このころのテレビも真空管を使っていた。テレビは大きく、重く、しかし画面は小さかった。
 テレビがほぼ全家庭に普及したころ(60年代前半)だったと思う、トランジスタラジオが若者の間で流行した。ともかく小さい。簡単に動かせてどこででも聞ける。熱くもならない。真空管は電球と同じように発熱するのでラジオは熱をもつのだが、この新しいラジオは熱をもたないのである。真空管のかわりにトランジスタというものを使っているからだという。しかもそれはとっても小さいものなので、簡単に持ち運びができるほどラジオを小さくすることができたらしい。
 このトランジスタラジオの日本製はすごく優秀で世界を席巻しているというニュースはうれしかったが、トランジスタとは何かがよくわからない。真空管にかわるもの、いやそれ以上の機能をもつものらしく、いろいろな機器に使われるようになり、さまざまな電化製品の小型・軽量・低消費電力化を進めた。
 そのうち、トランジスタ以上の性能をもつものとして半導体とかICとかいうものが話題にのぼるようになってきた。これが先に述べた電卓を可能にしたらしく、さらにかつて真空管を使っていた電子計算機=コンピューターの小型化を可能にしたらしい。
 半導体、IC、どこででも聞くし、どんなものかの説明も聞くが、よく理解できない。さらにデジタルとかアナログとかいう言葉が氾濫するようになったが、これもよくわからない。ともかくこのデジタル化とかICとかがコンピューター技術の開発と普及、いわゆる情報化社会、現在の便利な社会の技術的な基礎をなしているようである。

 コンピューターという言葉が流行ってきたのは戦後のいつ頃だったろうか、ともかく最初の頃はコンピューターとは大量の複雑な計算を自動的にしてくれる計算機、大型自動計算機だと私は思っていたし、しかもコンピューターは大学の計算センターのようなところにあるもので、計算はそこに依頼してやってもらうものだった。しかし私はそんなところに頼まなければならないほど複雑な計算を必要とする研究をしていない。だからコンピューターなるものに私には縁がないものと思っていた。
 70年代半ばだったと思う、自分に必要な加減乗除などの式をコンピューター言語で自分で書き込み、その計算をやるように命令すると、つまりプログラムして計算センターの端末につなぐと、数字さえ打ち込めばすべて計算してくれるようになったらしい。それでその言語の講習会を大学で無料で開催するというような通知が来た。研究室の若いメンバーは習いに行くというし、これを覚えれば回帰直線などの計算に便利だろう、理解できなければ途中で止めてもいいからとにかく出席してみよう、そう思って何回か講習会に通い、FORTRANというプログラミング言語を習った。最後に実際に自分でプログラムをすることになり、ピーという音を出すプログラムつまりソフトをつくってそれをテープレコーダーの磁気テープに記録させた。それを小型コンピューターにつないで実行させてみた。見事に音が出た。うれしかった。
 同時に、コンピューターというものは計算だけでなくさまざまなことができるのだということを実感した。話にはそういうことを聞くようになっていたのだが、実感としてわかなかったのである。
 なお、コンピューターで文字も書けるようになったなどのニュースもあったが、それは英語であって、日本語のような複雑な文字は難しいという話だった。
 こうして一応プログラミングをやってみたが、結局その一度だけで終わった。私の研究にそんなに必要ではなさそうだし、こんなのに凝っていたら他のことができなくなると思ったからである。
 しかし技術進歩というものはすごいものだ。そのうち自分でコンピューター言語でプログラムをつくるなどということはしなくともすむようになった。個人で使用できる小型のパーソナルコンピューターいわゆるパソコンができ、それに指令を与えるフロッピーのソフトが普及したからである。それを購入すれば私どもの必要とする程度のものはあえて自分がプログラムしなくともよくなった。さらに、このパソコンで日本語の文章を入力、編集、印刷できるようになったと言う。驚いたことに漢字変換のシステムまで開発されたのである。
 ともかくきわめて便利になった。とはいってもパソコンは当時きわめて高価で簡単に買えるものではなかった。しかしとくに若い研究者はその導入を強く希望した。計算、解析、図表作成、印刷などが容易にできるからである。そして80年代末になると、研究室で一台、何とか買える予算がつくようになった。
 しかし私はほとんど利用しなかった。私の研究教育には電卓で間に合うほどの計算しか必要なかったからである。だからパソコンに魅力は感じなかった。
 ただ、ワープロには強い関心をもった。私の字があまりにも汚かったからである。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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