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電報、電話、FAX、携帯電話



                情報化社会の到来(6)

             ☆電報、電話、FAX、携帯電話

 私の若い頃、遠く離れた人たちとの連絡はきわめてむずかしかった。
 郵便があるが、かつては届くまで3日も4日もかかり、返事もそれと同じくらいかかるので、緊急の連絡などできなかった。
 電報は速いが、料金が高いのでそれほどの字数が打てず、さらにカタカナでしか書けないので文の意味がわからない場合があったりする。その意味の解釈違いをめぐっていろいろな笑い話ができたほどだ。学生が「カネオクレタノム」=「金送れ頼む」と親に電報したら、親がそれを「金をくれた飲む」と誤解し、金を送ってくれるどころか飲んだりするなと怒った電報が返ってきたなどは有名な笑い話だ。
 しかしこんな電報を打つなんてぜいたくで、一般庶民は「チチキトクスグ カエレ」などの緊急電報を打つのがせいいっぱい、だから電報がきたりすると、何が起きたのかとみんなドキッとしたものだった。
 いうまでもなく電報に比べて便利なのは電話である。もちろんかつては市外電話にべらぼうな時間と金がかかるという問題はあったが、ともかく意味がわかるように緊急の連絡ができるし、遠く離れた人たちの元気な声を聞くこともできる。しかし、前に述べたような事情で一般庶民は電話などなかなか持てなかった(註1)。
 それでも、緊急事態のときなどは電話をもっている近所の人に電話をし、呼び出してもらって用件を伝えるなどということはあった。私の場合、生家に急用があるとき、近くの八百屋さんに電話をして父母を呼び出してもらった。八百屋さんに迷惑をかけているのはわかるが、やむを得ないし、八百屋さんもいやな顔をしないで取り次いでくれた。それにしても迷惑をかけるし、時間もかかる。何とか電話を引こうと考えるが、問題は二つ、工事料金に加えて電話の債権を必ず買わなければならず、合わせて一ヶ月分の給料以上の金が必要になること、設置を申し込んでから早くて一年、長いと数年も待たされることである。
 それでも1966年に申し込んでみた。幸いなことに、すぐ近くで電話線の工事をしていたのでそれと合わせて工事してくれたことからあっという間についてしまい、近所の人から驚かれた。また債権はすぐに売ることにして出費を少なくした。
 電話は玄関先においた。当時はみんなそうだった。隣近所の人が家の中に上がらずに通話できるようにである。たまたま隣近所より先に電話が通じたので私の家にも電話を借りに来る人があり、終わると通話料10円をおいていったものだった。
 しかし、そんなことは70年代に入るとなくなり、電話は急速に各家庭に普及していった。そのころはダイヤル式の黒電話に変わっており、電話局の交換手を通じて頼まなくとも相手に直接通じるようになっていた。しかし市外電話だけは交換手を通じて頼まなければならなかった。
 ほぼ同じ頃から公衆電話のボックスが町のあちこちに立つようになった。市外電話もそこでかけられるようになった。待たされるが、かつてのように長時間待たされることもなくなった。
 やがて市外電話も市外局番をダイヤルすれば直接つながるようになり、全国どこでも一瞬にしてつながるようになった。
 また、どこの店先にも赤電話、ピンク電話(委託公衆電話)がおかれるようにもなった。仙台の盛り場の一番町では10㍍おきくらいにあった。農村部はもちろんそこまでではないが、やはりどこの店にも赤電話がおかれ、さらには農家の軒先に赤電話がおかれたりもしていた。そのころは農村部にも電話回線が張り巡らされてどこの農家にも電話があるようになり、有線放送電話の時代(註2)は終わっていた。
 かくして80年代には電話がどこの家にもある時代、かつてのような農村部と都市部との電話格差もなくなり、いつどこへ行っても電話で連絡し、話をすることのできる時代になってきた。
 さらに便利になったことがあった。電話で声ばかりでなく、文字まで送れるようになったことだ。受話器にファクシミリいわゆるFAX機能がつき、文書の授受ができるようになったのである。印刷が悪くてちょっと読みにくいとか時間がたてば字が消えてしまうとかの難点はあったけれども、急ぎの文書の授受や原稿の送付に非常に役に立った。
 もちろん、FAXは複写でしかない。正式の公文書となるとやはり郵便での授受となる。また私的な文書でも手書き、原文の方がいい場合もあり、保存のこともあるので郵便がいい。その郵便の届くのも早くなっている。たとえばかつて最低3日かかっていた東京―仙台間が翌日に届くようになった。それを喜んでいたが、FAXはそんなものではない、あっというまに文書が届いてしまう。やがて家庭の電話にFAXを簡単に安くつけられるようになり、ほぼどの家庭にもFAXがあるようになった。こんなことはかつて考えられもしなかった。ともかく便利な世の中になったものだ。私的なことでいえば、FAXで幼い孫の書いた絵や文が送られてきて私や家内を喜ばせてもくれた。

 おかしなものである、これだけ便利になっても人間というものは欲の深いもの、もっと望むことが出てくる。
 まず、受話器を持ち歩けるようにしたいということだ。電話機本体は電話線とつながり、受話器はその本体と電線でつながっているので、電話している間は電話機本体のあるところから離れられないし、通話するには必ず電話機のあるところに行かなければならないなどの不便があるからだ。
 また、留守のときには電話が役に立たないという不便をなくしたいという欲もあった。
 これらの希望はやがてかなえられた。コードレスになり、さらに留守番電話機能をつけることができるようになったのである。机の上においてある書類が必要になったとき、電話のあるところからそこに行き帰りする間一々通話を中止しなければならなかったが、そんなことはしなくともよくなった。また不在のときに留守番電話に録音しておけば、用件が通じるようにもなった。
 そうなるとまた欲が出てくる。個々人で電話をもちたいとなってくる。家族の誰かが長電話していると他のものが電話できないという不便をなくしたい、自由に使えるようにしたいからだ。そのためには何本も家に電話を引けばいいが、金もかかり、難しい。
 さらにもっとすごい欲が出てくる。家の外でも電話を持ち歩けるようにしたい、公衆電話がないところでも電話ができるようにしたい、相手の外出先に電話して用件を果たせるようにしたい等々の欲である。しかし、電話とは電話線を通じて来るものなのでこんなことは無理だろうと誰しも考えてきた。
 ところがそれが可能になった。ポケットに入れて持ち歩きのできる小型軽量の携帯電話が開発されたのである。しかもその価格はどんどん安くなり、子どもでさえ持てるようになった。そして90年代後半から爆発的に普及するようになった。こうしたなかで今までの有線電話は固定電話と呼ばれるようになり、携帯が電話の主流になってきた。

 携帯電話をもつことでどこででも電話できるようになった。公衆電話を探さなくともよくなった。また、どこででも電話を受けることができるようになった。つまり公衆電話ではできないことができるようになった。
 公衆電話の少ない農村部では携帯の普及でなおのこと便利になったが、これについてはまた後に述べる。
 それでも問題は残る。それは携帯を忘れたときである。公衆電話が本当に少なくなったからである。ピンク電話などはレトロとして珍しがられる時代になってしまった。だから携帯を忘れたら電話ができない。それで外出するときは忘れないように気を付けるが、忘れんぼの私、ときどき忘れることがある。すると何かものすごく大事なものを忘れてしまったような気がしていやな気持ちになる。それから、電池が切れたとき、圏外だったときも困る。携帯の悪いことといえばこれが悪いことだ。
 それにしても都市と農村の情報格差は本当に少なくなった。それはそれで喜ばしいことなのだが、後に述べるように別の面で格差は広がっている。

(註)
1.11年3月29日掲載・本稿第一部「☆地域格差是正の進展」(4段落)参照
2.   同    上    (5段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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