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携帯電話の「ケータイ」化



                 情報化社会の到来(7)

               ☆携帯電話の「ケータイ」化

 わが家で携帯電話をもつようになったのは、99年秋のことである。家内が車を運転するようになったからだ。運転中何かあったときに連絡するのにこれが必要不可欠になったのである。ましてや広大な北海道である。電話しようと思っても畑や草地が延々と続くだけ、やっと人家があっても公衆電話はほとんど撤去されており、電話連絡しようにもできない。携帯を持たないわけにはいかなくなっているのである。だから携帯は自動車用・緊急事態用として家内が持っているだけで十分、私は持たなかった。それでとくに不便はなかった。
 ところが予想外のことで携帯がいかに便利かということがわかった。幼い孫二人を連れて女満別から羽田空港に到着したときのことである。モノレールの中で二人とも寝てしまった。やむをえず二人を家内といっしょにおんぶして浜松町の駅に降りたが、待ち合わせていた娘が駅の構内のどこにいるかわからない。そこで家内が娘の携帯に電話した。そしたらすぐ近くにいたことがわかり、会うことができた。もしも携帯がなかったら、お互いに探しあって大変だったろうと思う。このときにしみじみと携帯の有り難みがわかった。緊急用だけでなく日常用でもあった方がいかに便利かを痛感した。
 私個人がもつようになったのは、02年の春である。大学の役職についたので用事が急に増え、緊急連絡の必要性も出てきたからである。ただし、メール機能はつけなかった。二つ理由がある。一つは、老眼と乱視で携帯のあの小さな字や絵がよく見えないからである。もう一つは、用件を聞きたくなければ電源を切っておき、時間切れを待つことができるが、メールだとそういうわけにはいかず、忙しさが倍増してしまうからである。

 05年の夏、まだ網走にいるころのことである。たまたま仙台に用事で来て、家内とタクシーに乗っていた。赤信号で停まっていると、突然車が大きく揺れ始めた。地震である。市民プールの天井が落ちたほどだから(もちろん後でわかったことだが)、けっこう大きな地震だった。ようやく治まって車が動き始めたが、何か町の雰囲気がいつもと変わっている。何でそんな風に感じるのだろうとよく見たら、通行人が立ち止まったままで歩いていない。地震がおさまったのにである。それが何か異常に見えたのだろう。さらによく見たらほぼ全員が携帯で電話していた。恐らく安否を確かめ、また驚きを伝達するためなのだろう
 それで感じたことの一つは、世の中携帯電話の社会になったということである。ほとんどの人が携帯を持っており、一人一電話の時代になっているのだということを改めて実感した。
 もう一つ感じたのは、これだけみんな電話するのだから、不通になるのは当たり前だということだ。78年の宮城県沖地震のときに大量の電話が殺到して不通になったことがあり、それからこうした異常事態のときには不急不要の電話はしないようにと言われるようになったが、やはり心配で電話をしてしまうのである。いかに注意しても恐らく不通は避けられないだろう。
 ところが最近、通話はだめでも、メールは記録されているのでいつかは伝えたい情報が通じるということを再認識した。その伝言機能等からしてやはりメール機能をつけるべきなのかなと最近は考えている。そんなことを言ってのんびり構えていていい時代ではなくなっているようなのだが(註1)。
 それにしてもすごいものだ。電話で文通ができる。郵便でしか、しかも何日かたってからしか文通できなかったのに即時文通ができる。パソコンでできるようになってはいたのだが、携帯で、どこででも文通ができるのである。場所を選ばない「即時会話」+「即時文通」、この二つが一つの携帯でできる、何とまあすごいことだろう。

 電話で声が聞けるばかりでなく顔も見られるようになったらいい、こんなことがかつてよく言われた。たしかにそれもいい。東京にいる孫の顔もそれで見たい。しかし、他人からの電話の場合、家で裸でいる姿や散らかしている部屋の中を見られるので困る。こんなことを言って笑っているさなか、それが可能になってきた。それどころかあの小さな携帯でそれができるようになった。
 何か事件があると、携帯で撮られたという写真や映像がテレビや新聞で報道される。電話機が持ち運び可能となったばかりでなく、文字通信もできるようになった、それだけでも驚きなのに、写真も撮せる、動画も撮れる、しかもそれを他の携帯やパソコンに送信することもできるようになったのである。何ということだろう。さらに最近ではパソコン並みにインターネットを利用でき、情報を入手し、自ら発信もでき、ゲームもでき、音楽を聴き、テレビを見ることもできる。GPS機能までついている。
 GPSといえば、戦前の雑誌『少年倶楽部』に連載されていた江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズのうちの『少年探偵団』を思い出す。犯人の自動車の後ろに小さなバッジをくっつけると自動車がどこを走っているのかが地図の上に出る、それを見て追跡するという場面である。子どもだった私はそんなことは不可能なことであり、そういうものがあればいいという著者の願望を書いただけ、まさに空想の世界のことだろうと思っていた。それが携帯で今現実になっている。子どもにその機能をもつ携帯を持たせれば子どものいる場所がわかり、自分の居場所も自分の携帯でどこにいるかがわかるのである。
 携帯はまさに万能機器だ。いや魔法の小箱と言った方がいいかもしれない。もちろん実物は出てこないが。
 今の若い人たちにとって「携帯」というのはそういう各種機能を備えたものをいうようだ。そうなると、私のもっている古典的携帯電話は「携帯」ではなく、単なる「持ち歩き用電話機」でしかないということになる。携帯が普及し始めてからわずか20年もたたないうちにこの変化、もう信じられない。
 写真、テレビの機能だって驚きだ。カメラなどはなかなかもてなかったし、動画を家で見られることだけでも夢のまた夢だったのに、手のひらの中でそれができるのである。
 最近のスマートホンとかは「携帯」よりももっと多彩な機能、パソコン機能までもつようになり、「携帯」は手のひらに入る超小型パソコン=「ケータイ」になってきているようである。
 しかし、私は相変わらず02年に買った携帯電話をそのまま今も使っており、写真を撮るなどというようないろんな機能はまったくついておらず、文字通り電話としてのみ利用している(註2)。

 若い人たちはみんなバスや電車の中で、道路を歩きながらも、ケータイを黙々と操作している。これでいいのかな、ときどき疑問になる。あんな小さな字や絵を見て、しかも動くものを見て、みんな目が悪くなってしまうのではないかと心配にもなる。これも年寄りの冷や水だろうか。

(註)
1.実際にそうだった。この草稿を書いたのは2010年の夏だが、11年の東日本大震災のときにそれをさらに実感した。
2.大震災後、携帯電話を最新の機能をもつものに買い換えたが、この文は震災前に書いた草稿のままにしている。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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