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情報化の進展と農村部



                 情報化社会の到来(8)

                ☆情報化の進展と農村部

 情報技術の導入で、ものは豊富になった。便利な新しいものがたくさん出てきた。これまであったものも便利になった。何でも速くやれるようになった。きれいに、正確にやれるようになった。
 農業機械・施設にもコンピューター制御技術が適応される等、さらに便利になった。例をあげるまでもないだろうが、なかでも私が驚いたのは、選果機にセンサーがついて糖度を測ることができるようになったことだった。果物などの甘さは生産農家や商売人の経験とカンでしかわからないもの、それでも当たり外れが大きく、食べてみなければわからない、甘くないのに当たればまさに自己責任、あきらめるより他なかった。それが切って食べてみたり外側から触ったりしなくとも光センサー糖度計でわかるというのである。おかげで生産者、流通業者、消費者ともに非常に楽になった。

 どこでだったか思い出せないのだか、畑で農家の方と話をしていたら、突然携帯電話のベルが鳴った。農産物直売所からの電話で、その方が直売所に出した野菜がもう売り切れてしまったので、追加して出荷してくれとの連絡だった。電柱も受話器もない田畑で農家の方が電話を受ける、田畑からも電話ができる、かつて考えもしなかったことだ。胸がキュンとなった。世の中変わったものだとこのときもまたしみじみ感じたものだった。
 公衆電話の少ない、しかも減らされつつあった農村、かなり不便を感じたものだが、携帯でこうした諸問題は解決できた。

 かつての農村部は情報が閉ざされ、話題が限られていた。地域内の情報、うわさ話のみが飛び交い、それが尾ひれをつけて大きくなるというような「口度(こうど)情報化社会」だった(註)。
 しかし今はこうした閉ざされた社会から開放された。テレビ等のマスメディアを通じ、パソコンや携帯を通じ、内外の情報が即座に入手できるようになった。
 さらに前にも述べたように、高速交通社会となり、道路は整備され、車があり、新幹線もあり、ちょっと時間と金をかければ町に行けるようになって、町場の情報も容易に得られるようになった。
 農村部はまさに開かれた社会となってきた。

 農家もパソコンを経営と生活にさまざま利用するようになった。
 まず、パソコンを利用して提供される気象情報、病害虫発生予察、市場動向、技術情報を随時手に入れ、経営に役立てることができるようになった。
 こうして情報を手に入れるだけでなく、自らも農業、農村にかかわる情報を都市に発信できるようになった。農産物の販売をインターネットを通じて行う農家やその集団、農協も出てきた。。
 また、経営の記帳、経営分析もパソコンで行えるようにもなった。これまでは容易ではなかった。記帳・分析の必要性がわかっていても、へとへとになって帰ってきて伝票を切ったり帳簿に記帳することなどとてもじゃないけどできず、単式記帳がせいいっぱいという農家が多かった。しかし今はソフトさえ買えばパソコンでそれほど時間をとらずに簡単に記帳できるようになった。しかも財務諸表や経営分析指標を自動的に作成してくれる。
 生活面でいうと、飛行機や列車、バスなどの切符の予約もパソコンでできる。駅や旅行代理店のない農村部にいても予約ができる。商店が少ない農村部にいても、遠方に自ら買い物にいかなくとも、パソコンで買い物ができる。
 いい世の中になったものだ。かつては考えもしなかったことが今実現されている。

 しかし、山村などに行くと、携帯電話が圏外となって通じないところがある。こんなときはとんでもない遠くへ来たものだというような隔絶感を感じる。そこに住む人はもっとそれを感じているはずだ。情報化社会を十分に享受できていないのである。住んでいる人が少ない、つまり利用者が少ない、金もかかる、こうしたことから放置されているのだろうが、何とかならないものだろうか。
 大都市圏以外の道府県のテレビのチャンネル数は少なく、東京などで話題になっている番組が放映されないので友人の話題についていけず、恥をかいたなどという経験をもつ若者の話をよく聞く。民放が少ないのは、視聴者が少ない、コマーシャルを流しても効果がそれほどあがらないことから来ているのだが、資本主義社会ではこれもやむを得ないとしてあきらめなければならないのだろうか。
 このように農村部と大都市との情報格差は依然としてさまざま残っているが、もっと大きい問題は口から口への情報が農村部で少なくなっていることだ。

 80年代半ば過ぎ、営農情報をどこからどういう手段で手に入れているかを調査したことがある。農家の方は、新聞・雑誌、テレビ、農協や普及所の文書、チラシ等々、非常に多様な手段で多様なところから手に入れていたが、もっとも多かったのは口コミだった。隣近所から始まって親戚知人、生産・出荷組織や地域組織の仲間、営農指導員を始めとする農協職員、農業改良普及員など県や市町村の職員、生産資材のセールスマン、市場関係者等々、多くの人々から、口頭で、顔と顔を突き合わせて情報を手に入れていた。
 そうなのである、口コミが情報の基礎なのである。そもそも人間は会話によって人間となったのである。そして会話による情報伝達で人間は進歩してきた。これはいつの時代でも同じであり、いくらパソコン等の情報機器を通じてさまざまな情報が入り、また発信することができる社会になったといっても、人間との直接的な接触で情報を受発信するのが今でも基本なのである。
 ところがその口コミが少なくなってきた。農業をやっている人は隣近所に少なくなり、それどころか村の中に人それ自体がいなくなり、それに対応して農協職員や普及員も少なくなり、会話を通じて情報をくれる人がいなくなってきたのである。もちろんこちらから発信する相手も地域にいない。これでは情報の受発信で相互に高めあうことができず、営農が発展するわけはない。生活にかかわる情報にしても同じで、地域に密接にかかわる情報がかつてのように入らない。これではますます人が少なくなってしまう。ましてや若い人はいなくなってしまう。
 実際にそうなってきた。情報化の進展による利便性の高まりをもっとも喜び、パソコンを、いや情報化技術をもっとも利用する若者、情報化社会の牽引者である若者が、農業から農村から流出している。それがまた農業・農村の発展を阻害する。
 情報技術の進歩は本来農業・農村を発展させる技術的基礎となるはずなのだが、どうもそうなっていないようだ。そして外国の農産物の低価格高品質での短時間での輸入に利用された情報技術は、輸入を急増させ、農産物価格を低迷させ、農業で農村で生きていくことを難しくさせている。情報技術の進歩は日本農業を衰退させているのである。これでは若者がいなくなるのは当たり前だ。当然、都市部から見ると、パソコンの普及率は低くなる。農村部は情報技術の進歩を十分享受できず、格差が広がるだけだ。それでまた若者は出ていく。
 でも高齢者は村外に出て行けない。就業機会もなく、都市に出て行ってもいいことはないだろうし、格差は昔からのこと、生まれ育ったむらに対する思いもあるからだ。こうして村に残った高齢者は、やがて車にも乗れなくなり、買い物はもちろん病院にも通えなくなり、家でテレビをじっと見ているより他なくなる。そんな高齢者を見ていたら若者はますます農村部に残りたがらない。戻ってこようともしなくなる。かくして村に人はいなくなり、耕地は荒れる。
 それがまた地方都市の人口を減らし、盛り場をなくし、都市らしさをなくす。網走管内の小都市などまさにそれだ。たとえばデパートは撤退して管内に一つもない。青森県と同じ面積のところにである。農村部にいて都市の文化を味わうなどきわめて難しいことはそれでもわかろう。それでまた若者は東京、札幌などの超大都市に流出する。まさに悪循環だ。東北もそうなってきつつある。
 都市と農村の格差はひろがるだけだ。だからといって都市がいいわけではない。都市のなかではさらに大きな格差が広がりつつある。

 本来技術進歩は、便利な社会への進展は、格差を是正するはずのものものである。現に戦後の一時期そうなった。しかしいま、その逆に、あらゆる面で格差がふたたびひろがりつつある。

(註)11年1月12日掲載・本稿第一部「☆閉ざされた社会」参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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