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無伴奏からカラオケへ


                文化格差の縮小―楽器、書籍、映画を例にして―(3)

                    ☆無伴奏からカラオケへ

 私たちの小さいころ、歌を歌うなどというのは女のすること、男はするものではないという雰囲気があった。とは言っても子どもは学校の音楽の授業で歌わされる。たとえ歌うのが好きであっても、いやいや歌っているという顔をしないといじめられた。大人はそんなことはないが、それでもめったに人前では歌わなかった。これは戦争中だったこともあると思う。でも、戦後もそれは続いた。
 ただし、謡(うたい・謡曲)は別である。私の生家の地域の農家の若者はすべて習いに行く。結婚式など祝いの席での斉唱のときに必要だからである。これは必修科目、だからみんな謡える。そのなかでうまい人は三々九度の固めの杯のときの『高砂』などの謡を頼まれる。父もよく頼まれたものだった。私は習うべき時期に仙台に来てしまったので結局覚えないでしまった。あるとき生家の近くに住む友人の結婚式で若者衆の一員として招かれたとき、全員で謡を斉唱する場面がきた。みんな謡える、しかし私だけ謡えない。いかにごまかして謡ったふりをするかに苦労した。
 また、民謡など地域に伝わる唄などを唄う場合には、男でも軟弱だとは言われなかった。それどころか神事として伝統的に伝わっている能や歌舞伎、田植えなど農作業にかかわる歌や踊りなどはやらなければならないものだった。
 それでも普通のときは人前ではめったなことで歌わなかった。

 しかし、やはりみんな歌うのは好きである。これは本能的なものなのだろう。だから「鼻歌」などという言葉があるのだろう。知らず知らずのうちに人は歌っているのである。そして鼻歌は食事時や静かにしていなければならない時以外は誰からも何も言われない。
 また、宴会のときには歌のうまい人、好きな人が大きな声で歌い、あるときはみんなで一斉に声を張り上げて歌う。酒を飲んだ時は本能が目を覚ますのだろう。誰が歌っても、下手であっても、酔っぱらっているのだからとだれも悪口を言わない。流行歌から民謡、浪曲、もちろん無伴奏で、みんなで手拍子を打ちながら歌い、また聞いたものだった。
 無伴奏は当たり前、素人が伴奏つきで歌えるのは戦後始まったのど自慢のときだけ、しかしそれはめったに機会のない夢のまた夢、せめて盛り場で流しのギターを伴奏に歌う程度だった。さきほど言った謡も同じ、鼓や笛などはもちろんなく、素謡(すうたい)だった。
 そのうち、みんなといっしょでという条件付きだが、斉唱でなら伴奏つきで歌えるところが出てきた。60年代に流行った歌声喫茶である。歌いたい歌を注文するとアコーディオンを弾いてくれ、その歌を知っている客みんなでその伴奏に合わせて歌うのである。しかし流行歌などの曲はなく、また独唱もできなかったので、それほど広がらなかった。
 ところが、プロの楽団の伴奏で自分の好きな歌を独りで歌える、こんな時代がやってきた。

 1980年ころ、行きつけの飲み屋さんのなかにいろんな歌の歌詞が書いてある分厚い本が机の上においてあるところが出てきた。その本のなかから自分の歌いたい曲を選んでその名前を言う、するとママさんがカセットテープを探して機械に入れる。この機械をカラオケと言うのだそうだ。やがてそのカラオケからさきほど言った歌の伴奏が流れてくる。マイクをもち、本に書いてある歌詞を見ながら、その伴奏に合わせて歌う。歌手並みにマイクを握って伴奏つきで歌うのは気分がいい。しかも伴奏なしで歌うよりはずっとうまく聞こえる。終わると、いっしょに行った友人たちが拍手する。次は友人が歌う番だ。一曲100円、ママさんが硬貨を機械に入れると伴奏が流れる。アルコールでのどを潤しながら、ときどきは歌をやめて雑談しながら、あるいは隣席の人に歌を譲りながら、時を過ごす。楽しかった。
 いつのころからだろうか、飲み屋さんのテレビから伴奏が流れるようになった。テレビに歌詞が映り、その歌詞に合うような画面が現れ、それを見ながら歌うのである。ときどき歌の内容と違うのではないかと思うような画面が出てきてしらけることもあったが、歌詞が伴奏の流れに合わせて出るので歌の入り方を間違えることもなく安心して歌える、これが魅力だった。
 やがて「カラオケ」という名前は全国に普及し、飲み屋さんの多くはこれを導入し、個人でもその機器を購入するものもでてきた。まさにカラオケブームとなった。
 このブームの先頭をいったのが山形県だった。山形県がカラオケ機器普及率全国一となったのである(今はどうかわからないが)。音楽好きが他県に比較して多いのだろうか。どうもそうは思えない。冬積雪で外で遊べないので室内でカラオケで楽しもうとするからなのだろうか。それなら秋田、新潟、北海道だって同じだ。なぜなのかよくわからない。けれども最初それを聞いたときはやっぱりそうかと笑ってしまった。なんでそう感じたのか聞かれても答えられない。しかし、ちょっとどこか変わっている、どこかボタンを掛け間違っている山形県人(私もその一員なのだが)、さもありなんと思ってしまうのである。それはそれとして、ともかくこのことは農村部におけるカラオケの普及を示すものであり、都市との格差はこの面ではなくなっていることを示しているといえよう。
 なお、私の父などは、歌が好きなのに、カラオケをきらった。そもそも伴奏というのは歌い手の歌に合わせて演奏するもの、ところがカラオケでは歌い手が伴奏に合わせて歌わなければならない、これは本末転倒だというのである。これも一理ある。しかし、プロの演奏する伴奏に合わせて歌うのはやはり楽しい。私は飲み屋のカラオケでもみんなといっしょに歌いまくった。
 そのうちカラオケ公害とかカラオケ殺人とかがマスコミを賑わすようになってきた。
 それに対応してか、防音装置をそなえたカラオケボックスが各所にできるようになった。農村部にもたくさんできた。日中もカラオケが歌えるようになってきた。そして子どもも奥さん方もカラオケボックスに行って歌うようになった。カラオケは酒を飲みながら歌う男のものからみんなのものになってきたのである。そして歌手の歌などを受動的に聞くだけでなく、自ら伴奏に合わせて歌う、また歌って聞かせるというように、日本人は音楽に対して能動的になってきた。これは喜ぶべきことだろう。

 一度研究室の学生何人かとカラオケボックスに行ったことがある。驚いた。みんな他人の歌を聞いていない。自分の歌う曲探しに一生懸命、もちろんいっしょになど歌わない、他人の歌が終わっても拍手もしない。まったく無関心である。これはうちの学生だけではないらしい、聞くとほとんどがそうだという。
 何ともさびしい。しかし、みんなそういうものだと思っていて、特に何にも感じないらしい。他人に無関心の社会、自分だけ気分がよければいいという社会、その反映なのだろうか。
 だから私はカラオケボックスには行かない。飲み会のときにカラオケで歌うことにしている。ある時間はみんなで飲む、話す、ある時間はかわるかわる歌い、褒めたりけなしたりしながらそれを聞き、くたびれれば飲み、また話す。この方が歌う曲数は少なくとも楽しいからだ。
 そうは言っても、友人や家族といっしょに、ある時は一人ででもカラオケボックスに行って自分の感情を歌って表現したり、発散したりする、これはこれでいいことである。かつての日本人には考えられなかったことだ。そしてそれは日本人の音楽性を高めている、これも評価すべきだろう。
 しかし、ちょっとさびしい風景が見られるようになってきた。農村部に行くと潰れてしまった小さなカラオケボックスがあちこちで見受けられることだ。一方町場には全国チェーンと思われる大規模なカラオケボックスができ、日中割引とかで大宣伝している。これも新たな地域格差なのではなかろうか。

 いずれにせよ、わが国の庶民の音楽が、かつての「聞く音楽」・「鼻歌の音楽」だけの段階から「歌う音楽」・「弾き奏でる音楽」にもなってきたこと、これ自体はともかく喜ぶべきことであろう。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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