Entries

テレビの普及と映画―地域格差の再来―



                文化格差の縮小―楽器、書籍、映画を例にして―(6)

                  ☆テレビの普及と映画―地域格差の再来―

 60年代後半、ほぼ全家庭にテレビが普及し、さまざまなニュースを現実とほぼ同時進行的に随時映像で見られるようになった。そうなると映画館でニュースを見る必要がなくなってくる。それでニュース映画はなくなった(いつ頃だったろうか)。
 さらに、テレビがドラマをたくさん放映するようになったので、映画館に行かなければ活動写真つまり動く写真によるドラマが見られないというようなことがなくなった。つまりテレビドラマは映画の代替物となった。
 一々町の映画館に行かなくともドラマが観られる、しかもそれは無料だ(もちろんテレビ購入代金、NHKの受信料はあるが、それを計算しても映画館よりずっと安い値段で見られる)。当然映画の観客は減ることになる。
 やがて映画までテレビで放映されるようになった。もちろん古い映画だが、そうすると二番館などに行かなくとも見られるのでそこの観客も減る。
 実際に観客は大幅に減り、映画館は成り立たなくなってきた。そこで70年代後半には町はずれの小規模映画館は成人指定映画専門館化していった。
 しかしそれも成り立たなくなる。ホームビデオの普及、レンタルビデオ店の出現がさらに映画の観客を減らしたからである。かくして映画館はばたばたと閉館していった。

 このままいくと映画はなくなるのではなかろうかと思ったものだった。
 しかしなくならなかった。どうしてなのかわからない。映画製作者の側の努力のせいなのか、テレビでは満足できない、大きなスクリーンで見たいという観客がいるせいなのか。
 私もいい映画のようだとなると見に行く。といっても時間のできた定年後なのだが、仙台に帰ってきてさて映画を見に行こうと思ったら、かつてあった場所つまり駅前と盛り場の東一番町に映画館が一軒もない。これには驚いた。さっき言ったように本屋さんも一軒を除いてすべてなくなっていた。
 後輩に聞いてみると、郊外など盛り場から外れたところにあるという。それである映画を見ようと探して行ってみた。何と話の通り、郊外のかつての田んぼのなかにどっかりと立てられたショッピングセンターの隣りに大きな駐車場をそなえて建てられていた。中に入るといろいろな映画が何本も上映されている。ああこれがシネマコンプレックスというものかと初めてわかった(時代遅れといわれるかもしれないが)。たしかに便利である、ともかくそこに行けばいろんな映画が見られるようになっており、観客数に応じて会場の大きさや上映日数を変えるので立ち見などしなくともいい。便利になったものだ。
 それにしても、街の中心部に映画館がなくなり、本屋も郊外の大規模店に変わっている、これでいいのだろうかとちょっと疑問になった。街はもはや文化の中心ではなくなったことを示すのだろうか。それでも、郊外とは言えともかくあるだけでもいい。
 問題は農村部の小都市だ。数か少なくなっただけならいい、完全に消えてなくなってしまった。
 ちなみに私が99年に網走に行ったとき、かつての映画館は飲み屋に変わるなどして1軒もなくなっていた。知床から紋別・枝幸(えさし)までの網走管内1万平方キロ(青森県とほぼ同じ、東京都の約5倍)のなかにわずか2軒、それも北見市にあるだけになっていた(これまたちなみに、青森県には4市に8軒のシネマコンプレックスがあるとのこと、東京についてはわからないが、これと比べたら青森もかなり少ないのではなかろうか)。知床半島の宇登呂から北見まで、車でも最低2時間半、往復5時間、映画一本見るのに一日がかり、ガソリン代もばかにならない。知床はアイヌ語でシリエトク、「地の果て」という意味だそうだが、まさに網走管内は「文化果つるところ」なのかもしれない。
 もちろん、そうとばかりは言えないこともある。たとえば映画はテレビでも見ることができるからだ。ビデオよりもさらに便利になり、質もよくなったDVDをレンタルしても見られる。封切りと同時に見られないという点では後れるが、昔ほどの時間格差はない。さらに最近ではテレビのデジタル化にともない、金さえ出せば自分の見たい映画をテレビで見ることができる。さらにパソコン、そして携帯でも見られるようになっている。本はインターネットで取り寄せることもできる。最近は携帯で本も読めるようになった。こんなことはかつては考えられなかったことだ。パソコンからも国内外からのさまざまな情報が手に入る。こちらから発信もできる。
 このように、農村は都市とほぼ同時に同じ情報を共有でき、それどころか簡単に全国いや世界に情報を発信できるようになった。こうした点からすると、都市と農村部の文化格差、情報格差は少なくなっている。かつてとは比べものにならない。
 これはきわめていいことなのだが、せっかく縮小した格差が広がっていることもある。映画館で映画を見られない、あの独特の雰囲気を味わえない、レンタルで見られるとしてもその時期はかなり後れる。また、レンタルショップも農村部の町村になくなりつつある。さきほど述べたように、農村部から本屋がなくなる、カラオケボックスがなくなる、そしてさまざまな店がなくなる、一方都市部に全国チェーンの大きな店ができる、せっかく縮まった地域格差は再び広がりつつあるのである。

(註)所用のため今週いっぱい掲載を休ませていただく。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR