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スガ、氷、霜柱、雪、氷割り



                 求めてきた「快適」な暮らし(1)

                  ☆スガ、氷、霜柱、雪、氷割り

 山の頂上に白い雪が見え始めるころの晴れた日の朝、小川や小さな池に、道路などに残っている水溜まりに、薄く氷が張る。この氷をわれわれは「スガ」と呼んだ。なお、分厚い氷、たとえば氷屋さん、氷水屋さんにあるような氷は「氷」である。
 初めてスガが張った朝、つまり初氷の朝はうれしい。スガを足でパリパリ割りながら学校に行く。自分たちより先に誰かが割っていると口惜しい。まだ割られていないスガを探しながら歩く(註1)。
 やがて本格的な雪の季節になると、そうしたスガの上に雪が積もる。スガが見えなくなる。雪が積もるとその下はそんなに寒くないせいなのか、氷は厚くならない。だから氷の上で遊んだなどという経験はない。
 ただし、井戸端においたタオルや手ぬぐいは朝ガチガチに凍っている。それに触るのが嫌いだった。あのざらざらした肌触りがいやだった。ある朝、それに触っていやだなと思った瞬間、気持ちが悪くなってきた。すさまじい高熱だった。それで学校を休んで寝込んだのだが、そのときの手ぬぐいの感触がいつまでも頭に残り、今でも思い出すのがいやなほどである。

 戦前、少年雑誌などにときどき満州の話が出てきた。そのなかで印象に残っているのが、大きな川が凍り、その上で子どもたちがスケートをしている絵である。氷が割れないほど厚い、その上でつまり川の上で遊ぶ、こんなことは信じられなかった。日本ではそんなことはないだろうと思っていた。
 ところが、山形よりも冬の気温が高いはずの仙台で、人が乗れるほど厚い氷が張っていた(註2)。青葉城の下のお堀が東北大のアイスホッケー部の練習場になっているほどだった(ヒートアイランド化のせいだろう、今はもう凍らなくなってしまったが)。私もそこでスケートをさせてもらった。山形では、たとえば馬橇や車が通って圧雪状態になり、スケートの刃先がもぐりこまない程度に固くなった雪の上でしかスケートができなかったのだが、仙台で生まれて初めて氷の上でのスケートをした。雪の上と違って非常によく滑るのでちょっと怖かったが。
 仙台は山形のように雪が降らず、冷温が直接水にあたるので、日陰になる池などはそのまま凍り続けて厚くなっていくのだろう。

 少年雑誌と言えば、もう一つわからないことがあった。何という雑誌だったか忘れたが、その正月号に、冷たい風が吹く中を分厚い着物を着て襟巻きをした子どもが、また大人が、畑の背の低い緑色の植物の植えてある畝を横向きになって歩きながら踏んでいる絵が載っていた。何をしているのかと思ったら、「麦踏み」をしていると書いてある。
 信じられなかった。作物を踏みつけるなどは以ての外だからである。傷がつき、さらには枯れてしまう危険性があるから絶対にそんなことをやってはならない。また改めて植えればいいではないかと思う人もいるかもしれないが、考えてもらえればわかるように植える時期が遅れてしまったら芽が出ないか出ても実がならない。植物には季節性があるのである。
 畑の土を踏むのも、土を硬くして作物の根張りを悪くし、生育を抑えてしまうから、また耕しにくくするから、管理のために最低限必要な場合を除いて畑の中には入らない。
 そんな風に小さいころからたたきこまれていたから、どうしても麦踏みというのはわからなかった。そもそも雪がないこともわからない。山形は正月には一面雪、そのまま3月初旬までは消えない(最近はそんなに降らなくなったが)ので、子どもの頃は冬というものは雪が降り積もっているものだと考えていたからである。そして秋に植えた麦は雪の下だった。それがそうではないという、ともかく不思議だった。
 少し大きくなってそれがようやくわかってきた。雪の積もらない関東地方などでは、麦の芽の根元を足で何回か踏むことで霜柱で浮き上がった土を押さえて凍霜害を防ぎ、さらに徒長を防いで根張りをよくするのだというのである。
 それは仙台に来て納得した。根雪のない仙台では、庭などに毎朝のように霜柱が立って雑草などの根を押し上げ、浮き上がらせてており、これでは麦踏みも必要だろうなと理解できたような気がしたのである。山形でも霜柱がたつが、雪が降る前の一時期のちょっとだけ、見つけるのが大変だった。ほぼ毎日立つたくさんの霜柱を仙台で見たとき、カシャカシャと踏み潰して遊びたかったなと思ったものだった。

 やがて雪が降る。東北の日本海側、山間部は深く積もる。放っておくと積雪で家から外に出られなくなる。道路も通れなくなる。また屋根に積もった雪を放置しておくと家がつぶれてしまう。そこで必要となるのが雪かきと雪おろしだ。かつてはどの家にも若者がおり、若者を中心に子どもを含めて男手でやったものだった。
 今は除雪車が来てくれるようになり、本当に楽になった。そして道路は車が通れるようになった。それでも家の玄関から道路までの除雪、屋根からの雪おろしは個々の家でやらなければならない。ところが今は高齢化、みんながすべて楽になるというようにはなかなかならないものだ。

 太平洋側の仙台でも年に2~3回、10~15㌢くらいの雪が降ることがある。
 その雪の朝、家内は必ず早起きをして雪かきをする(註3)。だいたい仙台の雪は午後になれば半分融け、翌日になればほぼ全部融けてしまう(ただし、東西の道路の南側つまり家のかげになって日の当たらないところには少し残り、それが半ば融けてガチガチに凍るが)ので、雪かきなどしなくともすむはずである。でも、雪国育ちでない家内には楽しいらしい。私は言う、めったにしないから楽しいのだ、毎日のように雪かきをさせられる雪国の子どもたちには楽しくも何ともない、苦行だったのだと。
 8時半を過ぎると、近所の小学校から子どもたちの騒ぐ声が聞こえてくる。グランドに出て雪遊びをしているのだ。雪が降ると、一、二年生は1時間目、三、四年生は2時間目、五、六年生は3時間目の授業を休みにして、交代で雪遊びをするのだという。それを聞いたとき思わず笑ってしまった。しかも3時間目には雪が融けてぐしゃぐしゃになり、下の土も見えてきて雪は黒くなっているという。それでもやはり楽しいらしい。ますます笑えてくる。
 雪の少ない地域の子どもたちには雪がうれしいのだ。雪の本当に少ない南国の子どもは雪がちらちら降ってきただけで大喜びする。雪の降らない沖縄の人たちは子どもばかりでなく、大人も雪を喜ぶ。沖縄の研究者KYさんの奥さんとその友人の三人の女性が冬の網走を訪ねてきたとき、白鳥の来る湖(涛沸湖)に家内が案内した。そしたら彼女たちが「吹雪だ、初めて吹雪を見た」と喜ぶ。家内は言った、「これは風で積もった雪が舞っただけ、吹雪とは言わないの」、それでも彼女らにはいいのだ。
 もちろん雪国の子どもたちも雪はうれしい。これまでにない遊びができるからだ(註3)。
 しかし、それが何か月も続くとやはりあきてしまう。しかも雪と寒さで外に出られない日、友だちと遊べない日が続いたりすると春が待ち遠しくなる。大人もそうだ。
 網走では、11月から3月まで、一年の3分の1も雪に覆われる。自動車のタイヤ交換は10月末と5月連休明けである。11月初めの連休と5月連休に雪が降る場合があるからだ。半年以上緑がないと、このまま緑のない日が永遠に続くのではないか、神様は春をくれるのを忘れてしまったのではないかと不安にさえなってしまう。だからましてや春が待ち遠しい。

 3月、山形では高く積もった雪が解けてくる。日当たりのいい庭の一隅に土が見え、水仙の芽がちょっぴり顔を出す。もうすぐ春だ、楽しい、はずなのだが、憂鬱な季節でもある。道路の土が解けた氷や雪でどろどろになるからだ。かつては道路のほとんどが舗装されていなかったからである。足駄で歩くと足袋は泥まみれ、長靴で歩いても「すっぱね」(はねあがった泥のこと)がお尻近くまでつき、ズボンは泥だらけになる。
 こんなところを自動車が通ったら大変、もちろん当時のことだからめったに来ないし、スピードも出ないのだが、やはり泥が跳ねる。ひどいときは顔にまでかかる。それをいかに避けるかが大変である。
 道路の両脇に積み上げてあった雪は真っ黒で汚い。田畑に残る残雪も薄汚れている。ともかく雪解けは汚い。
 それでも暖かい。少しずつ雪がなくなり、道路が乾いてくる。
 しかしなかなか解けないところもある。

 日当たりの悪い場所、家の影で南の陽が遮られているところの雪は、お彼岸近くになっても消えない。
 山形の生家で言えば、籾戸の北側で、踏み固められた雪がガチガチに凍ってなかなか融けない。雪がその上に積もっているときはいいが、雪解け期になるとその氷が表に現れ、滑って非常に危ない。しかも固いからなかなか融けない。
 そこで私たち子どもの登板となる。日が照って暖かい日、祖父がつるはしを振り上げて氷割りを始める。子どもはその手伝いだ。1㍍くらいの長さ、直径5㌢くらいの太くて重い鉄棒(何と呼んだが思い出せない)を両手で持ち、上にあげて思いっきりその氷に落とす。そしてその鉄棒の尖った先端で氷に傷をつける。その近くにまた鉄棒を振り下ろす。そのうちその厚い氷にもひびが入り、やがて大きな氷の破片となる。こうして氷をこわしていき、一定の量になると、それをシャベルで運ぶ。そして雪の融けた日当たりの良い乾いた道路にその真っ黒い氷の破片を広げる。
 日差しはもう強い。見る見るうちに解けてくる。何度も何度も氷を運ぶ。1時間もしないうちにみんな融けてなくなってしまう。これが何とも気分がいい。3月初めのころだったような気がする。
 この情景を網走で何十年ぶりかで見た。そして私も家の玄関先の氷を本当にしばらくぶりで割った。

 3月半ば、網走にはまだ雪がたくさん残っている。さすが北国である。それでもお彼岸近くになってくると暖かい日が続くことがある。この日差しで突然雪が解け始める。道路等の圧雪でできた氷も融けて水となる。道路はぐしゃぐしゃ、それでも下はまだ氷だ。
 すると、近所の人が自分の家の前や道路に張っている氷を割り始める。つるはしや鉄の棒、私の小さい頃と同じような道具を使って氷を割り、それをシャベルでじゃまにならないところ、陽の当たるところに放り投げる。なつかしい情景だった。
 私も早速同じことを始めた。その情景を見たら、やはり雪国の人間、むずむずしてきて黙っていられなくなり、早速、玄関から道路までと家の前の道路の氷を割り、陽の当たる両脇に取り除きだしたのである。もちろん、圧雪されて氷状態になっている雪が融けてぐしゃぐしゃになり、融けた水が川のようになって流れて歩きにくいし、その下の氷がつるつる滑って危なくてしかたがなく、何とかしなければと思っていたからなのだが。さらに早く融けてもらいたいこともある。ただし、家には金棒がない。そこで、シャベルで何回か氷に傷をつけ、ひび割れをつくり、それをてこの要領で起こし、氷の破片をつくっていく。そしてそれを日当たりのいいところに運んで融けるのを待った。

 問題は、車のたくさん通る主要道路に大量に投げる人がいることだ。コンクリート片が道路に散らばっているのと同じだし、しかも氷なので滑るから、自動車には危険きわまりない。運転をする家内はすごく怒る。でも雪国育ちの私には日当たりのいい道路に投げたくなる気持ちはよくわかり、弁解してやりたくなる。山形の私たちもそうしたからだ。それがかつては当たり前だった。通るのは通行人と牛馬車だけ、そのじゃまにならないように配慮して道路に投げたし、通行人も氷割りの必要性がわかっているので文句は言わなかったし、たまに邪魔になっても足でよけて通ったし、牛馬車もそれで事故を起こすようことはなかった。しかし、スピードのある自動車となるとそうはいかなくなる。しかも捨てる方は車だから大丈夫だと思っているのか、遠慮しないでばらまく。車は氷の上に乗り上げてがたがた揺れる。タイヤが滑る。下手すると交通事故が起きてしまう。ともかく危ない。そのうち頭に来て警察に道路交通法違反で電話してやるかなどと言いたくなってくる。
 私はもう雪国の人間ではなくなってきたのだろうか。時代が違ってきているのだからそう言いたくなるのは当たり前と思っていいのだろうか。

 それはそれとして、問題は11月から3月までの寒さにどう対処するかである。とくに緯度の高い東北・北海道ではそれが大きな問題となる。

(註)
 1.10年12月3日掲載・本稿第一部「はじめに(1) ☆幼いころの農の情景」(5段落)参照
 2.    同        上             (2段落)参照
 3.11年2月1日掲載・本稿第一部「子どもの遊び(3) ☆水浴びと雪遊び」(2段落)参照
 
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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