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暑さに弱くなった(?)日本人



               求めてきた「快適」な暮らし(4)

               ☆暑さに弱くなった(?)日本人

 いうまでもないが、いくら冷たいものを食べても、うちわや扇子を使っていくら風を送っても、また庭や道路に水をまいたからといって、そんなに涼しくなるわけはない。
 だからかつては、夏が暑いのは当たり前、暑くなければ農作物にも困る、寒さと違って暑さで死ぬわけではない、そう思ってあきらめるよりほかなかった。もちろん最高気温の日本記録を出した1933(昭和8)年の山形の夏のときは日射病(今は熱中症と言うようになった)で亡くなられた方がかなりあったらしいが(註1)、それでも暑い暑いとぼやきながらもともかくがまんした。そして今と違ってがまんすることもできたのではなかったろうか。人工的な暑さがなかったからだ。
 家はほとんどが木造、土壁で、一階せめて二階建て、コンクリートのビルなどきわめて少なく、道路はでこぼこの未舗装、だから風は通るし、日光の照り返しによる熱が少ない。クーラーなど生活や生産に使われた熱が大量に放出されることもなかった。だから今のような暑さはなかった。
 農村部の家はなおのこと涼しかった。多くは茅葺き、あるいはその上にトタン板を被せた屋根で涼しく、開放的なつくり(冬はそれが困るのだが)でしかも家々は密集していないので、緑の木々をこえ、あるいは水の張った青々とした田んぼをわたってくる風が家の中に入り、都会からくらべたら本当に楽だった(註2)。

 1960年代後半、私は旧仙台市の外れに住むことになった。戦時中緊急につくられた住宅団地で、私の家の前には田んぼがあり、そのすぐ上には雑木林の丘があった。だから夏は涼しかった。それでも生まれたばかりの子どものために当時普及し始めた扇風機を購入した。
 どこの家にも扇風機がある時代となった。やがて冷蔵庫が普及し、氷を入れた冷たい水を飲むことができ、氷菓を保存しておいて食べることができるようになった。これで暑さしのぎはかなり楽になった。
 真夏の暑い日、調査に行った農家の座敷で、奥さんが冷蔵庫から出してごちそうしてくれる冷たいジュースで一息つき、広く開けた縁側から田畑の上を通って吹いてくるそよ風と扇風機の風で汗を乾かし、いよいよ調査にとりかかる、いい時代になったと思ったものだった。
 ところが、都会の夏はそうではなかった。

 1980年前後だったと思う、真夏の昼、東京駅で列車から降り立ったとき、あまりの暑さに倒れそうになった。駅を出たらさらにすごい。コンクリートのビル、道路、車、人ごみ、人いきれ、すべてが熱を発している。土はなく、緑は街路樹のみだ。この人工的な暑さ、たまったものではない。ヒートアイランドという言葉が流行ってきていたが、なるほどと実感できる。こんな東京に住んでいる人の気がしれない。そんなことを思ったものだが、仙台もそうなりつつあった。

 80年ころから、私の家の周りの田畑や山林に家が建つようになった。涼しい風が少しずつ少なくなってきた。
 90年代、私の家の西側、細い道路を挟んで目の前に学生や独身者向けのアパートがつくられた。それで、上の方にある小さな山の木々を通って直接入ってきていた風がさえぎられるようになった。
 さらに、そのアパートは南北に建ててあって窓はすべて東向きなので、朝はそこに東の陽がまともに射し、当然すさまじく暑くなり、そこで各部屋一斉にクーラーをつける。これで彼ら個々の部屋は快適になる。
 しかし道路を挟んで向かいにある私の家は大変だ。十数台のクーラーからの熱風が私の家の方に向かってくる。若干距離があるので直接には来ないが、すぐ近くを上に舞い上がる。窓を開けておくと音がすさまじい。さらに日光がアパートの壁や窓に反射してまた熱をこちらによこす。
 街に出ればさらにすごい。まさに東京並み、ヒートアイランドだ。クーラーを入れないわけにはいかない。それがまた暑くする。まさに悪循環だ。
 会議などが街の中で開かれるとき、会場に入ると涼しさにほっとする。快適である。しかしそのうち寒くさえなってくる。だから上着を持ち歩かないわけにはいかない。前より荷物が一つ増え、不便になった。
 学校にもクーラーが入るようになった。それでも、私の通っていた東北大の研究室、仙台の街の中にあるのだが、冷房がなかった。予算がないからだ。実験などのためにどうしても必要な部屋にあるだけだった。たまたま私の研究室は六階、前に高い建物もなかったので風が入って少しは涼しい。それで扇風機だけでがまんした。
 私の家も扇風機だけだった。それでもとうとう一部屋にだけ冷房をつけた。夏、幼い孫が来ると食欲をなくすからである。自分も暑さを増幅させる加害者になっていると罪の意識を感じながらだったが。ただし、よほど暑い日、年間3~4日、2~3時間つけるだけ、後はクーラーは遊んでいた。今も基本的には同じである。ただ、暑さに弱い家内は、高齢化するにしたがい、夏負けをするようになり、しかも最近の異常気象、前よりはつけるようになった。やむを得ないとは思っても、猛暑地帯育ちの私はそれにちょっぴり不満である。何でわが家までヒートアイランドの悪循環推進の一因となり、電力消費を増やし、地球環境を悪化させているのか、夏は暑いのが当たり前なのだと。

 それにしても私を含む日本人、我慢がなくなったなと思う。
 その昔は夏の暑さは我慢するしかなかった。そもそも人類は熱帯から発したもの、暑さには強いはずである。寒さのために暖房は不可欠だが、暑さのための冷房は不可欠ではないのである。
 ところが、暑くなればすぐにクーラー、人為的に室温を下げようとする時代になってしまった。そうせざるを得なくした都市化、過密化も問題なのだが。その結果としての人為的放熱と地球温暖化の影響により、さらに暑くなる。この悪循環を断ち切らなければならない。冷房による快適な生活、それがもたらす問題も考えなければならないのである。
 だからといって、クーラーは一切使わないようにしようなどというつもりはない。病人や乳幼児等、暑さに耐えられない人もいるし、快適に仕事をしたり、勉強したりする上で必要な場合もある。しかしそれも程度問題だ。今は厚着しなければならないほど室温を下げている。最近はクールビズなどが話題になっているが、昔は裸に近い状態で過ごしたのだ、もう少し考えなければならないのではなかろうか。家にいるときの私はランニングシャツとステテコ姿、暑くなったらごろごろしていることにしている(お客さんが来たらどうするのと家内からいやな顔をされるが)。
 また暖房のところでも述べたが、冷房の動力源も考えなければならない。さらにかつて利用した自然の水、風を改めて冷房源として見直していくことも考えなければならないだろう。日本はそうした資源に恵まれているのだから。

 暑い日、農山村に行く。水田の稲穂の上を、緑の畑を渡ってくる風は涼しい。広い庭の木々の緑、その日陰は涼しい。開放的につくられている広い屋敷はこれまた涼しい。風がないときは扇風機をかければ何とかなる。こうした環境に優しい生活をしている農村が過疎化している。
 一方、巨大都市にはますます人口が集中し、ヒートアイランドのヒートを上昇させている。
 こうした異常な過疎、過密をどう解決していくか、もっと真剣に考える必要があるのではなかろうか。

(註)
 1.11年1月24日掲載・本稿第一部「☆農のやすらぎ」(2段落・註)参照
 2.かわりに問題点も多々あった。それについては下記の掲載記事を始め本稿の各所で書いている。
   11年1月13日掲載・本稿第一部「☆『失われゆく民家風景』」(2~3段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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